2021-10-20 東京大学
発表のポイント
- これまで人類学、人口学、歴史学において、世界各地の家族が示す多様な形態と環境要因や社会構造、そして政治イデオロギーとの関係などが議論されてきた。本研究では、各分野で個別に扱われていたこれらの諸関係について、数理モデルによって統一的な説明を与えた。
- 進化シミュレーションにより、環境要因を定める変数に応じて多様な家族形態が進化し、また家族形態に依存して、社会内の家族の所得分布の特徴が定まることを示した。さらに、世界各地の社会に関するデータベースを用いて統計解析を行い、モデルの結果を支持した。
- 本研究成果は、諸地域で発展する環境レベル、家族レベル、社会レベルの諸要因の関係を説明する基盤となることが期待される。また、進化モデルにより人間社会の普遍的性質を抽出する本理論研究は、「普遍人類学」とも言うべき人類学研究の新たな方法を今後開拓しうるものである。
発表概要
世界各地の家族は多様であり、これまでに人類学者や人口学者は、配偶・親子・兄弟姉妹の関係などに関する性質に注目して、多様な家族形態を特徴付けてきた。しかしながら、家族形態と社会・生態的環境要因、そして社会構造やイデオロギーとの関係は十分に説明されていない。
そこで、東京大学大学院総合文化研究科大学院生の板尾健司と同教授の金子邦彦は、計算機上に農村社会のモデルを構築し、環境条件に応じて多様な家族形態が生起すること、そして家族形態に応じて社会内の所得分布の特徴が変わることを理論的に示した。
進化シミュレーションの結果、利用可能な土地資源が多い場合に、子供が結婚後親元を離れる核家族が、土地資源が少ない場合に、子供が結婚後も親元に残る拡大家族が生起した。また、家族が生存のために要する富が小さい場合に、嫡子による独占的な相続が、その富が大きい場合には、平等な遺産分配が生起した。さらに、拡大家族が多い地域で貧困層が厚くなり、不平等な遺産分配を行う地域で富裕層が厚くなることを示した。ついで、世界各地の社会に関する民族誌データベースを用いた統計解析を行い、理論的な結果を経験的に正当化した。
本研究成果は、人類学の理論研究の新たな方法として、計算機を用いて人間社会の普遍的な構造を論じる普遍人類学の展望を示すものである。なお、本研究は科学研究費助成事業新学術領域研究「進化の制約と方向性」(JP17H06386)のもとで行われた。
発表内容
人類学者たちはこれまで、世界各地の家族が配偶・親子・兄弟姉妹の関係などに関して多様な性質を持つことを示し、種々の家族形態を特徴付けてきた。特に前近代の農村社会の家族は、親子関係と兄弟姉妹関係について多様であることが知られている。親子の同居関係には、子供が結婚後すぐに親元を離れる核家族の場合と、子供が結婚後も親元に残る拡大家族の場合がある。また、兄弟姉妹の遺産分配の関係には、嫡子が独占的に相続する場合と、平等に分配される場合がある。この両者の関係に注目して、四つの基本的な家族形態が示されている。すなわち、遺産分配が不平等な核家族である絶対核家族、平等な核家族である平等核家族、不平等な拡大家族である直系家族、平等な拡大家族である共同体家族である。
これらの四類型の地理的な分布も調べられており、絶対核家族はイギリスやオランダで、平等核家族はフランスやスペインで、直系家族は日本やドイツで、共同体家族は中国やロシアで観察されている。さらに、歴史人口学者などは家族形態に注目して歴史の進展を説明してきた。特に、エマニュエル・トッドは家族形態と社会イデオロギーの関係を明らかにした。そこでは、絶対核家族、平等核家族、直系家族、共同体家族のそれぞれが多い地域において、自由主義、自由平等主義、社会民主主義、共産主義のイデオロギーが栄えやすいことが論じられている。しかしながら、家族形態を規定する社会・生態的環境要因の分析は網羅的ではなく、家族形態と社会構造の相関についても説明は不十分であった。ここで、環境要因と家族レベル、社会レベルの性質の関係を統一的に説明する枠組みが求められている。
板尾と金子は人類学の報告に基づき、前近代農村社会では、家族単位で労働をすること、労働量を追加投入するほど労働量の増加に対する生産量の増加率が小さくなること(収穫逓減)、所有する富が多いほど子供の数が増えることなどに注目し、家族とその集合としての社会をモデル化した。それぞれの家族に、兄弟姉妹が親元で共同して生産する確率(すなわち拡大家族になる確率)と兄弟姉妹の間の遺産分配の不平等性を定める戦略パラメータを与え、これらのパラメータが世代交代の際にわずかな変異を伴って伝えられるとした。このモデルの進化シミュレーションを行うことで、社会内の利用可能な土地資源と、家族が生存に必要とする富という二つの環境要因に依存して、家族の戦略パラメータがいかに進化するか、またそれに伴って社会内の家族の所得分布がどのように変化するかを調べた。
シミュレーションの結果、土地資源が多い時に核家族が、少ない時に拡大家族が進化すること、生存に必要な富が多い時に平等な遺産分配が、少ない時に独占的な相続が進化することが明らかになった。利用可能な土地資源の多寡が農耕開始以来の期間により定まり、生存に必要な富の量が社会内の争いの頻度により定まり、争いの頻度が文明の極の近くで増大すると考えれば、ユーラシア大陸の周縁地域で核家族が見られ、オリエントや中国の文明の極の付近で平等な遺産分配が見られることが説明されるだろう。また、拡大家族が多い社会で貧困層が厚くなり、遺産分配が不平等な社会で富裕層が厚くなることも示された。貧困層が薄い地域で自由主義的な政策が、富裕層がさほど発達していない地域で平等主義的な政策が支持されやすいと考えれば、この結果は経済構造を介して、家族形態と社会イデオロギーの関係を説明する枠組みになることが期待される。(ただし、家族形態に応じてとるべき政策が自動的に定まると主張するわけではない。)さらに、これらの環境要因、家族形態、所得分布の関係について、世界186の社会に関する民族誌データベースを用いた統計解析により実証した。
本研究により、環境要因の違いに応じて異なる家族形態が生起すること、そして家族形態に応じて社会構造が定まることが理論的に説明された。従来の研究で、地域ごとに多様な家族形態があること、家族形態の違いが環境要因や社会構造の違いと相関することは知られていた。これに対し、本研究は環境レベル、家族レベル、社会レベルの諸要因の関係を統一的に説明し、異なる地域の現象を一般的に比較するための普遍的な枠組みを提示する。これは、モデルによる理論研究により、多様な人間社会に通底する普遍的な構造を解明する新たな方法論と普遍人類学の構想を与えるものである。民族誌や歴史記述による多様な社会の記述と、それらを比較しつつその背後にある普遍性を探求する理論研究の共同により、人間社会の一般的な理解が可能になると考えられる。
今後、板尾と金子は普遍人類学の課題として、人類史上の様々な社会現象について理論モデルを用いて、個人レベルの振る舞いと社会レベルの現象を結ぶ論理を解明していくことを企図している。そこでは社会の宗教的・政治的・経済的構造などの起源が論じられるであろう。
論文情報
Kenji Itao, Kunihiko Kaneko*, “Evolution of family systems and resultant socio-economic structures,” Humanities & Social Sciences Communications: 2021年10月20日, doi:10.1057/s41599-021-00919-2.
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