2022-08-25 理化学研究所
理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター植物ゲノム発現研究チームの関原明チームリーダー、クラーム・バシール研究員(研究当時)、戸高大輔研究員らの共同研究グループは、植物へのエタノールの投与により、乾燥ストレス耐性が強化されることを発見しました。
本研究成果は、農作物の乾燥耐性を強化する肥料や技術の開発に貢献すると期待できます。
今回、共同研究グループは、モデル植物のシロイヌナズナを、安価で入手しやすいエタノールを投与した後、乾燥ストレスを施しました。その結果、1)気孔[1]閉鎖が促進され、細胞内の水分損失が低減する、2)エタノール分子が植物体内に取り込まれて代謝され、糖やアミノ酸に変換されて蓄積する、3)気孔閉鎖による二酸化炭素の取り込み低減を糖新生[2]で補うことにより、植物成長が維持される、4)グルコシノレート[3]などの有用代謝産物が蓄積する、といった複合的な作用機序により、乾燥ストレス耐性が強化されることを明らかにしました。また、コムギやイネなどの作物でも、エタノールによって乾燥ストレス耐性を強化できることを示しました。
本研究は、科学雑誌『Plant & Cell Physiology』の掲載に先立ち、オンライン版(8月25日付:日本時間8月25日)に掲載されました。
シロイヌナズナにおけるエタノール投与による乾燥ストレス耐性の強化
背景
地球温暖化などの環境変動による干ばつの発生や砂漠化の進行は、作物の成長・収量の低下をもたらします。また、2050年までに世界の人口は100億人に達することが予想され、食糧不足が懸念されています。これらの課題を解決する有効な手段の一つとして、乾燥などの環境ストレスに強い植物(環境ストレス耐性植物)を創出する技術を開発し、作物に応用することが挙げられます。
関原明チームリーダーらはこれまでに、安価で入手しやすいエタノールの投与によって、植物の塩ストレス耐性、強光ストレス耐性、高温ストレス耐性が強化されることを報告しました注1~3)。本研究では、乾燥ストレス耐性へのエタノール投与の影響を解析しました。
注1)2017年7月3日JSTプレスリリース「エタノールが植物の耐塩性を高めることを発見」
注2)Sako, K., Nagashima, R., Tamoi, M. and Seki, M. (2021) Exogenous ethanol treatment alleviates oxidative damage of Arabidopsis thaliana under conditions of high light stress. Plant Biotechnol. 38: 339-344.
注3)2022年6月22日 プレスリリース「エタノールが植物の高温耐性を高めることを発見」
研究手法と成果
共同研究グループは、10ミリモーラー(mM)のエタノール水溶液をモデル植物のシロイヌナズナに投与すると、乾燥ストレス耐性が向上することを発見しました(図1A)。また、エタノールによる乾燥ストレス耐性強化は、コムギやイネにおいても有効であることを示しました(図1B、C)。
図1 エタノールによる乾燥ストレス耐性強化
シロイヌナズナ、コムギ、イネにおいて、エタノール投与により、乾燥ストレスにさらされても生き延びる個体が増えた。シロイヌナズナでは10mMのエタノール水溶液が最も効果的だった。エタノール投与は各溶液の入ったトレーにポットを3日間置くことで行った。それぞれ20個体程度に2L前後の溶液を投与した。その際、ポットが浸かっている溶液の高さは1cmから数cm程度であった。乾燥ストレス処理は、ポットを溶液から出し、溶液の入っていないトレーに置いて潅水を停止することで行った。
そこで次に、エタノールによる乾燥耐性強化のメカニズムを調べました。まず、生理学的な解析や全自動植物表現型解析システム「RIPPS」注4)を用いた解析の結果、気孔の閉鎖が促進され、乾燥ストレス時に細胞内の水分損失が低減することが分かりました(図2)。
図2 全自動植物表現型解析システムRIPPSによる解析
A:葉面積の推移。矢印1はエタノール投与開始日、矢印2は乾燥ストレス処理の開始日、矢印3は再給水した日を示す。再給水後、事前にエタノールを投与した植物は、水のみを与えた植物と比べ葉面積の減少が抑えられた。
B:葉の水分含量の推移。事前にエタノールを投与した植物の葉の水分含量は、水のみを与えた植物に比べて遅れて低下した。
さらに、トランスクリプトーム解析[4]やメタボローム解析[5]といった遺伝子や代謝産物の網羅的な変動解析を含む分子生物学的な解析を行いました。その結果、エタノール分子が植物体内に取り込まれて代謝され、糖やアミノ酸に変換されて蓄積することや、気孔閉鎖による二酸化炭素(CO2)の取り込み低減を糖新生で補うことにより、植物成長が維持されること、グルコシノレート、フラボノイド[6]、アントシアニン[7]などの有用代謝産物が蓄積することが明らかになりました(図3、4)。エタノールを投与した植物では、これらの複合的な作用機序によって乾燥ストレス耐性が向上していると考えられます。
図3 ラベルされたエタノール投与後の代謝産物の核磁気共鳴(NMR)解析の結果
13Cでラベルされたエタノールを根に投与し、どの代謝産物に変換されるかを調べた。グルコースなどの糖への変換が認められたことから、エタノールを投与した植物体では、糖新生が起こっていることが示唆される。
図4 エタノール誘導性の乾燥ストレス耐性強化をつかさどる作用機序のモデル
乾燥ストレスにさらされる前のエタノール投与時(図中ではプライミングと表記)は、アブシジン酸(ABA)シグナリングの変化、気孔の閉鎖誘導、酢酸を含む各種代謝産物の蓄積、糖新生の上昇が起こる。乾燥ストレス時には、乾燥応答の遅延、光合成活性の維持、グルコシノレート、フラボノイド、アントシアニンの蓄積が起こり、乾燥耐性の強化につながる。
注4)2018年7月13日プレスリリース「植物の一挙一動を監視する」
今後の期待
本研究では、安価で入手しやすいエタノールをモデル植物であるシロイヌナズナに投与すると乾燥ストレス耐性が向上することを発見しました。この技術は、コムギ、イネにおいても同様の効果を示しました。従って、本技術は他のさまざまな作物種にも応用可能であることが期待できます。
また本技術では、グルコシノレート、フラボノイド、アントシアニンなどの有用代謝産物量の増加が見られたことから、有用代謝産物量を高蓄積させた新しい作物の開発への貢献も期待できます。
今回の研究は、国際連合が2016年に定めた17項目の「持続可能な開発目標(SDGs)[8]」のうち「2.飢餓をゼロに」や「13.気候変動に具体的な対策を」などへの貢献が期待できます。
補足説明
1.気孔
高等植物の葉や茎の表皮に存在する小さな孔。根から吸い上げた水分の蒸散や、光合成における二酸化炭素の吸収、呼吸における酸素の排出に使われる。乾燥ストレス時にはこの孔の閉鎖が促進され、水分の損失を防ぐことが知られている。
2.糖新生
ピルビン酸やアミノ酸など糖質以外の物質からグルコースを産生する代謝経路。
3.グルコシノレート
グルコースおよびアミノ酸の誘導体。硫黄と窒素を含む有機化合物の一群。ある種のグルコシノレートには抗がん作用がある。
4.トランスクリプトーム解析
細胞中に存在する全てのRNAの発現プロファイルを網羅的に解析すること。遺伝子の機能解析や遺伝子ネットワークの解析などに利用されている。
5.メタボローム解析
メタボロームは細胞内で合成された低分子代謝産物の総体を指す。植物界における総代謝産物は、20万~100万種と考えられている。メタボローム解析とは、メタボロームを網羅的に測定・解析することを指す。
6.フラボノイド
クマル酸CoAとマロニルCoAが重合して生成されるカルコンから派生する植物二次代謝物の総称。人体の特定の生理調節機能に働きかける機能性成分として注目されている。
7.アントシアニン
果実や花に見られる、赤や青や紫などを呈する水溶性の色素群。フラボノイドと同様に人体の特定の生理調節機能に働きかける機能性成分として注目されている。
8.持続可能な開発目標(SDGs)
2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール、169のターゲットから構成され、発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組んでいる(外務省ホームページから一部改変して転載)。
共同研究グループ
理化学研究所 環境資源科学研究センター
植物ゲノム発現研究チーム
チームリーダー 関 原明(セキ・モトアキ)
研究員(研究当時) Khurram Bashir(クラーム・バシール)
(現 客員研究員、ラホール経営科学大学 准教授)
大学院生リサーチ・アソシエイト(研究当時) Sultana Rasheed(スルタナ・ラシード)
研究員 戸高 大輔(トダカ・ダイスケ)
研究員(研究当時) 松井 章浩(マツイ・アキヒロ)
研修生(研究当時) Zarnab Ahmad(ザルナブ・アーマド)
研修生 茂木 日暖(モテギ・ヒナタ)
研究員 内海 好規(ウツミ・ヨシノリ)
テクニカルスタッフⅠ 田中 真帆(タナカ・マホ)
テクニカルスタッフⅠ 高橋 聡史(タカハシ・サトシ)
テクニカルスタッフⅠ 石田 順子(イシダ・ジュンコ)
国際プログラム・アソシエイト Anh Thu Vu(アン・トゥ・ブ)
特別研究員(研究当時) 佐古 香織(サコ・カオリ)
(現 近畿大学農学部 助教)
技術基盤部門 質量分析・顕微鏡解析ユニット
ユニットリーダー 平井 優美(ヒライ・マサミ)
テクニカルスタッフⅠ 佐藤 心郎(サトウ・ムネオ)
研修生(研究当時) Rui Li (ルイ・リ)
適応制御研究ユニット
ユニットリーダー 瀬尾 光範(セオ・ミツノリ)
基礎科学特別研究員(研究当時) 渡邊 俊介(ワタナベ・シュンスケ)
テクニカルスタッフⅡ 菅野 裕理(カンノ・ユリ)
機能開発研究グループ
グループディレクター(研究当時) 篠崎 一雄(シノザキ・カズオ)
(現 環境資源科学研究センター 特別顧問)
上級研究員(研究当時) 藤田 美紀(フジタ・ミキ)
(現 技術基盤部門 質量分析・顕微鏡解析ユニット 上級技師)
テクニカルスタッフⅡ(研究当時) 菊池 沙安(キクチ・サヤ)
環境代謝分析研究チーム
チームリーダー 菊地 淳(キクチ・ジュン)
テクニカルスタッフⅠ 坪井 裕理(ツボイ・ユウリ)
統合メタボロミクス研究グループ
グループディレクター 斉藤 和季(サイトウ・カズキ)
(環境資源科学研究センター センター長)
テクニカルスタッフⅠ 小林 誠(コバヤシ・マコト)
横浜市立大学 木原生物学研究所
准教授 川浦 香奈子(カワウラ・カナコ)
大学院生 清藤 誠(セイト・マコト)
龍谷大学 農学部
教授 永野 惇(ナガノ・アツシ)
名古屋大学
トランスフォーマティブ生命分子研究所
教授 木下 俊則(キノシタ・トシノリ)
大学院生(研究当時) 安藤 英伍(アンドウ・エイゴ)
大学院理学研究科
大学院生 Kwang-Chul Shin(クワン・チュル・シン)
筑波大学 生命環境系
教授 草野 都(クサノ・ミヤコ)
農業・食品産業技術総合研究機構 作物生長機構研究領域
領域長 土生 芳樹(ハブ・ヨシキ)
研究支援
本研究は、理研-産総研チャレンジ研究「エタノールで世界の食糧問題解決に挑む」、科学技術振興機構(JST)CREST「エピゲノム制御ネットワークの理解に基づく環境ストレス適応力強化および有用バイオマス産生(研究代表者:関原明)」、同A-STEP「エタノール処理による葉物作物への高温障害軽減に関する試験研究(研究代表者:関原明)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業新学術領域研究(研究領域提案型)「アンチセンスncRNAを介した植物の環境ストレス認識・記憶システムの解析(研究代表者:関原明)」「植物の高温・低温ストレス適応におけるRNA顆粒を介した転写後制御機構の解析(研究代表者:関原明)」、同基盤研究(S)「気孔開度調節のシグナル伝達の解明と植物の成長制御(研究代表者:木下俊則)」、同学術変革領域研究(A)「不規則な環境変動に応答した気孔開度と花成の制御機構(研究代表者:木下俊則)」による支援を受けて行われました。
原論文情報
Khurram Bashir, Daisuke Todaka, Sultana Rasheed, Akihiro Matsui, Zarnab Ahmad, Kaori Sako, Yoshinori Utsumi, Anh Thu Vu, Maho Tanaka, Satoshi Takahashi, Junko Ishida, Yuuri Tsuboi, Shunsuke Watanabe, Yuri Kanno, Eigo Ando, Kwang-Chul Shin, Makoto Seito, Hinata Motegi, Muneo Sato, Rui Li, Saya Kikuchi, Miki Fujita, Miyako Kusano, Makoto Kobayashi, Yoshiki Habu, Atsushi J. Nagano, Kanako Kawaura, Jun Kikuchi, Kazuki Saito, Masami Yokota Hirai, Mitsunori Seo, Kazuo Shinozaki, Toshinori Kinoshita, Motoaki Seki, “Ethanol-mediated novel survival strategy against drought stress in plants”, Plant & Cell Physiology, 10.1093/pcp/pcac114
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター 植物ゲノム発現研究チーム
チームリーダー 関 原明(セキ・モトアキ)
研究員(研究当時) Khurram Bashir(クラーム・バシール)
(現 客員研究員、ラホール経営科学大学 准教授)
研究員 戸高 大輔(トダカ・ダイスケ))
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当