2023-09-29 海洋研究開発機構,北海道大学,広島大学,九州大学
1. 発表のポイント
- 電子顕微鏡 カソードルミネッセンス分析(SEM-CL)※1を海水中に僅かに含まれる石英粒子に応用したユニークな手法により、西部北太平洋亜寒帯域への黄砂※2の沈着フラックス※3と季節性を明らかにした。
- 海洋の植物プランクトンの必須微量栄養素“鉄”の主要な供給源について、4割程度が、黄砂などにより、大気を介して海洋表層にもたらされていることがわかった。
- 我々の暮らしや健康に悪影響を与える黄砂が、海洋においては鉄の供給を通じ、西部北太平洋の海洋生態系を支える重要な役割を果たしていることが量的に裏付けられた。
用語解説
※1 電子顕微鏡 カソードルミネッセンス分析(SEM-CL):固体物質に電子線を照射した際に、固体中の構造欠陥や不純物元素等に応じて放出される発光現象(カソードルミネッセンス)を利用し、電子顕微鏡を用いて固体の電子状態を調べる分析法。
※2 黄砂:中国やモンゴルの乾燥域において、強風によって大気中へと巻き上げられ、偏西風によって東の風下域へ運搬される砂塵のこと。
※3 沈着フラックス:単位時間・単位面積当たりの沈着量。
2. 概要
国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸、以下「JAMSTEC 」という。)地球環境部門 地球表層システム研究センターでは、現在進行するさまざまな環境変化が海洋生態系に与える影響を調べるため、観測点 K2(北緯47度、東経160度、図1)を中心とした西部北太平洋亜寒帯域での大気・海洋観測を2005年から行っています。同センターの長島佳菜 副主任研究員らは、北海道大学、広島大学、九州大学の研究者と共同で、海洋に沈着する黄砂のフラックスを定量的に評価する分析手法を新たに開発し、海洋への黄砂沈着フラックスとその季節性の解明に成功しました。
本研究ではさらに、黄砂が海洋へと沈着した際に、一部の鉱物粒子から海水へと溶け出す“鉄”(溶存鉄※4)の量が、西部北太平洋亜寒帯域の海洋の基礎生産※5に影響を与えるほど多いかを調べました。鉄は、植物プランクトンが光合成を行う上で必須の栄養素ですが、北太平洋亜寒帯では海洋表層の鉄の不足によって基礎生産が制限されています。一方、海洋の基礎生産は、二酸化炭素の取り込みを通じて、大気中二酸化炭素の海洋吸収を促進する役割を果たしているため、黄砂による鉄供給は、基礎生産を通じて、当海域の二酸化炭素の吸収量にまで影響を及ぼす可能性があります。
そこで、海洋への黄砂沈着フラックスを基に、黄砂が当海域の表層に供給する溶存鉄の量を計算しました。その結果、海洋の基礎生産が高まる4-7月において、1日あたり0.9 ±0.3 µg m-2であることが分かりました。この量は、当海域の主要な鉄供給源として近年大きな注目を浴びている、海洋中層から表層へと供給される溶存鉄の量(本研究での推定:1日あたり約2.2 µg m-2)の半分近くに達し、黄砂は海洋中層水に次ぐ溶存鉄の供給源であることが分かりました。大気を介した海洋への鉄供給源として、黄砂に加え化石燃料の燃焼過程などに伴う人為起源エアロゾル※6が知られています。人為起源エアロゾルによる溶存鉄の供給量は、黄砂の半分程度と見積もられており、これに黄砂による溶存鉄を合わせた“大気を介した溶存鉄供給”の総量は、海洋中層からの溶存鉄供給を含めた全体の鉄供給の4割程度を担っていることも明らかになりました。
この結果は、東アジアに住む人々の健康に悪影響を及ぼす“悪者”と捉えられてきた黄砂や人為起源エアロゾルが、海洋においては、鉄の供給を通じて海洋基礎生産を支える大きな役割を果たしていることを意味します。黄砂や人為起源エアロゾルの将来的な発生量・輸送量の変化が、西部北太平洋亜寒帯域の生態系やこの海域の二酸化炭素量吸収量を変えることが予想され、今後注視していく必要があります。
本成果は、「Scientific Reports 」に9月29日付け(日本時間)で掲載されました。なお、本研究は日本学術振興会科学研究費(JP19H05669、JP20H04329、JP20H04350JP20H04350)の助成を受けました。
論文情報
タイトル Asian dust‑deposition flux to the subarctic Pacific estimated using single quartz particles
著者 長島佳菜1、 川上創1、 杉江恒二1、 藤木徹一1、 西岡純2、 岩本洋子3、 竹村俊彦4、 宮川拓真1、 竹谷文一1、 野口真希1
所属 1. 海洋研究開発機構、 2. 北海道大学、 3. 広島大学、 4. 九州大学
DOI 10.1038/s41598-023-41201-6
論文公開日 2023年9月29日(日本時間)
用語解説
※4 溶存鉄:水の中で溶けた状態の鉄のこと。植物プランクトンが取り込みやすい。
※5 海洋の基礎生産:植物プランクトン等の藻類などによる光合成によって、炭素を含む無機物(主に二酸化炭素)から有機物が生産されること。
※6 人為起源エアロゾル:人間活動によって排出され、大気中を浮遊する、硫酸塩・硝酸塩などの微小粒子。人為起源エアロゾルに含まれる鉄は水への高い溶解率を示し、海洋の植物プランクトンが利用する鉄の供給源として重要な役割を果たしているとの報告がある。
(2019年5月2日既報)
3. 背景
西部北太平洋は、植物プランクトンなどの一次生産者による二酸化炭素吸収能が世界最大級、かつ海域別漁獲量が高い豊かな海です。また中・高緯度偏西風帯に属し、その風上にはタクラマカン砂漠やゴビ砂漠といった広大な砂漠域が広がるため、これらの砂漠域から毎年多量に排出される黄砂が、風で数千キロメートル運ばれたのちに海洋に沈着し、海洋生態系にどのような影響を与えるのか、長らく注目されてきました。
中でも北太平洋亜寒帯域では、生物に必須な微量栄養塩・鉄の不足が海洋の基礎生産を制限している事が知られ(例えば、Duce and Tindle, 1991)、黄砂の量が基礎生産の量を規定している可能性が考えられます。一方、当該海域への鉄供給プロセスは、海洋に沈着した黄砂や人為起源エアロゾルなどから溶け出す大気を通じた供給に加え、オホーツク海を起源とする鉄に富む中層水に由来する海洋中層からの供給(例えば、Nishioka et al, 2020)が知られ、黄砂など大気を通じた鉄供給量が、鉄供給全体のどの程度を占めるのかを明らかにし、大気からの鉄供給がこの海域の基礎生産に影響を与え得るのか否かを調べる事が、当海域の生態系を理解する上で重要です。しかし、海に沈着する黄砂量の実測の難しさが、大気からの鉄供給量を把握する際の妨げとなってきました。なぜなら、海水中には黄砂粒子の他に、周辺陸域からの火山噴出物や、海流によって遠方から運ばれてきたものなど多様な粒子が存在しており、従来の手法では、これらの粒子の起源を区別することが出来なかったため、黄砂量を測定する直接的な方法がありませんでした。
そこで本研究では、独自の試みとして、黄砂の主要構成鉱物である石英に注目し、海水中に僅かに存在する石英粒子についてSEM-CL分析を行い、石英の供給源を特定しました。次に、黄砂由来の石英量を求め、海に沈着する黄砂フラックスを推定しました。
4. 成果
本研究では、(1)SEM-CL法を応用した独自の技術により海洋への黄砂沈着フラックスを海洋観測から明らかにし、 (2)黄砂がどの程度西部北太平洋亜寒帯域の海洋生態系に影響を与え得るのか量的に示すことに成功しました。
(1) 海洋への黄砂沈着量を解明
図1のように、観測点K2に輸送される石英粒子の主な供給源には、黄砂の主な発生源であるタクラマカン砂漠、ゴビ砂漠などの東アジア域、オホーツク海やベーリング海とそれらの周辺の陸域、さらに千島列島やアリューシャン列島に多く存在する火山の噴出物、が考えられます。
図1.西部北太平洋亜寒帯観測点K2および当海域に輸送される石英粒子の供給源候補地
(地理院地図 https://maps.gsi.go.jp/ を加工して作成)
主な供給源として、タクラマカン砂漠とゴビ砂漠に代表される東アジア砂漠域、オホーツク海、ベーリング海、そしてアリューシャン列島および千島列島の火山が考えられる。
そこで、それら供給源で得られた砂漠砂や海水濾過試料を用いて、各々数十~数百個の石英粒子についてSEM-CL分析を行いました。SEM-CL分析手法の優れているところは、図2(A)で示すように石英の粒子毎の「ばらつき」を利用する点です(Nagashima et al., 2017)。一般に、各種元素の同位体比などを用いた供給源推定法では、粒子群の「平均的な値」から供給源を推定するため、それぞれの供給源を区別し、その混合比を議論するのが難しいという問題点があります。そこで本研究では、SEM-CL分析の粒子毎の「ばらつき」を海水中の石英に応用することで、複数存在する石英粒子の供給源を区別することを可能にしました。
電子線照射によって得られたCLスペクトル※7(図2(B))は、それぞれ変成岩、深成岩、火山岩などを母岩とする石英粒子を示す3つのクラスター※8に大別することができます(図2(C))。岩石のタイプによって異なるCLスペクトルを示す理由は、岩石タイプ毎に、石英結晶が生成した際の温度や冷却スピード、生成後に受ける熱や圧力環境が異なり、各タイプに特有の結晶構造の乱れや不純物が石英結晶中に生じるためです(例えば、Götze et al., 2001)。各供給源域の石英粒子のクラスター組成(3つのクラスターのまざり具合)を計算すると、供給源によって異なるクラスター組成を持ち、その組成を用いることで供給源の識別が可能なことが分かりました(図2(C))。そこで、2003-2022年の間にさまざまな季節で実施した9つの航海(海洋地球研究船「みらい」ほか)において、観測点K2の水深10-20mから採取した石英粒子について同様にSEM-CL分析を行ってクラスター組成を調べ、供給源候補地の値と比較しました。その結果、観測点K2に輸送される石英粒子は、東アジアの砂漠域と火山由来の石英を結ぶ線上に分布したことから、それらの混合であることが分かりました(図2(C))。この結果を利用し、火山由来の石英の寄与を差し引くことで、東アジアの砂漠域起源の石英粒子数の算出が可能となりました。
図2.個別石英粒子のSEM-CL分析による供給源推定
(A)個別粒子分析による粒子毎の測定値のばらつきを利用した供給源推定の模式図。ばらつきの評価から、供給源の特定が可能になる。(B) SEM-CL装置の写真および分析のイメージ図。フィルター上の石英粒子(黒っぽいフィルターに対し、白く見えているのが石英粒子)1粒ずつに電子線を照射し、粒子から放出されるCLスペクトルを得る。(C) 個別石英粒子のCLスペクトルに基づく観測点K2試料(◆マーク)のクラスター組成と、東アジア砂漠域、ベーリング海、オホーツク海、火山噴出物を代表する石英粒子のクラスター組成(三角形の各頂点に近いほど、各クラスターの割合が多いことを示す)。観測点K2の石英は、東アジア砂漠および火山由来石英の混合で説明できる。
次に、得られた砂漠を起源とする海水中の黄砂由来の石英粒子数を基に、黄砂の沈着フラックスを計算し、その季節変動を調べたところ、黄砂沈着フラックスは4-6月頃に増加し、その後、徐々に減少することがわかりました(図3)。1年あたりの黄砂沈着フラックスを計算すると、約0.4 g m-2になります。この数値を全球エアロゾル気候モデルMIROC-SPRINTARS(Model for Interdisciplinary Research on Climate coupled with the Spectral Radiation-Transport Model for Aerosol Species)と比較したところ、観測から見積もられた観測点K2黄砂沈着フラックスは数値モデル結果と一致しており、数値実験と観測に基づく本研究、それぞれ独立した見積もりの信頼性の高さが裏付けられました(図3)。
図3.観測点K2における黄砂沈着フラックスの推定結果と季節変動
観測点K2の3点の移動平均値(紫線)は、水色バーで示しているMIROC-SPRINTARSで推定した黄砂沈着フラックスと類似した値、季節性を示す。
(2) 黄砂による海洋生態系への鉄供給の推定
SEM-CL分析で明らかにした黄砂沈着フラックスから、黄砂に含まれる鉄分の溶解度を考慮して、溶存鉄の供給フラックスを計算すると、植物プランクトンの生産が活発な4-7月には、1日あたり、0.9 ± 0.3 µg m-2の鉄を供給していることが分かりました。この量が多いのか少ないのかを評価する際の物差しとなるのが、主要な溶存鉄の供給源と考えられている海洋中層からの溶存鉄供給フラックスです。そこで、冬季混合などによって中層から表層に供給される溶存鉄の量を、観測点K2の表層から深層までの鉄濃度分布とその季節変化から計算しました。その結果、図4で示されるように、中層から表層への溶存鉄供給フラックスの合計は、1日あたり、約2.2 µg m-2となり、黄砂による鉄供給は中層からの鉄の半分近くに達することが分かりました。また、大気を介した海洋への鉄供給源として、黄砂の約半分の溶存鉄を供給している事が報告されている人為起源エアロゾル(Kurisu et al., 2021)の寄与を加えると、大気を介した溶存鉄の供給は、海洋中層からの鉄供給を含めた、溶存鉄供給フラックス全体の約4割を占めることが明らかになりました。
図4.西部北太平洋亜寒帯域の海洋環境(水温、混合層深度)、海洋基礎生産、大気と海洋中層からの鉄供給量の季節性を示した模式図
用語解説
※7 CLスペクトル:カソードルミネッセンスの発光を波長毎に分解し、波長ごとの強度として示したもの。
※8 クラスター:データの集まりを類似度によって分けた際のグループのこと。
5. 今後の展望
私たちの生活において、健康への被害や視程の悪さといったマイナスの面が注目されている黄砂ですが、海洋においては生物にとって重要な鉄の供給源になり、プラスの面があることが本研究で量的に確かめられました。温暖化により海洋の成層化※9が進むと、海洋中層から表層に供給される鉄の量は減少することが予想されます。その場合、黄砂による鉄供給の重要性がより高まっていくことが予想されますが、一方の黄砂も過去数十年間に温暖化に伴って発生量が減少した事が観測から示されており(Wu et al., 2018:解説記事ref. https://www.jamstec.go.jp/j/pr/topics/column-20230413-2/)、このまま黄砂発生量の減少が続くのか、それともどこかで増加に転じるのかが、西部北太平洋亜寒帯域における基礎生産と二酸化炭素吸収能力の将来を握る鍵になります。
陸と大気と海を繋ぐ黄砂、今後もその複雑な挙動を丹念に調べ、私たちの身近に迫る気候変動を解き明かしていきます。
用語解説
※9 海洋の成層化:海洋内部には主に水温が海面から深さとともに減少していくことによる密度成層が存在し、海水を上下方向に混ざりにくくする働きを持つ。密度成層が発達し、この働きが強化されることを成層化と言う。温暖化に伴って海水表層の水温が上昇すると、成層化が進むことが予想されている。
参考文献
文献1
Duce, R. A. and Tindale, N. W. (1991) Chemistry and biology of iron and other trace metals. Limnol. Oceanogr. 36, 1715-1726.
文献2
Götze, J. et al. (2001) Origin, spectral characteristics and practical applications of the cathodoluminescence (CL) of quartz—A review. Mineral Petrol. 71, 225–250.
文献3
Kurisu, M. et. al. (2021) Contribution of combustion Fe in marine aerosols over the northwestern Pacific estimated by Fe stable isotope ratios. Atmos. Chem. Phys. 21, 16027–16050.
文献4
Nagashima, K. et al. (2017) Composition of Asian dust from cathodoluminescence spectral analysis of single quartz grains. Geology 45, 879–882.
文献5
Nishioka, J. et al. (2020) Subpolar marginal seas fuel the North Pacific through the intermediate water at the termination of the global ocean circulation. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 117, 12665–12673.
文献6
Wu, C. et al. (2018) Can climate models reproduce the decadal change of dust aerosol in East Asia? Geophysical Research Letters 45, 9953–9962.
本研究のお問い合わせ先
国立研究開発法人海洋研究開発機構
地球環境部門 地球表層システム研究センター
副主任研究員 長島 佳菜
国立大学法人北海道大学
低温科学研究所 附属環オホーツク観測研究センター
教授 西岡 純
国立大学法人広島大学
大学院統合生命科学研究科
准教授 岩本 洋子
国立大学法人九州大学
応用力学研究所
教授 竹村俊彦
報道担当
国立研究開発法人海洋研究開発機構 海洋科学技術戦略部 報道室
国立大学法人北海道大学 社会共創部広報課
国立大学法人広島大学 広報室
国立大学法人九州大学 広報課