2023-05-11 量子科学技術研究開発機構
ポイント
- ナノテラスは世界最高レベルの高輝度放射光施設で、令和6年度に運用開始を予定。
- 長さ110mの線型加速器を100μm以下の高精度で調整する技術等の開発を入念に進めることで、3GeV電子加速に1ヶ月早く成功。
- 従来の加速器施設で使われる加速管の2倍の加速周波数を持つCバンド加速管を採用することで、全長を半分程度に短縮し、大幅なコンパクト化と建設コスト削減を達成。
- ナノテラス円型加速器の電子ビームエネルギーを決定する線型加速器での3GeV達成は軟X線波長領域の高輝度放射光源実現に向けた大きなマイルストーン。
- 今後は、円型加速器への電子ビーム入射及び蓄積試験を予定しており、令和6年度の運用開始に向けて加速器調整を継続。
概要
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長:小安重夫、以下「QST」)は、官民地域パートナーシップにより産学の幅広い研究者への利用を目的とした世界最高レベルの放射光施設ナノテラス[1]の建設・整備を進めています。今般、QST次世代放射光施設整備開発センター加速器グループは、ナノテラス線型加速器で3GeV(ギガ電子ボルト)電子加速に成功しました。ナノテラス用に独自開発した高性能電子源から令和5年4月17日に高密度電子ビームを生成し、長さ2メートルのCバンド加速管40本に通して電子ビーム加速調整を進めておりました。そして、当初計画よりも1ヵ月早い4月27日に、最下流のビーム診断装置を用いてエネルギー3GeV電子加速を確認しました。電子源や加速管など主要機器を計画的に開発・製作・試験を進めた上で、ビーム調整時に重要となる100μm以下の高精度の調整技術、光速に近い電子ビームと高周波加速電場を300fs(3兆分の1秒)以下で合わせる高精度タイミング制御技術等の開発を入念に進めて来たことが今回の成果に繋がりました。従来の加速器施設で使われる加速管の2倍の加速周波数を持つCバンド加速管を採用することで、全長を半分程度に短縮し、大幅なコンパクト化と建設コスト削減も達成しています。
ナノテラスは電子を3GeVまで加速する長さ110mの線型加速器と電子を蓄積しX線を発生する周長349mの円形加速器で構成されます。線型加速器による3GeV電子ビーム加速成功は、目標の電子ビームエネルギー性能を達成する大きなマイルストーンであり、より高精度のビーム調整が要求される円型加速器の試験に活かすことで、令和6年度から予定されているナノテラスの運用開始に目処を付ける意義ある成果です。今後、より安定に電子ビーム入射が出来るように線型加速器の調整を進め、本年6月以降に円型加速器への電子ビーム入射及び蓄積試験の開始を予定しております。
[1]正式名称:3GeV高輝度放射光施設。NanoTerasu(ナノテラス)は愛称。
研究開発の背景と目的
(1)放射光施設について
光速に近い速度で走る電子が磁石等でその軌道を曲げられたときに発生する、非常に輝度の高い「放射光」X線利用は1990年代に本格化しました。物質構造解明などを目的として、8GeV電子加速器を用いたSPring-8を始め、米国のAPS(7GeV)、欧州のESRF(6GeV)など大型放射光施設が相次いで建設され、主に硬X線波長領域の放射光を提供し、多様な科学分野で多くの研究成果創出に貢献してきました。2000年代以降になると、英国、スペイン、台湾など世界各地で3GeV級電子加速器を用いた中型放射光源が多数建設され利用が進みました。基礎科学から産業利用まで軟X線での観察が必要な対象が増大している中、世界最高レベルのナノテラスを整備することで、これらを日本がリードすることを目指して、軟X線に強みを持つ3GeV高輝度放射光施設の整備を官民地域パートナーシップで推進することが決まりました。ナノテラスは物質や生命の機能をナノレベルで可視化し、学術及び産業界における研究開発の仮設検証サイクルの促進に貢献する「巨大な顕微鏡」として期待されています。
(2)3GeV高輝度放射光施設ナノテラスの加速器
放射光施設は、電子に加速エネルギーを与える線型加速器、加速した電子ビームを蓄積すると共に放射光源となる円型加速器、そして放射光実験の場となるビームラインで構成されています(図1参照)。QST次世代放射光施設整備開発センターが2019年度より宮城県仙台市で整備を進めているナノテラス加速器は、SPring-8の1/4程度の周長349mの円型加速器に代表されるコンパクトな施設を特徴とすると共に、光源性能としては軟X線領域で既存国内施設を2桁弱上回る世界トップクラスの高い放射光輝度(単位面積・立体角・時間あたりの光子数)性能実現と高い光源安定性を目指しています。これらの性能を満足するには、線型加速器からの電子ビーム性能が鍵を握ります。円型加速器がエネルギーを一定に保ちながら円軌道に電子ビームを蓄積する装置であるのに対し、蓄積電子ビームエネルギーを軟X線発生に最適な3GeVに決定づけるのは線型加速器です。また、放射光強度を一定に保つため、定期的な電子ビーム入射で円型加速器の蓄積電子数を一定に保つには、入射ビームの位置安定性、エネルギー安定性等において高い性能が要求されます。QST次世代放射光施設整備開発センターは全長110mのコンパクトで高性能・高安定な3GeV入射線型加速器の設計・製作・据付調整を進めてきました。
図1 ナノテラス放射光施設
図2 ナノテラス入射線型加速器
(3)高性能3GeV入射線型加速器の開発
QST次世代放射光施設整備開発センター加速器グループは、3GeV入射線型加速器の研究・開発において、高性能・高安定性だけでなく建設・運転維持費の低コスト化も配慮して設計・検討を行いました。図2に示すナノテラス入射線型加速器は、3つの主装置:➀ 高密度電子ビームを生成する電子源(図3参照)、➁ 高密度電子ビームを効率的に加速するCバンド加速器、(図4)、➂電子ビーム性能診断部(図5)で構成されます。
ナノテラスのため独自開発した電子銃は1000˚C以上に熱せられた陰極とその直後に配置したグリッドメッシュ電極の間に高電圧を与えることでパルス状の電子ビームを引き出します。引き出した1 nCの電荷量をもつ電子ビームについて、空間的に高品質な部分(0.5 nC)をコリメータで抽出し、かつビーム進行方向に圧縮することで1mm3の空間に集群します。集群した高密度電子ビームを、高加速電場(最大:45 MV/m)を安定に発生できる長さ2mのCバンド(5712 MHz)加速管40本で3 GeVまで加速します。従来の加速器施設で用いられてきたSバンド(2856 MHz)加速器の2倍の加速周波数を採用することで、線型加速器全長を半分程度に短縮し、大幅な建設コスト削減に貢献しました。また、線型加速器を構成する大電力高周波機器の僅かな変動が電子ビーム性能(ビーム電荷量、エネルギー)に与える影響について、加速器モデル・粒子トラッキングシミュレーション用いて評価しました。各機器に必要な安定性能を定量的に見出し、機器製作時に適切な安定度を規定することで、省コスト化を図りました。
電子ビーム調整はビーム診断装置を頼りに行います。ビーム軌道上に挿入したスクリーンへの電子ビーム照射で発生する蛍光や、磁気コイル中心を電子ビームが通過するときに発生する誘導磁場等を測定することで、電子ビームの位置、サイズ、電荷量を求めます。特に図5に示すCバンド加速器下流の電子ビーム性能診断装置で、円型加速器に入射する電子ビーム性能を確認します。診断装置は大型偏向電磁石、スクリーン、非破壊ビーム位置モニタ、電荷量測定器で構成されます。偏向電磁石の励磁量から電子ビームのエネルギーを特定し、ビームサイズからエネルギー広がりを測定することが出来ます。この診断装置を用いて電子ビームエネルギーが3GeVに到達したことを確認しました。
図3 ナノテラスのために開発された高品質電子銃と電子ビーム集群器からなる電子源
図4 3 GeVエネルギー加速をおこなうCバンド加速器
図5 電子ビーム性能診断装置
技術開発と内容と成果
(1)高品質電子銃と電子ビームパルス圧縮器からなる電子源
Cバンド加速器で安定したビーム加速を行うには、電子ビーム品質の指標であるエミッタンスが小さく高品質で、ビームの断面サイズが小さく、ビーム進行方向サイズ(ビームパルス長)がミリメートル程度の集群されたビームをCバンド加速器に入射する必要があります。この高密度電子ビームは、線型加速器の最上流にある電子源で生成されます。ナノテラスのために独自開発された高品質電子銃で生成した電子ビームを、476 MHzサブハーモニックバンチャーでビーム進行方向に圧縮し、Sバンド加速器によるさらなる圧縮と35 MeVのビーム加速がおこなわれます。電子ビームを設計通りに加速し圧縮するには、電子源を構成する各機器が電子ビームに与える影響を実測し、その応答特性から機器パラメータを見出します。こうしたビーム調整を経て、目標ビーム性能である8 mm mradの低エミッタンス・高密度電子ビーム生成を実現しました。
(2)高電界Cバンド加速器による3 GeVビーム生成
電子源で生成した高密度電子ビームがCバンド加速管を通過するタイミングに、5712 MHzの高周波電場を正確に合わせることにより、最大加速が実現できます。そのためには、300 fs(3兆分の1秒)の精度で時間制御をおこなわなければなりません。このため、加速管に供給される大電力高周波は、高精度・高分解能の高周波低電力システムで常に監視され、とくに各加速管の高周波位相は帰還制御プログラムにより安定化されています。40本全ての加速管の高周波位相が正確に電子ビームに合わせられることで、安定した3GeVに到達した電子ビームが得られます。実際に得られた3GeV電子ビームのエネルギープロファイルを図6に示します。
※本技術開発は国立研究開発法人理化学研究所及び公益財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI)の協力の下実施したものです。
図6 エネルギー分析用スクリーンで観測した3GeV電子ビーム。横軸はエネルギーを示し、縦軸は鉛直方向のビームサイズを示す。
今後の展開
ナノテラスでは線型加速器トンネルと円型加速器トンネルは放射線遮蔽壁で区切られ、異なる放射線管理区域に設定されています。令和5年2月に放射線管理区域に設定された線型加速器トンネルでは、4月17日から電子ビーム加速試験を行っておりますが、円型加速器トンネルは現在も非管理区域であり機器の据付調整作業を継続しています。円型加速器トンネルが管理区域に設定される5月末まで、線型加速器の電子ビーム性能の診断と調整を継続し、目標入射電子ビーム性能3GeV、0.3nC、エネルギー広がり0.2%以下の安定達成を目指します。
円型加速器トンネルの管理区域設定後、線型加速器下流のビーム輸送路(図1参照)に電子ビームを通して調整を行い、円型加速器への入射ポイントまで電子ビームを導きます。円型加速器への入射と電子ビーム周回の確認後、補正磁石による電子ビーム軌道の微調整により周回数を増やします。その後、徐々に円型加速器に蓄積される電子数を増やし、X線光源となるアンジュレーターの調整を行って令和6年度の運用開始に備えてゆきます。
用語解説
1)官民地域パートナーシップ
国の主体である国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(QST)と一般財団法人光科学イノベーションセンター(PhoSIC)を代表機関とする宮城県、仙台市、国立大学法人東北大学、一般社団法人東北経済連合会からなる地域パートナーで構成され、費用負担も含めた役割分担の元で整備が進められている。国の主体であるQSTは加速器と3本の共用ビームラインの整備を、地域パートナーは整備用地、基本建屋及び7本のコアリションビームラインの整備を担当している。
2)放射光
放射光は光速近くまでエネルギー加速された電子ビームを磁石で曲げた際に進行方向に放射される電磁波であり、高輝度、かつ指向性が高く、偏向特性を自由に変えられるなどの優れた特徴をもつ。
3)SPring-8、APS、ESRF
SPring-8:兵庫県播磨地区にて、1997年より共用施設として稼働している大型放射光施設。国立研究開発法人理化学研究所、公益財団法人高輝度放射光研究センターにより運用されている。
APS(Advanced Photon Source):米国アルゴンヌの放射光施設。
ESRF(European Synchrotron Radiation Facility):仏国グルノーブルの放射光施設。
4)軟X線、硬X線
波長1 pmから10 nmのX線のうち、0.2 nmより短いものを硬X線、長いものを軟X線と呼ぶ。
5)電子銃
固体中の電子を高熱や高電場、光照射により空間に放出させて電場により加速するとともに、収束系によりビーム状にして引き出す装置。
6)電子ビーム集群器(バンチングシステム)、サブハーモニックバンチャー
高周波空胴内に発生する高周波電場の加減速位相に電子ビームパルスを入射することにより、電子ビームパルス内の電子に異なるエネルギーを与えることが出来る。前方電子に減速電場、後方電子に加速電場を付与することで、電子パルス全体が前に進みながら後方電子が前方電子に追いつく。この操作により短パルスの電子ビームを生成する。
7)エミッタンス
ビームの断面積と広がりを掛けた値で、電子ビームの性質を表す指標の一つ。エミッタンスが大きいと、全体として広がりやすい電子ビーム、小さいとシャープで良質な電子ビームといえる。
8)グリッドメッシュ電極
熱電子銃の直径8mmの熱カソードの直近に配置した金属ワイヤーで網目状の電極。熱陰極とグリッドメッシュ電極の間の距離は約160µm、グリッドワイヤーの太さは20µm、グリッドワイヤーの網目の格子一辺の約160µmの長さで形成される。熱陰極とグリッドメッシュ電極間に高電圧を高速制御することでパルス状の電子ビームが生成される。
9)fs
時間の単位。1fs(フェムト秒)は1000兆分の1秒。