2019-09-18 農研機構
ポイント
農研機構は、日本の食料消費に伴って国内外の環境中で生じている窒素負荷(=食の窒素フットプリント1))の長期変遷を初めて明らかにしました。私たちの食生活(タンパク質をどの食品から摂るか、タンパク質の摂り過ぎ、食品ロスなど)が、食の窒素フットプリントに大きく影響しており、窒素負荷が引き起こす様々な地球環境問題を解決する重要な鍵が、一人一人の消費行動にあることを示しました。
概要
私たちが口にする食品中のタンパク質には窒素(N)が16%含まれています。この「食べる窒素」を生産し、消費するまでの過程では、環境中に多くの窒素(反応性窒素2))が排出され、地域や地球環境に様々な負の影響(硝酸態窒素による地下水汚染、湖沼の富栄養化、一酸化二窒素3)による地球温暖化・オゾン層破壊など)を及ぼしています。
本研究では、統計データに基づき計算した、日本の食生活に関する窒素統計量(食の嗜好の変化、タンパク質の摂り過ぎ、食品ロスなど)と食料生産~消費の過程で国内外の環境中で生じている窒素負荷量(=食の窒素フットプリント)の過去半世紀にわたる長期変遷を初めて推定しました。その結果、(1)現在(2015年)、国内消費向けに供給される「食べる窒素」のうち22%はタンパク質の摂り過ぎ、11%は食品ロスとなっていること、(2)日本の食品ロスは、高度経済成長期に急増したタンパク質の摂り過ぎが最大値に到達した後、1970年代後半から顕著となり、2000年頃に倍増した後、近年は漸減していること、(3)現在とほぼ同程度のタンパク質が供給されていた1970年頃の日本食(豆類・魚介類のタンパク質が主体)では、食の窒素フットプリントが19%小さいこと、等がわかりました。
本成果は、食品ロスを減らし、日本人の食事摂取基準に沿った食生活を送ることが地球環境問題解決の大きな鍵となることを示しており、「食育」などを通じて、窒素負荷による環境問題の原因や解決策を、一人一人が身近な問題として考えるための科学的情報等として利用できます。
関連情報
予算:農林水産省農林水産業・食品産業科学技術研究推進事業(28005A)、農研機構生研支援センターイノベーション創出強化研究推進事業(28005A)、運営費交付金
問い合わせ先など
研究推進責任者 :農研機構農業環境変動研究センター 所長 渡邊 朋也
研究担当者 :同 物質循環研究領域 江口 定夫
広報担当者 :同 広報プランナー 大浦 典子
詳細情報
開発の社会的背景
国連の持続可能な開発目標(SDGs)4)の「目標12:つくる責任つかう責任」では、「2030年までに世界全体の1人当たりの食料廃棄を半減する」というターゲット12.3が掲げられています。また、今年5月には「食品ロス削減推進法」5)が成立し、「国民運動」として食品ロスの削減に取り組むことが明記されました。今、食料生産~流通~消費(フードチェーン)を一連のシステムとして捉え、無駄のない持続可能なフードチェーンシステム作りへの期待が高まっています。
食品中の三大栄養素の一つであるタンパク質には、必須栄養元素である窒素が16%含まれています。この「食べる窒素」の元を辿れば、大気中の窒素分子(N2)から化学合成された窒素肥料や生物学的窒素固定6)により農地に投入された窒素がその大部分を占めています。しかし、食料生産~消費システムからは、私たちが実際に摂取する「食べる窒素」の何倍にも相当する窒素が環境中に排出されており、これらは地球環境に様々な負の影響(硝酸態窒素による地下水汚染、湖沼の富栄養化、一酸化二窒素による地球温暖化・オゾン層破壊など)を及ぼしています。
研究の経緯
これまで、食料の生産現場である農畜産業からの窒素の排出を低減するため、数多くの改善策が提案・実践され、環境保全型の農畜産業が推進されてきました。しかし、生産物が食品として消費者の口に入るまでのフードチェーン全体を対象とした窒素フローの実態や窒素排出削減策などについては、十分な把握や検討ができていませんでした。そこで、本研究では、過去半世紀にわたるフードチェーン全体での窒素フローの実態を明らかにするとともに、フードチェーンからの窒素排出の構造的な問題点を抽出することを試みました。まず、日本における食生活の長期変遷を「食べる窒素」の供給・摂取等の観点から明らかにするとともに、その削減策を検討しました。次に、日本の食料消費のために国内外の環境中で生じている窒素負荷(食の窒素フットプリント)の実態を定量的に示しました。
研究の内容・意義
1.食に関わる窒素フローと窒素フットプリント
図1は、食に関わる窒素フローを階段状の滝に見立てた模式図です。食料生産~消費(フードチェーン)システムの各段階で環境中に排出された窒素の合計を「食の窒素フットプリント」と呼びます。滝の最下流端で消費者が要求する食品の種類や形態、量などによって市場ニーズが形成され、それに応じて、生産者や食品加工・流通・販売業者が食料を生産・供給します。この図は、国際貿易も含めて地球規模で流動する巨大な窒素フローの主な駆動力が、消費者ニーズであることを示しています。
2.食生活の実態
食に関わる国の統計データ(人口推計、国民健康・栄養調査、食料需給表)や基準値(日本人の食事摂取基準)等に基づき、日本の食料供給・摂取の実態を、窒素を基準として推計しました(図2)。厚生労働省による「日本人の食事摂取基準」の推奨量(2004年以前は「日本人の栄養所要量」)を、日本の消費者にとって最も健康的なタンパク質摂取量であると考え、実際のタンパク質摂取量は、厚労省の「国民健康・栄養調査」から得て、両者の差が、「タンパク質の摂り過ぎ」に相当するとみなしました。また、国内消費向けの「供給純食料(食料の可食部)」のタンパク質と実際のタンパク質摂取量の差を、フードチェーンの様々な過程で生じるタンパク質の「食品ロス(可食部の廃棄)」とみなしました。その結果、現在(2015年)、国内消費向けに供給されている純食料のうち、22%はタンパク質の摂り過ぎと計算され、11%(約1400万人分の「食べる窒素」、約4兆円分の食費に相当)は食品ロスと計算されました。また、日本の食品ロスは、高度経済成長期に急増したタンパク質の摂り過ぎが最大値に到達した後、1970年代後半から顕著となったことがわかりました。
3.食の嗜好と窒素負荷の関係
日本における一人当たりの「食べる窒素」の供給量は、過去半世紀の間、約4~5 kg N/年の範囲でおよそ一定であり、現在の供給量は1970年とほぼ同じです(図3上)。一方、「食べる窒素」の中身はこの間に大きく変化し、畜産食品(肉類、鶏卵、牛乳等)は約5倍に増加、豆類等の植物性タンパク質は全体で30%減少しました。このような食の嗜好の変化に伴う食の窒素フットプリントの変化を計算すると、例えば1970年の食生活(豆類・魚介類のタンパク質が主体)では、現在と同じ量の「食べる窒素」が供給されていましたが、食の窒素フットプリントは19%小さいことがわかりました(図3下)。
したがって、日本人の食事摂取基準に沿った健康的な食事によるタンパク質の摂り過ぎの削減(図2)や食品ロスの削減(図2)、そして、より窒素フットプリントの小さい食品を選択すること等により、環境中への窒素負荷を大幅に削減できると言えます。
今後の予定・期待
消費者庁が普及・啓発活動を進める倫理的消費7)では、人や社会・環境に配慮した消費行動が求められています。食の窒素フットプリントは、行動のための指標と位置づけられます。消費行動を通じて食の窒素フットプリントの低減をはかるためには、どの食品が環境保全的な低窒素負荷の食料生産方式(例えば、堆肥に含まれる「古い」窒素を農地で再利用し、「新しい」窒素である化学肥料を減らすなど:図1参照)によって生産・供給されたかをラベル等で表示し、消費者の商品選択基準の一つとして利用してもらうことが必要です。そのためには、様々な環境保全型農業等における窒素利用効率を考慮した計算を行う必要があり、現在、そのための計算手法の開発やデータ整備・解析等を進めています。
食料生産~流通~販売のサプライチェーンを地球規模で動かしている最大の駆動力は消費者ニーズ(市場ニーズ)であり、私たち一人一人の毎日の食事の小さな選択の積み重ねが、これを形作っています。この選択が、自国だけではなく、遠く離れた海外の食料輸出国における環境中への窒素負荷削減にも大きく貢献する(地球環境を守ることが出来る)ということを、本成果を通じて、社会に伝えていきたいと考えています。
用語の解説
- 1)窒素フットプリント
- 化石エネルギーや食料の消費など、様々な人間活動に伴う環境中への窒素(反応性窒素)排出量の合計を表します。窒素フットプリントは、消費者1人・1年当たりの値として示されることが多く、窒素負荷の大きさが消費活動の種類・内容によって大きく異なること等を消費者にわかり易く伝えるために、簡易な科学的指標の一つとして開発されました。なお、窒素フットプリントの計算では一般に、下水道処理における脱窒(反応性窒素をN2に変換するための処理)による窒素除去量を考慮しますが、本研究では単純化のため、あえて考慮しない計算結果を示しています。
- 2)反応性窒素
- ほとんどの生物は、大気の78%を占める窒素分子(N2)を利用できません。これに対し、生物が利用可能なN2以外のすべての窒素化合物に含まれる窒素のことを反応性窒素と呼びます。反応性窒素は、タンパク質、核酸、尿素、アンモニア、硝酸態窒素、一酸化二窒素(N2O)、窒素酸化物(NOx)、土壌有機物などに含まれており、すべての生体に必要な構成物質です。20世紀初めに大気中のN2からアンモニアを化学合成する技術が開発されて以来、急激に増加し、現在、地球全体での人為的な反応性窒素の生成量(210 Tg N/年)は、自然プロセスによる生成量(203 Tg N/年)を上回っています。環境中に過剰に存在する反応性窒素は、硝酸態窒素による地下水汚染、湖沼の富栄養化、NOx等による大気汚染、地球温暖化・オゾン層破壊の原因物質であるN2Oの排出、土壌の酸性化、生物多様性の損失など、地球環境に対して様々な負の影響を及ぼす原因となります。
- 3)一酸化二窒素(N2O)
- 二酸化炭素(CO2)の約300倍の温室効果を持つ強力な温室効果ガスであり、オゾン層破壊の原因物質でもあります。化学肥料や家畜排泄物に含まれる窒素から発生し、農畜産業が最大の人為的発生源となっているため、大幅な削減が求められています。
- 4)国連の持続可能な開発目標(SDGs)
- 2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」における17の持続可能な開発目標のこと。開発目標のNo.12「責任ある消費と生産」では、「2030年までに世界全体の1人当たりの食料廃棄を半減する」というターゲット12.3が掲げられています。
- 5)食品ロス削減推進法
- 食べることができるのに廃棄される「食品ロス」を減らすための基本政策を盛り込んだ法律であり、今年の国会(第198回)において、5月24日に成立しました。
- 6)生物学的窒素固定
- 特定の細菌や藍藻が、単独またはマメ科植物等との共生により、空気中のN2からアンモニアを生成する反応のこと。
- 7)倫理的消費
- 人や社会・環境に配慮した消費行動のことで、「エシカル消費」とも呼ばれます。消費者庁が普及・啓発活動に取り組んでいます。
発表論文
1.江口定夫・平野七恵 2019 日本の消費者の食生活改善による反応性窒素排出削減ポテンシャルと国連SDGsシナリオに沿った将来予測. 日本土壌肥料学雑誌 90(1):32-46
2.江口定夫 2019 食べる窒素と環境中への窒素ロス~窒素の循環利用に欠かせない土の機能~. 日本土壌肥料学雑誌 90(2):175
3.江口定夫ら 2018 食料生産~消費過程における窒素利用効率と環境への窒素負荷―消費者影響の重要性と活用方向―. 日本土壌肥料学雑誌 89(3):249-259
参考図
図1 食に関わる窒素フローと窒素フットプリント
これは食に関わる窒素フローを階段状の滝に見立てた模式図であり、各段の窒素プールからは漏れ(環境中への窒素の排出)が生じています。滝の最上流部にある農地に投入された「新しい」窒素(生物が利用可能な窒素化合物:反応性窒素)は、上流では作物生産のために利用され、中流付近では家畜への飼料となり、最下流端では食品として消費者に摂取されます。これらの過程で環境中に排出された窒素の総量が、窒素フットプリントです。
図2 日本の食料供給・摂取に関わる窒素量の長期変遷(タンパク質の摂り過ぎと食品ロスの長期変遷)
現在(2015年)、国内消費向けの供給純食料(食料の可食部のみ)のタンパク質の22%はタンパク質の摂り過ぎ、11%は食品ロスとなっています。タンパク質の摂り過ぎと食品ロスの削減は、供給純食料の削減や非可食部の削減、さらには、農畜産業における窒素投入量の削減にもつながります。したがって、結果的に、フードチェーンシステムにおける食の窒素フットプリントを合計33%(719 Gg N/年)削減することが可能です。 本研究では、厚労省による「日本人の食事摂取基準」の推奨値(2004年以前は、「日本人の栄養所要量」)を、日本の消費者にとって最適なタンパク質摂取量であるとみなしました。実際のタンパク質摂取量は、国民健康・栄養調査(厚労省)から得ることにより、両者の差が、タンパク質の摂り過ぎに相当すると考えました。また、国内消費向けの供給純食料タンパク質と実際のタンパク質摂取量の差を、食品ロスとみなしました。なお、供給粗食料と供給純食料の差は、非可食部の窒素量に相当し、食品廃棄物となります。
図3 日本の消費者一人当たりの供給純食料に含まれる主要食品群別の窒素量の長期変遷(上)とそれに伴う食の窒素フットプリント(環境中への窒素負荷)の推計値(下)
食の嗜好の長期的変化が食の窒素フットプリントに与える影響を見るため、供給純食料の窒素量がほぼ等しい1970年と2015年に注目して、「日本食」の窒素フットプリントを比較しました。その結果、1970年の「日本食」の方が、食の窒素フットプリントが19%小さいことがわかりました。なお、この図(下)では、食の嗜好の変化が食の窒素フットプリントに与える影響のみに着目するため、過去の農畜水産物の生産過程における窒素利用効率(=窒素利用量/窒素投入量)が、現在(2015年)と同じであることを仮定した計算結果を示しています。