2022-08-23 東京大学大気海洋研究所,北海道大学,国立極地研究所
発表のポイント
◆ドイツの砕氷船を用いた国際的な北極海の観測プロジェクト「MOSAiC」に参加し、海氷直下の海氷-海洋境界層(注1)における熱の変化を徹底的に調査した。調査の結果、現在の北極海が以前よりも、夏に海氷が融けやすく、秋以降に海氷ができやすい状態にあることがわかった。
◆北極海の海氷減少が進行する中、海氷直下の乱流熱フラックス(注2)に関する定量的な知見は、北極海で海氷が減少するメカニズムを理解し、今後の正確な予測を立てる上で貴重な参考資料となる。
◆今回の現場観測で得た知見をもとに、海氷-海洋境界層での乱流熱フラックスを求める自動観測の技術を新たに開発し、北極海の広域で自動観測ネットワークを実現する展望がある。
発表者
川口 悠介(東京大学 大気海洋研究所/大学院新領域創成科学研究科 助教)
野村 大樹(北海道大学 北方生物圏フィールド科学センター 准教授)
猪上 淳(国立極地研究所 国際北極環境研究センター 准教授)
発表概要
東京大学、北海道大学、国立極地研究所の合同研究チームは、ドイツの砕氷船「ポーラーシュテルン号」を用いた国際観測プロジェクト「MOSAiC」に参加し、北極点の周辺海域における海氷変動の実態について、様々な観測機器を組み合わせた詳細な調査を行いました。今回の調査では、北極海の海氷面積がもっとも小さくなる8・9月に、海氷直下の海氷-海洋境界層における乱流エネルギーを計測し、乱流にともなう熱の動きと、海氷の厚さとの関係性について調べました。調査の結果、以下の2つの効果が現在の北極海の海氷変動を特徴づけていることがわかりました。1つ目は、夏の海氷面積が後退するとき、海氷の運動が著しく加速する効果です。特に、その底面がボコボコした海氷が周囲をはげしく動き回ることで、海氷下の海水には乱流の渦が発達し、海氷−海水間で交換される熱の量は飛躍的に増加します。2つ目は、海氷の融け水(融氷水)が境界層に蓄積することで、海水の塩分濃度が大幅に下がり、それによって海水の結氷温度が引き上げられる効果です。これは、秋以降、海水が凍り始める時期が早まることを意味します。今の北極海では、これら2つの効果によって、夏の期間は海氷の融解する速度が大きいが、秋以降に回復する速度も大きいという特徴が明らかとなりました。
本研究成果は、2022年8月19日(米国東部夏時間)に米国科学誌「Journal of Geophysical Research – Oceans」のオンライン版に掲載されました。
発表内容
1990年代後半以降、地球温暖化の影響を受けて北極海の夏の海氷面積は急激に減少し、2012年9月には史上最小値(342万平方キロメートル)を記録しています。その後、2010年代後半以降、北極海の海氷面積は1980年代の約半分程度の状態で維持されています。一方、北極海の中央海域(北極点の周辺など)では1m以上の厚さの分厚い氷がいまだにおおく残っています。今後、北極海の海氷の変化を予測する上で、中央海域に残る厚い氷に関する熱の流れを把握することは極めて重要な課題です。
北極海の海氷・海洋の調査を行う上で問題となるのが、北極海の海氷は風や海流によって刻一刻とその場所を移動するという点です。北極点に近い中央海盆域では、海氷が表層の海流によってグリーンランド方向に流されて、1年間でその大半が大西洋方面に流出していきます。個々の氷盤が1年の間にどのような成長と融解のサイクルを経験するかを知るためには、それぞれの氷盤と一緒に漂流しながら海氷直下の熱の動きを継続的に把握する必要があります。
北極海では、かつて、砕氷船を氷域に閉じ込めて海氷と共に漂流しながら北極点を目指した航海がありました。フリチョフ・ナンセンらによるフラム号での北極探検です。ナンセンらの北極探検から約130年の時を経て、彼らと同様に砕氷船を氷域に閉じ込め、北極海の気候や海洋・海氷の科学に関する国際的な観測プロジェクト「MOSAiC」が2019年10月から2020年10月に行われました。MOSAiCプロジェクトでは、各国から数多くの研究者が集まり、気象、海氷、海洋(物理・化学・生物)などのチームが編成され、国や分野の垣根を超えた大規模な調査が行われました(写真)。
我々のチームでは、北極海の中央海域において、海氷-海水間の境界層において海洋の熱が海氷に対してどのように作用し、海氷の消長にどのような影響を与えているのか、を明らかにするべく徹底した現場調査を行いました。この研究では、主に乱流計とよばれる計測機器(写真a, b)を用いて水中のわずかな水温や流速の乱れを検出し、海氷と海水との間の熱のやりとり(乱流熱フラックス)を把握する調査を行いました。乱流計による観測以外にも、海氷内部にたくさんの温度センサーを配置することで氷中の熱伝導率を計測したり、氷盤にGPS発信装置を取り付けることで海氷の移動速度を計測しました(写真c)。
これら様々な項目のデータを相互に比較することで、我々は以下の結論に辿り着きました。それは、現在の北極海が、海氷にとって、夏は以前よりも融解しやすく、秋や初冬は以前よりも結氷しやすい状態にあるという事実です。この現象の要因として、我々は以下の2つの海水・海氷の物理特性に着目しました。1つ目は、夏の間、海氷の移動するスピードが著しく速いという点です。ナンセンらの報告にもあるとおり、北極海の中央海域では海氷の動きは風によって駆動されることがわかっています。夏の融解時期には、特に、海氷間にはたらく摩擦や衝突の影響が小さくなるため、同じ風速に対する海氷の移動速度が格段に大きくなります。その結果、海氷と海水の速度の間に差が生じて、海氷直下の海水が激しくかき乱されることになります。海氷と海水の熱の交換スピードは境界層内の乱流と相関があるので、夏の海水温度の上昇と海氷速度の増加が同時に起きることで海氷の融解量を高いレベルに引き上げられます(図)。
2つ目は、海氷の融け水による海水の塩分濃度の低下です。海氷の融け水(融氷水)は塩分濃度が低く、密度が小さいために、夏の間に境界層の上部にどんどん蓄積していきます。通常の海水の塩分濃度は約3.3〜3.5%ですが、海氷の融け水を多く含んだ海水の塩分は3.0%を下回ります。海水の塩分濃度は、海水の結氷する温度に影響し、塩分が3.0%の海水では3.3%の海水に比べて結氷温度が約0.3℃ほど上昇します。この結氷温度の差を凝固熱(注3)に換算すると、約7cmの氷の厚さに相当します。冬の始めに、海氷は約10-15cm/月の割合で成長するので、融氷水による低塩分化によって、約半月ほど海氷の成長が早められた可能性があります。
今回の調査で得た知見をもとに、我々の研究チームでは、海氷の移動する速さと境界層内の塩分を同時に計測する仕組みを開発中です。この技術を応用する事によって、海氷底面の乱流熱フラックスや氷の厚さの変化量を、人が操作しなくとも自動で計測する事が可能となります。今後、この装置を漂流ブイに搭載することで、北極海の幅広い海域においてリアルタイムで海氷量の変化を収集し、そのデータを蓄積することで、北極海の海氷変動の全容解明につなげることが期待されます。
本研究は、科研費「北極漂流横断観測による『新しい北極海』の探求(課題番号:18H03754)」、「北極海における近慣性内部重力波と乱流熱輸送:地球温暖化増幅の実態評価(課題番号17KK0083)」、「日独共同観測による『北極海の湿潤化』の追求(課題番号18KK0292)」、および、北極域研究加速プロジェクト(ArCS II、課題番号JPMXD1420318865)の助成により実施されました。
発表雑誌
雑誌名:「Journal of Geophysical Research – Oceans」(8月19日付)
論文タイトル:Turbulent Mixing during Late Summer in the Ice-Ocean Boundary Layer in the Central Arctic Ocean: Results from the MOSAiC Expedition
著者:Yusuke Kawaguchi*, Zoé Koenig, Daiki Nomura, Mario Hoppman, Jun Inoue, Ying-Chih Fang, Kirstin Schulz, Michael Gallagher, Christian Katlein, Marcel Nicolaus, Benjamin Rabe
DOI番号:10.1029/2021JC017975
アブストラクトURL:https://agupubs.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1029/2021JC017975
問い合わせ先
東京大学 大気海洋研究所
助教 川口 悠介(かわぐち ゆうすけ)
北海道大学 北方生物圏フィールド科学センター
准教授 野村 大樹(のむら だいき)
国立極地研究所 国際北極環境研究センター
准教授 猪上 淳(いのうえ じゅん)
用語解説
- 注1:海氷-海洋境界層
- 海氷と海水の移行領域。海氷と海水の間で熱や塩分、運動量がやりとりされる。
- 注2:乱流熱フラックス
- 海水中の乱流(水流の乱れ)によって生じる熱の輸送量。
- 注3:凝固熱
- 海水が液体から固体に変化する際に必要な熱量。
添付資料
写真:2020年9月に撮影されたMOSAiC観測の風景。写真a)、b)は本研究で用いた観測装置です。それぞれ、氷上、そして、水中から撮影した写真です。写真c)は、ヘリコプターから下向きに撮影した観測ステーションの配置を示しています。ここで、白色、水色、濃紺色の領域は、それぞれ、海氷(もしくは雪)、メルトポンド(融け水が貯まった池)、リード(海面が露出した場所)です。写真下方には砕氷船ポーラーシュテルン号が係留されており、写真中央の氷盤上に数多くの観測基地が設置されています。
図:北極海の海氷運動と乱流熱フラックスについての模式図。