光の波長変換を活用した超高速赤外分光法を開発 ――より多く、より速く、分子振動情報を収集する

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2023-03-04 東京大学

橋本 和樹(フォトンサイエンス研究機構 特任研究員※研究当時
井手口 拓郎(フォトンサイエンス研究機構 准教授)

発表のポイント

  • 1000点のスペクトル点数をもつ赤外分光スペクトルを毎秒1000万回測定可能な超高速赤外分光法を開発した。
  • 波長変換技術を活用し、従来の高速赤外分光法に比べてスペクトル点数を30倍以上向上した。
  • 高速現象の追跡や多数の分子振動スペクトルの短時間解析など、幅広い分野での応用が期待される。

発表概要

赤外分光法(注1)は、分子の振動を非破壊的に測定する分析手法であり、測定された振動分光スペクトルを通じて物質の性質を明らかにすることができます。一般的には時間変動しない物質の測定に用いられますが、高速に変化する現象や多数回の測定を要する場面では、多くの分子振動情報を迅速に得る必要があります。近年、タイムストレッチ赤外分光法(TSIR)(注2)の開発により、毎秒8000万回の超高速の赤外分光測定が可能になりましたが、赤外領域での光学技術が発展途上であるため、一度に得られる分光スペクトル点数が限られていました。

東京大学大学院理学系研究科の井手口拓郎准教授のグループは、上方変換タイムストレッチ赤外分光法を開発し、従来手法よりも30倍以上多くのスペクトル点数を得ることに成功しました。この手法では、赤外超短パルス光(注3)を近赤外領域に波長変換(注4)する仕組みを導入することで、高効率な測定が可能となりました。本手法は今後、これまで測定のできなかった高速現象の解明や、多数の試料の短時間非破壊解析に貢献することが期待されます。

発表内容

研究の背景
私たちの身の回りの多くの物質は分子で構成されています。分子は構成原子や構造によって固有の周期で振動するため、その振動情報を通じて物質の性質や状態を理解することができます。赤外分光法は、分子振動を光を用いて非破壊的に測定する分析手法の一つであり、これまで基礎研究や医療、さまざまな産業分野で長年にわたって使用されてきました。また、近年の機械学習などを用いた分光スペクトルの解析能力の向上により、赤外分光技術でも、より多くの分子振動情報を迅速に取得することが重要になっています。

これまで赤外分光法は、主に時間変動しない試料の測定に用いられてきました。代表的な手法として、毎秒数回程度の測定が可能なフーリエ変換赤外分光法(FTIR)(注5)があります。一方で、高速に変化する試料の測定や、決められた時間内に多数回の測定をする場合には高速な測定が求められます。近年、タイムストレッチ赤外分光法(TSIR)の開発により、赤外分光スペクトル取得速度が劇的に改善され、毎秒8000万回の測定が可能になりました。タイムストレッチ赤外分光法では、赤外超短パルス光を時間的に延伸させ、時間と周波数の間で一対一の対応関係を築くことで、パルスの繰り返し周波数での超高速測定が可能になります。しかしながら、従来法は発展途上である赤外領域の素子で光学系が構成されていたため、測定可能なスペクトル点数(注6)が30点程度に限られ、赤外分光法としての能力を十分に発揮できていませんでした。

研究内容
東京大学大学院理学系研究科の橋本和樹特任研究員(研究当時)、井手口拓郎准教授らのグループは、1000点のスペクトル点数を持つ赤外分光スペクトルを毎秒1000万回測定できる「上方変換タイムストレッチ赤外分光法(Upconversion time-stretch infrared spectroscopy, UC-TSIR)」を開発しました(図1,2)。


図1:上方変換タイムストレッチ赤外分光法の概念図


図2:上方変換タイムストレッチ赤外分光法のシステム概略図

分子振動情報を含む赤外分光スペクトルを高効率に測定するために、赤外超短パルス光を近赤外パルス光に波長変換し、パルスの時間的延伸と検出を近赤外領域で行うことにより実現しました。この手法は、パルスの時間的延伸に低損失の通信用光ファイバーを使用し、検出に高感度・低雑音の近赤外光検出器を使用するため、従来法に比べて、圧倒的に効率の良いタイムストレッチ分光を可能にします。その結果、従来法に比べて、30倍以上のスペクトル点数の向上、400倍程度のスペクトル分解能(注7)の向上を達成できました。原理検証実験として、上方変換タイムストレッチ赤外分光法を用いて、メタンガスの高分解能赤外吸収スペクトルを1000万スペクトル/秒の速度で測定することに成功しました(図3)。


図3:原理検証実験で測定したメタンガスの3 μm帯における赤外吸収スペクトル
(a)時間軸上で100 ns周期で連続的に計測されたスペクトル。(b)(a)で取得された波形を各個切り出し、装置関数による波形歪みを補正したのち、横軸を波数としてプロットした透過率スペクトル。メタンガスの赤外吸収に由来するピークが明瞭に観測された。(c)積算して得られた透過率スペクトルと参照スペクトルとの比較。

社会的意義・今後の予定
赤外分光法は、様々な分野で標準的な分子分析手法として用いられています。今回開発した手法は、赤外分光法の機能を向上させ、高速に変化する未知の現象を明らかにする可能性を秘めています。例えば、ガスの燃焼反応や生体分子の不可逆な構造変化などを、ナノ秒やマイクロ秒の間隔で追跡できるようになります。また、分光測定とイメージングを組み合わせたハイパースペクトラルイメージングや、フローサイトメトリー(注8)など、膨大な数と種類の分光スペクトル取得を必要とする測定を短時間化することができます。さらに、赤外分光法のみならず、本手法は赤外光コヒーレンストモグラフィ(注9)などの他の光計測技術にも適用でき、分光法の枠を超えた幅広い応用が期待されます。

謝辞
本研究は、日本学術振興会科研費(課題番号:20H00125、20K05361)、精密測定技術振興財団、光科学技術研究振興財団、中谷医工計測技術振興財団、UTEC-UTokyo FSI Research Grant Programの支援により実施されました。

発表者

東京大学
大学院理学系研究科附属フォトンサイエンス研究機構
橋本 和樹(特任研究員(研究当時))
中村 卓磨 (特任助教)
影山 豪大 (博士課程)
Venkata Ramaiah Badarla(特任助教(研究当時))
島田 紘行(特任研究員(研究当時))
井手口 拓郎(准教授)

大学院情報理工学系研究科システム情報学専攻
堀﨑 遼一 (准教授)

論文情報
雑誌名
Light: Science and Applications論文タイトル
Upconversion time-stretch infrared spectroscopy

著者
Kazuki Hashimoto, Takuma Nakamura, Takahiro Kageyama, Venkata Ramaiah Badarla, Hiroyuki Shimada, Ryoich Horisaki, Takuro Ideguchi*

DOI番号
10.1038/s41377-023-01096-4

用語解説

注1  赤外分光法
波長が2-20 μm帯の光(赤外光)を用いて、分子の振動を介して物質の種類や状態を測定する手法。光を物質に当てると、物質によって光は波長ごとに異なる変調を受ける。この性質を利用することで、物質に当てた光を波長ごとに分けて測定することにより、物質の様子を知ることができる。

注2  タイムストレッチ赤外分光法(TSIR
赤外超短パルス光(注3)に波長分散を加えてパルス光を時間的に延伸させ、時間と周波数の間に一対一の対応関係を持たせることで、時間波形として分光スペクトルの測定を行う分光法。

注3  超短パルス光
主に数ピコ秒以下(フェムト秒やアト秒など)の時間幅を持つ光のことを指す。

注4  波長変換
非線形光学効果を利用して、ある波長の光を別の波長の光に変換すること。

注5  フーリエ変換赤外分光法(FTIR)
最も標準的な赤外分光法。マイケルソン干渉計で赤外光の時間軸上での自己相関波形を取得し、それをフーリエ変換することで赤外分光スペクトルを得る。

注6  スペクトル点数
分光装置が得られる分子振動情報の量を示す指標。スペクトルの広さ(スペクトル帯域)と、分解できる幅(スペクトル分解能)の比によって定義される。

注7  スペクトル分解能
分光装置が判別できるスペクトル構造の細かさの指標。

注8  フローサイトメトリー
マイクロ流路内を高速に流れる細胞を一つずつ連続で計測することで、膨大な数の細胞を迅速に分析、分取する手法。

注9  光コヒーレンストモグラフィ
光の干渉を利用して被測定物の奥行き情報を非接触・非破壊的に測定する手法。一般的には2次元のビームの走査とともに実装され、3次元画像を取得するのに用いられる。主に近赤外光をベースに眼底検査などの医療分野で用いられてきたが、赤外光を用いると、より深い奥行き情報を得られることから、工業分野での利用も期待されている。

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