放射光により原子の形を自在に変えることに成功~放射光による量子状態制御の応用~

ad

2019-12-04   分子科学研究所

概要

九州シンクロトロン光研究センターの金安達夫副主任研究員(分子科学研究所客員准教授)、富山大学の彦坂泰正教授、広島大学の加藤政博教授(分子科学研究所特任教授)らの共同研究グループは、極端紫外領域(注1)の放射光(注2)を用いて、ヘリウム原子の空間的な形状を操作することに成功しました。この操作は、数10アト秒(1アト秒は100京分の1秒)という極めて高い時間分解能で、異なる二つの電子軌道(注3)を重ね合わせる(注4)ことによって実現されました。

共同研究グループは、放射光を用いて物質の状態を操作するための技術開発に取り組んできました。アンジュレータという光源装置を二台用いて二つの放射光パルスを発生し、その時間差をアト秒の精度で制御することにより、原子内の電子を狙った軌道に選択的に遷移させることができることを最近示しました。今回、このアト秒精度の制御技術をさらに発展させ、ヘリウム原子の二つの軌道を重ね合わせて、電子雲の向きや形を精密に操作することに成功しました。この手法は短波長化が容易であり、今後、X線までもの短波長の光を用いた電子雲の操作という未開拓の研究分野を切り開くことができます。そのような放射光による電子状態の操作により、物質機能の探索およびデザイン、高速動作デバイスの開発といった多様な応用に繋がるものと期待されます。

本研究成果は、米国の科学雑誌Physical Review Letters (2019年12月6日号)の掲載に先立ち、オンライン版(2019年12月3日付)に掲載されました。

研究の背景

あらゆる物質は原子や分子から構成されており、それらが結び付きあって様々な性質を発現しています。その結合や性質の担い手は「電子」です。もし物質中の電子を自在に操ることができれば、物質のより有益な特性を引き出すことが出来るでしょう。たとえば、スピントロニクスでは電子が持つスピンの性質の制御が鍵となっていますが、電子を操作することによって新しい概念の半導体素子を創出できるかもしれません。化学反応においても、化学結合に関わる電子を操作することにより、効率的に反応を引き起こすことも可能となるかもしれません。そのような電子操作技術の基礎研究として、近年、物質を構成する基本単位である原子や分子を用いて、その中を動き回る電子を光を用いて制御する研究が盛んに行われています。

原子の中では、中心にある原子核の周りで電子が運動しています。この電子の運動は太陽の周りをまわる惑星の公転運動になぞらえることも多いのですが、その軌跡は線ではなく空間的に広がった「波動関数」として量子力学(注5)では表現されます。波動関数は原子の中のどこに電子がいるか、その存在確率を与えるものですが、その波動関数で描かれる電子の様子はまるで原子核を取り巻く雲のようであり「電子雲」とも表現されます。原子の中の電子は光を吸収するとエネルギーが高い軌道へ移りますが、軌道の種類に応じて電子雲は様々な形状に変化します。このとき、量子力学の考え方によれば、二つの軌道への遷移を重ね合わせれば、それら個々の軌道の電子雲とは異なった形状の電子雲を形成することができます。ただし、原子内の電子はアト秒という極めて短い時間スケールで動いていますので、二つの軌道の重ね合わせのタイミングの調整にもアト秒の時間精度が要求されます。

このような短い時間スケールでの光の制御には、高度なレーザー技術が必須であるとこれまでは考えられてきました。実際に最先端のレーザー光源を用いて、可視光などの波長域を中心に原子や分子の中を動く電子の操作の研究が進められています。一方、X線のような短い波長域での電子の操作に必要とされる高度に制御されたX線レーザーの実現にはまだまだ技術的な困難が大きい状況です。最近、共同研究グループは、レーザー光源を利用した手法とは全く異なるアプローチである「放射光を用いたアト秒の量子状態制御法」の開発に成功しました注)。放射光源は赤外線からX線までの広い波長範囲をカバーし、さらに光の偏光状態や波としての継続時間を厳密に設定できる特徴を持ちます。つまり共同研究グループが開発した手法は、既存手法による量子状態制御の限界を打ち破る可能性を秘めていると言えます。こうした状況のもと、共同研究グループは、放射光による量子状態制御の拡張の第一歩として円偏光(注6)を利用することに着想しました。そして単純なヘリウム原子をターゲットとして、軌道の重ね合わせを利用した電子雲の形状操作の実現に挑みました。

注)2019年11月5日プレスリリース
「放射光による原子の量子状態制御に世界で初めて成功!」https://www.ims.ac.jp/news/2019/11/05_4463.html

研究の成果

分子科学研究所の放射光施設UVSORの光源開発ビームラインBL1Uを用いて、ヘリウム原子の電子雲の形状操作の実験は行われました。ヘリウム原子では二つの電子が原子核のまわりを周っていますが、それらの軌道はいずれも図1aに示した球形の電子雲となっています。このヘリウム原子に極端紫外領域の光を照射すると、二つのうちの一つの電子をエネルギーの高い軌道へ移行させることができます。この光が円偏光となっているときには、そのエネルギーの高い軌道の電子雲は中空のドーナツ状の形状(図1b)をもつことになります。円偏光が右回りであっても左回りであっても、この形状は変わりませんが、波動関数の位相は円偏光で定まる方向(右回りまたは左回り)に変化しています。
1204_1.png

図1:光ペアによる軌道の重ね合わせ操作の模式図。電子雲の形状は動径方向を簡略化して表示した。

1204_2.png

図2:円偏光の極端紫外光ペアとヘリウム原子。

共同研究グループは、アンジュレータ(注7)と呼ばれる装置を直列に二台ならべ、2フェムト秒(1フェムト秒は1000兆分の1秒)だけ継続する時間幅の短い極端紫外領域の光のペアを作り、それをヘリウム原子に照射しました(図2)。この光のペアは、ひとつ目は左回り円偏光、ふたつ目は右回り円偏光に設定しました。いずれかの円偏光の光を吸収することによりできる電子雲は前述のようにドーナッツ状ですが、この光のペアを吸収してできる電子雲はそれとは異なるものになると期待されます(図1c)。その形状は、筋肉を鍛えるために使う鉄アレイに少し似ています。このような形状の電子雲ができるのは、左右逆方向の円偏光を続けて照射することで左右逆方向に位相が回転するドーナツ状電子雲の軌道が形成されるからです。それらの重ね合わせは、二つの回転の相対的な位相に応じて傾いたアレイ状の電子雲が生成されると予想されます。このアレイの傾きは、光パルスペアの間隔をアト秒精度で調整することで操作できるはずです。

重ね合わせで生成するアレイ状の電子雲からは、そのくびれ方向に極大がある角度分布で蛍光が放出されます。共同研究グループは、特定の方向に検出器を置き、その方向へ放出する蛍光の強度を光ペアの時間間隔を変えながら測定しました。図3の下段に示したスペクトルはその結果ですが、そこにはおよそ171アト秒周期で蛍光強度が変動する様子が観測されました。この変動は、上段に示したようにアレイ型の電子雲の向きが光ペアの時間間隔によって変化しているものとして理解できます。すなわち、光ペアを用いた重ね合わせ操作でアレイ型の電子雲が確かに生成され、さらにその傾きを、光ペアの時間間隔を調整することでコントロールできていることを示しています。観測されたスペクトルの様子を詳細に検討したところ、ヘリウム原子内の電子雲の向きは数10アト秒という超高時間分解能で操作できていることが分かりました。

1204_3.png

図3:上段:アレイ型電子雲の向きと蛍光の放出方向の模式図。下段:光ペアの時間間隔をアト秒領域で変えながら測定した蛍光強度。実験ではy軸方向へ飛び出した蛍光を検出した。蛍光はアレイ型電子雲の傾きに垂直な方向へ放出される性質があるため,蛍光強度の周期的な変化は、光ペアの時間間隔の制御によって電子雲の傾きが操作されていることを示している。

今後の展開・この研究の社会的意義

本成果によって、円偏光の放射光を用いた超高時間分解能の量子状態制御「原子内の電子雲の形状操作」が実現されました。本研究では極端紫外線を用いましたが、原理的には更なる短波長化も可能です。高エネルギーの放射光源から放射されるX線を用いれば、原子核近傍に強く束縛された電子や凝縮試料内部の電子を操ることも可能です。そのため、この重ね合わせを利用した電子雲の形状操作は、将来的には高機能性物質のデザインや高速動作デバイスの開発における基盤技術として活用されるかもしれません。

用語解説

注1)極端紫外領域
可視光とX線の中間の波長領域。光の波長は数10 nm。
注2)放射光
ほぼ光速の高エネルギー電子が磁場で曲げられる際に放出する電磁波。放射光は赤外線から硬X線までの広い波長範囲をカバーするため、基礎研究から産業利用まで様々な分野で利用されている。
注3)電子軌道
原子の中の一個の電子の運動状態を表す波動関数を電子軌道や原子軌道または単に軌道と呼ぶ。電子軌道は、マクロな世界における粒子の軌道運動に相当する量子力学的な運動状態を表現している。
注4)重ね合わせ
二つの波を合成すると、波の大きさは元の波の大きさを足し合わせたものになる(重ね合わせの原理)。電子は粒子のような性質と波のような性質を併せ持つため、電子の状態も重ね合わせを使って表現出来る。
注5)量子力学
原子や分子といったミクロな世界の現象を記述する物理学。
注6)円偏光
光は電場や磁場が振動しながら空間を伝搬する電磁波である。電場の軌跡が円を描くように伝搬する光を円偏光と呼ぶ。本研究では、光の進行方向から眺めて、電場の軌跡が反時計回りに回る場合を左回り円偏光、時計回りを右回り円偏光と定義している。
注7)アンジュレータ
放射光発生装置の一種。周期的に極性が変わる磁場を用いて高エネルギー電子に蛇行や螺旋運動をさせることで、電子の進行方向に準単色の強力な放射光を発生する装置。

論文情報

掲載誌:Physical Review Letters

論文タイトル:”Controlling the Orbital Alignment in Atoms Using Cross-Circularly Polarized Extreme Ultraviolet Wave Packets”
(「極紫外円偏光の放射波束を用いた電子軌道の制御」)
著者(全員): T. Kaneyasu, Y. Hikosaka, M. Fujimoto, H. Iwayama, and M. Katoh
掲載日:2019年12月3日(オンライン公開)
DOI:10.1103/PhysRevLett.123.233401

研究グループ

九州シンクロトロン光研究センター
富山大学
分子科学研究所
広島大学

研究サポート

科研費17H01075、 18K03489、 18K11945

研究に関するお問い合わせ先

金安 達夫(かねやす たつお)
九州シンクロトロン光研究センター 副主任研究員
(分子科学研究所 客員准教授)

彦坂 泰正(ひこさか やすまさ)
富山大学 教授

加藤 政博(かとう まさひろ)
広島大学 教授
(分子科学研究所 特任教授)

報道担当

自然科学研究機構・分子科学研究所
研究力強化戦略室 広報担当

ad

1700応用理学一般1701物理及び化学
ad
ad
Follow
ad
タイトルとURLをコピーしました