日常生活の情報化を支える超高記録密度・省エネ磁気メモリの実現に大きく前進
2019-12-03 量子科学技術研究開発機構
発表のポイント
- 電子スピンを自在に操ることができる積層材料の実現により、超高記録密度な磁気メモリの実現など情報技術の発展に新たな道筋
- 世界で初めて電子スピンの制御と保持の性能に最も優れたホイスラー合金とグラフェンからなる積層材料の開発に成功し、電子スピンの自在な操作が可能に
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫、以下「量研」)量子ビーム科学部門の李松田主任研究員、境誠司プロジェクトリーダーらは、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(機構長 山内正則)物質構造科学研究所の雨宮健太教授、国立研究開発法人物質・材料研究機構(理事長 橋本和仁)の桜庭裕弥グループリーダーらとの共同研究により、電子スピンを使った情報処理に重要な、電子スピン1)の向きを揃える性能とスピンの向きを保つ性能のそれぞれに最も優れるホイスラー合金2)とグラフェン3)からなる積層材料の開発に成功しました。この新しい材料により電子スピンの自在な操作が可能になることで、超高記録密度で省エネな磁気メモリ4)の実現など、日常生活の情報化を支える情報技術の発展に新たな道が拓かれることが期待できます。
近年、次世代の情報技術としてスピントロニクス5)が注目を集めています。従来のエレクトロニクスでは、電子のある/なしを情報処理に用いますが、スピントロニクスでは、さらに電子のスピンの上向き/下向きをデジタル情報として扱うことで、飛躍的に高速で省エネルギーなデバイスを実現できます。スピントロニクスデバイスは、スピンの向きを制御した電流を生み出す磁性体とそのような電流を伝える非磁性体を組み合わせることで、スピンの向きを操作して情報処理を行うため、そのようなデバイスには磁性体と非磁性体を積層した材料が用いられます。今回、研究チームは、スピントロニクスデバイス用の新しい積層材料として、磁性体の中でスピンの向きを揃える性質に最も優れるホイスラー合金と、非磁性体の中でスピンの向きを保つ性質に最も優れるグラフェンからなる材料の開発に世界で初めて成功しました。この新しい積層材料により電子スピンの自在な操作が可能になることで、スピントロニクスによる情報技術の発展に新たな道筋が開かれました。それにより、今後、超高記録密度で省エネな磁気メモリの実現により身の回りの膨大な情報を自在に記録して利用できるようになることや、人間の活動を自然にサポートしてくれるアシスト技術の出現など、情報技術がより便利で生活に密着したものに進歩していくことが期待できます。
本成果は、Advanced Materials誌のオンライン版に2019年12月3日(火)12:00(現地時間)に掲載されます。
研究の背景
近年、情報機器の高性能化やインターネットの発達など情報化社会の発展に伴い、電子のスピンを利用することで多くの情報を少ない電力で保存できる磁気メモリのさらなる高記録密度化が求められています。磁気メモリは、電子スピンの向きが揃った電流(スピン偏極電流)を生み出す磁性体の層(磁性層)とスピン偏極した電流を伝える非磁性体の層(スペーサー層)を積み重ねた積層材料からなる磁気抵抗素子6)で出来ています。磁気抵抗素子は、積層材料を流れるスピン偏極電流の大/小が(電気抵抗)がスペーサー層の上下にある電極層の磁気の向き(磁石の方向)に応じて変化する磁気抵抗効果という現象を利用してデジタル情報の0/1を記録します。
現在のハードディスクやMRAMなどの磁気メモリにはトンネル磁気抵抗素子6)という種類の磁気抵抗素子が使われています。トンネル磁気抵抗素子には、磁性層として強磁性金属、スペーサー層として絶縁性の酸化物からなる積層材料が用いられています。この素子は、スピン偏極電流に含まれる電子のスピン偏極率2)の大きさを反映して磁気抵抗比6)が高いことが特徴ですが、スペーサー層に絶縁体を用いているため電気抵抗が高く、電気抵抗を下げようとして酸化物の厚さを薄くすると、酸化物の質が低下して磁気抵抗比が下がってしまう問題を抱えています(図1)。そのため、現在の磁気抵抗素子では、電子のスピン偏極率を反映する磁気抵抗比の高さとスピン偏極電流が流れる際の電気抵抗の大きさを、次世代の磁気メモリに必要とされる領域(黄色で示した領域)に合わせることができていません。このように、磁気メモリをさらに高記録密度化するためには、高スピン偏極率の電流を低抵抗で流すことができる、即ち、電流に含まれる電子のスピンを効率良く操作できる積層材料を開発する必要がありました。
図1 (左) 次世代の磁気メモリ(ハードディスクドライブ, MRAM)に必要とされる特性(黄色の領域,緑線)と現在のトンネル磁気抵抗素子(青色の領域)の比較 (右)ハードディスクドライブの記録密度の年次推移
左図の黄色の領域と緑線脇の数値はハードディスクドライブとMRAMの記録密度を表しています。なお、現在のハードディスクドライブとMRAMの記録密度はそれぞれ1 Tbit/in2(右図)、0.2 Gbit程度です。一般に、磁気抵抗素子は、磁気抵抗比が高く電気抵抗が低いほどスピンの向きの検出感度が高くなり、磁気メモリの記録密度を高めることができます。図から明らかなように、現在のトンネル磁気抵抗素子では、次世代の超高記録密度な磁気メモリに必要とされる高磁気抵抗比で低抵抗な特性を得ることが難しく、このことが次世代磁気メモリの開発を妨げる要因になっています。
出典:A. Hirohata, Materials (2018)
成果の詳細
今回、研究チームは、電子スピンの効率的な操作が可能で、高スピン偏極率の電流を低い電気抵抗で流すことができる積層材料を実現するための新しいアプローチとして、磁性体の中で最もスピン偏極率が高いホイスラー合金と非磁性体の中でスピンの伝達能力に最も優れるグラフェンを積層することを考えました(図2)。
グラフェンと磁性金属の積層材料は、これまでニッケルやコバルトなど一般的で構造が単純な磁性金属を用いて作製されてきましたが、ホイスラー合金のように多種類の元素を含み複雑な構造を持つ金属材料とグラフェンの積層化は世界に例がありませんでした。そこで研究チームは、はじめにグラフェンとホイスラー合金薄膜を積層化する作製技術の開発に取り組みました。試料の酸化を防ぐために超高真空を保ちながら、マグネトロンスパッタリング法7)と化学気相成長法8)という手法を用いてホイスラー合金とグラフェンを順次成長する技術を開発し、試料の作製条件を最適化した結果、ホイスラー合金の一種であるCFGG合金薄膜(組成:Co2FeGe0.5Ga0.5)の表面に厚さが一原子層のグラフェンが完全に覆うように成長した積層材料を作製することに成功しました(図2)。これにより、世界で初めてグラフェン/ホイスラー合金積層材料を実現しました。
図2 グラフェン/ホイスラー(CFGG)合金積層材料(左)と材料表面のグラフェンの原子
さらに、研究チームは、深さ分解X線磁気円二色性分光9)という放射光を用いた分析技術を使って、グラフェン/CFGG合金積層材料に含まれるグラフェンとCFGG合金の状態を調べました(図3)。その結果、グラフェン/CFGG合金積層材料では、グラフェンとCFGG合金が接する界面と呼ばれる領域でも、CFGG合金が本来持っている磁気的な性質や高いスピン偏極率が失われていないことが分かりました。また、グラフェンについても、ディラックコーン10)と呼ばれる特徴的な電子状態が保たれていることが分かりました。これらの結果から、グラフェン/CFGG合金積層材料では、それぞれの材料が本来持っている電子スピンの向きを完全に近く揃える性質とスピンの向きを保ったまま低抵抗で伝えることができる性質が積層した状態でも保たれており、磁気抵抗素子への応用に理想的といえる、スピン偏極電流の効率的操作に最適な状態が実現されていることが明らかになりました。
図3 グラフェン/CFGG合金積層構造のCFGG合金に含まれるCo原子とFe原子の磁気の強さを表す磁気モーメントの表面からの深さによる変化(左)と各深さにおけるCFGG合金のスピン偏極率(右) 左図について、黄色で示した領域(約4Å)はグラフェン(厚さ3Å)との界面に相当します。また、破線は界面から離れたCFGG合金内部の磁気モーメントの値を示しています。右図のフェルミ準位は、電流として流れることができる電子のエネルギーを指しています。深さがグラフェンとの界面(約4Å)に近づいてもフェルミ準位のスピン偏極率は100%に近い高さを保っています。
今後の展望
今回、電子のスピン偏極率が最も高いホイスラー合金と電子のスピンを伝える性質に最も優れるグラフェンを積層する技術を開発し、スピン偏極電流の効率的操作に最適な積層材料を実現できたことで、磁気メモリの高記録密度化などスピントロニクスによる情報技術の発展に新しい道筋が開かれました。現在、研究チームでは、グラフェン/CFGG合金積層材料を用いた磁気抵抗素子の開発を進めています。また、今後も原子スケールの材料の積層化や複合構造による電子・磁気的性質の制御や機能化に注目して研究を行い、スピントロニクス材料・デバイスの高度化による情報技術の発展に貢献します。
本成果は、JSPS科研費18K13985「原子層物質を用いた高スピン偏極面直電流磁気抵抗素子の研究」(研究代表者:李 松田)、16H03875「グラフェン/酸化物磁性体接合の磁気近接効果とスピン流制御の研究」(研究代表者:境 誠司)などの援助により得られました。
用語解説
- 電子スピン、スピン偏極率電子の自転により生じる磁石の性質をスピンといいます。スピンには上向きと下向きという2つの状態があります。材料の中で電子スピンの向きの分布が上向きに偏ることをスピン偏極といいます。また、スピン偏極の度合いはスピン偏極率(P)として表され、上向きスピンを持つ電子の数(Dup)と下向きスピンを持つ電子の数(Ddown)によってP=(Dup-Ddown)/(Dup+Ddown)と定義されます。
電子のスピン
電子のスピンには上向きと下向きの二つの状態があります。スピントロニクスでは、例えば、スピンの上向きを0、下向きを1のデジタル情報として演算や記憶を行います。
ホイスラー合金ハーフメタルと呼ばれる磁石(磁性体)の一種です。ハーフメタルとは、例えば、上向きスピンが金属的な状態を持つ一方で下向きスピンはバンドギャップと呼ばれる半導体的な状態を持つために、電流として材料の中を流れることができるフェルミ準位付近の電子(伝導電子)のスピンの向きが一方向(図では上向き)に完全に揃っている材料を指します。ホイスラー合金は、そのようなハーフメタルの一種ですが、室温より遙かに高い温度まで磁石の性質を保つことができることなど実用に適した特性を持つことから、スピントロニクスデバイスの材料として注目されています。
ハーフメタルの電子状態の模式図
- グラフェン炭素原子が蜂の巣状に結合してできた厚さが1原子のシート状の物質です。シリコン等と比較して数桁以上も高速に電子を運ぶことができ、スピン軌道相互作用と呼ばれる電子のスピンの向きに乱れが生じる原因になる作用が全物質の中で最も弱いこと等の特徴を持つことから、スピントロニクスへの応用が期待されている材料です。また、厚さが1原子の状態でも安定に存在できることや軽量かつ高強度であること、化学処理等によりその性質を幅広く制御できることなどの特徴から、スピントロニクスデバイスに限らず、バイオセンサーや電池、飛行機の部材など様々な応用が期待されており、多くの分野で実用化を目指した研究開発が進められています。
- 磁気メモリ微小な磁石(スピンの集合体)を使ってデジタル情報を記録するメモリの総称です。磁気メモリは磁性体のスピンの向きにより情報を記録しているので、電源がなくても情報が失われません。磁気メモリの種類には、円盤上に塗布した磁性体の磁気の向き(上向き/下向き)を磁気抵抗素子5)で検出することによりデジタル情報(0/1)を読み出すハードディスクドライブと、磁気抵抗素子そのものに含まれる磁性体の磁気の向きに応じた素子の電気抵抗の変化(高抵抗/低抵抗)をデジタル情報(0/1)として読み出す磁気ランダムアクセスメモリ(MRAM)があります。
- スピントロニクス電子のスピンの向き(上向き/下向き)をデジタル情報の0と1のように扱い、これを制御したり識別したりすることで情報の処理を行う技術です。電子の電荷に加えてスピンを情報処理に用いることで、今日の情報技術が直面する電力消費の肥大化などの問題を克服することができる技術として注目されています。
- 磁気抵抗素子、磁気抵抗比磁性体からなる磁性層と非磁性体からなるスペーサー層を磁性層/スペーサー層/磁性層の順に積み重ねた積層材料からなる素子を磁気抵抗素子と呼びます。磁気抵抗素子では、上下の磁性層の磁気の相対的な向き(平行/反平行)に応じて素子の電気抵抗が変化(大/小)する磁気抵抗効果と呼ばれる現象を利用してデジタル情報(0/1)を記録します。現在、磁気メモリに使われている磁気抵抗素子は、トンネル磁気抵抗素子と呼ばれるものです。このトンネル磁気抵抗素子では、絶縁体の酸化物がスペーサー層に使われており、電流は、上下の磁性層の間をスペーサー層を介したトンネル効果により流れます。磁気抵抗素子の性能の指標として、磁性層の磁化の向きにより電気抵抗が変化する割合を百分率で表したものを磁気抵抗比と呼びます。
磁気抵抗素子の模式図
矢印は磁性層の磁気の向きを表しています。
7. マグネトロンスパッタリング法
アルゴンなどの不活性ガスを数百ボルトの電圧をかけながら真空中に導入することで放電を発生させ、それによって生じた電子を磁場により囲い込むことでターゲットの近くに密度が濃いプラズマを生成し、そこから生じたイオンをターゲットに衝突させる事で、ターゲットの表面からたたき出された原子等を基板上に堆積させて薄膜を成長させる方法です。
8. 化学気相蒸着法
目的とする薄膜の成分を含む原料ガスを供給し、試料表面における原料ガスとの化学反応を利用して薄膜を成長させる方法です。
9. 深さ分解X線磁気円二色性分光
X線磁気円二色性分光とは、磁性体の試料に円偏光X線を照射するとX線の吸収量が試料の磁化(磁石)の方向に応じて変化する現象(磁気円二色性)を計測することで、試料の磁気的な性質を調べる分光手法です。X線のエネルギーを特定の元素の吸収端付近に合わせて測定することで、試料に含まれる個々の元素の磁気モーメント(磁気の強さ)を調べることができます。深さ分解X線磁気円二色性分光は、上記に深さ分解の機能を持たせた手法で、X線の吸収に伴い試料の表面から放出される電子を放出角度により分別して測定することで、放出角度に応じた検出深さの変化を利用して、試料表面からの深さに応じた磁気モーメントの変化を調べることができます。
深さ分解X線磁気円二色性分光の模式図
10. ディラックコーン
グラフェンは、炭素原子がシート状に並んだ形態に起因して電子の状態に特徴的な円錐型の構造が現れます。そのような構造をディラックコーンと呼びます。ディラックコーンの電子は、グラフェンの中を高速に流れることができます。
グラフェンのディラックコーン
グラフェンの中の電子は、ディラックコーンと呼ばれる円錐型の運動量(速度)の分布を持ちます。青色の部分は、電子が存在する領域を表しています。
論文について
Graphene/half-metallic Heusler alloy: a novel heterostructure towards high-performance graphene spintronic devices
Songtian Li1,2, Konstantin V. Larionov3,4, Zakhar I. Popov3,5, Takahiro Watanabe1, Kenta Amemiya6, Shiro Entani1,2,3, Pavel. V. Avramov7, Yuya Sakuraba8, Hiroshi Naramoto1, Pavel B. Sorokin1,2,3,4, and Seiji Sakai1,2,8
1Quantum Beam Science Directorate, National Institutes for Quantum and Radiological Science and Technology QST, 1233 Watanuki, Takasaki 370-1292, Japan
2Advanced Study Laboratory, National Institutes for Quantum and Radiological Science and Technology QST, 4-9-1 Anagawa, Inage, Chiba 263-8555, Japan.
3Laboratory of Inorganic Nanomaterials, National University of Science and Technology MISiS, 4 Leninskiy prospect, Moscow 119049, Russian Federation
4Technological Institute for Superhard and Novel Carbon Materials, 7a Centralnaya Street, Troitsk, Moscow 108840, Russian Federation
5Emanuel Institute of Biochemical Physics RAS, Moscow 199339, Russian Federation
6Photon Factory, Institute of Materials Structure Science, High Energy Accelerator Research Organization, 1-1 Oho, Tsukuba 305-0801, Japan
7Department of Chemistry, College of Natural Sciences, Kyungpook National University, Daegu 702-701, Republic of Korea
8Research Center for Magnetic and Spintronic Materials, National Institute for Materials Science, 1-2-1 Sengen, Tsukuba 305-0047, Japan