スピン情報損失を原子スケールで可視化~従来よりも高い空間分解能でスピン緩和が調査可能に~

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2022-05-24 理化学研究所

理化学研究所(理研)Kim表面界面科学研究室の山本駿玄研究員、今田裕上級研究員、金有洙主任研究員の研究チームは、スピン[1]情報を単一原子の精度で物質に注入し、その後の情報損失を可視化する計測に成功しました。

本研究成果は、エレクトロニクスデバイスの微細化が限界に近づくにつれて重要度が増している、電流のスピン情報を利用したエレクトロニクス(スピントロニクス)の開発・発展に貢献すると期待できます。

電流の持つスピン情報を物質へ伝達するために、これまでに確立されていた量子トンネル効果[2]を用いた効率的なスピン伝達方法(スピン注入)では、デバイスの”試料品質”に強く依存してスピン情報が損失すること(スピン緩和)が問題でした。

今回、研究チームは、走査トンネル顕微鏡(STM)[3]を用いて原子スケールでスピン注入・応答発光観測を実現する手法開発を行い、多くのデバイスに応用されている半導体ヒ化ガリウム(GaAs)において、ガリウム(Ga)原子に局在する表面状態[4]が強いスピン緩和を示すことを明らかにしました。この測定に対する理論解析から、測定されたスピン緩和に関与する電子状態間のスピン緩和プロセスの詳細も明らかになりました。この結果は、スピン緩和の原因を原子スケールで可視化・解析できることを示しており、これまでの光学限界を超えた空間分解能[5]でスピン情報損失が調査可能となることを示唆しています。

本研究は、科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版(5月20日付)に掲載されました。

スピン偏極STM発光分光法実験の模式図

背景

エレクトロニクスデバイスは、一つの素子が数ナノスケール(nm、1nmは10億分の1メートル)程度にまで高密度化され、性能が向上し続けていますが、微細化に伴う量子効果[2]の発現により、さらなる高密度化の困難性も明らかになっています。そこで、電流の持つ電荷以外に磁気状態(スピン)にも情報をのせるデバイス開発が進められており、現代エレクトロニクスの根幹の一つとなっています。

これまでの研究で、量子トンネル効果を用いた効率的なスピン伝達方法(スピン注入)が確立され、電流によるスピン情報の読み出し、書き込みなど本質的な機能が実現されてきました。一方で、物質に注入されたスピン情報が、原子レベルの局所環境(試料品質)に大きく依存して喪失(スピン緩和)されることも明らかになっています。しかし、スピンの挙動を調べる手段として広く利用されてきた光学測定は、光の波長程度の空間分解能(人間の目に光として感じる可視光で数百nm)に理論限界が存在するため、それよりも小さいスケールで生じるスピン緩和は未解明のままブラックボックス化されていました。そのため、従来の測定限界を超えた空間分解能でスピンの挙動を可視化し、ブラックボックス化されたスピン緩和を明らかにする手法の開発が望まれていました。

研究チームは、これまでに原子スケールの空間分解能(0.1nm程度)を持つ走査トンネル顕微鏡(STM)を用いて物質にスピン注入し、その応答を発光として観測する新しい測定手法(スピン偏極STM発光分光法[6])を独自に開発しており、光学限界を超えた空間分解能で電流の持つスピン情報を捉える研究を進めています。そこで本研究では、このスピン偏極STM発光分光法を用いて、多くのデバイス応用が実現されている半導体GaAsにおいて、原子スケールでスピン緩和を可視化する手法の確立に取り組みました。

研究手法と成果

研究チームは、半導体GaAsの個々の表面原子に対してスピン注入を行い、その応答を発光情報から評価することで、原子レベルの局所環境とスピン緩和の関係を詳細に調べました。図1aに実験の概念図を示します。

GaAs表面では、Ga原子上に表面状態が局在することが知られています。そこでまず、表面状態を避けるためにヒ素(As)原子上でスピン注入を行うと、右回りと左回りの円偏光[6]が応答発光として観測されました(図1b)。この発光強度の差は光が円偏極[6]していることを示しており、注入するスピンの向き(磁石におけるNSの向き)を反転して実験を行うと、反対向きの円偏極となります(図1b左上挿入図)。そのため、この結果は注入したスピン情報が発光情報として抽出されたことを示しています。この発光の円偏極率[6](15.3%)は、理論解析と比較すると、GaAsのバルク状態[7]でスピン緩和が生じた場合の結果と同程度となることが明らかになりました。

実験の概念図と観測される発光応答の図

図1 実験の概念図と観測される発光応答

(a)実験の概念図。電圧をかけることでSTM探針からスピン注入が行われ(Ⅰ)、GaAs内でスピン緩和が生じた後(Ⅱ)、円偏極した発光を生じる(Ⅲ)。
(b)観測される発光応答。電圧(Vbias)をかけてスピン注入を行った際の右回り円偏光(σ+)と左回り円偏光(σ)を示している。左上の挿入図は、磁場を操作して注入スピンの向きを反転させた際の発光応答を示している。


次に、原子精度で探針を制御することで、個々の表面原子に対してスピン注入を行い、応答発光の円偏極率を画像化しました(図2)。ここから、Ga原子上における円偏極率は、As原子上と比較して約40%低下することが明らかになりました。この結果は、原子スケールのスピン注入位置の違いで、異なるスピン緩和プロセスが生じることを意味しています。Ga原子上には、表面状態が局在していることを考慮すると(図2模式図)、バルク状態よりも強いスピン緩和が表面状態で生じた結果、Ga原子上で低い円偏極を示したと結論できます。このように、スピン偏極STM発光分光法を用いることで、個々の電子状態間のスピン緩和強度を原子スケールで可視化することが可能になりました。

単原子精度で測定された発光の円偏極、STM像、模式図の画像

図2 単原子精度で測定された発光の円偏極、STM像、模式図

Ⅲは原子スケールで測定された発光の円偏極。As原子上とGa原子上では、観測される円偏極率が異なることが示されている。
Ⅰは発光測定と対応する場所におけるSTM像で、その下にGa原子上に局在する表面状態の模式図を示した。Ga原子上に局在する表面状態が、STM測定では高くなる。表面状態がほとんど存在しないAs原子上では、バルク状態にトンネル電流が流れる。pmは1兆分の1メートル。

今後の期待

本研究では、STMによる精密なスピン注入と発光の円偏極測定を融合した新しい測定手法を開発することで、注入されたスピン情報の緩和を原子スケールで可視化し、表面状態で強いスピン緩和が生じることを明らかにしました。この成果は、従来の光学限界を超えた空間分解能でスピン緩和の調査が可能となることを示しており、表面状態以外にも、半導体の原子欠陥や不純物に伴うスピン緩和も可視化できます。そのため、これまで未解決となっていた極微スケールのスピン緩和の原因を明らかにでき、効率的なスピン伝達を実現するエレクトロニクスデバイス開発に貢献すると期待できます。

また、試料物質を変えずに探針に未知の磁性体を用いることで、磁性体のスピン注入能力を測定する手法としても利用できることから、より良いスピン注入能力を持つ磁性体の開発にも貢献すると考えられます。

このように本研究は、効率的なスピン伝達を実現するための基礎科学的な知見を示すことで、現代エレクトロニクスのデバイス開発に貢献すると期待できます。

補足説明

1.スピン
電子(電流)の持つ自由度の一つで、微小な磁石として振る舞う。スピンの上下方向が磁石のNS方向に対応する。

2.量子トンネル効果、量子効果
金属間を極限まで近づけたとき、接触する直前で生じる電子の移動(電流)効果。金属間距離に対して高い敏感性を示す。

3.走査トンネル顕微鏡(STM)
先端を細くした金属針(探針)を物質表面に近づけたときに生じる、量子トンネル効果を利用した顕微鏡。試料表面をなぞるように走査し、高さに敏感なトンネル電流を測定することで、原子スケールの構造を画像化する。STMはScanning Tunneling Microscopeの略。

4.表面状態
物質が持つ電子状態のうち、表面だけに存在する電子状態。物質の種類や切断面に応じて、固有の表面状態が生じる。

5.空間分解能
どのくらい細かくものを”見る”ことができるかの目安。空間分解能が高いほど、小さなものを見ることができ、より精密に観察可能となる。

6.スピン偏極STM発光分光法、円偏光、円偏極、円偏極率
「スピン偏極STM発光分光法」はSTMの探針に磁性体を用いることで、トンネル電流をスピン偏極させ、それにより誘起される円偏光を分光計測する実験手法。励起源となるトンネル電流を、原子スケールの狭い領域に流すことが可能なため、誘起される発光の強度や円偏極率も、局所情報を含んだ状態で観測することが可能となる。「円偏極」とは、光の持つ自由度の一つで、電子が持つスピンと類似して右回りと左回りの2種類ある。観測された光に関して、右回りと左回りの成分に差がある場合、その光を「円偏光」と呼び、その差に比例する値が「円偏極率」として定義されている。

7.バルク状態
物質が持つ電子状態のうち、表面や界面などの他物質と近接する場所を含まない部分で生じる電子状態。

研究チーム

理化学研究所 開拓研究本部 Kim表面界面科学研究室
研究員 山本 駿玄(ヤマモト・シュンジ)
上級研究員 今田 裕(イマダ・ヒロシ)
主任研究員 金 有洙(キム・ユウス)

研究支援

本研究は、理化学研究所基礎科学特別研究員の研究課題「スピン偏極STM発光分光法の開発及び二次元半導体における光-スピン変換ダイナミックスの観測と制御(研究代表者:山本駿玄)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業挑戦的研究(萌芽)「スピン偏極STM発光分光法の開発及び二次元半導体におけるスピン-光変換の解明(研究代表者:今田裕)」、同基盤研究(S)「走査トンネル顕微鏡で拓く微小極限の光科学(研究代表者:金有洙)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究事業個人型研究(さきがけ)の研究課題「分子間コヒーレントエネルギー移動の時空間計測と制御(研究代表者:今田裕)」による支援を受けて行われました。

原論文情報

Shunji Yamamoto, Hiroshi Imada & Yousoo Kim, “Atomic-scale photon mapping revealing spin-current relaxation”, Physical Review Letters, 10.1103/PhysRevLett.128.206804

発表者

理化学研究所
開拓研究本部 Kim表面界面科学研究室
研究員 山本 駿玄(ヤマモト・シュンジ)
上級研究員 今田 裕(イマダ・ヒロシ)
主任研究員 金 有洙(キム・ユウス)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当

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