悪魔と取引した電子たち ~磁性体における40年来の謎を解明~

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2020-06-09 日本原子力研究開発機構

発表者:

黒田 健太(東京大学物性研究所 極限コヒーレント光科学研究センター 助教)
新井 陽介(東京大学物性研究所 極限コヒーレント光科学研究センター 博士課程1年生)
鈴木 博之(東京大学物性研究所 高度学術専門職員)
芳賀 芳範(日本原子力研究開発機構 先端基礎研究センター 研究主幹)
木下 優斗(東京大学物性研究所 附属国際超強磁場科学研究施設 特任助教)
徳永 将史(東京大学物性研究所 附属国際超強磁場科学研究施設 准教授)
有田 亮太郎(東京大学大学院工学系研究科 物理工学専攻 教授/理化学研究所 創発物性科学研究センター チームリーダー 兼任)
近藤 猛(東京大学物性研究所 極限コヒーレント光科学研究センター 准教授/トランススケール量子科学国際連携研究機構 併任)

発表のポイント:

  • 「悪魔の階段」(注1)として知られるスピンが複雑な配列を示す相転移現象において、伝導電子の振る舞いが激変している様子を観測することに初めて成功しました。
  • 「悪魔の階段」のメカニズムは 40 年以上も謎でしたが、本来自由に動き回る伝導電子が局在スピンとの強い相関状態を受け入れることで形成する擬ギャップ状態(注2)が要因であることを突きとめました。
  • この伝導電子が磁性を担うスピンとの強い相関は、巨大な磁気抵抗特性を示す磁性材料設計の新たな指針を提案するものです。

発表概要:

東京大学物性研究所(所長 森初果)の黒田健太助教、新井陽介大学院生、近藤猛准教授を中心とするグループは、同研究所の鈴木博之高度学術専門職員 、徳永将史准教授、日本原子力研究開発機構の芳賀芳範研究主幹、東京大学大学院工学系研究科の有田亮太郎教授(理化学研究所創発物性科学研究センター チームリーダー兼任)らの協力のもと、セリウム・アンチモンが示す「悪魔の階段」の複雑な相転移現象において、強い相関状態を受け入れることと引き換えに生じる伝導電子の特殊な振る舞いを解明しました。

膨大な数ある磁性体の中で、セリウム・アンチモンは最も複雑な磁性を示す物質の1つとして知られています。通常の磁性体とは大きく異なり、結晶中のスピン配列が通常の 20 倍にもなる異常に長い周期性を示し、配列の仕方が僅かな温度差で次々と移り変わります。この現象は、その複雑怪奇さから「悪魔の階段」として呼ばれ1977 年の発見から 40 年以上たった現在でも、そのメカニズムは謎のままでした。

本研究グループは、「悪魔の階段」で変化するスピン配列と伝導電子を超高分解能レーザー光電子分光(注3)で測定することで、「悪魔の階段」を誘発するメカニズムを調べました。その結果、本来自由に動き回るはずの伝導電子が、局在スピンとの強い相互作用を受け入れて束縛状態に陥ることと引き換えに、擬ギャップ状態を形成してエネルギー利得を得ることが「悪魔の階段」を引き起こす要因となっていることを突き止めました。本研究で明らかにした電子とスピンの強い相関は、スピン配列で伝導電子を制御して磁気メモリなどの動作原理としても機能するため、スピントロニクス磁性材料設計への展開が期待できます。

本成果は、Nature Communications 誌 (日本時間 6月 8日午後6時)に掲載されました。

発表内容:

① 研究の背景

水が液体から、低温で固体の氷へ、もしくは高温で気体の水蒸気へ変化するように、自然界は温度などの条件に対して常に安定な状態を選び、姿形そして性質をも急激に変化させます。この現象を相転移と言います。固体結晶においても同様に、結晶構造を変えたり、磁気的性質を変えたりする相転移がしばしば現れます。我々の生活を支えている磁石などの磁性体も、バラバラに向いていた結晶内のスピンを同じ方向に配列させる磁気相転移として現れます。そして、その配列の様子は構成する元素や結晶構造などの物質の個性に対して敏感であるため、発現する物性も物質次第となり多様です。膨大な数ある磁性体の中でも、セリウム・アンチモンは最も複雑で磁気相転移を示すことで有名な物質です。通常の磁性体と同様に、結晶中でスピンが配列しますが、わずか 10 ケルビンの狭い温度範囲でスピンの長周期配列を 7 回も移り変える逐次的な相転移を示します。さらに、この特殊な相転移現象の下で選択的に形成されるスピン配列は、通常の磁性体では実現しえないほどの長い周期(20倍以上の周期)になります。この異様なスピン配列の相転移現象は、その複雑さから「悪魔の階段」として呼ばれ、1977 年に観測されました。これまでに詳細なスピン配列が調べられてきましたが、「悪魔の階段」を引き起こすメカニズムは 40 年以上も長く謎として残されてきました。

② 研究内容

今回、本研究グループは、セリウム・アンチモンの「悪魔の階段」で形成されるスピン配列だけでなく、伝導電子の振る舞いを超高精度で調べるために、超高分解能レーザー光電子分光と偏光顕微鏡を利用しました。セリウム・アンチモンでは、配列したスピンの向きが異なる磁気ドメイン(注4)が結晶内でばらばらに分布しますが、本研究では、それを空間的に選り分けた顕微分光測定を行いました(図 1)。その結果、電気伝導を担う電子と磁性を担う局在スピンが強く相関していることに対応して、配列したスピンの方向に従って伝導電子の電子構造が大きく異なっていることがわかりました。また、局在スピンとの強い相関を受け入れて束縛状態に陥ることと引き換えに、自由に動き回る伝導電子の運動状態を壊した擬ギャップ状態を形成することでエネルギー利得を得て長周期のスピン配列を安定させていることを明らかにしました。さらに、温度に対して長周期スピン配列が次々と変化していく「悪魔の階段」の転移現象を、超精密な温度制御によって1つ1つ追跡しながら詳細に測定することで、スピン配列の転移に従って「擬ギャップ状態」が変化していることがわかりました(図 2)。「悪魔の階段」を引き起こす長周期でスピンを整列させるメカニズムは40年以上もの長い間謎でしたが、局在スピンとの強い相互作用を受け入れて束縛状態に陥ることと引き換えに、伝導電子が形成する「擬ギャップ状態」が要因となっていることを突きとめました。

③ 社会的意義・今後の予定など

40 年以上もの長い間謎とされてきた固体物理の問題を解決した本研究成果は、極めて重要な結果であると言えます。また、本研究で「悪魔の階段」の姿として新たに見出した磁性と伝導電子の相関効果は、圧力や磁場などの条件で長周期スピン配列を制御することで電気輸送特性を劇的に変化させることが可能になります。このような機構を利用することで、新しい磁気輸送特性を備えた磁性材料としてスピントロニクス実用化につながることが期待できます。

なお、本研究は、文部科学省の光・量子飛躍フラッグシッププログラム (Q-LEAP 課題番号 JPMXS0118068681)、日本学術振興会の科学研究費(課題番号 JP19H02683, JP19F19030, JP 19H00651, JP18H01165, JP16H06345)、新学術領域 「量子液晶の制御と機能」における研究領域提案型課題 「量子液晶の物質科学」課題番号JP19H05826、「量子液晶の理論構築」課題番号JP19H05825の助成を受けたものです。

悪魔と取引した電子たち ~磁性体における40年来の謎を解明~

図1: (a) レーザー光電子分光で観測した常磁性相の電子構造。(b) (c) 光学顕微鏡で観測した磁気ドメインの空間分布と、磁気ドメインを選択した空間分解レーザー光電子分光で観測した電子構造。常磁性相の結果と比べて、電子構造が激変していることがわかります。さらに、磁気ドメインで電子構造が大きく異なっていて、(b) では擬ギャップが観測されました。

図2: (a) 「悪魔の階段」に対応する長周期スピン配列の変化。(b)(c) 磁気ドメインを選択したレーザー光電子分光で観測した「悪魔の階段」に伴う電子構造の変化。電子構造と共に、(c) では擬ギャップの温度変化も観測されました。この結果は、「悪魔の階段」を発生させる長周期のスピン配列が伝導電子の擬ギャップ状態に由来していることを意味しています。

【研究の意義】

今回明らかとなった回転運動と並進運動の速度が逆転するというシナリオ自体は、従来の電気伝導度や水素拡散の研究でもそれぞれ個別に提唱されていました。今回の実験は低温高圧その場中性子回折を用いて、水素の運動と氷の結晶構造を直接結び付けることに成功したことで、従来から提唱されていたシナリオをミクロな結晶構造の立場から実証し、さらにさまざまな実験結果を本シナリオに基づいて包括的に説明したという点で重要な科学的意義を持つものです。

氷は典型的な水素結合性物質ですから、本研究で得られた知見は、氷のみならず水素結合を持つ物質全般に適用できる可能性があります。水素結合は共有結合やイオン結合より柔軟性があり、温度・圧力によりその距離や角度を変化させることで、相互作用の大きさが劇的に変化するという際立った特徴があります。この水素結合の柔軟性が、物質の誘電性や弾性率といった物性に直接的な影響を与え、さらにはDNAやタンパク質の機能発現にも主要な役割を担っていることが知られています。氷はすべての水分子が水素結合によって結合しているため、水素結合の特徴が特に表れやすいという事情はありますが、今回発見した水素の移動様式の変化が、今後他の水素結合性物質でも同様に見つかるかもしれません。もしそうなれば、本研究が水素結合研究にとって重要なマイルストーンであった、ということになるでしょう。

氷はあらゆる物質の中でも、最もよく研究された物質の一つですが、それでも数多くの未解決問題が残されています。実は、本研究の当初の目的は、氷VIII相の圧力に対する体積の変化を調べるというもので、10 GPaの異常とは全く無関係のものでした。つまり、今回の発見は偶然の産物です。この偶然の発見が、長年の未解決問題の解決に結びついたことは、望外の結果というほかありませんが、さまざまな現象が一つのシナリオのもとで結び付いていることを考えると、本研究によって得られた知見も、将来予想もしない形で応用されるかもしれません。

発表雑誌:

雑誌名:「Nature Communications」

論文タイトル:Devil’s staircase transition of the electronic structures in CeSb

著者:Kenta Kuroda*, Y. Arai, N. Rezaei, S. Kunisada, S. Sakuragi, M. Alaei, Y. Kinoshita, C. Bareille, R. Noguchi, M. Nakayama, S. Akebi, M. Sakano, K. Kawaguchi, M. Arita, S. Ideta, K. Tanaka, H. Kitazawa, K. Okazaki, M. Tokunaga, Y. Haga, S. Shin, H. S. Suzuki, R. Arita, and Takeshi Kondo (*:責任著者)

DOI番号:10.1038/s41467-020-16707-6

用語解説:

(注1)悪魔の階段:

スピン配列が温度・磁場・圧力などの条件により複雑に転移する現象。例えば、磁化測定などによってその様子を観察すると、条件の変化に対して、次々とスピン配列を移り替える転移が発生して磁化が階段状の変化として現れます。特に、セリウム・アンチモンにおいては、わずか 10 ケルビンの狭い温度範囲でスピンの長周期配列を 7 回も移り変える逐次的な振る舞いを示します(図 2a)。また、そのスピン配列は通常の磁性体では実現しえないほどの長い周期(20倍以上の周期)になっています。この複雑怪奇さが悪魔と名付けられる由縁になっています。

(注2)擬ギャップ状態:

特定のエネルギー帯に電子が存在しなくなることをエネルギーギャップと呼びます。一方、セリウム・アンチモンの場合のように、特定の方向に進む電子のみが局在するスピンとの相関により運動状態を壊した結果、部分的に電子が存在しなくなる中途半端な状態になります。完全にギャップが空いた通常の状態とは区別して、擬ギャップ状態と呼びます。

(注3)レーザー光電子分光:

物質に光を照射して飛び出す電子 (光電子) を観察することで、物質内の電子状態を観察する実験手法を角度分解光電子分光と呼びます。さらに、励起光として高強度で単色性の高いレーザーを組み合わせたレーザー角度分解光電子分光を利用すれば、高い精度で物質の情報を抽出することができます。本研究では、物性研究所で開発された、世界最高の精度を誇るレーザー角度分解光電子分光装置を利用しました。

(注4)磁気ドメイン:

一般に、磁性体はスピンの向きが一様に揃った領域が複数集まって構成されます。この領域を磁気ドメインと呼びます。隣り合う磁気ドメインではスピンの向きが異なります。磁気ドメインの大きさや形状は磁性体の性質を決めるために重要です。

0403電子応用1701物理及び化学
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