2022-01-25 理化学研究所
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター強相関物質研究グループの軽部皓介研究員、田口康二郎グループディレクター、電子状態マイクロスコピー研究チームのポン・リソン基礎科学特別研究員、于秀珍チームリーダー、強相関理論研究グループのマーセル・ヤン訪問研究員(研究当時)、強相関物性研究グループの十倉好紀グループディレクター(創発物性科学研究センターセンター長)らの国際共同研究グループは、金属磁性体の磁気異方性[1]を制御することで、アンチスキルミオンと呼ばれる磁気渦構造が安定化する条件を見いだしました。
本研究成果は、アンチスキルミオンの発現機構の解明につながり、さまざまな磁気デバイスへの応用研究に貢献すると期待できます。
今回、国際共同研究グループは、(Fe,Ni)3P(Fe:鉄、Ni:ニッケル、P:リン)という金属磁性体に4d遷移金属[2]をドープすることで、磁気異方性が劇的に変化し、室温で安定なアンチスキルミオンが形成されることを発見しました。さらに、アンチスキルミオンの安定化には、容易軸型[1]の磁気異方性エネルギーと静磁エネルギー[3]の適切なバランスが重要であることを実証しました。
本研究は、科学雑誌『Advanced Materials』オンライン版(1月15日付)に掲載されました。
アンチスキルミオンとスキルミオンの安定領域
背景
スキルミオンは固体中の電子スピン[4]が形成する渦状の磁気構造体であり、整数のトポロジカル数[5]で特徴付けられ、安定な粒子として振る舞います(図1(a))。また、直径が1~100ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)と微小であることに加え、低電流で駆動できることから、高性能の磁気デバイスや脳型計算用素子への応用が期待されています。
一方、アンチスキルミオンは反渦状の磁気構造体であり、スキルミオンと逆符号のトポロジカル数を持つため、新しいトポロジカル磁気構造として近年注目されています(図1(b))。
図1 スキルミオンとアンチスキルミオンの模式図
(a)はスキルミオン、(b)はアンチスキルミオンの模式図。スキルミオンは-1のトポロジカル数、アンチスキルミオンは+1のトポロジカル数を持つ。青と赤の矢印は面内(紙面内)のスピン(または磁気モーメント)の向きを示す。点線の内側(◯の中に●)のスピンは手前、外側(◯の中に×)のスピンは奥を向いている。
スキルミオンはこれまでにさまざまな磁性体で観測され、多くの研究がなされていますが、アンチスキルミオンはD2d対称性[6]の結晶構造を持つホイスラー合金Mn1.4Pt0.9Pd0.1Sn(Mn:マンガン、Pt:白金、Pd:パラジウム、Sn:スズ)と、軽部皓介研究員らが発見したS4対称性[6]の結晶構造を持つFe1.9Ni0.9Pd0.2P(Fe:鉄、Ni:ニッケル、P:リン)のみで観測されており、研究例が限られています注1-2)。
これらの物質では、結晶構造の対称性を反映したジャロシンスキー・守谷相互作用[7]が磁気構造を決める重要な役割を果たしていますが、強磁性体において系を特徴付ける磁気異方性と静磁エネルギーも重要な要因であることが最近の研究で分かりつつあります。しかし、アンチスキルミオンの安定性がこれらの複雑な磁気相互作用とどのように関係しているかは明らかになっていませんでした。
注1)A. K. Nayak et al., Magnetic antiskyrmions above room temperature in tetragonal Heusler materials. Nature 548, 561 (2017).
注2)2021年1月26日プレスリリース「室温でアンチスキルミオンを示す新物質を発見」
研究手法と成果
国際共同研究グループは、S4対称性を持つシュライバーサイトと呼ばれる金属磁性体(Fe,Ni)3Pのさまざまな組成の単結晶試料を合成し、磁化測定、強磁性共鳴[8]、ローレンツ透過型電子顕微鏡[9]を用いて、磁気状態の組成変化を系統的に調べました(図2)。
図2 (Fe,Ni)3Pの結晶構造の模式図
(Fe,Ni)3PはS4対称性(4回回反軸のみ存在)に分類される正方晶であり、三つの非等価な金属サイト(M1、M2、M3)が存在する。
その結果、母物質であるFe3Pの強い容易面型[1]の磁気異方性が、Niを30%程度加えることで急速に弱まることが分かりました。さらに、4d遷移金属のRu(ルテニウム)を少量ドープしても磁気異方性はほとんど変化しないのに対し、Pdを少量ドープすると磁気異方性が容易面型から容易軸型に変化し、室温で安定なアンチスキルミオンが観測されました。また、周期表でRuとPdの間にあるRh(ロジウム)をドープした試料では、高温で非常に弱い容易軸型の磁気異方性を示し、低温では異方性が容易面型に温度変化することも分かりました(図2)。
図2 磁気異方性の組成・温度変化
(Fe,Ni)3P(Fe 63%、Ni 37%)と4d遷移金属(Pd、Rh、Ru)を少量ドープした試料における磁気異方性エネルギーの温度依存性。異方性エネルギーが負であれば容易面型、正であれば容易軸型である。
これらのさまざまな組成や条件(温度、試料の厚さ)での磁気構造をローレンツ透過型電子顕微鏡で調べ、アンチスキルミオンおよびスキルミオンの安定領域を容易軸型の磁気異方性エネルギーと静磁エネルギーに対しマッピングしたところ、両者の適切なエネルギーバランスがアンチスキルミオンの安定化に重要であることが明らかになりました(図3)。さらに、理論的シミュレーションを行った結果、磁気異方性によるアンチスキルミオンの安定化が再現され、実験結果と合致しました。
図3 アンチスキルミオンとスキルミオンの安定領域
PdとRhをドープした試料のさまざまな温度や厚さに対し、ローレンツ透過型電子顕微鏡で観測されたアンチスキルミオンとスキルミオンの存在領域(それぞれ赤と青のシンボル)を磁気異方性エネルギーと静磁エネルギーに対してマッピングした。
今後の期待
本研究では、(Fe,Ni)3Pが物質組成を変えることで磁気異方性を自在に制御でき、室温でアンチスキルミオンを安定化させるのに優れた物質であることを明らかにしました。また、アンチスキルミオンの安定化には容易軸型の磁気異方性と静磁エネルギーのバランスが重要であることを実験的・理論的に実証しました。本研究成果は、今後のアンチスキルミオンのトポロジカル物性の研究および物質設計に役立ち、また、室温アンチスキルミオンを用いたさまざまな高性能磁気デバイスの実現に貢献すると期待できます。
補足説明
1.磁気異方性、容易軸型、容易面型
結晶構造内のスピンの向きによってエネルギーが異なる性質。このため、スピンが向きやすい方向(磁化容易軸)と向きにくい方向(磁化困難軸)が存在する。本研究で用いた物質では、正方晶のc軸方向に向きやすい性質を「容易軸型」、ab面内に向きやすい性質を「容易面型」と呼ぶ。
2.4d遷移金属
周期表の第3族元素から第11族元素の間に存在する金属元素を総称して「遷移金属」と呼び、その中でも、Ru(ルテニウム)、Rh(ロジウム)、Pd(パラジウム)など第5周期に存在する遷移金属を4d遷移金属と呼ぶ。4d軌道を部分的に占める電子が原子の物理的・化学的な性質を特徴付けるため、このような名前が付いている。一方、Fe(鉄)、Co(コバルト)、Ni(ニッケル)など第4周期に存在する遷移金属を3d遷移金属、Os(オスミウム)、Ir(イリジウム)、Pt(白金)など第6周期に存在する遷移金属を5d遷移金属と呼ぶ。
3.静磁エネルギー
強磁性体は、表面に磁極(磁石のN極とS極)を形成すると、内部に磁化と逆向きの磁場(反磁場)を作りエネルギーが高くなり不安定になる。この自己エネルギーを静磁エネルギー(または反磁場エネルギー)と呼ぶ。外部磁場がないときは、静磁エネルギーを下げるために互いに逆向きに磁化した小さな磁区を形成する。
4.電子スピン
電子は、「スピン」と呼ばれる小さな棒磁石に相当する性質を持つ。通常の磁石(強磁性体)では、自発的にスピンがそろうことで巨視的な磁化が現れる。
5.トポロジカル数
磁気渦の周りを1周する間にスピンがどれだけ回転したかを表す数。スキルミオンとアンチスキルミオンのトポロジカル数は±1であるが、スピンの回転方向が逆であるため、トポロジカル数の符号が逆になる。
6.D2d対称性、S4対称性
どちらもc軸周りに90°回転するごとに上下が反転する対称性(4回回反)を持ち、この対称操作のみで特徴付けられる対称性クラスをS4と呼ぶ。4回回反に加え、aまたはb軸周りの2回回転(180°回転すると元と重なる対称操作)や鏡映を持つ対称性クラスをD2dと呼ぶ。この違いのため、D2dはc軸方向から見ると左右対称に見えるが、S4はねじれた形に見える。
7.ジャロシンスキー・守谷相互作用
空間反転対称性の破れた系において、物質に内在するスピン軌道相互作用を起源として働く磁気相互作用であり、スピン同士を傾ける性質を持つ。
8.強磁性共鳴
強磁性体に外部磁場を加えるとスピンが歳差運動を起こし、ある周波数のマイクロ波を与えると歳差運動に共鳴現象が起こる。強磁性体の磁気異方性を調べるのに用いられる。
9.ローレンツ透過型電子顕微鏡
電子線が磁性体を通過する間に受けるローレンツ力による偏向を可視化して、試料内部の磁気構造を観察する手法。磁化の面内成分を検出できる。
国際共同研究グループ
理化学研究所 創発物性科学研究センター
強相関物質研究グループ
研究員 軽部 皓介(かるべ こうすけ)
グループディレクター 田口 康二郎(たぐち やすじろう)
電子状態マイクロスコピー研究チーム
基礎科学特別研究員 ポン・リソン(Peng Licong)
チームリーダー 于 秀珍(う しゅうしん)
強相関理論研究グループ
訪問研究員(研究当時) マーセル・ヤン(Masell Jan)
(現 カールスルーエ工科大学 研究員)
強相関物性研究グループ
グループディレクター 十倉 好紀(とくら よしのり)
(理研 創発物性科学研究センター センター長、東京大学 大学院工学系研究科 教授、東京大学国際高等研究所 東京カレッジ 卓越教授)
アウクスブルク大学(ドイツ)
教授 イシュテバン・ケシュマルキ(Istvan Kézsmárki)
教員 ハンス-アルブレヒト・クルグフォンニダ(Hans-Albrecht Krug von Nidda)
教員 マムーン・ヘミダ(Mamoun Hemmida)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究(A)「電子顕微鏡によるトポロジカルスピン構造とそのダイナミクスの実空間観察(研究代表者:于秀珍)」、同若手研究「トポロジカルな磁気構造を持つ室温磁性体の物性解明と新物質探索(研究代表者:軽部皓介)」、同特別研究員奨励費「トポロジカル磁性体のダイナミクスに関する理論的研究(受入研究者:永長直人、外国人特別研究員:マーセル・ヤン)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(CREST)「ナノスピン構造を用いた電子量子位相制御(研究代表者:永長直人)」「Beyond Skyrmionを目指す新しいトポロジカル磁性科学の創出(研究代表者:于秀珍)」による支援を受けて行われました。
原論文情報
K. Karube, L. C. Peng, J. Masell, M. Hemmida, H.-A. Krug von Nidda, I. Kézsmárki, X. Z. Yu, Y. Tokura and Y. Taguchi, “Doping Control of Magnetic Anisotropy for Stable Antiskyrmion Formation in Schreibersite (Fe,Ni)3P with S4 symmetry”, Advanced Materials, 10.1002/adma.202108770
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 強相関物質研究グループ
研究員 軽部 皓介(かるべ こうすけ)
グループディレクター 田口 康二郎(たぐち やすじろう)
電子状態マイクロスコピー研究チーム
基礎科学特別研究員 ポン・リソン(Peng Licong)
チームリーダー 于 秀珍(う しゅうしん)
強相関理論研究グループ
訪問研究員(研究当時) マーセル・ヤン(Masell Jan)
強相関物性研究グループ
グループディレクター 十倉 好紀(とくら よしのり)
(創発物性科学研究センター センター長)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当