2023-01-26 日本原子力研究開発機構
【研究成果のポイント】
- K中間子と陽子が結合した風変わりな量子状態:Λ(1405)の複素質量測定に成功
- 重陽子中の反応を利用して、K中間子と陽子を融合させてΛ(1405)を合成
- 中性子星中心部の超高密度核物質の記述に繋がる研究の進展が期待
図1 風変わりなバリオン:Λ(1405)および関連する物質形成と進化の概念図
概要
大阪大学核物理研究センターの井上謙太郎特任研究員、川崎新吾特任研究員、野海博之教授(高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所・特別教授)、高エネルギー加速器研究機構、理化学研究所、日本原子力研究開発機構、東北大学電子光理学研究センター、J-PARCセンター、イタリア国立原子核研究所、ステファンメイヤーサブアトミック物理学研究所他からなる研究グループは、K中間子※1と陽子から直接Λ(1405)※2粒子を合成し、その複素質量※3の直接測定に世界で初めて成功しました。
Λ(1405)は、K中間子と陽子が結びついた風変わりな状態ではないかと長年論争が続いてきました。K中間子と陽子から直接Λ(1405)を合成できれば、その性質を調べる上で有効ですが、Λ(1405)は、K中間子と陽子の質量和より軽いため、二粒子の衝突ではこの反応を起こせないことが研究上の障壁でした。
本研究グループは、陽子と中性子がゆるやかに結合した重水素原子核(重陽子)に負電荷のK中間子(K^-)を照射して中性子を蹴り出し、反動でエネルギーを失ったK中間子が残る陽子と融合してΛ(1405)が合成される一連の反応過程の測定に成功しました。この過程を詳細に分析し、Λ(1405)の複素質量を得たことから、Λ(1405)がK中間子と陽子の散乱における共鳴状態であることが直接示されました。さらに、Λ(1405)とK中間子と陽子への結合の強さからΛ(1405)がK中間子と陽子の結合状態であることを支持する結果が得られました。
本研究の結果は、K中間子と核子の相互作用を与え、最近発見された新奇なK中間子原子核※4を理解する基礎的な情報となります。さらには、中性子星※5の中心部のような超高密度核物質の記述に繋がる理論の進展が期待されます。
本研究成果は、2022年12月20日(火)(日本時間)に、エルゼビア社の学術雑誌「Physics Letters B」(オンライン)にて掲載されました。
研究の背景
物質を構成する元素(原子)の中心には原子核が存在しています。原子核は、陽子と中性子(総称して核子)が集まってできており、核子もまた、クォーク※6からなる複合粒子です。ビッグバン直後の高温の宇宙で自由に飛び回っていたクォークは、宇宙の膨張と冷却の過程で「強い相互作用※7」によって結合し、ハドロンと呼ばれる粒子群を形成します。ハドロンは3つのクォークからなるバリオンとクォークと反クォークからなるメソンに大別されます。核子はもっとも軽いバリオンです。核子同士を結び付ける核力を媒介する粒子として湯川秀樹博士がその存在を予言したπ(パイ)中間子はもっとも軽いメソンです。ハドロンの研究は、クォークからどのようにハドロンが形成されたのか、宇宙における物質の形成と進化の大本にある課題に挑戦しています(図1)。
Λ(1405)は、Λ(ラムダ)ハイペロン※8の第一励起状態で、作られてすぐにπ中間子とΣ(シグマ)ハイペロン※9に崩壊する不安定な共鳴状態としてよく知られています。一方、Λ(1405)は、3つのクォークからなるバリオンの単純な内部運動による励起ではなく、K中間子と核子が結合した状態ではないかと長年論争が続いてきました。もしそうなら、Λ(1405)はこれまでのハドロンの分類には当てはまらない5つのクォーク(4つのクォークと1つの反クォーク)からなる風変わりな状態だとして、長年にわたって世界中の研究者から注目を集めてきました。
もしもK中間子と核子を融合させて直接Λ(1405)を合成することができれば、有用な情報が得られるに違いありません。ところが、Λ(1405)はK中間子と核子の質量和よりも軽いため、現実には、この二粒子をどれほどゆっくり衝突させてもΛ(1405)を合成する反応は起こせません。このことはΛ(1405)の性質を研究する上での障壁でした。
研究の内容
本研究グループは、陽子と中性子がゆるやかに結合した重水素原子核(重陽子)に負電荷をもつK中間子を照射して中性子を蹴り出し、反動でエネルギーを失ったK中間子が残る陽子と融合してΛ(1405)が合成される一連の反応過程の測定に成功しました(図2)。このとき、反応に係るごく短い時間内で許される量子力学的不確定性関係を利用して反跳K中間子と陽子の取りうる衝突エネルギーの下限を下げ、Λ(1405)の質量領域に到達することが鍵となっています。この反応過程を散乱理論に従って分析した結果、Λ(1405)の複素質量を求めることができました(図3)。このことは、Λ(1405)がK中間子と陽子の散乱における共鳴状態であることを直接示しています。また、求められた複素質量は、Λ(1405)という名前の由来となっている1405 MeV/c2※Aよりも約13 MeV/c2ほど重いこともわかりました。将来、名前の数字が変更されるかもしれません。さらに、Λ(1405)がKと陽子に結合する割合がπとΣに結合する割合よりも優勢であることも示しました。この結果は、最新の理論による解析とも矛盾なく、Λ(1405)がKと陽子の結合状態であることを支持するものとなっています。
図2:重陽子中におけるK^-(緑)と陽子(濃青)の融合によるΛ(1405)の合成反応
図3:(上)測定された反応の起こりやすさ。横軸は反跳K^-と陽子の衝突エネルギーを質量値に換算している。三角(緑)と四角(紫)はともに終状態πΣがΛ(1405)と同じ量子数をもつスペクトル。緑はπ^0 Σ^0を測定したもの。紫は3つの荷電状態から演算[π^+ Σ^-+π^- Σ^+-π^- Σ^0)/2]で求めたもの。π,Σの右肩の記号は電荷を表す。K^-と陽子の質量和より低い質量値に大きな反応事象がある。Λ(1405)共鳴状態の存在を示唆する。散乱理論に従って測定データを再現(実線)したもの。(下)測定データを再現するK^-と陽子の散乱振幅(二乗すると反応の起こりやすさに対応する。一般に複素数)の分布。実部(実線)が0を横切るときに虚部の値が最大値となる様は共鳴状態が存在する典型的な変化を示す。共鳴状態の複素質量を与える。矢印はその実部を示す。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果は、直接的にはK中間子と核子間の相互作用を与え、最近発見された新奇なK中間子原子核の性質を理解するための基礎的な情報となります。さらに、中性子星の中心部においてK中間子が凝縮した状態が実現しているかどうか、といった超高密度核物質の記述に繋がる理論の進展が期待されます。
特記事項
本研究成果は、2022年12月20日(火)(日本時間)にエルゼビア社の学術雑誌「Physics Letters B」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Pole position of Λ(1405) measured in d(K^-,n)πΣ reactions”
著者名:S. Aikawa, S. Ajimura, T. Akaishi, H. Asano, G. Beer, C. Berucci, M. Bragadireanu, P. Buehler, L. Busso, M. Cargnelli, S. Choi, C. Curceanu, S. Enomoto, H. Fujioka, Y. Fujiwara, T. Fukuda, C. Guaraldo, T. Hashimoto, R. S. Hayano, T. Hiraiwa, M. Iio, M. Iliescu, K. Inoue,_, Y. Ishiguro, S. Ishimoto, T. Ishikawa, K. Itahashi, M. Iwai, M. Iwasaki, K. Kanno, K. Kato, Y. Kato, S. Kawasaki,_, P. Kienle, Y. Komatsu, H. Kou, Y. Ma, J. Marton, Y. Matsuda, Y. Mizoi, O. Morra, R. Murayama, T. Nagae, H. Noumi, H. Ohnishi, S. Okada, Z. Omar, H. Outa, K. Piscicchia, Y. Sada, A. Sakaguchi, F. Sakuma, M. Sato, A. Scordo, M. Sekimoto, H. Shi, K. Shirotori, D. Sirghi, F. Sirghi, K. Suzuki, S. Suzuki, T. Suzuki, K. Tanida, H. Tatsuno, A. O. Tokiyasu, M. Tokuda, D. Tomono, A. Toyoda, K. Tsukada, O. Vazquez-Doce, E. Widmann, T. Yamaga, T. Yamazaki, H. Yim, Q. Zhang, J. Zmeskal (9か国20機関30部局76名)
DOI:https://doi.org/10.1016/j.physletb.2022.137637
なお、本研究は、日本原子力研究開発機構(JAEA)と高エネルギー加速器研究機構(KEK)が共同運営する大強度陽子加速器施設J-PARCのハドロン実験施設において、大阪大学核物理研究センター(RCNP)、KEK、理化学研究所、JAEA、東北大学電子光理学研究センター(ELPH)、イタリア国立核物理学研究所(INFN)、ステファンメイヤーサブアトミック物理学研究所(SMI)ほかが参加する国際共同利用実験E31(実験代表者:野海博之)で得られた成果を基にしています。とくに、RCNPは研究全体を統括主導する役割を果たし、KEKは重水素標的の開発運転に、理化学研究所、JAEA、ELPH、INFNはK中間子ビームおよび散乱粒子検出器群の開発運転に、それぞれ中心的役割を果たしました。また、本研究は日本学術振興会の科学研究費助成事業補助金21105003、18H05402、16H02188、および22H04940から部分的に支援を受けています。
共同研究グループの各機関代表研究者は以下の通りです。
大阪大学核物理研究センター 教授/高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所 特別教授 野海博之(のうみ ひろゆき)
理化学研究所仁科加速器科学研究センター 専任研究員/理化学研究所開拓研究本部 専任研究員 佐久間史典(さくま ふみのり)
日本原子力研究開発機構先端基礎研究センター 研究副主幹 橋本直(はしもと ただし)
東北大学電子光理学研究センター 教授 大西宏明(おおにし ひろあき)
イタリア国立核物理学研究所フラスカティ研究所 教授 Catalina Curceanu(かたりな くるしあぬ)
ステファンメイヤーサブアトミック物理学研究所 教授 Johannes Zmeskal(よはねす ずめすかる)
用語説明
※1 K中間子
ストレンジクォークを含むメソンの中で最も軽い粒子。とくに、K^-はストレンジクォークと反アップクォークからなり、負の電荷をもつ。
※2 Λ(1405)
Λ(ラムダ)ハイペロンの第一励起状態。
※3 複素質量
一定の時間(寿命)で複数粒子に崩壊する不安定な粒子を共鳴粒子と呼び、その質量は、量子力学における不確定性関係によって、寿命の逆数に比例する拡がり(状態幅)を持つ。共鳴粒子の生成と崩壊の過程を記述する散乱理論によると、共鳴粒子の質量は複素数に拡張される。本記事ではこれを複素質量と表現している。その実部は質量の中心値を表し、虚部の2倍が状態幅を表す。
※4 K中間子原子核
K中間子と原子核の束縛状態。本研究と同じ実験装置で、近年、K中間子と2つの陽子からなるK中間子原子核状態が発見された。https://www.riken.jp/press/2019/20190124_2/
※5 中性子星
重い恒星が燃え尽きて超新星爆発を起こした後にできる中性子を主成分とする天体。半径10km程度のコンパクトな星だが、その質量は太陽の1~2倍に達する。その中心部の密度は1cm3あたり10憶トンを超えるとされる。
※6 クォーク
アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、ボトム、トップの6種類が知られる。クォークには強い相互作用が働き、結合してハドロンを形成する。
※7 強い相互作用
電磁相互作用、弱い相互作用、重力相互作用とともに自然界に存在する4つの相互作用の1つで、最も強い。
※8 Λ(ラムダ)ハイペロン
ストレンジクォークを含むバリオンをハイペロンといい、ハイペロンのうちもっとも軽い粒子
※9 Σ(シグマ)ハイペロン
Λの次に軽いハイペロン
※A MeV/c2
eV(電子ボルト)は素粒子原子核分野でよく使われるエネルギーの単位。電子1個分の電荷量を持つ粒子が、1ボルトの電位差(電圧)によって加速されるときに獲得するエネルギーに等しい。MeVはメガ(100万)電子ボルト。相対性理論によりエネルギーと質量は等価であり、電子ボルトを光速度cの2乗で割ったeV/c2は質量の単位として用いられる。