2020-07-15 原子力研究開発機構J-PARCセンター,東海国立大学機構 名古屋大学,東京工業大学,九州大学,大阪大学
【発表のポイント】
- 原子核が中性子を吸収する反応では粒子と反粒子の対称性の破れが非常に大きく増幅されることがこれまでに示唆されている。しかし、その詳細なメカニズムは完全には解明されていない。
このメカニズムを調べるためには大強度かつ、スピンの向きが揃った(偏極した)エネルギーが高い中性子(熱外中性子)ビームを原子核に照射する必要があった。 - J-PARCで開発した偏極装置をJ-PARCの大強度中性子ビームラインに導入し、偏極熱外中性子ビームを原子核に照射したことで、偏極した中性子を吸収した原子核から放出されるガンマ線の放出方向に偏りがあることを世界で初めて発見した。
- この結果をもとに原子核内における対称性の破れの増幅現象のメカニズムの解明が期待される。この増幅現象は宇宙創成の謎に迫る、未知の物理現象の探索実験にも利用される。また、この結果は、今後の大強度の偏極熱外中性子ビームを用いた物性、工学などの様々な分野の研究を切り拓くものである。
図1 ガンマ線検出器の上流に設置した偏極装置(3Heスピンフィルター)
【概要】
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 児玉敏雄、以下「原子力機構」という)J-PARCセンターの奥平琢也博士研究員、国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学(総長松尾清一、以下「名古屋大学」という)大学院理学研究科の山本知樹大学院生らの研究グループは、スピン(1)の揃った(偏極した)中性子を原子核が吸収した時に放出するガンマ線を測定したところ、その放出方向に偏りが存在し、その偏りが中性子のスピン方向に依存して変化することを世界で初めて発見しました。
我々の住む宇宙は「物質」がほとんどで、「反物質」はほとんど存在しません。その理由として「CP対称性(2)の破れ」が提唱されています。しかし、物質世界を説明できる「CP対称性の破れ」を表す現象はまだ見つかっていません。
素粒子原子核反応では、P対称性(3)が破れていることが知られています。原子核が中性子を吸収する反応では、核子同士に働くP対称性の破れよりも100万倍も大きなP対称性の破れが実験的に観測されています。この非常に大きな「P対称性の破れ」は、原子核を構成している核子(4)間で働く小さな「P対称性の破れ」が原子核内で非常に大きく増幅された結果であるというモデルがあります。「P対称性の破れ」の増幅現象のメカニズムを明らかにすることで、「CP対称性の破れ」の謎の解明につながることが期待されます。
そこで本研究では、「P対称性の破れ」の増幅現象のメカニズムの検証のために、原子核の偏極中性子吸収反応に伴う、ガンマ線の放出方向の分布を測定する実験を行いました。
中性子の偏極には、J-PARCで開発した偏極装置(3Heスピンフィルター)を用いました。物質・生命科学実験施設(MLF)の中性子ビームライン(BL04、ANNRI)で、偏極熱外中性子ビームを原子核に照射したところ、偏極した中性子を吸収した原子核から放出されるガンマ線の放出方向に偏りがあること、その偏りがスピンの向きによって変化することを世界で初めて発見しました。
この実験で得られたガンマ線の放出方向と、「P対称性の破れ」の増幅現象のメカニズムのモデルが予測する放出方向の偏りを比較することで、モデルの検証を行うことが可能となります。また、モデルの検証結果をもとに、原子核内での対称性の破れの増幅現象のメカニズムが解明されることが期待されます。
今後、「CP対称性の破れ」の増幅現象のメカニズムを解明することで、宇宙創成の謎に迫ることも期待されます。
本成果は、アメリカの物理学会誌「Physical Review C」のオンライン版に6月25日に掲載されました。
【研究の背景と目的】
私たちの体や地球は「物質」でできており、宇宙を見回してみても、「反物質」でできた星や物体などは今のところ見つかっていません。これは宇宙の初期で粒子と反粒子(5)の対称性(CP対称性)が破れて、粒子が多く生成されたことに由来すると考えられています。CP対称性の破れ自体は過去に発見されていますが、「物質」しかない宇宙の創生を説明するようなCP対称性の破れは見つかっておらず、未知の物理現象が存在すると考えられています。そのため、宇宙の粒子と反粒子の非対称性を説明するような未知の物理現象を探索する実験が世界中で行われていますが、現在の物質世界を説明するようなCP対称性の破れの発見には未だ至っていません。
粒子と反粒子の対称性であるCP対称性と密接に関わっている対称性として空間反転対称性(P対称性)があります。素粒子原子核反応ではP対称性が破れていることが知られており、陽子同士の反応では非常に小さいP対称性の破れが観測されています。一方、中性子が139La(ランタン、原子番号57)や131Xe(キセノン、原子番号54)などに吸収される反応では、陽子同士の反応に比べて100万倍大きなP対称性の破れが起きていることが実験的に知られています。この非常に大きなP対称性の破れは、核子同士に働く小さなP対称性の破れが原子核内で非常に大きく増幅された結果であるというモデルが定説となっています。しかし、この増幅現象のメカニズムのモデルは検証が十分でなく、明らかになっていない部分も多く存在します。
このモデルが正しいと仮定すると、もし原子核内にCP対称性の破れが存在していた場合、原子核の中性子吸収反応ではP対称性の破れと同様にCP対称性の破れも非常に大きく増幅されることが理論的に示唆されています。このCP対称性の破れが非常に大きく増幅される現象を利用することにより、感度良く未知のCP対称性の破れを探索する計画が名古屋大学を中心とした研究グループにより進行しています。この未知のCP対称性の破れを探索する実験を行うためには、まず対称性の破れの増幅現象のメカニズムを明らかにしておくことが重要となります。そのためには原子核が偏極中性子を吸収した際に放出されるガンマ線の放出方向の分布を測定し、理論モデルと照らし合わせる必要があります。
そこで本研究では中性子を偏極する装置を開発し、J-PARCで原子核の偏極中性子吸収反応に伴う、ガンマ線の放出方向の分布を測定する実験を行いました。
【研究の成果】
本研究では139Laと呼ばれる原子核に着目しました。139La原子核は0.74 eVの中性子を吸収した際に共鳴状態を形成し、この状態で非常に大きなP対称性の破れが観測されているためです。この反応におけるP対称性およびCP対称性の破れの増幅現象のメカニズムを調べるためには、0.74 eVの運動エネルギーを持つ中性子を偏極させ、139La原子核に照射し、放出されるガンマ線の放出方向の分布を測定する必要があります。
1eV程度のエネルギーの中性子は熱外中性子と呼ばれ、中性子源からの強度も弱く、熱外中性子を偏極させる技術の開発は今まであまり行われてきませんでした。しかし、近年J-PARCでは、3Heガスを用いて熱外中性子ビームを効率良く偏極する装置(3Heスピンフィルター、図2)を開発しました。
図2 : J-PARCで開発に成功した3Heスピンフィルター。特殊なガラス容器の中に3Heとアルカリ金属が封入されている。このガラス容器に近赤外光レーザーを照射し、アルカリ金属のスピンを揃え、アルカリ金属が3He原子核とスピンを交換することにより、3He原子核のスピンを揃えることができる。
本研究では3Heスピンフィルターを中性子ビームラインBL04中性子核反応測定装置 (ANNRI)に設置し(図1、3)、他の技術では偏極が難しい1eV程度の高いエネルギーの中性子を偏極させることに成功しました。そして、139Laの中性子吸収反応を測定したところ、運動エネルギー0.74 eVの偏極熱外中性子を吸収した際に放出されるガンマ線の放出方向に偏りが存在し、その偏りが中性子スピンの向きによって変化することを世界で初めて発見しました (図4)。
この実験結果と、対称性の破れの増幅現象のメカニズムのモデルが予測する放出方向の偏りを比較することにより、モデルの検証を行うことが可能となります。したがって、この実験結果は原子核内におけるP対称性およびCP対称性の破れの増幅現象のメカニズムの解明のために重要な知見であり、この増幅現象を利用した、未知の粒子・反粒子の対称性の破れを探索する研究計画の進行に必要不可欠な成果です。
図3 : ガンマ線検出器の上流に中性子偏極デバイスである3Heスピンフィルターを設置した。3Heスピンフィルターは非常に磁場均一性の良いコイルおよび磁気シールド内部に設置され、コイルがつくる紙面垂直方向の磁場により3He原子核の偏極を保持する。そこに中性子ビームを通すことで中性子を偏極させる。偏極中性子はガンマ線検出器の内部に設置されたLaの金属試料に照射され、139Laの中性子吸収に伴って発生するガンマ線の放出方向の分布を測定する。
図4 : 139Laに0.74eVの偏極熱外中性子を照射し、放出されるガンマ線量をガンマ線検出器で測定した結果。上下方向に設置されているガンマ線検出器(図3)のうち、下方向の検出器のデータを表示している。ピークの中心付近で、スピンの向きが磁場と平行(赤丸)あるいは反平行(青丸)で放出されるガンマ線の量が変わっていることから、ガンマ線放出方向の偏りがスピンの向きによって変化していることがわかる。
【今後の展望】
この結果をもとに原子核内での対称性の破れの増幅現象のメカニズムが解明されることが期待されます。これに並行して、CP対称性の破れ探索計画が進行しており、宇宙創成の謎に迫る、未知の物理現象の発見に期待が高まっています。
今回、J-PARCの大強度偏極熱外中性子で世界初の科学的成果が得られたことで、大きな統計量が必要な素粒子・原子核実験での有用性が示されました。今後、物性、工学などの様々な分野においても偏極熱外中性子を使用した世界初の研究成果が創出されることが期待されます。
本成果はKEK 中性子共同利用S1型実験課題2018S12、科学研究費補助金JP19GS0210、JP17H02889の支援により行われました。
【論文情報】
論文誌:Physical Review C
論文名:Transverse asymmetry of γ rays from neutron-induced compound states of 140La
著者:T. Yamamoto[a], T. Okudaira[b], S. Endo[a,b], H. Fujioka[c], K. Hirota[a], T. Ino[d], K. Ishizaki[a], A. Kimura[b], M. Kitaguchi[a], J. Koga[e], S. Makise[e], Y. Niinomi[a], T. Oku[b], K. Sakai[b], T. Shima[f], H. M. Shimizu[a], S. Takada[e], Y. Tani[c], H. Yoshikawa[f], T. Yoshioka[e]
[a]名古屋大学 [b]JAEA [c]東工大 [d]KEK [e]九州大学 [f]大阪大学
DOI番号:10.1103/PhysRevC.101.064624
【研究グループ】
名古屋大学大学院理学研究科:山本知樹(大学院生)、遠藤駿典(大学院生)、清水裕彦(教授)、広田克也(特任准教授)、新實裕大(大学院生)、石崎貢平(大学院生)
名古屋大学素粒子宇宙起源研究所:北口雅暁(准教授)
原子力機構(J-PARC):奥平琢也(博士研究員)、奥隆之(研究主幹)、酒井健二(研究主幹)
東京工業大学理学院:谷結以花(大学院生)、藤岡宏之(准教授)
高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所:猪野隆(講師)
大阪大学核物理研究センター:吉川大幹(大学院生)、嶋達志(准教授)
原子力機構(原子力基礎工学研究センター):遠藤駿典(研究員・併)、木村敦(研究主幹)
九州大学大学院理学府:古賀淳(大学院生)、高田秀佐(大学院生)、牧瀬壮(元大学院生)
九州大学先端素粒子物理研究センター:吉岡瑞樹(准教授)
<付記>
各研究者の役割は以下の通りです。
実験の実施:山本, 遠藤, 新實, 石崎, 奥平, 谷, 吉川, 木村, 古賀, 高田, 牧瀬
データ解析:山本
実験デザイン、解析結果に関する議論:共同研究者全員
装置開発:山本, 奥平, 奥, 酒井
統括: 清水
【用語解説】
(1)スピン:
陽子や中性子、ミューオンなどの粒子はスピンと呼ばれる磁石のような性質を持っており、スピンの向きが揃うことを偏極と呼びます。
(2)CP対称性:
粒子と反粒子が持つ性質の対称性。CP対称性が破れているとは粒子と反粒子の振る舞いが異なっているということを言います。
(3)空間反転対称性(P対称性):
物理現象を鏡に映した時にその物理現象が変化しないことを空間反転対称性があると言います。空間反転対称性が破れているとは鏡に映した世界で物理現象が元の世界とは異なっていることを言います。
(4)核子:
陽子と中性子のことです。
(5)反粒子:
反粒子と粒子は質量、スピンなどの性質は一緒で、電荷のみ反対の性質を持ちます。反粒子で構成された物体を反物質と呼びます。
大強度陽子加速器施設 (J-PARC)
日本原子力研究開発機構(JAEA)と高エネルギー加速器研究機構(KEK)が茨城県東海村で共同運営している大型研究施設。素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学、化学、材料科学、生物学等の学術的な研究から産業分野への応用研究まで、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われている。MLFでは、世界最高強度の中性子ビームなどを用いた研究が行われており、世界中から研究者が集まる。