2021-10-16 理化学研究所,高輝度光科学研究センター,電気通信大学
理化学研究所(理研)放射光科学研究センタービームライン研究開発グループビームライン開発チームの井上伊知郎研究員、矢橋牧名グループディレクター、高輝度光科学研究センターXFEL利用研究推進室先端光源利用研究グループ実験技術開発チームの犬伏雄一主幹研究員、電気通信大学レーザー新世代研究センターの米田仁紀教授らの共同研究グループは、内殻電子[1]を失った原子(ホロー原子)を利用した「非線形光学効果[2]」によって、X線自由電子レーザー(XFEL)[3]施設「SACLA[4]」から出射されたX線レーザーの時間幅(パルス幅)を短くすることに成功しました。
本研究成果は、X線領域における初めての実用的な非線形光学素子の実現を示すものであり、XFELのパルス幅の自在な制御やアト秒(10-18秒、100京分の1秒)X線光源の開発への応用が期待できます。
今回、共同研究グループは、集光したX線パルスを厚さ10マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)の銅の薄膜に照射することで、パルスの前半部分で銅の原子をホロー原子へと変化させ、パルスの後半部分ではホロー原子を通過する状況を作り出しました。通常の原子とホロー原子とではX線の吸収のされ方が大きく異なるため、銅の薄膜を通過後のX線のパルス幅は通過前のパルス幅よりも短くなることが期待されます。実際に、通過前後のX線のパルス幅をそれぞれ計測した結果、通過後のパルス幅が約35%短縮されていることを確認しました。さらに、シミュレーションにより、薄膜の厚みやX線強度を変えることで、XFELのパルス幅を自在に制御できることを示しました。
本研究は、科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版(10月15日付:日本時間10月16日)に掲載されます。
背景
レーザーのような強い光が物質に当たると、「非線形光学効果」と呼ばれる光の振幅の大きさに比例しない現象が起こります。この非線形光学効果を用いると、光の性質(波長・偏光[5]・時間幅・物質中の屈折率など)の変換や、量子もつれ[6]を持った光子のような特殊な光を作り出すことが可能になります。これまで非線形光学効果は基礎研究の重要な対象となってきただけではなく、高速光通信への応用などにも大きな影響を与えてきました。
従来、通常のレーザーが発振する波長範囲は赤外線から可視光に限られてきましたが、近年になって米国のLCLSや日本の「SACLA」といったX線自由電子レーザー(XFEL)施設が完成しました。このXFELは、波長がオングストローム(Å、1Åは100億分の1メートル)程度の電磁波であるX線の領域で初めて実現したレーザーです。XFELからの高強度X線が利用できるようになったことで、これまで数種類のX線非線形光学効果が発見されました。しかし、発見された非線形光学効果は非常に小さいもので、実用に足るX線非線形光学素子は実現されていませんでした。
研究手法と成果
物質に光子エネルギーを変えながらX線を照射していくと、「吸収端」と呼ばれる特定のエネルギー以上になったときにX線の吸収が劇的に大きくなります(図1(a))。これは、光子エネルギーが内殻電子の束縛エネルギー[7]を超えると、電離(原子からの電子の放出)が起こるようになり、X線と物質との相互作用が大きくなるためです。特にXFELでは、チタン、鉄、銅などの周期表の4列目に位置する原子を含んだ物質に対して効果的に電離を起こすことができます。
この電離が起こると、内殻に穴があいた原子(ホロー原子)が生成されます。ホロー原子は電気的に中性でないため、原子核と電子が強く引き合うことで電子の束縛エネルギーが増加することから、通常の原子と比較して、吸収端がより高いエネルギーにシフトします(図1(b))。
共同研究グループは、通常の原子とホロー原子のX線の吸収のされ方の違いを利用すれば、XFELの時間幅(パルス幅)を短くできると考えました。図1(c)にそのアイデアを示します。まず、X線の光子エネルギーが通常の状態とホロー原子の吸収端の間になるような原子を探します。そのような原子を含んだ物質から適切な厚さの薄膜を作り、集光したXFELを薄膜に照射します。すると、パルスの前半部分は、物質に吸収されて物質中の多くの原子がホロー原子へ変化する一方で、後半部分は、ホロー原子が多く含まれるためにX線の吸収が減少します。これによって、パルスの後半部分だけを選択的に透過させることが可能になり、XFELのパルス幅を短くすることができます。
物質中の吸収の度合いは、生成されるホロー原子の量、すなわち物質に照射されるX線強度に大きく依存するため、用いた物質は非線形光学素子として機能します。
図1 ホロー原子を利用したX線自由電子レーザー(XFEL)の短パルス化
(a)X線の光子エネルギーが電子の束縛エネルギーを超えると、物質によるX線の吸収が劇的に大きくなる。
(b)ホロー原子では電気的な中性がとれていないために、吸収端が通常の原子よりも高いエネルギーにシフトする。
(c)光子エネルギーが通常の状態とホロー原子の吸収端の間になる原子を含んだ物質にXFELを照射する。すると、パルスの前半部分は物質に吸収されて多くの原子がホロー原子へと変化する一方で、後半部分はホロー原子が多く含まれるためにX線の吸収が減少する。これによって、パルスの後半部分だけを選択的に透過させることが可能になる。
このアイデアを基に、実際に「SACLA」から出射された9.000keVの光子エネルギーのXFELのパルス幅を短くすることを試みました。実験では、吸収端が8.98keVである銅を用いることで、X線の光子エネルギーが通常の状態とホロー原子の吸収端の間になるようにしました。約100ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)に集光したX線パルスを厚さ10マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)の銅の薄膜に照射し、その透過光のパルス幅を測定しました。その結果、X線の強度が十分に大きい場合には、ホロー原子が生成されるためにパルス幅が約35%短縮されていることが確認されました(図2)。また、X線の透過前と透過後のパルスエネルギーを比較した結果、ピーク強度がほとんど変わらないことが分かりました。これは、今回考案した非線形光学素子の効率が非常に高いことを意味しています。
図2 銅薄膜の透過前と透過後のXFELのパルス幅
X線の強度が十分に大きい場合(単位面積当たりのパルスエネルギーが2.3×105J/cm2以上)には、太矢印で示すように、銅の薄膜によってXFELのパルス幅が約35%短縮されることが実験によって明らかになった。
今後の期待
ホロー原子を利用した非線形光学素子は、X線領域における初めての実用的な非線形光学素子です。図3のシミュレーション結果が示すように、この光学素子は物質の厚さやX線の強度を変えることで、X線のパルス幅をさまざまに変化させることができます。この光学素子を利用することで、XFELのパルス幅を自在に制御することが可能になるほか、アト秒(10-18秒、100京分の1秒)のパルス幅のXFELを実現することが期待できます。
図3 さまざまな厚みの銅の薄膜を透過した後のXFELのパルス幅(シミュレーション)
XFEL(パルス幅:7フェムト秒、光子エネルギー:9.000keV)が銅の薄膜を透過した後のパルス幅をシミュレーションによって計算した。X線の強度や薄膜の厚みを変えることで透過後のXFELのパルス幅が自在に制御できることが明らかになった。
補足説明
1.内殻電子
原子に含まれている電子のうち、原子核に近い軌道を回っている電子。
2.非線形光学効果
物質の光への応答が光の波の振幅に比例しない光学現象。通常、その観測には強力なレーザー光が必要とされる。
3.X線自由電子レーザー(XFEL)
X線領域におけるレーザー。従来の半導体や気体を発振媒体とするレーザーとは異なり、真空中を高速で移動する電子ビームを媒体とするため、原理的な波長の制限はない。また、数フェムト秒(1フェムト秒は1,000兆分の1秒)の超短パルスを出力する。XFELはX-ray Free Electron Laserの略。
4.SACLA
理化学研究所と高輝度光科学研究センターが共同で建設した日本で初めてのXFEL施設。2011年3月に施設が完成し、SPring-8 Angstrom Compact free electron LAserの頭文字を取ってSACLAと命名された。2011年6月に最初のX線レーザーを発振、2012年3月から共用運転が開始され、利用実験が始まっている。大きさが諸外国の同様の施設と比べて数分の1とコンパクトであるにも関わらず、0.055ナノメートル(nm、100億分の1メートル)以下という波長のレーザー生成能力を持つ。
5.偏光
電磁場の方向がある特定の向きを向いている光。
6.量子もつれ
複数の量子がお互いに強い相互関係をもっている状態。
7.束縛エネルギー
電子を原子核の引力の影響が及ばないほど遠方に引き離すのに必要なエネルギー。
共同研究グループ
理化学研究所 放射光科学研究センター XFEL研究開発部門
ビームライン研究開発グループ ビームライン開発チーム
研究員 井上 伊知郎(いのうえ いちろう)
研究員 大坂 泰斗(おおさか たいと)
基礎科学特別研究員 山田 純平(やまだ じゅんぺい)
ビームライン研究開発グループ 理論支援チーム
チームリーダー 玉作 賢治(たまさく けんじ)
ビームライン研究開発グループ
グループディレクター 矢橋 牧名(やばし まきな)
高輝度光科学研究センター XFEL利用研究推進室 先端光源利用研究グループ
実験技術開発チーム
主幹研究員 犬伏 雄一(いぬぶし ゆういち)
電気通信大学 レーザー新世代研究センター
教授 米田 仁紀(よねだ ひとき)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS) 科学研究費補助金若手研究「2色発振X線自由電子レーザーを利用した非線形X線分光法の開発(研究代表者:井上伊知郎)」による支援を受けて行われました。
原論文情報
Ichiro Inoue, Yuichi Inubushi, Taito Osaka, Jumpei Yamada, Kenji Tamasaku, Hitoki Yoneda, and Makina Yabashi, “Shortening x-ray pulse duration via saturable absorption”, Physical Review Letters
発表者
理化学研究所
放射光科学研究センター XFEL研究開発部門 ビームライン研究開発グループ ビームライン開発チーム
ビームライン研究開発グループ ビームライン開発チーム
研究員 井上 伊知郎(いのうえ いちろう)
ビームライン研究開発グループ
グループディレクター 矢橋 牧名(やばし まきな)
高輝度光科学研究センター XFEL利用研究推進室 先端光源利用研究グループ 実験技術開発チーム
主幹研究員 犬伏 雄一(いぬぶし ゆういち)
電気通信大学 レーザー新世代研究センター
教授 米田 仁紀(よねだ ひとき)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課
電気通信大学 総務企画課広報係