磁性元素を含まない磁性体を予測

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多彩な物性を示す「奇跡の模型」の実現へ一歩前進

2018/05/08 産総研

ポイント

  • 磁性元素を含まない実在の化合物に正孔を導入すると強磁性を示すことを理論的に予測
  • フラットバンドの存在が強磁性を誘起することを解明
  • フラットバンド模型の実験的研究や新しい磁気デバイス開発への貢献に期待

概要

国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)電子光技術研究部門【研究部門長 森 雅彦】超伝導エレクトロニクス研究グループ 長谷 泉 主任研究員、柳澤 孝 上級主任研究員、酸化物デバイスグループ 相浦 義弘 研究グループ長らは、磁性元素を含まないパイロクロア型酸化物であるSn2Nb2O7やSn2Ta2O7 (Sn:スズ、Nb:ニオブ、Ta:タンタル、O:酸素)に正孔を導入できれば、磁石としての性質を示す強磁性が出現することを理論的に予測した。

フラットバンド模型は完全強磁性、超伝導、分数量子ホール効果などの特異な物性を生み出す「奇跡の模型」として注目されて来た。通常、磁性元素を含まない物質は強磁性を示さないが、フラットバンド模型では磁性元素を含まなくても強磁性を示すと予測されていた。このいわば「無から有」を生む鍵は二つあり、一つは結晶構造で、もう一つは適切な化学組成である。しかし、この模型を実現する現実の物質はこれまで示されていなかった。

今回対象とした酸化物の結晶は内部にパイロクロア格子と呼ばれる特徴的な格子を含む。また、今回の化学組成を選び、さらに正孔を導入すると、実在する物質でフラットバンド模型が近似的に実現すること(擬フラットバンド)や、強磁性が出現することを第一原理計算によって理論的に予測できた。この発見によりフラットバンド模型の性質の実験的検証が進むと同時に、磁性元素を含まない磁性材料などへの応用が期待される。

なお、この研究の詳細は、2018年5月7日(米国時間)に米国物理学会が発行する学術誌Physical Review Lettersのオンライン版に掲載された。

概要図

従来の磁性体とフラットバンド磁性体の比較

従来の磁性体は単独で磁性を示す磁性元素が集合して磁性体となるが、フラットバンド磁性体では単独では磁性を持たない非磁性元素が、図のような特徴的な結晶構造を形成して磁性体となる。

開発の社会的背景

高度情報化社会と低エネルギー消費社会を実現するために、これまで多くの磁性材料が開発されて来た。ただ、実用化されている強い磁石はいずれも希少元素を含み、わが国ではほとんど産出しない元素を含むものも多い。また車両や旅客機などでの利用も考慮して、環境負荷が少なく、軽量で、希少元素を含まない磁石の開発が求められている。さらにIoT(モノに通信機能やセンサーをつけ、インターネットにつなぐこと)時代となった現在、センサーやメモリーなどの磁気デバイスを半導体デバイスと同時に集積、実装するニーズも高まっている。

研究の経緯

産総研では、希少な磁性元素を含まず、軽量で、大気中でも安定な磁性体や超伝導体の開発を進めて来た。しかし、これまでの磁性体はいずれも磁性元素がもともと持つ「磁石」を利用していたため、選択できる元素が重元素である磁性元素に限られていた。一方で、高性能太陽電池などの開発も進めており、その材料の有力候補であるSn2Nb2O7、Sn2Ta2O7を調べて行くうちに、電子のバンド構造が「フラットバンド模型」のバンド構造に似ていることが分かった。これまで、この理論模型で表される現実の物質は発見されていなかったため、第一原理計算によって今回対象とした物質がフラットバンド模型で表されるかどうかを検証することとした。フラットバンド模型からは完全強磁性をはじめとして、多くの魅力的な物性が発現することが予測されていたからである。

なお、本研究は、独立行政法人 日本学術振興会の科学研究費助成事業(基盤研究C、課題番号26400379)による支援を受けて行った。

研究の内容

パイロクロア型酸化物半導体であるSn2Nb2O7とSn2Ta2O7の第一原理計算の結果、半導体としては極めてエネルギー幅の狭い価電子帯のエネルギーバンド(擬フラットバンド)が現れることがわかった。またこれらの物質に正孔を導入した場合についても計算を行った結果、かなり広い正孔濃度範囲で安定な強磁性をもつことが示された(図1)。正孔を導入する前(δ=0)は、上向きスピンのバンドと下向きスピンのバンドは分裂せず同エネルギーであるため、上向きのスピンと下向きのスピンが同数となり、完全に打ち消しあうため磁性は生じない。一方、正孔を導入すると(δ≠0)、フラットバンドが上向きスピンのバンドと下向きスピンのバンドに分裂する。この時上向きスピンのバンドのエネルギーが下向きスピンのバンドのエネルギーより低くなり、上向きスピンの数が下向きスピンよりも多くなるため、強磁性が生じる。図からも、擬フラットバンドが上向きスピンバンドにはスピンがあるのに、下向きスピンバンドにはスピンが含まれていないことがわかる。正孔濃度を変化させて同様の計算を繰り返し、磁性の強さ(磁化)と正孔の濃度の関係を得た(図1(c))。正孔を導入すると磁化は正孔数に比例して大きくなるが、ある濃度を越えると磁性は急激に減少することがわかった。

図1

図1: Sn2Nb2O7の状態密度曲線と磁性の強さ

横長四角で囲った部分が擬フラットバンド。横軸は上向きスピンと下向きスピンの個数を表す。正孔を導入した後は両者の個数が異なり、その差により磁性を示す。磁性の強さは正孔の個数に依存する。

理論解析により、この擬フラットバンドがパイロクロア格子の特殊な幾何学的配置に起因することを見出した。パイロクロア格子の幾何学的な特徴は図2(a)に示すように、4個の原子が正四面体を構成し、それらが頂点を共有して格子を組んでいることである。この格子では、最近接原子間でだけ電子が移動できる場合に、フラットバンドが現れる。現実のSn2Nb2O7ではパイロクロア格子以外の位置にも原子が存在し、また電子が最近接以外の原子にも移動できるため、図2(b)のような複雑なエネルギーバンド構造となる。しかし、本質的な部分はこのフラットバンド模型で良く記述できる。ここに正孔を導入すると上述の通り強磁性が出現する。この磁性はスズや酸素と言った非磁性元素による極めて珍しい電子状態に起因するもので、従来の磁性材料の磁性発現機構と異なり、完全強磁性との関わりが深いと考えられる。

図2

図2: (a)パイロクロア格子と(b)Sn2Nb2O7のエネルギーバンド

特に(b)の赤色部分が擬フラットバンドで、この部分が強磁性となるために本質的な役割を果たす。

今回予測された磁性体は磁性元素を含まないものである。この発見は学術的に極めて興味深いと同時に、磁性元素を含まない磁性体が実現すれば、一般に半導体プロセスとの親和性が悪い磁性元素を使用せずに済むため、半導体ラインで使える新たな磁気デバイス材料としても有望であると考えられる。

今後の予定

フラットバンド模型からは多彩で革新的な物性が理論的に予測されているが、この模型で良く表される現実の物質が発見されていなかったため、理論的な興味にとどまっていた。今回、近似的にフラットバンド模型で表される現実の物質が予測されたため、磁性元素を含まない強磁性体、超伝導、高温での分数量子ホール効果などの実証に向けて、理論と実験の両面から研究を進める予定である。

用語の説明

◆磁性元素
原子の中で電子は特定の軌道を回っている。磁性元素では一番エネルギーの高い電子(価電子と呼ぶ)がd軌道もしくはf軌道と呼ばれる軌道を一部占有している。d軌道やf軌道は原子に強くトラップされていて、隣の原子に飛び移りにくい。このため電子の持つ微小磁石(スピン)がそのまま表れて、磁性が生じることが多い。鉄やネオジムが代表例であり、重元素や希少元素が多い。一方、価電子がs軌道やp軌道と呼ばれる軌道を占有する場合は、電子が他の原子に容易に飛び移ってしまい、通常は磁性が生じない。このような元素を非磁性元素と呼ぶ。スズや酸素が代表例である。
◆パイロクロア型酸化物
化学式A2B2O7で表される一群の酸化物で、A位置には主に希土類元素やスズなど、B位置には主に遷移金属が入る。A位置(もしくはB位置)のみを抜き出した格子をパイロクロア格子と呼ぶ。
◆正孔
電子の抜けた穴のことを正孔と呼ぶ。電子は容器に入れた水のように、エネルギーが低いところから順に詰まって行く。例えば図1(a)、あるいは図2(b)で灰色に塗った部分には電子が詰まっている。ここに正孔を導入するとは電子を取り去ることであり、上述の図の灰色部分の最上部である「水面」を少し下げることに相当する。
◆エネルギーバンド、フラットバンド模型、(擬)フラットバンド
量子力学において電子は波動性を持つ。ある波の状態(波数と呼ぶ)にはあるエネルギーが対応する。波数を横軸、エネルギーを縦軸に取ると図2(b)のような曲線が描ける。これをエネルギーバンドと呼ぶ。
同じ波数を持つ状態が複数あるため、エネルギーバンドは一般に複雑になる。通常の結晶格子では、電子が結晶格子上を移動することでエネルギーバンドに分散(広がり)が生じる。電子が隣の原子に移動しやすいほどエネルギーバンドの幅は大きくなり、強磁性は実現しにくくなる。そのため、電子が移動しにくい磁性元素を使うことが強磁性発現にはこれまで必須であった。しかしパイロクロア格子など特殊な結晶格子においては、電子の波が互いに干渉しあう結果、エネルギーバンドの分散がゼロになることがある。これをフラットバンドと呼ぶ。分散が存在しないために非常に多彩で奇妙な物性が予測されている。電子がフラットバンドを持つような結晶格子の模型をフラットバンド模型という。パイロクロア格子やカゴメ格子などいくつかの格子模型の種類がある。理論模型であるため理想化、単純化されているため、計算式などが解きやすく、多くの理論的研究がなされている。完全強磁性、高温超伝導、分数量子ホール効果などの物性が次々に予測され「奇跡の模型」とされている。
現実の物質ではエネルギーバンドに小さな分散が残るが、これを擬フラットバンドと呼ぶ。
◆(完全)強磁性、スピン
電子の持つ微小磁石(スピン)は通常2つの状態(上向きスピン、下向きスピンと呼ぶ)をとるが、上向きスピンと下向きスピンの数が同数でなくなる状態を強磁性と呼ぶ。鉄などの磁石ではこの状態が実現している。一般にバンド幅が狭ければ強磁性になりやすい。フラットバンド模型においてはある電子濃度で、電子間反発が少しでもあると強磁性が安定になることが厳密に証明されている。これを完全強磁性と呼ぶ。電子間反発が小さくてもよいため、通常は磁性を持たない元素でも強磁性を誘起できる。擬フラットバンドの場合厳密解はないが、電子間反発がある程度大きければ強磁性になるという数値計算の結果が報告されている。
◆分数量子ホール効果
物質に流れる電流に対して垂直に磁場をかけると、電流と磁場の両方に比例する起電力が発生する。これをホール効果と呼び、比例係数をホール係数と呼ぶ。ホール係数がある単位の整数倍に量子化される現象を(整数)量子ホール効果、分数倍に量子化される現象を分数量子ホール効果と呼ぶ。分数量子ホール効果は通常は超強磁場かつ極低温という極限状況でなければ実現しないが、フラットバンド模型ではより緩やかな条件で実現し得るという報告がある。
◆パイロクロア格子
正四面体がその頂点同士を共有して連結した形を持つ、特徴的な結晶格子。パイロクロア型酸化物のA位置(もしくはB位置)のみを抜き出したモデルになっている。この格子の上で、「隣り合う頂点の間にのみ電子が等方的に(どの方向にも等しく)移動できる」という制限を加えたものがフラットバンド模型である。実際のパイロクロア型酸化物は全てパイロクロア格子を持つが、別の原子のエネルギー準位がフラットバンドに重なったり、電子の移動が等方的でなかったりするために、これまでフラットバンド模型が実現する物質は発見されていなかった。
◆第一原理計算
理論計算の手法の一つで、外部からのパラメーターを使わずに物質中の電子状態を計算できる手法。模型のような単純化を行わないので現実の物質の電子状態を高精度に計算できる一方、計算に近似を用いるため、物理量によっては計算結果の解釈に注意が必要である。一般にエネルギーバンドの形や金属磁性体の磁化は精度よく求められる。
◆状態密度
エネルギーバンドの項で述べたように、電子の波のある状態にはあるエネルギーが対応する。逆に、電子のあるエネルギーに対しては通常複数の状態が対応する。あるエネルギー範囲にある状態の数のことを状態密度と呼ぶ。状態密度曲線(状態密度とエネルギーの関係を表すグラフ)において、あるエネルギーより下の「面積」が電子の個数に相当する。この曲線を「バンド」と呼ぶこともある。強磁性状態では上向きスピンと下向きスピンでバンドの位置や形が異なり、それぞれ上向きスピンバンド、下向きスピンバンドと呼ぶ。
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