非平衡フォノン環境が生み出すスピンダイナミクス~単一スピン熱機関デバイスの実現に向けて~

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2022-08-30 理化学研究所,東京大学生産技術研究所

理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター量子電子デバイス研究チームの黒山和幸特別研究員(研究当時、現東京大学生産技術研究所助教)、量子機能システム研究グループの松尾貞茂基礎科学特別研究員、樽茶清悟グループディレクターらの国際共同研究グループは、非平衡フォノン[1]環境下に置かれた半導体二重量子ドット[2]中の電子スピン[3]のダイナミクスを実時間で観測することに成功し、フォノン励起により駆動されるスピン反転現象の統計を初めて明らかにしました。

本研究成果は、固体物質中の熱電変換[4]の微視的メカニズムの解明や、半導体などのナノ構造で実現されるミクロな熱機関の重要な知見となる可能性があり、将来的には、熱電変換素子の高効率化やスピンにより制御された熱機関デバイスの開発などに貢献すると期待できます。それにより、ナノスケールの集積電子デバイスにおいて喫緊の課題である、排熱を制御・有効利用する熱マネジメント技術を推進することも見込まれます。

今回、国際共同研究グループは、ガリウムヒ素(GaAs)半導体量子井戸[5]上に電気的に形成した隣り合う二つの量子ドット(二重量子ドット)を作製し、さらに、その近くにフォノンの発生源となる別の量子ドットを形成した試料を作製しました。二重量子ドット内に捕捉した電子が量子ドット間を遷移する過程には、電子スピンの情報が反映されます。フォノンを照射しながら、この電子の遷移を実時間観測することで、フォノン励起を介したスピン反転現象を確認しました。さらに、このスピン反転現象の統計を評価することで、二つの量子ドット間に格子温度[6]の勾配が生じていることを見いだしました。特に、この勾配に依存して、スピンの占有率が大きく変調されていることから、スピンが熱力学的な作用を受けていることが明らかになりました。

本研究は、科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版(8月24日付)に掲載され、Editors’ Suggestionに選ばれました。

本研究で測定した二重量子ドット試料の写真と実験の模式図

背景

半導体量子ドットは、素子構造による閉じ込めで電子を局在させ、電子数やスピンを電気的に高度に制御できる量子デバイスです。そのような制御性の良さから、量子計算への応用のみならず、熱電変換素子として用いることで、エネルギーハーベスティング(環境発電技術)へ向けた研究も展開されています。

熱機関から熱力学的な仕事を取り出すためには、熱力学第二法則[7]の要請により、非平衡な温度環境下に量子ドットを配置する必要があります。先行研究では、「電子温度[8]」の異なる電子浴を量子ドットへ接続することで、量子ドットを熱機関として駆動する報告がありました。しかし、固体の温度を示す「格子温度」については、量子ドットと同じ空間スケールの数百ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)で温度変化(勾配)を形成することが難しいために、格子温度で駆動する量子ドット熱機関の実証はおろか、電子やそのスピンに対する熱力学的な作用さえ調べられていませんでした。

研究手法と成果

国際共同研究グループは、ガリウムヒ素(GaAs)半導体量子井戸上に二重量子ドットを作製しました(図1の黄色の丸の領域)。二重量子ドットの左側近くに電荷計量子ドット(図1の緑色の丸の領域)を形成し、各量子ドット内の電子数を実時間にモニターしました。これにより、量子ドット間を遷移する電荷ダイナミクスを実時間で観測します。さらに、二重量子ドット上にフォノンを発生させるために、右側の近くにフォノン源量子ドット(図1の赤色の丸の領域)を形成しました(図1の赤色の丸の領域)。この量子ドットに直流電圧(VPS)を加えることで、電圧に応じたエネルギーと個数のフォノンが放出されます。

測定試料の電子顕微鏡写真の図

図1 測定試料の電子顕微鏡写真

表面電極で囲まれた黄色の丸の領域に二重量子ドットを形成し、電子を2個捕捉する。その左側の緑の領域に電荷計として機能する量子ドットを形成する。さらに、右側の赤い領域にも量子ドットを形成し、これに直流電圧VPSを加えて、フォノンを生成する。


次に、二重量子ドット内の電荷のダイナミクスを極低温環境下で観測しました。面内磁場(図1のBの矢印)が加えられた二重量子ドットに電子を2個捕捉し、右の量子ドットに電子が2個入っている電荷状態(0,2)と左右の量子ドットに電子が1個ずつ入っている電荷状態(1,1)とがエネルギー的に等しくなる条件で実験しました(図2a)。このとき、二つのスピンが互いに反平行であれば、一方のスピンは左右の量子ドットを共鳴的に行き来(トンネル)するため、二重量子ドットの電荷状態は(0,2)と(1,1)の間で頻繁に遷移を繰り返します(図2a左側)。一方で、(1,1)状態で二つのスピンが互いに平行な場合には、パウリの排他律[9]によって、左の量子ドットのスピンは右の量子ドットへ移ることができず、量子ドットは電荷の動きがない「閉塞状態」となります(図2a右側)。

このようなスピン閉塞状態と呼ばれる状態における電荷ダイナミクスは、スピンの状態を強く反映するため、電荷とスピンの協奏的なダイナミクスの実時間観測が可能になります。電荷状態が(0,2)と(1,1)との間で繰り返し遷移するか、(1,1)状態に閉塞するかを観測することで、二つのスピンが平行か、反平行か、さらにいつスピン反転が起きたのかを実時間で判別することができます。

実験では、スピン閉塞状態での電子スピンの反転の様子をフォノン源の直流電圧(VPS)に関して測定しました。その結果、ある値よりも大きな電圧をフォノン源に加えると、スピン反転を伴う遷移が急激に増大することが分かりました(図2a、b)。

電荷-スピンダイナミクスの概要説明の図

図2 電荷-スピンダイナミクスの概要説明

(a)2個の電子を捕捉した二重量子ドットの状態遷移図。スピンが反平行な(1,1)と(0,2)電荷状態との間は、電子のドット間の共鳴トンネルによって、電荷状態が素早く遷移する(左側、実線の矢印)。一方で、スピンが平行な(1,1)と(0,2)電荷状態の間では、スピン反転を伴うトンネルを必要とするため遅い遷移となる(右側、破線の矢印)。
(b)フォノン源に電圧をかけずに測定した電子の共鳴トンネル現象。スピンが反平行な場合には、(1,1)-(0,2)電荷状態間で素早い遷移が見られる。また、(1,1)状態に長くとどまっている領域は、二つのスピンが平行であることを示している。実際には、スピン軌道相互作用などの存在によって、スピンは確率的に反転するので、二つのスピンが互いに平行・反平行な状態の間でごく稀に遷移する。
(c)フォノン源に直流電圧(VPS)を加えたときの電子の共鳴トンネル現象。(1,1)状態に閉塞される時間が短くなっていることから、スピン反転がより頻繁に起きていることが分かる。


このスピン反転を伴う遷移確率の増大は、フォノン励起とスピン軌道相互作用[10]が同時に作用することで、スピン反転を伴う電子励起が生じた結果として理解できます(図3a)。例えば、図3aのように、(1,1)状態で互いに平行なスピンのうち一方が、右の量子ドットの励起状態へスピン反転なしでフォノン励起されることを考えます(図3aの遷移①)。このとき、電子は、励起状態から基底状態へフォノン緩和を起こしますが、その遷移は、角運動量の保存則とスピン軌道相互作用によって、必ずスピン反転を伴います(図3aの遷移②)。この2種類の遷移が連続して起きることで、スピン反転が起き、(1,1)電荷状態におけるスピン閉塞状態が解除されます。したがって、量子ドット内部のフォノン数の増大により、フォノン励起が増加し、それに伴ってスピン反転の頻度が増したと解釈できます。

さらに、以上のフォノン励起により起きるスピン反転過程の統計を議論することで、左右の量子ドットにおける格子温度を評価しました。その結果、二つの量子ドット間の距離が数百nm程度しかないにもかかわらず、左右の量子ドットに著しい温度差が現れることが分かりました(図3b)。さらに、(1,1)電荷状態における、平行・反平行スピン状態の占有率が、この格子温度勾配の存在によって、平行スピン状態に大きく偏ることも分かりました。

フォノン励起を介したスピン反転過程とフォノン密度勾配の図

図3 フォノン励起を介したスピン反転過程とフォノン密度勾配

(a)①の遷移過程は、二つの量子ドット間のスピン反転を伴わないフォノン励起および緩和過程である。一方で、右の量子ドット内で生じる②の遷移過程では、角運動量の保存則から、スピン反転を伴うフォノン励起および緩和過程が生じる。
(b)図(a)の①と②の遷移過程から求めた格子温度を、フォノン源の直流電圧(VPS)に関してプロットした。その結果、フォノン源により近い右の量子ドットで起きる遷移過程②における格子温度(右の量子ドットにおける格子温度:赤点)の方が、遷移過程①における格子温度(青点)よりも著しく増大している。これは、二つの量子ドット間に温度差が形成されていることを示す。

今後の期待

本研究では、二重量子ドットの近くにフォノン源を導入することで、非平衡なフォノン環境下における、電荷とスピンの協奏的なダイナミクスを調べました。量子ドットの励起状態を介した、スピン反転現象の統計を調べることで、量子ドットという極めて微細な構造中に格子温度の勾配が形成されていることを確かめました。さらに、この格子温度勾配によって、スピン状態の占有率が大きく変化することを発見しました。これは、スピンがフォノン環境から熱力学的な作用を受けていることを示す重要な結果といえます。

以上の結果は、格子温度によって駆動される量子ドット熱機関を実現するための重要な知見であるといえます。固体中で起きる熱電効果の微視的なメカニズムの解明や、熱電変換・制御のさらなる高効率化につながる重要な結果となる可能性を秘めています。また、格子温度の勾配が、電荷だけでなくスピンに対しても熱力学的な作用を及ぼすことが明らかになりました。近年、スピンを用いて固体中の熱エネルギーを制御することによって、ナノスケールの電子デバイスにおける排熱の制御や有効利用を目的としたスピンカロリトロニクスと呼ばれる研究が、磁性材料を用いて急速に進められています。本研究成果は、半導体量子ドットを用いることによって、単一スピンレベルで、スピンに対する熱の効果を観測できることから、スピンによる熱制御の物理の解明に大きく貢献することが見込まれます。今後、スピンを熱媒体とする、または、スピンにより制御される、全く新しい概念の熱制御技術やミクロな熱機関の研究が発展するものと期待します。

補足説明

1.非平衡フォノン
フォノンは、結晶中の格子振動をエネルギー量子化した準粒子のこと。また、非平衡フォノンとは、ここでは、個数密度が空間的に一様ではない(勾配のある)フォノンのことを指す。

2.半導体二重量子ドット
半導体量子ドットは、半導体中に作られた、電子を局在させるポテンシャル構造のこと。二次元状に分布する電子系(二次元電子系)の上に、表面電極で閉じ込め構造を作ることで、電子を局在させる。量子ドットを二つ隣接して並べて結合させたものを二重量子ドットと呼ぶ。表面電極の電圧によって、各量子ドットの電子数を独立に制御できる。

3.電子スピン
電子が粒子として固有に持つ角運動量のこと。古典的には自転運動に対応する。

4.熱電変換
熱と電気の間でエネルギーを変換すること。ゼーベック効果やペルチェ効果がその代表的な現象として知られており、冷却素子や熱による発電素子として利用されている。

5.量子井戸
バンドギャップの異なる半導体の接合に現れる一次元的な閉じ込め構造のこと。この構造に電子を閉じ込めると、半導体基板の中を接合面に沿って二次元電子系が形成される。

6.格子温度
結晶を構成する原子の振動(格子振動)のエネルギー分布により定義される温度。

7.熱力学第二法則
さまざまな表現が存在するが、単一の熱源から熱を受け取ってその全てを熱力学的な仕事に変換することはできない(トムソンの法則・ケルビンの法則)という熱力学的法則。このことから、熱力学第二法則は、熱機関から熱力学的な仕事を取り出すためには、二つ以上の異なる温度の熱源が必要であるということも意味する。

8.電子温度
金属や半導体中の自由電子のエネルギー分布により定義される温度。

9.パウリの排他律
同じ向きのスピンを持った電子が同一の量子状態に入ることはできないということ。

10.スピン軌道相互作用
電子などの電荷を持つ粒子の軌道運動が生成する有効磁場と自身が持つスピンとの相互作用のこと。

国際共同研究グループ

理化学研究所 創発物性科学研究センター
量子電子デバイス研究チーム
特別研究員(研究当時) 黒山 和幸(クロヤマ・カズユキ)
(現 東京大学 生産技術研究所 助教)
量子機能システム研究グループ
基礎科学特別研究員 松尾 貞茂(マツオ・サダシゲ)
グループディレクター 樽茶 清悟(タルチャ・セイゴ)

東京大学大学院 工学系研究科
大学院生 村本 丈(ムラモト・ジョウ)

九州大学
助教 藪中 俊介(ヤブナカ・シュンスケ)

ルール大学ボーフム
大学院生 サシャ・ヴァレンティン(Sascha・Valentin)
研究員 アルネ・ルードウィグ(Arne・Ludwig)
教授 アンドレアス・ヴィーク(Andreas・Wieck)

筑波大学 理工情報生命学術院
教授 都倉 康弘(トクラ・ヤスヒロ)

研究支援

本研究は、令和2年度理研-九大科学技術ハブ共同研究プログラム「量子ドットにおける熱力学的不確定性の研究」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(S)「非可換エニオンの電気的光学的制御(研究代表者:樽茶清悟)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(さきがけ)トポロジカル材料科学と革新的機能創出「並列二重ナノ細線と超伝導体の接合を用いた無磁場でのマヨラナ粒子の実現(研究代表者:松尾貞茂)」による支援を受けて行われました。

原論文情報

Kazuyuki Kuroyama, Sadashige Matsuo, Jo Muramoto, Shunsuke Yabunaka, Sascha R. Valentin, Arne Ludwig, Andreas D. Wieck, Yasuhiro Tokura, Seigo Tarucha, “Real-time observation of charge-spin cooperative dynamics driven by a nonequilibrium phonon environment”, Physical Review Letters, 10.1103/PhysRevLett.129.095901

発表者

理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子電子デバイス研究チーム
特別研究員(研究当時) 黒山 和幸(クロヤマ・カズユキ)
(現 東京大学 生産技術研究所 助教)
量子機能システム研究グループ
基礎科学特別研究員 松尾 貞茂(マツオ・サダシゲ)
グループディレクター 樽茶 清悟(タルチャ・セイゴ)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
東京大学 生産技術研究所 広報室

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