2018/09/10 JAXA
研究開発の目的・背景
LHP展開ラジエータの実用化に向けた開発ストーリー
近年、宇宙機の熱制御系に対する要求が多様化・高度化してきており、近い将来、既存の熱制御技術のみでは対応できなくなることが想定されます。
そのような要求に応えるため、作動流体の蒸発潜熱を利用して大容量・長距離熱輸送が可能で、動作温度の制御など優れた機能を有するループヒートパイプ(LHP, Loop Heat Pipe)の研究開発を実施しています。
本研究の成果は、国際宇宙ステーション(ISS, International Space Station)での軌道上実証を経て、技術試験衛星9号機のLHP展開ラジエータの開発に反映することを予定しています。その後、次世代静止通信衛星に本格投入となる予定です。
研究の概要
ループヒートパイプ(LHP, Loop Heat Pipe)とは
LHPは毛細管力により作動流体を駆動し、作動流体の相変化を利用して熱輸送を行う二相流体ループです。
LHPの構成・動作原理
LHPの構成
LHPは蒸発器、蒸気管、凝縮器、液管、リザーバから構成され、蒸発器にはウィックと呼ばれる多孔質体が内包されています。
蒸発器に熱が印加されると、作動流体が蒸発し、発生した蒸気は蒸気管を通って凝縮器に入り、凝縮器においてヒートシンクと熱交換を行うことにより凝縮・過冷却され、液管・バイオネット管を通って蒸発器に還流します。 作動流体はウィックで発生する毛細管力が駆動源となって循環します。
LHPの特徴および宇宙機に適用した場合のメリット
LHPの主な特徴および宇宙機に適用した際のメリットを以下に示します。
高信頼性・長寿命
LHPでは、ウィック内に形成されるメニスカス(注:気液界面)に働く毛細管力が作動流体循環の駆動源となり、ポンプ等の動力を必要としないため、宇宙機で要求される信頼性、長寿命の観点で利点があります。
熱設計の自由度向上
従来型ヒートパイプは、その動作特性が重力の影響を大きく受けるため、以下の制約がありました。
• 地上試験コンフィギュレーション上の制約
トップヒートと呼ばれる蒸発部が凝縮部よりも重力方向上部に位置する姿勢では動作できません。よって、宇宙機に適用するにあたっては、打上げ前に重力環境下で実施する設計検証試験において 、ヒートパイプが確実に動作するようなコンフィギュレーションに配置する必要があり、宇宙機の熱設計を行う上でレイアウト制約がありました。
• 高発熱機器の配置の制約
従来の宇宙用ヒートパイプは凝縮部で凝縮した液を蒸発部に還流させる毛細管力を発生させるために内壁に全長にわたって軸方向に溝が設けられた金属コンテナ(容器)で構成されているため、 製造上の制約により複雑な経路を形成することは困難です。また、3次元的な経路を形成した場合、重力場において凝縮液が蒸発部に還流する際に重力に抗って移動する場所があると動作を継続できません。 これにより、高発熱機器は放熱面以外には搭載できないという制約がありました。
LHPの特徴・メリット
動作特性上、重力の影響を受けにくいため、地上試験を考慮したレイアウト制約がありません。
高発熱機器の自由なレイアウト
LHPは蒸発器と凝縮器が細い平滑管で結ばれているため,自在なルーティングが可能ですし、細管内では表面張力支配となり重力の影響を受けにくいため、ヒートパイプでは実現できなかった複雑な排熱パスの確保が可能となります。これにより、従来、排熱が困難という理由により衛星内部パネルに搭載できなかった高発熱機器を宇宙機外表面に設けられたラジエータから離れた衛星内部パネルに搭載することが可能となり、宇宙機への機器の高密度実装が可能となり宇宙機の小型化を実現することができます。
配管の可とう性による高密度実装や展開ラジエータの実現
配管をコイリングしたり、フレキシブル管を採用して配管の可とう性を持たせることで、打上げ時には収納しておいて、軌道上で展開して宇宙機の排熱能力を向上させる展開ラジエータを実現することができ、オール電化衛星など大電力衛星で課題となっている排熱能力の大幅向上に貢献することができます。
また、一方向にしか熱輸送が行われないというダイオード性も宇宙機の熱設計の洗練化、自由度向上の観点で魅力的です。
高精度な温度コントロールが可能
LHPは蒸発器の近傍に設けられたリザーバを少ない電力で加熱・冷却することにより、動作温度を高精度に制御することができる特性を有しています。この特性を利用すれば、運用モードにより発熱量が大きく変動する機器や、 惑星探査ミッション等で外部熱環境が目まぐるしく変動するミッションにおいても、LHPの熱制御対象機器の温度を少ない電力で一定に制御することが可能となり、衛星熱設計の高度化が可能となります。
シャットダウン(熱輸送の停止)が可能
従来型ヒートパイプは、熱制御対象機器の温度が低温になり排熱の必要がなくなった場合でもヒートパイプ内で温度差がある限り動作・熱輸送し続けるため、その場合、機器の低温側許容温度を補償するために保温ヒータが必要となります。
それに比べLHPはリザーバを加熱しリザーバ温度を蒸発器温度よりも少しだけ高くすることにより、ループ動作の圧力バランスが崩壊し、作動流体の循環、すなわち熱輸送を停止することができます。 この特性を利用すれば、熱輸送を行いたくない場合にはわずかな電力により熱輸送を停止することができ、保温ヒータの電力低減が可能となります。
例えば、月面着陸機・ローバは高温に曝される日照時と非常に低温になる夜間のいずれの時間帯においても熱的に成立させる必要があり、特に太陽電池パネルにより電力を発生できない夜間に、いかにヒータ電力を使用せずに機器を保温して 許容温度範囲内に制御するかが課題となっているため、LHPを適用すれば機器の排熱が必要な日照時は熱輸送を行い、保温が必要な夜間には熱輸送を停止させることにより、低温/高温いずれの場合にも少ない電力リソースで熱設計を成立できます。
LHP技術実証計画
これまでに実施した研究開発を通じて、LHPの設計・製造・評価技術を獲得し、宇宙機実機に適用できる段階まで技術成熟度が向上しており、今後、実用化前の最終段階として微小重力環境下で技術実証を行う予定です。 微小重力下での技術実証の手段としては、落下塔、航空機によるパラボリックフライト、衛星、ISSなどが候補として挙げられますが、長時間にわたって安定した微小重力環境および熱環境を実現できるISSの「きぼう」日本実験棟を利用して 微小重力実験「ループヒートパイプラジエータ技術実証システム(LHPR)」を行う計画にしています。
本軌道上実験では、リソースの制約や安全上の理由により、今後宇宙機実機に搭載を予定しているLHPよりも小さいサイズのモデルで、異なる作動流体を使用します。 そのため、軌道上実験用LHPと同一仕様の地上品を用いた重力場での地上比較対照実験および解析シミュレーションの相互補完により技術実証を実施する計画にしています。
LHP技術実証計画
軌道上実験用「ループヒートパイプラジエータ技術実証システム(LHPR)」
軌道上実験用「ループヒートパイプラジエータ技術実証システム(LHPR)」は、LHPラジエータと制御用電子機器から構成されます。LHPRは、制御用電子機器とともにHTV7号機で打ち上げられた後、 MPEP(Multi-Purpose Experiment Platform)と呼ばれる実験アダプタに搭載され、ISSの日本実験棟(JEM, Japanese Experimental Module)に具備されたロボットアームの先端に把持された状態で行われます。
本実験では、起動特性評価実験、蒸発器段階加熱実験などの基本的な熱輸送特性評価を目的とした実験に加えて、蒸発器への熱入力量やラジエータの熱環境が大きく変動した場合でも動作温度を一定に制御できるかを評価するための動作温度制御実験や、 蒸発器に熱入力がある状態でも任意にLHPの熱輸送機能を停止できるか確認するためのシャットダウン機能評価実験など、宇宙機実機に適用した場合の使用方法を想定した各種実験の実施を予定しています。
LHPRのMPEP搭載コンフィギュレーションおよび軌道上実験姿勢
軌道上実験用LHP
Evaporator | O.D.:13.8mm, I.D.: 12.0mm, Length:10cm |
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Primary Wick | Sintered stainless steel |
Vapor line | I.D.:4.57mm, Length:1.5m |
Condenser line | I.D.:4.57mm, Length:1.15m |
Liquid line | I.D.:1.735mm, Length:1.5m |
Working fluid | Propylene |
軌道上実験用LHPの主要諸元
本実験で得られた成果は、技術試験衛星9号機のLHP展開ラジエータの開発に反映する予定です。本実験により衛星開発のリスク低減を図り、技術試験衛星9号機での実証後、次世代静止通信衛星に本格投入する予定です。 このように第一宇宙技術部門が開発する衛星に使用する研究開発部門が開発した技術を有人宇宙技術部門が連携して「きぼう」を利用して実証実験を行うのは今回が初めての試みとなります。
参考論文
- 岡本篤, 小川博之, 長野方星, 永井大樹, 村上正秀, ”宇宙用小型ループヒートパイプの開発”, 第53回宇宙科学技術連合講演会, 2J07, 2009
- Atsushi Okamoto, Haruo Kawasaki, Takahiro Yabe, Hiroaki Ishikawa, Takehide Nomura and Yasuyuki Saito, “On-orbit Experiment of Loop Heat Pipe on board Kiku-8”, Proc. Heat Pipes for Space Application, Moscow, Russia, 2009
- 石川博章, 野村武秀, 斉藤康之, 川崎春夫, 岡本篤, 畠中龍太, “リザーバ内蔵ループ形ヒートパイプの熱特性に関する研究(きく8号搭載展開型ラジエータの軌道上熱輸送特性)”, 日本機械学会論文集, 2010年8月号(第76巻第768号)B編, pp.1273-1280, 2010
- 石川博章, 野村武秀, 川崎春夫, 岡本篤, 畠中龍太, “リザーバ内蔵ループ形ヒートパイプの熱特性に関する研究(解析による温度振動現象の考察)”, 日本機械学会論文集, 2012年11月号(第78巻第795号)B編, pp.1976-1989,2012
- Atsushi Okamoto, Ryuta Hatakenaka and Masahide Murakami, “VISUALIZATION OF A LOOP HEAT PIPE USING NEUTRON RADIOGRAPHY”, Heat Pipe Science and Technology, Vol.2, issue 1-4, pp.161-172, 2011
- Atsushi Okamoto, Takeshi Miyakita and Hosei Nagano, “On-orbit Experiment Plan of Loop Heat Pipe and the Test Results of Thermal Vacuum Test”, Proc. 48th International Conference on Environmental Systems, Paper No. ICES-2018-327, 2018