ラッティンジャー半金属が歪みや磁場でワイル半金属に変身

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トポロジカル相の開拓の場を広げる材料系を創出

2019-04-16  東京大学,科学技術振興機構

ポイント
  • 高品質なパイロクロア型イリジウム酸化物(PrIr)薄膜の作製に世界で初めて成功しました。
  • 本薄膜に歪みや外部磁場を加えることで、ラッティンジャー半金属からワイル半金属となることを実証しました。
  • 今後、ラッティンジャー半金属に関連した新しいトポロジカル相の開拓や超高速・低消費電力デバイスの開発につながると期待されます。

東京大学 物性研究所の大槻 匠 特任研究員、中辻 知 教授、リップマー ミック 教授らの研究グループは、ラッティンジャー半金属注1)として知られるパイロクロア型注2)イリジウム酸化物(PrIr)の高品質な薄膜の作製に世界で初めて成功し、電気・磁気輸送特性を詳細に調べることで、本物質が歪みや外部磁場によってワイル半金属注3)となることを実証しました。

近年、電子間の相互作用注4)が強いトポロジカルな電子相、特にワイル半金属が注目されています。ラッティンジャー半金属であるPrIrは、格子歪みや外部磁場を加えることで、ワイル半金属となることが理論的には予測されていましたが、実験的に証明されていませんでした。これを実証するため、高品質なPrIr薄膜の作製に世界各国10以上のグループが取り組んでいましたが、物性評価はおろか薄膜の作製に成功した報告は皆無でした。

今回研究グループは、固相エピタキシー法注5)でPrIrのエピタキシャル薄膜の作製に成功し、結晶構造解析やカイラル異常注6)に起因する電気・磁気応答の観測を通じて、ラッティンジャー半金属が歪みの効果によってワイル半金属に、外部磁場の効果で磁性ワイル半金属になることを実証しました。今後、他の外場を与えることによる電子間の相互作用が強い新奇なトポロジカル相の開拓や、超高速・低消費電力デバイスの応用につながると期待されます。

本研究成果は、米国東部時間2019年4月15日午後3時(日本時間4月16日午前4時)に米国科学誌「米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)」に掲載されます。

本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「トポロジカル材料科学に基づく革新的機能を有する材料・デバイスの創出」(研究統括:上田 正仁)における研究課題「電子構造のトポロジーを利用した機能性磁性材料の開発とデバイス創成」(課題番号:JPMJCR18T3、研究代表者:中辻 知)、日本学術振興会 科学研究費助成事業(課題番号:16H02209、25707030、26105002)並びに戦略的国際研究交流推進事業「頭脳循環を加速する戦略的国際研究ネットワーク推進プログラム」における事業課題「新奇量子物質が生み出すトポロジカル現象の先導的研究ネットワーク」(課題番号:R2604、主担当者:瀧川 仁)、文部科学省 科学研究費補助金 新学術領域(研究領域提案型)「J-Physics:多極子伝導系の物理」(課題番号:15H05882、研究代表:播磨 尚朝)における研究計画班「A01:局在多極子と伝導電子の相関効果」(課題番号:15H05883、研究代表者:中辻 知)の支援のもとに行われました。

<研究の背景>

近年、物性物理学の分野では、トポロジカルな電子相が注目を集めていますが、とりわけワイル半金属内に含まれるワイル粒子注7)は、非常に高い電気伝導性や熱伝導性を示すため、超高速・低消費電力なデバイスへの応用が期待されています。トポロジカルな電子相の研究は、これまで電子間の相互作用が弱い物質群に注力されてきた一方で、電子間の相互作用が強いものはあまり研究が進んでいません。また、ワイル半金属は空間反転対称性注8)が破れたTaAs(ヒ素化タンタル)で2015年に実験的に発見されましたが、時間反転対称性注9)が破れた磁性ワイル半金属はこれまで数例しか見つかっていません。磁性ワイル半金属の最初の例として、2012年に理論的に予測されていたのがパイロクロア構造を持ったイリジウム(Ir)酸化物です。

このパイロクロア型イリジウム酸化物の中でも注目されてきたのが、PrIr(Prはプラセオジム)です。この物質は、ラッティンジャー半金属であり、電子間の相互作用が強いことが知られています。理論によると、PrIrに格子歪みや外部磁場を与えることでワイル半金属になることが予測されていましたが、それを実験で証明した報告はありませんでした。1つの原因として、バルク体では十分な歪みを導入することが難しいことが挙げられます。この解決策として、PrIrを薄膜化してエピタキシーの効果を利用して格子歪みを導入することが考えられます。そのために、世界各国で10グループ以上がPrIrの薄膜化に取り組んできましたが、薄膜作製に成功したという報告はこれまで1件もありませんでした。

<研究の内容と成果>

薄膜作製を困難にしているのは、特に高温でイリジウムの揮発性が高いことです。そこで、研究グループは、室温でパルスレーザー蒸着注10)した薄膜をその後大気中で加熱することで結晶化させるという固相エピタキシー法によって、イットリア安定化ジルコニア(YSZ)基板上に高品質なPrIrエピタキシャル薄膜を作製することに世界で初めて成功しました(図1)。この薄膜の結晶構造を詳細に調べたところ、格子歪みが導入された結晶粒と格子緩和した結晶粒とが共存していることが分かりました。

この薄膜試料を用いてホール効果測定を行ったところ、外部磁場も自発磁化も共にない状態で自発的ホール効果を50K(ケルビン)以下で示すことが明らかになりました(図2)。この値はバルク体が1.5ケルビン以下でしか自発的ホール効果を示さないことを考えると、非常に高い温度です。自発的ホール効果が現れる理由は、イリジウムの磁気モーメントがall-in-all-out構造注11)をとっていて時間反転対称性が破れているためと考えられます。この場合、格子歪みが導入されている部分に関しては、理論的に予測されている、立方対称性と時間反転対称性が同時に破れているとワイル半金属が現れるという条件を満たしていることになります。

また、格子歪みのない部分は本来バルク体と同じラッティンジャー半金属ですが、外部磁場を印加することで時間反転対称性が破れると、磁性ワイル半金属が現れると考えられます。このことを確かめるためにワイル半金属の電気・磁気応答であるカイラル異常を測定しました。非常に精密な測定を行った結果、カイラル異常に関連した負の縦磁気抵抗効果注6)(図3)とプレーナーホール効果注12)(図4)を観測することに成功しました。このことは、外部磁場を印加することでワイル半金属が誘起されることを意味します。

<今後の展望>

今回、ラッティンジャー半金属であるPrIrのエピタキシャル薄膜の作製に成功し、歪みや外部磁場を加えることでワイル半金属が誘起されることを実験的に示しました。このラッティンジャー半金属で得られた結果を契機として、今後これまで研究が進んでいなかった電子間の相互作用が強いトポロジカル相の探索が進み、さらにはワイル粒子が示す高い電気伝導性・熱伝導性を応用した超高速・低消費電力デバイスの開発へとつながることが期待されます。

<参考図>

ラッティンジャー半金属が歪みや磁場でワイル半金属に変身

図1

(A)YSZ基板上に成長させたPrIr薄膜の断面TEM(透過電子顕微鏡)観察で予測される結晶構造。破線より上がPrIr薄膜の結晶構造であり、中が塗りつぶされた丸はプラセオジムを、中が塗りつぶされていない丸はイリジウムを表している。破線から下がYSZ基板の結晶構造であり、中が塗りつぶされた丸はジルコニウムを表す。図右上のカッコ付の数字列は結晶方位を表している。

(B)薄膜表面近傍の断面TEM図。

(C)薄膜と基板との界面近傍の断面TEM図。四角で囲んだ部分を図右側に拡大している。

 

(A)を奥行き方向に向かって見た時に、(1)プラセオジムだけが並んでいる列、(2)イリジウムだけが並んでいる列、(3)プラセオジムとイリジウムが交互に並んでいる列、(4)ジルコニウムだけが並んでいる列、の4種類の原子列が見られるはずであるが、(B)(C)右側の図において(1)を中が塗りつぶされた丸で、(2)を中が塗りつぶされていない丸で、(3)を星型で、(4)を四角で示している。各元素が(A)に示したように規則正しく配列していることから、PrIr薄膜がパイロクロア構造をとっていることが分かる。また、(B)(C)右側の図において直線で示したように、ジルコニウムからなる列の間隔と、(B)(C)に示したプラセオジムやイリジウムからなる列の間隔とが同じであることから、PrIr薄膜に歪みが導入できていることが確認できる。

図2
図2

(A)1037ミリケルビンおよび(B)9ミリケルビンで測定したホール抵抗率の磁場依存性。グラフ内には2本の曲線が描かれているが、左下を向いている矢印で注釈された上側の曲線に関しては磁場を減少させながら、また、右上を向いている矢印で注釈された下側の曲線に関しては磁場を上昇させながら測定したことを表している。内挿図は点線で囲った箇所の拡大図であり、横軸(磁場)がゼロのところで縦軸(ホール抵抗率)の値がゼロではないことが、自発的ホール効果が現れていることを示している。

(C)自発的ホール抵抗率の温度依存性。約50ケルビン以下の温度域で自発的ホール効果が発現している。

 

図3
図3

(A)負の縦磁気抵抗を測定するための実験配置。図中央の直方体が薄膜試料を表している。電流の向きは同一で、電流に対して磁場が平行な場合(試料中央から9時の方向に伸びている太い矢印の方向に磁場を印加)と垂直な場合(試料中央から7時の方向に向かって伸びている太い矢印の方向に磁場を印加)の2つの配置で測定を行った。カッコ付の数字列は結晶方位を表している。

(B)2ケルビンで測定した磁気抵抗比の磁場依存性。図中の“磁場//電流”と注記された下側の線および“磁場⊥電流”と注記された上側の線はそれぞれ、磁場と電流が平行および垂直の配置で測定したもの。磁場と電流が平行な場合に、より負の磁気抵抗が大きくなっている。この差分がカイラル異常に起因しており、試料がワイル半金属となっていることを示唆している。

図4
図4

(A)プレーナーホール効果測定の実験配置。試料面内に印加した磁場中で試料を回転させながら、VXXで縦抵抗を、VPHEでプレーナーホール抵抗率を測定している。

(B)縦抵抗と(C)プレーナーホール抵抗率の角度依存性。中が塗りつぶされていない丸は実験で得られたデータ点であり、実験データ上に重ねた線はワイル半金属で見られるカイラル異常から理論的に予測される角度依存性を示している。実験結果は理論と非常によく合っており、ワイル半金属であることを示唆している。

<用語解説>
注1)ラッティンジャー半金属
金属・半導体・絶縁体といった物質の特徴は、電子が取り得るバンド構造(電子のエネルギーを、電子を波とした時の波数の関数として表したもの)で決まっている。半導体や絶縁体では、価電子帯(電子で満たされたバンド)と伝導帯(満たされていないバンド)との間にエネルギーギャップ(バンド構造において電子が存在できない領域)が存在するが、この価電子帯と伝導帯とが1点で接していて、エネルギーギャップがゼロの状態をゼロギャップ構造と呼ぶ。このゼロギャップ構造の内、放物線的なバンド構造を持つ価電子帯と伝導帯がフェルミ準位(電子が占めている最大のエネルギー準位)上の1点で接している状態をquadratic band touchingという。この時、フェルミ準位には1点しか状態がないゼロギャップ半導体となっており、これがラッティンジャー半金属と呼ばれる。
注2)パイロクロア型構造
パイロクロアは黄緑石とも呼ばれ、天然に存在する鉱物名である。結晶学的にはAO’(Aはアルカリ土類イオンや希土類イオン、Bは遷移金属イオン、Oは酸素イオン)で表され、4つのAを頂点とした正四面体が頂点共有で結合した3次元ネットワーク構造を持っている。Bについても同様のネットワーク構造を形成しており、それらが入れ子になった構造となっている。この3次元ネットワーク構造はパイロクロア格子とも呼ばれる。AやBにはさまざまな元素が入ることができるため、これまでに非常に多くの物質が人工的に合成されている。
注3)ワイル半金属
3次元空間において、縮退の解かれた価電子帯と伝導帯がブリルアンゾーン内の1点で接触し(その点をワイル点と呼ぶ)、ワイル点近傍で線形なバンド構造を持つ物質のこと。
注4)電子間の相互作用
電子はマイナスの電荷を持っているので、電子同士が近づくとクーロン力によってお互いに反発し合う。
注5)固相エピタキシー法
薄膜結晶成長技術の1つであり、結晶基板上に低温で堆積させた非晶質の薄膜を加熱することで、基板と同じ結晶構造に変える方法。薄膜と基板が異なる物質の場合はヘテロエピタキシャルと呼ばれるが、薄膜がその物質本来の格子定数ではなく、基板と同じ格子定数で成長した場合、薄膜内に格子歪みが導入される。格子不整合が大きい場合、歪みに耐えられず、格子緩和を起こして薄膜物質本来の格子定数に戻る。
注6)カイラル異常、負の縦磁気抵抗効果
ワイル半金属に磁場を印加した時に、その方向に電流が流れる現象。このため、電流(電場)と磁場が平行の時に磁気抵抗(磁場を印加した時の抵抗)は負になる。
注7)ワイル粒子
量子力学の基礎方程式であるシュレーディンガー方程式に相対論的効果を取り入れたものがディラック方程式であるが、ディラック方程式で質量をゼロとした時に得られるフェルミ粒子(フェルミ統計に従う粒子。代表的なものに“電子”がある)のこと。1929年にドイツの数学者ヘルマン・ワイルによって提唱された。
注8)空間反転対称性
ある事象が、空間の反転に対して不変かどうかを表す指標。
注9)時間反転対称性
ある事象が、時間の反転に対して不変かどうかを表す指標。
注10)パルスレーザー蒸着
物理気相蒸着法の1つであり、パルスレーザーを真空チェンバー内の薄膜材料(ターゲットと呼ぶ)に照射することでプラズマ化し、対向する基板に薄膜を堆積する技術。
注11)all-in-all-out構造
パイロクロア格子では、イリジウムが頂点に位置した正四面体が3次元的につながっている(プラセオジムも同様)。それらの磁気モーメントは、正四面体の頂点と中心を結ぶ線に沿って内側あるいは外側のいずれかを向く性質がある。1つの正四面体に注目した場合、4つの磁気モーメントがすべて内側(この場合隣の四面体ではすべて外側)を向いているものをall-in-all-out構造と呼ぶ。
注12)プレーナーホール効果
通常のホール効果測定では、電場、磁場、ホール電圧が互いに垂直な配置であるが、プレーナーホール効果測定は、それらがすべて同一面内(プレーナー(planar)は“面内の”という意味)にある。最近、プレーナーホール効果はワイル半金属のカイラル異常に直接関係する効果であると理論的に予測がなされ、実験的にも証明されている。
<論文情報>
タイトル
“Strain-induced spontaneous Hall effect in an epitaxial thin film of a Luttinger semimetal”
著者名
Takumi Ohtsuki, Zhaoming Tian, Akira Endo, Mario Halim, Shingo Katsumoto, Yoshimitsu Kohama, Koichi Kindo, Mikk Lippmaa, and Satoru Nakatsuji
DOI
10.1073/pnas.1819489116
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>

大槻 匠(オオツキ タクミ)
東京大学 物性研究所 量子物質研究グループ 特任研究員

中辻 知(ナカツジ サトル)
東京大学 物性研究所 量子物質研究グループ 教授

<JST事業に関すること>

中村 幹(ナカムラ ツヨシ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ

<報道担当>

東京大学 物性研究所 広報室

科学技術振興機構 広報課

0501セラミックス及び無機化学製品0700金属一般1701物理及び化学
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