2018/09/05 東京大学
○発表者
田中 肇(東京大学 生産技術研究所 教授)
○発表のポイント
◆水は、4℃で密度の最大を示すなど様々な熱力学的異常性のみならず、ダイナミクス(動的な性質)も大きな異常性を示すことが知られていたが、その物理的な起源を共通の機構により分子レベルで解明することに成功した。
◆水の動的異常性は、これまで特異なガラス転移現象として説明されてきた。今回の研究は、この従来の通説を覆し、水の動的異常性はガラス転移と無関係であり、液体の正四面体構造形成に起因していることを突き止めた点に新奇性がある。
◆この発見は、長年の未解明問題であった水の動的異常性の起源に迫っただけでなく、シリカや金属ガラスにおけるガラス転移点のはるかに高温で見られる特異な運動性の低下現象も、同じ物理的機構で普遍的に説明できる可能性があり、波及効果は大きいと期待される。
○発表概要
東京大学 生産技術研究所の田中 肇 教授、シールイ 特任研究員、ルッソ ジョン 特任助教(研究当時、現ブリストル大学講師)の研究グループは、水のダイナミクスが、有機液体のガラス転移点よりはるかに高温の状態において、どうしてガラス転移点近傍で見られるような急激な減速を示すのかという長年の謎に迫り、その起源が、実はガラス転移とは無関係であり、エネルギー的により安定な正四面体構造がより多く形成されることに起因していることを明らかにした。この発見は、ガラス転移に基づく動的異常性に関する従来の定説を覆しただけでなく、水の熱力学的異常と動的異常が、正四面体構造形成という共通の起源に基づくこと明らかにした点にも、大きなインパクトがある。本研究成果は、我々人類にとって最も重要な液体である水だけでなく、正四面体構造を形成する傾向のある他の液体の特異的な性質の理解に大きく貢献するものと期待される。
本成果は2018年9月3日(米国東部時間)の週に「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS,米国科学アカデミー紀要)」のオンライン速報版で公開される。
○発表内容
東京大学 生産技術研究所の田中 肇 教授、シールイ 特任研究員、ルッソ ジョン 特任助教(研究当時、現ブリストル大学講師)の研究グループは、水の動的な特異性の起源を明らかにすべく研究をおこなった。水が、4℃で密度の最大を示す、結晶化の際に体積が膨張するなど、他の液体にない極めて特異な性質を持つこと、それが気象現象、地球物理現象、生命現象などに大きなインパクトを与えることは広く知られている。一方、水は、動的な性質にも大きな特異性を示す。例えば、通常、液体を加圧すると、分子はよりぎゅうぎゅう詰めになり運動が遅くなるが、水においては加圧により分子の運動が早くなることが知られている。また、通常の有機液体は、冷却していくとガラス転移点の50K程度上の温度から粘性が急激に上昇するが、水を冷却していくとガラス転移点より150K程度も上の温度から粘性の急激な上昇が始まる(図1)。このような異常な挙動は、これまで、特殊なガラス転移現象として理解されてきた。有機液体のガラス転移点よりはるかに高温な室温付近の水は、温度低下に対し急激な粘性上昇を示すガラス形成物質(フラジャイル液体と呼ばれる)のようにふるまい、ガラス転移点付近の低温の水は、粘性の温度依存性がアレニウス則(注1)に従うガラス形成物質(ストロング液体と呼ばれる)のようにふるまうというのが従来の定説であった。
同研究グループは、実はこの高温の水の異常な粘性の増大が、ガラス転移とは全く無関係であり、温度低下に伴い、エネルギー的により安定な正四面体構造がより多く形成されることに起因していることを、シミュレーションを用いて、分子レベルで明確な形で示すことに初めて成功した。高温の水は、正四面体構造がほとんどない液体であり、低温の水はほとんどの水分子が正四面体構造を形成した状態であり、中間の温度領域では正四面体構造が温度低下に伴い急激に増加する。正四面体構造を形成する水分子は、形成していない水分子に比べ動きにくいため、この急激な正四面体構造の増大こそが、ダイナミクスの急激な減速の起源となることを突き止めた。これにより、田中教授が約20年前に提唱した「水は乱雑な構造と規則的な局所構造が動的に共存した状態である」という二状態モデルに基づく現象論の妥当性が微視的レベルで初めて示された。この成果は、従来のガラス転移に基づく水の動的異常性に関する定説を覆しただけでなく、水の熱力学的異常と動的異常が、ともに正四面体構造形成という共通の起源に基づくこと明らかにした点にも大きなインパクトがある。
また、同様な機構は、局所的に安定な構造、例えば正四面体構造や正二十面体構造を形成する傾向のある他の液体、例えば、シリカ、シリコン、ゲルマニウム、カーボン、カルコゲナイドガラス、金属ガラス、などで普遍的にみられる可能性がある。実際、これらの物質では、水と同様の動的異常性が報告されている。
水は、人類にとって最も重要な液体であり、本研究成果は、水の特異な性質そのもの理解に留まらず、その生命活動、気象現象などとのかかわりの理解にも大きく貢献するものと期待され、生命科学、地球科学など広範な分野に波及効果が期待される。
○発表雑誌
雑誌名: 「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS、米国科学アカデミー紀要)」
論文タイトル: Origin of the emergent fragile-to-strong transition in supercooled water
著者: Rui Shi, John Russo, and Hajime Tanaka
DOI番号: 10.1073/pnas.1807821115
○問い合わせ先
東京大学 生産技術研究所
教授 田中 肇(たなか はじめ)
○用語解説
(注1)アレニウス則
アレニウス則とは、運動エネルギーを持った分子が、あるエネルギー障壁ΔEを超えることで分子の運動が実現される場合に成り立つ法則で、この場合、粘性はexp(ΔE/kBT)(kBTは熱エネルギー)に比例する。
○資料
図1:粘性ηの対数を、ガラス転移温度Tgを温度Tで割った量に対してプロットしたもの。通常の液体は、一点鎖線で示したフラジャイルな液体、あるいは、二点鎖線で示したストロングな液体のようなふるまいをすることが知られている。これに対し、水は一見すると高温ではフラジャイル、低温ではストロングのような特異なふるまいを示す。本研究により、この特異な挙動は、高温の水が正四面体構造をもたない乱れた構造から、低温のほとんど正四面体構造からなる水へ、中間の温度領域での混合状態を経て移り変わることを反映していることが明らかとなった。