2021-09-14 東京大学
〇発表者:
多田 真嵩(一般財団法人 日本気象協会)
芳村 圭 (東京大学 生産技術研究所 教授)
取出 欣也(東京大学 生産技術研究所 特別研究員)
〇発表のポイント:
◆大気中の水蒸気同位体比の実測値を、大気大循環モデルによる大気状態の推定と組み合わせる「データ同化」を行った。
◆気温や風速など多くの気象変数の予測精度が改善することを、世界で初めて実証した。
◆対流圏の水蒸気輸送過程の理解が進み、天気予報の精度向上に直接寄与できる可能性がある。
〇発表概要:
一般財団法人 日本気象協会の多田 真嵩 氏および東京大学 生産技術研究所の芳村 圭 教授、取出 欣也 特別研究員は、人工衛星を用いて観測された大気中の水蒸気同位体比(図1)のデータを、水同位体を含んだ大気大循環モデルによる推定と組み合わせる「データ同化」(注1、図2)を行うことにより、水蒸気同位体比そのものだけでなく、大気中の気温や風速の予測精度が改善することを世界で初めて実証しました。対流圏の水蒸気輸送過程は、降水過程に直結する重要な要素であり、そのメカニズムの理解が進むとともに、今後の天気予報の精度向上に貢献できる可能性があります。今後、衛星による観測データ数の増大や同位体大気モデルの性能向上を図り、線状降水帯の予測精度向上など、より大きな改良を実現していこうと考えています。また、水の同位体比は、過去の気候の変遷を復元するための最重要の手がかりであり、その挙動の究明にも大きな期待が寄せられています。
〇発表内容:
<研究の背景>
「重い水」とは、水素や酸素の重い安定同位体である2H(重水素)や18Oを含む水分子、すなわち1H2H16O(軽い水素と酸素が1つずつに重い水素が1つ)や1H218O(軽い水素が2つに重い酸素が1つ)のことを指します。水分子は1H216O(軽い水素2つに軽い酸素が1つ)が大半を占めるため、1Hに対して2Hの個数は0.016%、16Oに対して18Oの個数は 0.2%ほどしか存在しませんが、身近な「水」には必ず含まれています。蒸発や凝結といった水の相変化が生じる際に、気体側よりも液体側に、液体側よりも固体側に重い同位体をもつ水分子がより多く分けられるという特徴(同位体分別)を持つため、相変化を繰り返しながら絶えず移動している地球上の水の循環過程の指標として古くから利用されてきました(図1)。そのような、水の同位体比を用いた地球の水循環過程解明のための研究は、2000年以降に生じた2つの技術革新によって、大きく進展しました。1つは分光分析を駆使した水同位体比観測技術の進展、もう1つは、気象予報に使う大気モデルに水同位体比を組み込むことによるシミュレーション技術の進展です。前者では、従来の質量分析法に代わり、分子ごとの吸光特性の違いを利用した分光分析法が可能になることで、現地での秒単位での高頻度観測や人工衛星からのリモートセンシングが可能となってきました。後者では、降水の同位体比が変化するメカニズムについての理解が進み、降水の同位体比の時間変化と地域分布が解明されて来ていました。
そのような背景のもと、東京大学 生産技術研究所では、世界に先駆けて、水蒸気同位体比の実測値を、水同位体を含んだ大気大循環モデルによる推定と組み合わせること、すなわちデータ同化という技術を用いることにより、気象予測の精度が改善する可能性があるということを理論的に示しました(※1)。そのことをさらに強力に裏付ける成果として、今年のはじめに出版された論文(※2)では、欧州人工衛星MetOp(Meteorological Operational Satellite Program of Europe)に搭載された分光センサーIASI(Infrared Atmospheric Sounding Interferometer、赤外線大気探測干渉計)から水蒸気同位体比の観測情報が得られるものと仮定して、本研究チームが開発してきた全球水同位体大気大循環モデル「IsoGSM」(注2)によるシミュレーション結果とデータ同化し、より精度良く水蒸気同位体比分布を推計するとともに、それにより風速や気温・比湿(大気中に含まれる水蒸気量の指標の1つ)などの大気の状況の予測精度がどの程度改善するかを確かめました。IASIによる水同位体比の観測データ数は既存の運用されている観測データの数に比べ50分の1程度ですが、追加で水同位体比を同化した場合、理想的な状況ではありますが、対流圏中層において風速、比湿、温度の予測精度が10%以上改善することが確認されました。
しかしながら、これまでの研究は、いずれも「観測データが得られたとしたら」という仮想的な状況を想定した場合の研究結果でした。このような手法は、「観測システムシミュレーション実験」またはOSSE(Observing System Simulation Experiment)と呼ばれ、人工衛星を打ち上げる前にその効果を見積もる際などに頻繁に用いられる手法なのですが、あくまでも理想的な状況を仮定するため、実際にデータとして得られた観測値を用いた検証が求められていました。
<研究内容・結果>
今回、世界で初めて、上記のIASIから水蒸気同位体比の実測データを得て、データ同化実験を行いました(図2)。具体的には、2013年4月1日から4月30日まで、IASIの水同位体比観測値のみをデータ同化した実験(DA)と、データ同化しない無観測実験(NA)とを行い、比較しました。その結果、データ同化期間においては、実際に観測された水蒸気同位体比をデータ同化することで、水蒸気同位体比だけでなく気温を含む多くの気象変数の解析精度が向上していることを実証することができました。
図3はIASIによる水蒸気同位体比をデータ同化した実験(DA)と無観測実験(NA)の誤差の空間分布や、時系列変化を表したものです。図3(a)では、水蒸気同位体比をデータ同化しなかった時(NA)とした時(DA)を比べて、どちらが観測された水蒸気同位体比分布に近いかを比較しています。データ同化することによって、エラーが小さくなったこと、すなわちマップ上で負の値(青い値)が多く出ていることが確認できました。図3(b)は、エラーを示す指標であるRMSE(自乗誤差平均平方根)の全球平均値の移り変わりを表していて、終始、NAに比べるとDAのほうが低い値を示していることが分かります。図3(c)では、対流圏中層での水蒸気同位体比の日本域付近の領域での平均値について、観測結果とNA実験とDA実験の結果を示しています。観測データを一切用いていないNA実験結果(黒)より、IASIの水蒸気同位体比をデータ同化したDA実験結果(赤)のほうが観測結果(緑)に近く、精度よく解析出来ているのが見て取れます。
図4は、図3(a)と同じような改善(青)と改悪(赤)が水蒸気同位体比以外の物理量に関しても得られているのかを、特に日本と日本の周囲の領域において確認したものです。700hPa(ヘクトパスカル、約3km上空)の湿度(a)や、500hPa(約5km上空)の気温(b)、850hPa(約1.5km上空)の風速(東西成分(c)と南北成分(d))、降水量(e)、500hPaジオポテンシャル高度(f)といったさまざまな気象要素について、改良を示す青い領域が広く見られることが分かりました。
次に、実際の気象予報での運用を想定して、水蒸気同位体比を一定期間データ同化したあと、大気の状態を一週間予測する実験を行いました。より具体的には4月1日から4月30日までデータ同化して、5月1日以降の一週間を予測したものと、4月1日から4月22日までデータ同化したあと、4月23日からの一週間を予測したものです(図5)。いずれの結果も、何もデータ同化していないよりも良くなりましたが、より長い期間をデータ同化した前者の実験の方が改善度が大きいことも分かりました(図6)。
<社会的意義・今後の予定>
水は、人間の生存に必要不可欠な資源であると同時に、その地球表層での動きは、大気や海洋の大循環から局地の気象現象に至るまで、多大な影響を与えます。したがって、地球上に遍在する水の起源や移動を把握することは極めて重要であり、そのような探求に対して、水の同位体は大きなヒントを与えてくれます。また、そのような探求を通じて、例えば古気候(注3)の解明、将来の気候変動予測、台風や豪雨などの気象災害の予報、さらに安全かつ持続可能な社会の設計など、さまざまな分野への応用が行われています。例えば、本年8月に発表された国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次評価報告書(AR6)では、過去2000年間の気候の変遷を引き合いにし、現在進行中の急激な気温上昇が人間活動に起因していることは疑う余地がないと述べられています。ここで出てきた過去2000年の気候の変遷の特定に役立っているのが水の同位体です。過去の気候を同位体から復元するためには、現在の水の同位体がどのように動いているのか、よく知る必要があり、そのためにも今回の水蒸気の同位体比の研究は重要になっています。
今回の研究では、水蒸気の同位体比をデータ同化することで気象予測の精度の改善につながるということが分かりました。今後は、より観測データを増やしたり、モデルの性能を高めたりすることや、どのような状況でどのような効果が得られるのかを詳細に調べていくことが必要です。そうすることで、例えば、台風や線状降水帯など、極端現象の予測性能の向上に繋がる可能性もあると考えています。
この研究は、日本学術振興会 国際共同研究事業 ドイツとの国際共同研究プログラム「大気データ解析における非断熱加熱の代替指標としての水蒸気同位体情報の高度応用」、文部科学省 統合的気候モデル高度化研究プログラム 領域テーマA「全球規模の気候変動予測と基盤的モデル開発」JPMXD0717935457および北極域研究加速プロジェクト(ArCS II)、科学研究費補助金16H06291・18H03794・21H05002、環境省 環境研究総合推進費「短寿命気候強制因子による気候変動・環境影響に対応する緩和策推進のための研究」の一部として行われました。
※1:Yoshimura, K., T. Miyoshi, M. Kanamitsu, Observation System Simulation Experiments using Water Vapor Isotope Information, Journal of Geophysical Research Atmosphere, 119, doi:10.1002/2014JD021662, 2014.
※2:Toride, K., K. Yoshimura, M. Tada, C. Diekmann, B. Ertl, F. Khosrawi, M. Schneider, Potential of mid-tropospheric water vapor isotopes to improve large-scale circulation and weather predictability. Geophysical Research Letters, 48, doi:10.1029/2020GL091698, 2021.
〇発表雑誌:
雑誌名:「Scientific Reports」(9月14日発行)
論文タイトル:Improving weather forecasting by assimilation of water vapor isotopes
著者:Masataka Tada, Kei Yoshimura*, Kinya Toride
DOI番号:10.1038/s41598-021-97476-0
〇問い合わせ先:
東京大学 生産技術研究所
教授 芳村 圭(よしむら けい)
〇用語解説:
(注1)データ同化
数値シミュレーションの予測結果と観測データを組み合わせる統計技術。観測されている物理量だけでなく、それと相関している別の物理量を補正することも可能。例えば水蒸気同位体比と風速が相関しているという情報が予めわかっていれば、水蒸気同位体比をデータ同化すれば、風速も補正されることとなる。
(注2)IsoGSM
水の同位体の挙動が組み込まれた大気大循環モデルの1つ。正式名称はIsotope-enabled Global Spectral Model。大気大循環モデルとは一般的な天気予報にも用いられている、気温・風速・気圧・水蒸気量といった地球上の大気の状態をシミュレートする計算プログラムのことであり、それに「重い水」の挙動も加えることで、水蒸気の同位体比や雨の同位体比などの全球分布が計算できるようになっている。
(注3)古気候
過去の気候。一般的には、人類が近代的な気象観測をする以前の、正確な値が測られていない時代の気候のことを指す。古気候を推定することに用いられる物質や指標のことを気候プロキシ(代替情報)と呼び、「重い水」を構成する水素や酸素の同位体比はその代表的な情報の1つ。
〇添付資料:
図1 「重い水」の概念図
図2 データ同化手法の概要。Tada et al., 2021 Figure S3を改変。
図3 水蒸気同位体比のデータ同化による影響を示した図。(a)では、IASI水蒸気同位体比をデータ同化した実験(DA)としなかった実験(NA)による、水蒸気同位体比のIASI観測値からの誤差(RMSD)を比べた。NAよりも誤差が減少したところは青系、誤差が増加したところは赤系で示している。(b)は、一日ごとに計算される全球平均誤差(RMSD)の時系列変化。(c)は、一日ごとの日本域平均値。緑の点で示したIASIの観測値は、データ同化にも使用され、検証にも使われている。Tada et al., 2021 Figure 1を引用。
図4 IASI水蒸気同位体比をデータ同化した実験(DA)としなかった実験(NA)の、代表的な大気指標についての評価。700hPaの水蒸気量(a)、500hPaでの気温(b)、850hPaの東西風速(c)、850 hPaの南北風速(d)、降水量(e)、ジオポテンシャル高度(f)。DA実験において、NA実験よりも誤差が減少したところは青系、誤差が増加したところは赤系で示している。Tada et al., 2021 Figure 2を引用。
図5 予測実験の概念図。IASI水蒸気同位体比観測値を、4月1日から4月30日までデータ同化し、その後5月1日から5月7日まで予測した実験1と、同様に4月1日から4月22日までデータ同化し、その後4月23日から29日まで予測した実験2を、それぞれデータ同化を行わない実験(NA)と比較した。Tada et al., 2021 Figure S2を改変。
図6 予測実験1(青)及び予測実験2(黄色)による、それぞれの予測開始後一週間の全球平均誤差(RMSE)の減少量。上の段左側から降水量(a)、地表2mでの気温(b)、地表10mでの風速(c)、500 hPaでの渦度(d)、700 hPaでの水蒸気量(e)、600 hPaでの1H2H16Oの量(f)。縦軸は共通して、RMSEの相対的な減少量を%で表示しているため、負の値が大きいほど大きな改善を表している。Tada et al., 2021 Figure 4を改変。