2021-07-30 東京大学
発表概要
京都大学大学院理学研究科の横井太一 修士課程学生、馬斯嘯 同修士課程学生(現:富士通株式会社)、笠原裕一 同准教授、笠原成 同特任准教授(現:岡山大学異分野基礎科学研究所教授)、松田祐司 同教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科の芝内孝禎 教授、東京工業大学理学院物理学系の田中秀数 教授、栗田伸之 同助教、横浜国立大学大学院工学研究院の那須譲治 准教授、東京大学大学院工学系研究科の求幸年 教授の研究グループは、ドイツのケルン大学と共同で、2次元的な平面構造をもつある種の磁性体において現れる「非可換エニオン1」と呼ばれる粒子(正確には準粒子2)の性質を解明しました。
我々の住む3次元世界では、2つの同種の粒子を2回入れ替えると必ず元の状態に戻ってしまいます。これに対し非可換エニオン粒子は、2回入れ替えても元には戻らない(非可換)という奇妙な性質をもち(図中央)、トポロジカル量子コンピューター3と呼ばれる環境ノイズに強い量子コンピューターの動作を可能にする基本粒子です。今回注目した物質はα-RuCl3(塩化ルテニウム)と呼ばれる蜂の巣状の平面構造をもつ磁性絶縁体で、非可換エニオン粒子が存在することを示唆する「半整数熱量子ホール効果4」(図左)が観測されていました。非可換エニオンは、自身が反粒子と同一であるマヨラナ粒子5で構成され、熱ホール効果の符号は、マヨラナ粒子の動きが右ひねりと左ひねりのメビウスの輪のどちらに対応するか、というようなトポロジー6により決まります。非可換エニオンの存在を決定的にするためにはそのトポロジーの詳細を明らかにする必要があります。
研究グループは、半整数熱量子ホール効果の符号が磁場の方向により逆転する現象を発見し、半整数熱量子ホール効果が現れる磁場方向を特定することで、非可換エニオン粒子のトポロジーを決定することに成功しました。本研究により明らかとなった非可換エニオン粒子のトポロジー(図右)は理論模型と良い一致を示し、非可換エニオン粒子が物質中に安定して存在することが明らかになりました。このことは、トポロジカル量子コンピューターを実現するうえでα-RuCl3が有力な候補物質であることを示しています。
本成果は、2021年7月29日(現地時間)に米国の科学雑誌「サイエンス(Science)」にオンライン掲載されました。
画像提供:物理系VTuber固体量子
発表内容
1.背景
現代のコンピューターを遥かに凌駕する性能をもつ量子コンピューターの開発は、現在世界中で盛んに行われています。メディアで紹介されている量子コンピューターでは、主として電子や光を使う方法が用いられています。しかしながら、従来の量子コンピューターは、熱擾乱などの環境ノイズによって量子の状態がすぐに変化してしまうという大きな弱点を持っています。このような弱点を克服するために、トポロジカル量子コンピューターと呼ばれる新しい動作原理に基づく方式が提唱されてきました。トポロジカル量子コンピューターでは物質のもつトポロジーを用いて量子情報を保護します。これを実現するうえで鍵となるのは、物質中で創発される非可換エニオン粒子と呼ばれる奇妙な性質を持った粒子を使うことです。我々の住む3次元空間には、ボゾンとフェルミオンと呼ばれる2種類の粒子しか存在しないことが知られていますが、どちらの粒子も同種粒子を2回入れ替えると元の状態に戻ります。しかしながら2次元の世界には、ボゾンでもフェルミオンでもない特殊な粒子が存在し、そのなかでも非可換エニオン粒子と呼ばれる粒子は同種粒子を2回入れ替えても元の状態には戻りません(発表概要内模式図参照:2回入れ替えることは、ひとつの粒子を別の粒子のまわりで一周させることと等価です)。非可換エニオン粒子を利用することで、量子コンピューターの基本素子である量子ビットを構成することができ、粒子の入れ替え自体が量子計算のステップの一部となります。トポロジカル量子計算のステップは、粒子を交換する順番のみに依存し、環境ノイズに対して安定的に量子計算を行うことが可能になると考えられており、量子コンピューター実現のワイルドカードとして期待されています。
非可換エニオン粒子は、自分自身がその反粒子と同一という不思議な性質をもつマヨラナ粒子により構成される複合粒子で、2次元物質において創発されることが明らかになっています。最近になって様々な物質でマヨラナ粒子が現れることが指摘され、トポロジカル量子コンピューターの実現を念頭に非可換エニオン粒子の探索が物質科学の中心課題のひとつとなっています。これまで超伝導体を中心に精力的な探索が行われてきましたが、決定的な証拠は得られていませんでした。そのようななか、新しい物質系としてキタエフ量子スピン液体7と呼ばれる状態を示す磁性絶縁体が注目されています。通常の磁性体では温度を下げていくと、磁性を担う電子スピン8は凍結して整列し磁石となります。キタエフ量子スピン液体では、絶対零度においてもスピンが凍結しないだけでなく、電子スピンが複数のマヨラナ粒子に分裂し、さらに磁場をかけると非可換エニオン粒子が創発されることが理論的に提案されていました。我々のグループはキタエフ量子スピン液体の候補物質である磁性絶縁体α-RuCl3において実験的研究を行い、物質中にマヨラナ粒子および非可換エニオン粒子が存在することの証拠を与える半整数熱量子ホール効果を観測することに成功しました(2018年Nature誌)9。しかしながら、現実物質において量子計算の鍵となるこれらの粒子のトポロジカルな特性の詳細はほとんどわかっていませんでした。
2.研究手法・成果・今後の展望
共同研究グループは、キタエフ量子スピン液体の候補物質である磁性絶縁体α-RuCl3の量子スピン液体状態において、熱ホール伝導度を非常に高い精度で測定しました。その結果、半整数熱量子ホール効果が磁場を蜂の巣格子面に平行にかけた場合にも半整数量子化が起こることを発見しました。また、磁場を蜂の巣格子面に垂直な方向から±60°傾けたときに半整数熱量子ホール効果の符号が反転することも明らかになりました(図1)。
図1: (左上)面内磁場(H || −a, H || b)におけるα-RuCl3の熱ホール伝導度の磁場依存性。H || −aにおいて、磁場を変化させると、ある磁場範囲で熱ホール伝導度が量子化熱伝導度の1/2で一定となり、半整数熱量子ホール効果が観測された。一方、H || bでは熱ホール伝導度はほぼゼロとなった。(左下)H || −a, H || bにおける熱ホール効果のイメージ図。(右)傾斜磁場(±60°)における熱ホール伝導度の磁場依存性。+60°と−60°で半整数熱量子ホール効果の符号が反転する。
量子ホール効果はこれまで2次元電子系において観測されており、試料の端(エッジ)にはエネルギー散逸がなくトポロジカルに保護された電子の「エッジ流」10が流れます。これは強い磁場の中で電子がサイクロトロン運動11という円運動を行うことに起因しています。サイクロトロン運動は磁場に垂直な平面で起こるため、量子ホール効果の実現には2次元面に垂直な磁場成分が必要であり、これより電子のもつトポロジーも決定されます。一方、電気の流れない絶縁体であるα-RuCl3において面に平行な磁場のみで半整数熱量子ホール効果が観測されることは、電子系とは本質的に異なる量子ホール効果が起こっていることを如実に示しています。そして半整数熱量子ホール効果が現れることは、エッジ流が動き回るマヨラナ粒子により運ばれ、試料内部には非可換エニオン粒子が存在することを示しています。電子系におけるホール効果の符号は、電流を運んでいる電荷の符号が正か負かによって決まります。これに対しマヨラナ粒子は電気的に中性です。今回の場合、半整数熱量子ホール効果の符号は、マヨラナ粒子の動きが右ひねりと左ひねりのメビウスの輪のどちらに対応するか、といったようなトポロジーにより決まります(図2)。
図2:(左)通常の量子ホール効果状態とキタエフ量子スピン液体における半整数熱量子ホール効果状態のイメージ図。通常の量子ホール効果では、エッジ流は電子により運ばれる。その起源は電子の円運動(サイクロトロン運動)である。一方、キタエフ量子スピン液体においてエッジ流はマヨラナ粒子により運ばれる。(右)理論模型による半整数熱量子ホール効果の符号の角度依存性。正と負の符号はマヨラナ粒子がそれぞれ右ひねりと左ひねりのメビウスの輪に対応することを示す。
観測結果から得られた熱量子ホール効果の符号は、図2に示す理論予想とほぼ一致することが明らかになりました。現実物質では理論模型では考慮されていない相互作用があると考えられますが、本研究成果はそのような相互作用によらずマヨラナ粒子や非可換エニオン粒子が安定して物質中に存在することを示しています。
本研究により、マヨラナ粒子や非可換エニオン粒子のもつトポロジーがはじめて実験的に示されました。今後はトポロジカル量子計算が現実に可能であるかの実証にむけて、これらの粒子を直接検出し操作する方法の開発を目指します。
3.研究プロジェクトについて
本研究は日本学術振興会 科学研究費補助金(課題番号:15H02106, 15K13533, 16H02206, 16H00987, 16K05414, 17H01142, 18H01177, 18H01180, 18H04223, 18H05227, JP19K03711)、同 科学研究費補助金 新学術領域研究「トポロジーが紡ぐ物質科学のフロンティア」(課題番号:JP15H05852)および「量子液晶の物性科学」(課題番号:JP19H05824)、JST CREST研究領域「トポロジカル材料科学に基づく革新的機能を有する材料・デバイスの創出」(課題番号:JP-MJCR18T2, JP-MJCR19T5)の支援を受けて行われました。
用語解説
1非可換エニオン粒子:自然界に存在する粒子は、ボーズ粒子とフェルミ粒子に分類される。2つの粒子を入れ替えたときには波動関数に1またはー1がかかるが、前者の場合がボーズ粒子、後者がフェルミ粒子である。物質中の準粒子については、ある条件のもとでは2つの粒子の交換について波動関数に1でもー1でもない複素数がかかることがあり、このような準粒子をエニオン粒子と呼ぶ。エニオン粒子の交換前後での状態が区別できない場合と元の状態とは異なる別の状態に変わってしまう場合があり、前者を可換エニオン粒子、後者を非可換エニオン粒子と呼ぶ。
2準粒子:物質が示す最もエネルギーが低い状態(基底状態)から少しエネルギーを与えた状態は、ほとんど相互作用のない仮想的な粒子が付け加えられた状態としてみなすことができる。このような粒子は「準粒子」と呼ばれ、物質の物理的性質の多くはこの準粒子の性質によって決まる。
3トポロジカル量子コンピューター:0または1の値をとるビットを用いる従来のコンピューターに対し、0と1の量子力学的重ね合わせ状態を取ることができる量子ビットを用いて超並列性を実現できるコンピューターは、量子コンピューターと呼ばれる。トポロジカル量子コンピューターでは系のトポロジー(後述6)を用いて量子情報を保護することで、環境ノイズに対して安定的に量子コンピューティングを行うことが可能になると考えられている。
4ホール効果:金属や半導体中の電子は磁場下で電磁気学的な力(ローレンツ力)を受けて軌道が曲げられ、電流と垂直方向に電圧が、熱流と垂直方向に温度勾配が生じる。前者を電気ホール効果、後者を熱ホール効果と呼ぶ。電気の流れない絶縁体ではローレンツ力によるホール効果は生じないが、電荷を持たない粒子が熱を運び、熱ホール効果を示すことがある。そして試料に強い磁場をかけたとき、電気ホール伝導度や熱ホール伝導度が物質の詳細によらず量子化値の整数倍(整数量子ホール効果)または分数倍(分数量子ホール効果)となる現象を量子ホール効果と呼ぶ。量子化電気伝導度、量子化熱伝導度はそれぞれe2/h(電気素量e、プランク定数h)、(π/6)(kB2/ħ) = 9.5×10-13 W/K2(ボルツマン定数kB、ħ = h/2π)である。
5マヨラナ粒子:イタリアの物理学者エットーレ・マヨラナによって1937年によって提案された素粒子をマヨラナ粒子と呼ぶ。ニュートリノがマヨラナ粒子の候補とされているが、素粒子としてはその存在が実証されていない「幻の粒子」。
6トポロジー:連続的に変形させても保たれる性質をトポロジー(位相幾何学)と呼ぶ。例えば、取っ手のついたコーヒーカップとボールは穴の数というトポロジーで区別できる状態であり、連続的に移り変わることはできない。この要請により、トポロジカル状態は不純物などの擾乱の影響を受けないという特徴がある。
7キタエフ量子スピン液体:通常、物質の温度を下げると物質を構成する原子や分子が周期的に整列した固体となる。しかし、量子力学的なハイゼンベルグの不確定性原理による量子ゆらぎの影響が顕著な場合、絶対零度まで固体になれずに液体のままでとどまることがある。このような状態は「量子液体」と呼ばれ、液体ヘリウムがよく知られている。量子スピン液体は量子液体のスピン版ともいうべきもので、絶対零度までスピンの向きが揃わず動き回った状態を指す。キタエフ量子スピン液体は2006年にアレクセイ・キタエフ(米国カリフォルニア工科大)によって提案された蜂の巣状の結晶格子構造をもつ磁性体における量子スピン液体状態を指す。基底状態が厳密に量子スピン液体状態であるだけでなく、トポロジカル量子計算を実現し得る模型として知られる。
8電子スピン:電子の持つ量子力学的な内部自由度(粒子を区別する性質)のひとつ。その性質は磁石と対応する。
9 Y. Kasahara et al., Nature 559, 227-231 (2018). https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2018-07-12 幻の粒子「マヨラナ粒子」の発見 ートポロジカル量子コンピューターの実現に期待ー
10トポロジカルに保護されたエッジ流:異なるトポロジーで特徴づけられる2種類の物質が接するとき、その境界(例えば真空に接するトポロジカル物質の試料端)では擾乱による影響を受けない伝導状態が現れる。
11サイクロトロン運動:一定の磁場のもと、電子などの荷電粒子が磁場からローレンツ力を受けて起こす円運動。
研究者のコメント
トポロジカル量子コンピューターの実現にはクリアすべきステップが数多くありますが、本研究成果は非可換エニオン粒子の存在を実証しそのトポロジーを決定するという、基盤学理構築という点で非常に重要な成果であり、トポロジカル量子コンピューター開発における大きな一歩であると考えています。有力な候補物質の発見を受けて、今後、飛躍的に研究が進展することが期待されます。
論文情報
タイトル:Half-integer quantized anomalous thermal Hall effect in the Kitaev material candidate α-RuCl3(キタエフ候補物質α-RuCl3における半整数量子化異常熱ホール効果)
著者:T. Yokoi†, S. Ma†, Y. Kasahara*, S. Kasahara, T. Shibauchi, N. Kurita, H. Tanaka, J. Nasu, Y. Motome, C. Hickey, S. Trebst, and Y. Matsuda*(†:equal contribution、*:責任著者)
掲載誌:Science
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