2021-12-24 日本原子力研究開発機構
【発表のポイント】
- 物質中の電子が持つ微小な磁気「スピン」。このスピンとエレクトロニクスを組み合わせた「スピントロニクス」の分野では、電気信号によって磁性体が持つ磁気の向きを制御し、大容量の情報を高速で扱える、磁気メモリ等の装置に応用することを目指しています。
- このような磁気メモリ等の小型化・集積化には、磁気制御に必要な消費電力の削減が必要です。しかし、従来のスピントロニクスでは、電気的に磁気を制御する際には電流を用いるため、電気抵抗の影響を受けて発熱によるエネルギー損失が生じます。
- 本研究では、物質中の電子状態が持つ構造「トポロジー」を活用することにより、電気抵抗に左右されず、電圧信号をかけるだけで磁性体の磁気を制御する新たな原理を発見しました。
- 新原理の発見により、これまで14年にわたって未解明だった、理論予測を超えた磁気制御効率の実験報告について、その起源に関する謎を解明しました。
- 本研究が新たに示した「トポロジー」の条件によって、スピントロニクスに用いる物質の開発を加速させ、磁気メモリ等に応用する「電気的な磁気制御」のより一層の省電力化に貢献することが期待されます。
図1:電気的な磁気制御メカニズムの模式図。従来の電流を用いる方法(左)とは異なり、本研究では電圧を使って、省電力で磁気を制御できる新しい原理(右)を提案した。
【概要】
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 児玉敏雄、以下「原子力機構」という。)先端基礎研究センター スピン-エネルギー変換材料科学研究グループ 荒木康史任期付研究員(文部科学省卓越研究員)と、家田淳一研究主幹は、磁性体の磁気が、電気抵抗に影響されず電圧によって省電力で制御されるメカニズムを、電子の持つ数学的構造「トポロジー」(注1)に基づき新たに見出しました。
スピントロニクスでは、物質中の電子が持つ微小な磁気「スピン」を用いて、磁性体が持つ磁気の向きや強さを制御し、大容量の情報を扱う磁気メモリ等に応用することを目指しています。現在のスピントロニクスでは、磁性体や重金属に電流を流し、流れる電子が持つスピンを用いて、磁性体の磁気を操作する方法が広く使われています(図1左)。しかし、この方法はまず磁性体等に電流を流す必要があるため、電気抵抗の影響を受け、電流から発生する熱(ジュール熱)(注2)によるエネルギー損失が避けられません。スピントロニクスを用いる磁気メモリ等の微細化・集積化のためには、このエネルギー損失は無視できない課題であり、電気抵抗の影響を受けない磁気制御の方法が求められていました。
この問題を解決するため、本研究では、電子が示す「異常速度」と呼ばれる性質に着目しました。一部の物質では、電圧をかけた際、電子が電圧と同じ方向ではなく、電圧に対して垂直方向に動く(速度を得る)性質があり、この性質が「異常速度」と呼ばれるものです(図1右)。異常速度による電子の動きは電気抵抗の影響を受けず、量子力学的には電子の持つ数学的構造「トポロジー」に由来します(注3)。異常速度が顕著に現れる物質として、「トポロジカル絶縁体」「ワイル半金属」などの物質群が近年注目されています。
本研究では、このような異常速度を持つ電子が、電子のスピンを介して磁気を制御する、新たなメカニズムを発見しました(図1右)。異常速度による電流はエネルギー損失を起こさないため、省電力で磁気を制御できることを提案しました。
本研究の成果は、少ない電流・消費電力での磁気制御技術の実現に道を拓くものです。
2007年以降、強磁性体(注4)であるルテニウム酸ストロンチウム(SrRuO3)において、従来の電流を用いた磁気の制御に比べ、約100分の1の低電流による磁気の制御が測定されていました。しかし、その起源は未解明でした。本研究で導いた理論により、従来からSrRuO3で知られていた異常速度こそが、14年間未解明であった低電流での磁気制御の起源として働いていることを解明しました。
今後、更なる省電力で動作するスピントロニクス候補物質を選択・設計していくにあたって、本研究で導いた新理論は有用な指針を与えます。電子のトポロジー構造が強く現れる物質を設計することにより、本研究で発見した省電力な磁気の制御が可能となり、スピントロニクス素子の微細化・集積化が大幅に進展することが期待されます。
本研究成果は、米国物理学会誌「Physical Review Letters(フィジカル・レビュー・レターズ)」における出版に先立ち、12月28日(現地時間)にオンライン掲載される予定です。
【研究開発の背景と目的】
情報化が急速に進展している現代社会では、業務・家庭を問わずあらゆる機器にコンピュータが内蔵され、常にネットワークを介して大量の情報をやり取りしながら動作しています。それに伴い、コンピュータのメモリや演算装置等の素子について、より一層の高速・大容量の情報処理を可能とするための技術革新は社会的に強く要請されています。
高速・大容量の情報処理を実現するための技術として、磁性体(磁石)を用いる「スピントロニクス」と呼ばれる技術が精力的に研究されています。従来のエレクトロニクスが電気回路に流れる電流のみを操作する一方、スピントロニクスは磁性体を構成する電子1個1個が持つ微細な磁気「スピン」も操作することにより、情報を処理する技術です。スピントロニクスでは、磁気の方向を2進数(0,1の数字)の情報に対応させ、それを電子のスピンを介して操作することによって情報を処理します。一つの数字は、1ミリメートルの1万-100万分の1というサイズの、非常に小さい領域の磁気と対応します(図2)。そのため、スピントロニクスによる磁気制御を使えば、磁性体に書き込まれた大容量の情報を高速で処理でき、メモリや演算装置等に応用できると期待されています。
図2:磁性体の磁気と、2進数の情報(0,1)の対応の概念図。
磁性体の中で情報を記録・演算するためには、電気信号により磁気を制御する技術が不可欠です。電気的な磁気制御の基本原理として、「スピン移行トルク」と呼ばれるメカニズム(図1左)が、1990年代に理論提案されて以降広く用いられてきました。これは金属磁性体に外部から電流を流すことにより、その電流が運ぶ電子のスピンが磁性体と相互作用して、磁気を操作するものです。しかしながら、金属中を流れる電流は必ず電気抵抗を受けるため、スピン移行トルクにより磁気を制御する際には、電気抵抗による発熱(ジュール熱)(注2)に起因してエネルギー損失が発生します。電流が増えるとジュール熱はその2乗で増大するため、スピントロニクス素子の高速・大容量化に伴い必要な電流が増えるに従って、素子からの発熱によるエネルギー消費は無視できない問題となります。そのため、少ない電流・消費電力での磁気制御を目指して、従来のスピン移行トルクを超える効率を実現できる新しいメカニズム、及びそれを可能とする磁性材料の探索が求められています。
本研究では、電気抵抗に影響されない磁気制御のメカニズムを、基礎理論の観点から探索しました。
【研究の手法と結果】
本研究では、電圧をかけた物質中で、電子のスピンが磁性体の磁気を変化させる過程を、シンプルな数式にまとめました。この数式の中で、電気抵抗から受ける影響や、磁気配列のパターンの有無に応じて、磁気制御の過程を4種類に分類しました(図3)。この4種類の中には、先行研究で提案された磁気制御の過程がいくつか内包されており、従来の「スピン移行トルク」もそのうちの一つとして含まれています。一方で新たな過程として、電気抵抗の影響を受けず、電圧の信号だけで、省電力で磁気の配列を操作できる過程もあることを見出しました。この過程は、物質中の電子が「スピン-運動量結合(注5)」と「異常速度」という二つの性質を併せ持つ場合に現れることが分かりました。
図3:本研究で示した、磁気制御の過程の分類。
特に重要となる性質が「異常速度」です。これは、電子が電圧を受けて動く際、電圧と同じ方向に動くのではなく、垂直方向に速度を持つ、すなわち横にカーブしていく性質です(図1右)。この垂直方向の運動は、電気抵抗によるエネルギー損失の影響を受けない運動であり、減速されることなく一定の速度で動きます。古典電磁気学の直感に反するこの性質は、物質中で電子が持つ内部構造「トポロジー(注1)」に由来している(注3)ことが、1990年代以降の理論研究により明らかにされてきました。異常速度によって起こる有名な現象として、かけた電圧と直交する方向に電流が流れる、「異常ホール効果」と呼ばれる現象があります。「トポロジカル絶縁体」や「ワイル半金属」と呼ばれる物質群では、電子のトポロジー構造が強く備わっており、実験的にも「異常ホール効果」が現れることが確認されています。
この「異常速度」によって、電圧を受けた電子は電気抵抗に影響されずに垂直方向に動きます。更に「スピン-運動量結合」が組み合わさることによって、電子の動きに従ってスピンの向きも揃います。以上の過程によって、磁気の配列に対して電圧をかけることで、電子のスピンの向きが揃い、磁気の制御を実現できることを示しました(図1右)。このメカニズムを「トポロジカル・ホール・トルク」と名付け、従来の「スピン移行トルク」と異なる、省電力の新たな磁気制御のメカニズムとして提案しました(図3)。
本研究で新たに導き出した「トポロジカル・ホール・トルク」の理論により、過去の実験報告以降14年間未解明であった問題が解決されました。
強磁性体(注4)の金属「ルテニウム酸ストロンチウム」(SrRuO3)では、電気的な磁気制御の測定が2007年に報告されました。この報告によれば、測定された磁気制御の効率は、従来の「スピン移行トルク」では100倍以上の電流を流さなければ実現できないほどの、非常に高い効率でした。これは磁気制御に必要な電力消費(ジュール熱)で比較すると、従来の約10000分の1の電力消費で済むことに相当します。しかし、既存の理論ではその起源をこれまで説明できず、スピントロニクス素子へのさらなる応用が困難な状況でした。
一方でSrRuO3では、スピン-運動量結合と異常速度(異常ホール効果)の存在が、2000年代以降のいくつかの実験により確認されてきました。このことに着目し、本研究で新たに得られた「トポロジカル・ホール・トルク」の理論をSrRuO3に適用して、磁気制御の効率について試算を行いました。その結果、従来の「スピン移行トルク」の約100倍という測定値を再現することができました。これにより、SrRuO3で報告された磁気制御は、スピン-運動量結合と異常速度による「トポロジカル・ホール・トルク」が主要な起源であることが分かり、2007年の実験報告で提示された未解決の問題を14年越しに解決することができました。
【今後への期待】
スピントロニクス素子の高速・大容量化のためには、その基礎となる「電気的な磁気の制御」において、消費電力を削減しエネルギー効率を向上させることが不可欠です。本研究で得られた理論は、この問いに対して、「スピン-運動量結合」と「異常速度」という二つの性質を併せ持つ物質が適していることを示唆しています。このうち特に異常速度は、異常ホール効果など電流の性質という観点では従来から注目されていたものの、磁気制御への寄与については、これまでほとんど考慮されていませんでした。
今後、磁気制御にさらに適した物質を選択・設計していく際には、異常速度、及びその起源となる電子のトポロジーが、物質開発の新たな指針として働くことが期待されます。すなわち、従来工学への応用があまり考慮されていなかった、トポロジーを強く示すように物質の組成や結晶構造を調整することで、磁気制御の省電力化を実現するような物質にアプローチすることが可能になります。本研究は、このような物質開発の方向性を提示することにより、スピントロニクスを用いる磁気メモリや演算装置の高速・大容量化への道を拓き、情報化社会の加速的発展に貢献するものです。
書籍情報
雑誌名:Physical Review Letters
タイトル:Intrinsic torques emerging from anomalous velocity in magnetic textures
(磁気構造中の異常速度に起因した内因性トルク)
著者:Yasufumi Araki and Jun’ichi Ieda
本研究は、科学研究費補助金/基盤研究(S) 19H05622、及び文部科学省卓越研究員事業の支援を受けて行われました。
【用語解説】
(注1) 「トポロジー」
ある物が「どのような形をしているか」を特徴づける、数学的な概念。例えば地面の形を説明する際には、その地面が「へこんでいるか、出っ張っているか」「穴はいくつ開いているか」といった特徴を伝える必要があります。このような「形」の特徴を記述する概念がトポロジーです。 量子力学では、電子は「波」としての性質を持ちます。この波の形にも、「ねじれている」「渦を巻いている」など様々な形があり、それを考えるためにトポロジーの概念が使われます。
(注2) 「ジュール熱」
金属に電流を流した際に電気抵抗から受ける摩擦のため生じる発熱のこと。身近な例としては、電熱線や白熱電球から生じる熱もジュール熱の効果です。電池や電源から与えたエネルギー(電力)が、熱エネルギーとして出ていくことに相当します。コンピュータの部品のような集積化された素子の中では、たくさんの信号を電流として制御するうえ、温度上昇によって性能が低下するおそれもあるため、ジュール熱は無視できない問題となります。
(注3) 異常速度とトポロジーの関係
電子の波に「ねじれ」があると、その波はまっすぐ進むことができなくなり、電子が横方向にカーブしていく運動、いわゆる「異常速度」が生じます。回転しているボールを投げると、カーブして飛んでいくのと似たような挙動といえます。
(注4) 「強磁性体」
外から磁石を近づけなくても、自分自身が強い磁石となるような物質。鉄やニッケル、マンガンなどが代表的な強磁性体です。
(注5) 「スピン-運動量結合」
電子の動く方向に従って、電子自身のスピンが決まった方向を向く効果。通常の磁性体の場合、電子スピンは磁性体自身が持っている磁気の向きに揃います。一方で、ビスマス・白金等の重金属を含む物質の中では、電子はスピン-運動量結合の効果を受けることが知られています。これにより電子スピンの向きを電流を介して制御することができるため、スピン-運動量結合はスピントロニクスの構成要素として重視されてきました。