シリコン量子ビットで高精度なユニバーサル操作を実現~誤り耐性シリコン量子コンピュータの実現に指針~

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2022-01-20 理化学研究所,科学技術振興機構,キューテック

理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター量子機能システム研究グループの野入亮人基礎科学特別研究員、武田健太研究員、樽茶清悟グループディレクター、キューテックのジョルダノ・スカプッチチームリーダーらの国際共同研究グループは、シリコン量子ドット[1]デバイス中の電子スピン[2]を用いて、高精度なユニバーサル操作[3]を実証しました。

本研究成果は、シリコン量子ドットを用いた量子コンピュータ[4]の実現における課題の一つである「量子誤り訂正」の実行に指針を与えるもので、今後の研究開発を加速させるものと期待できます。

量子コンピュータは、その性質上誤りが生じやすく、意味のある複雑な量子計算を行うには、誤り訂正技術が必須と考えられています。誤り訂正に必要な要素として、基本操作である1、2量子ビット操作を高精度で行うことが挙げられますが、これまでシリコン量子コンピュータでは2量子ビット操作で十分な精度を実現できていませんでした。

今回、国際共同研究グループは、シリコン量子ドット中に閉じ込めた二つの電子スピンを誤り訂正が可能な高い精度で完全に操作することに世界で初めて成功しました。さらに、高精度での2量子ビットアルゴリズムの実行にも成功し、シリコン量子コンピュータで高精度な量子計算が可能なことを実証しました。

本研究は、科学雑誌『Nature』(1月20日号)の掲載に先立ち、オンライン版(1月19日付:日本時間1月20日)に掲載されます。

本研究で用いたシリコン量子コンピュータチップの図

本研究で用いたシリコン量子コンピュータチップ

背景

近年、半導体デバイスの微細化による情報処理能力の向上が限界に達しつつあり、新しい動作原理に基づく次世代型コンピュータの実現が切望されています。特に有望視されているのが、量子力学の原理に基づき、複数の情報を同時に符号化することで超並列計算を実行する量子コンピュータであり、その実用化に向けた研究開発が世界的に活発化しています。

量子コンピュータの情報は、不純物や熱などによるさまざまな雑音の影響を受けて容易に失われてしまい、これが量子コンピュータ実現の最大の障害となっています。この問題に対処するためには、量子ビットに発生した誤りを訂正する回路の実装が不可欠であると考えられています。これまでにさまざまな誤り訂正回路が考案されていますが、いずれの回路においてもユニバーサル操作の操作精度(忠実度[5])で約99%以上が実行要件となっており、99%の操作忠実度は「誤り訂正閾値」と呼ばれています。

さまざまな物理系を用いた量子コンピュータの研究が進められている中、これまで誤り訂正閾値以上の忠実度でユニバーサル操作を実現しているのは、現状最も研究が進んでいる超電導系とイオントラップ系に限られていました。一方で、シリコン量子ドット中の電子スピンを用いたシリコン量子コンピュータは、既存産業の集積回路技術と相性が良いことから、大規模量子コンピュータの実装に適していると考えられています。ユニバーサル操作のうち、単一ビット操作は誤り訂正閾値以上の高忠実操作が達成されていましたが、2量子ビット操作においては、操作速度がコヒーレンス時間[6]に対して遅く、操作忠実度が誤り訂正閾値以下(98%)に制限されていました。

研究手法と成果

国際共同研究グループは、シリコン2重量子ドット中の2電子スピンにおいて、誤り訂正閾値以上の忠実度でユニバーサル操作を実現しました。

量子ドット構造は、シリコンスピン量子コンピュータで一般的に用いられている、歪シリコン/シリコンゲルマニウム量子井戸[7]基板上に微細加工を施すことで作製しました(図1)。3層からなるアルミニウム微細ゲート電極に正電圧を加えることによって、量子井戸中に電子を電界誘起し、高い自由度で量子ドットを形成、制御できます。量子ドットを形成するシリコン量子井戸を、同位体制御シリコン[8]で作製することにより磁場雑音を低減し、長いコヒーレンス時間を実現しました。

図1 用いた試料の操作電子顕微鏡の写真

図1 用いた試料の操作電子顕微鏡写真

二つのゲート電極(P1、P2)の直下に、二つの量子ドットを形成できる。1nmは10億分の1メートル。量子ドットの近くには余分な量子ドット(黒丸)を形成し、電荷計として用いることで、量子ドットの電荷状態の調整や量子ビットの読み出しを行える注1)。マイクロ波を下部青色のゲート電極に加えることで、電子スピン共鳴を実行できる。ゲート電極直上には、絶縁体を挟んでコバルト製の微小磁石を配置した。

注1)2020年2月14日プレスリリース「シリコンスピン量子ビットの高速読み出しに成功

実験は、P1、P2ゲート電極の先端直下に形成された二つの量子ドットに電子を一つずつ閉じ込め、それらの電子スピンを操作することで行いました。磁場を加えると、ゼーマンエネルギー[9]の分だけ、スピンの向きに応じて2電子スピン状態のエネルギーが分裂します。さらに、試料のゲート電極上に作製したコバルト製の微小磁石により、各ドットでのゼーマンエネルギーに差がついており、四つの状態(↓↓、↓↑、↑↓、↑↑)がエネルギー的に分離しています。加えて、2スピン間に交換相互作用[10]がある場合には、↓↑状態と↑↓状態のエネルギーが交換結合[10]の半分だけ下がります。以上を統合すると、2電子スピンのエネルギー状態は図2左のようになります。

単一スピンの反転によるそれぞれの状態間の遷移は、対象の状態間のエネルギー差に共鳴した実効的な交流磁場を加えることで実行できます(電子スピン共鳴[11])。共鳴幅よりも共鳴の分離の方が大きくなるように、デバイスのパラメータを調整することで、周波数選択によって四つの状態間遷移のうち狙った遷移だけを引き起こすことができます(図2右)。

この状況では、片方のスピンの回転操作をもう片方のスピンの向きで制御できるため、この操作は制御回転操作となります。特にスピンを反転させる場合は、基本的な2量子ビット操作である制御NOT(CNOT)操作[12]と等価になるため、単一スピンの回転操作によって2量子ビット操作が実行できます。今回の試料では、微小磁石を用いた高速スピン回転操作注2)と、ゲート電極デザインおよび試料の動作条件の最適化によって達成した大きな交換結合によって、2量子ビット操作速度を従来の10倍に高速化しました。

単一量子ビット回転によるユニバーサル操作の図

図2 単一量子ビット回転によるユニバーサル操作

左:2電子スピン状態のエネルギーダイアグラム。微小磁石によるドット間でのゼーマンエネルギー差(hdEZ)の分だけ、↑↓状態のエネルギーが↓↑状態のエネルギーより低い。hはプランク定数。
右:電子スピン共鳴を用いた制御回転操作。下向きスピンを用意し、スピン回転操作を行った。左図の四つの共鳴条件に対応する四つの周波数でスピン回転が生じ、上向きスピン確率のピークが観測された。低周波側の二つのピークは左のスピンの回転操作を表す。このうち、左側(右側)のピークは右側のスピンが下向き(上向き)の場合に対応し、その共鳴条件は交換結合(J)の分だけ分離している。高周波側の二つのピークは、右のスピンの回転操作に対応する。1GHzは10億ヘルツ。


注2)2017年12月19日科学技術振興機構(JST)との共同プレスリリース「シリコン量子ドット構造で超高精度量子ビットを実現」

次に、CNOT操作の操作忠実度をランダム化ベンチマーク法[13]によって評価しました。この評価法では、ランダムな2量子ビット操作の操作回数に対するシーケンス忠実度の指数関数的減衰から、2量子ビット操作の忠実度を測定できます。CNOT操作の操作忠実度は、ランダムな操作の合間にCNOT操作を入れる場合と入れない場合のシーケンス忠実度の減衰の違いから測定できます。この測定によって、CNOT操作で99.5%の操作忠実度が得られました(図3)。

これまでシリコン量子コンピュータでは2量子ビット操作速度が遅く、忠実度が98%と誤り訂正閾値以下になっていましたが、今回高速操作によって忠実度を改善することに成功し、世界で初めて誤り訂正閾値以上の操作忠実度を実証しました。また、単一量子ビットの操作忠実度も同様にランダム化ベンチマーク法によって評価したところ、99.8%と高い値が得られ、ユニバーサル操作において誤り訂正閾値以上の操作忠実度を達成しました。

ランダム化ベンチマーク法による2ビット操作忠実度の評価の図

図3 ランダム化ベンチマーク法による2ビット操作忠実度の評価

左:ランダム化ベンチマーク法において参照用(紺)と余分にCNOT操作を行う場合(紫)の量子回路。クリフォードゲートの中からランダムに選んだn-1回の操作を行った後、最後に両方のスピンが上向き、および下向きになるような操作を行い、そのシーケンス忠実度Fを測定する。Fはクリフォードゲートの回数に対して指数関数的に減衰し、その減衰具合から1回の操作忠実度を評価できる。
右:ランダム化ベンチマーク法によるCNOT操作忠実度の評価。CNOT操作を余分に入れる場合(紫)と入れない場合(紺)を比較することによって、CNOT操作の忠実度を評価できる。


最後に、高い忠実度でのユニバーサル操作を用いて、量子アルゴリズムのドイチェ・ジョザのアルゴリズム(図4左)とグローバーの探索アルゴリズム(図4右)を実行しました。前者は、1ビット(a = 0 or 1)を入力とする未知の関数f(a)の出力が定値型か分布型かを、1回の関数の呼び出しで判別できます。後者は、2ビット入力に対応する四つの状態(↓↓、↓↑、↑↓、↑↑)のうちの一つを1回の関数の呼び出しで探索できます。いずれのアルゴリズムにおいても96~97%と高い忠実度で正しい結果を出力でき、シリコン量子コンピュータにおいて高い精度で量子計算が実行可能なことを実証しました。

2量子ビットを用いたアルゴリズムの実行例の図

図4 2量子ビットを用いたアルゴリズムの実行例

左:ドイチェ・ジョザのアルゴリズムを実装するための量子回路と出力の測定結果。Y/2(-Y/2)はy(-y)軸回りのπ/2回転を表す。未知の関数f(a)の出力が定値型(f(a) = 0 or 1)であれば、出力状態が高い確率で↓↓状態に、分布型(f(a) = a or 1-a)であれば↑↓状態になっていることが分かる。上部回路のODが関数の呼び出しに対応する。
右:グローバーの探索アルゴリズムを実装するための量子回路と出力の測定結果。いずれの探索状態においても、探索状態と等しい状態に出力状態の確率のピークが表れていることが分かる。上部回路のOGが関数の呼び出しに対応する。

今後の期待

本研究では、シリコン量子コンピュータにおける課題の一つである、誤り訂正に必要な高精度ユニバーサル操作を実現しました。また、2量子ビットを用いてアルゴリズムを実行し、高い精度で量子計算が行えることを実証しました。

本研究で確立した高精度ユニバーサル操作を用いれば、シリコン量子コンピュータにおける誤り訂正の実証とその性能評価が可能になると考えられます。また、数十量子ビット程度の中規模量子コンピュータであれば、高い操作忠実度を生かし、誤り訂正なしのNISQデバイス[14]として、古典コンピュータ以上の計算パフォーマンスを実現すると期待できます。

本研究は、シリコン量子コンピュータがその操作忠実度において、超電導、イオントラップと並ぶ最有力候補であることを初めて実証したものであり、大規模量子コンピュータの実現に向けた研究開発が加速すると期待できます。

補足説明

1.量子ドット
電子を空間的に3次元全ての方向に閉じ込めることで運動を制限し、0次元構造としたもの。その性質から人工原子とも呼ばれ、電子を一つずつ出し入れできる。

2.電子スピン
電子が右回りまたは左回りに自転する回転の内部自由度。この回転の向きに応じて、通常上向きまたは下向きの矢印で表される。

3.ユニバーサル操作
量子操作を構成する基本的な操作の集合で、単一量子ビット操作と2量子ビット操作から成る。全ての量子操作は、ユニバーサル操作の要素を組み合わせることで実現できる。

4.量子コンピュータ
量子力学における重ね合わせを利用して、超並列計算を実現するコンピュータ。従来のコンピュータでは天文学的な時間のかかる因数分解の問題などを、数時間で解くことができる量子アルゴリズムが開発されており、超高速計算が可能になると考えられている。

5.忠実度
量子ビットの操作がどれだけ理想的な操作に近いかを表す性能指数。100%が完全に理想的な操作を示していて、現実的な量子誤り訂正などを含む量子コンピュータの実現には、99%以上の値が必要。

6.コヒーレンス時間
量子ビットが情報を保持している典型的な時間。量子力学的な重ね合わせ状態を用いて符号される量子ビットの情報は、外界などの雑音の影響を受けることで、通常時間の経過とともに失われる。よって、正確に量子ビットを操作するには、操作時間よりコヒーレンス時間が十分長い必要がある。

7.量子井戸
ある方向の電子の運動を束縛した構造。電子は束縛されていない2次元方向にのみ運動が可能。通常数ナノメートル程度の薄膜を異なる材料で挟むことで構成する。

8.同位体制御シリコン
自然界に存在するシリコンは、3種類の同位体(28Si、29Si、30Si)からなっており、質量数の他に原子核の有するスピンが異なる。このうち原子核にスピンがない同位体の1つ(28Si)を分離して用いることにより、電子スピン量子ビットに理想的な磁気的雑音の少ない環境が実現する。

9.ゼーマンエネルギー
磁場を加えると、スピンのエネルギーはその向きに応じてシフトする。このエネルギーシフトをゼーマンエネルギーと呼ぶ。

10.交換相互作用、交換結合
交換相互作用とは、一般的に、二つの電子の軌道が互いに重なり合うときに生じるスピンに関係した相互作用。本研究で用いた量子ドットデバイスでは、二つの電子スピンの向きが異なるときのみにスピン状態を安定化するように働き、この状態のエネルギーシフトを交換結合と呼ぶ。

11.電子スピン共鳴
高磁場中にあるスピンのエネルギー差(ゼーマンエネルギー)に共鳴した周波数を持つ高周波磁場を加えると、スピンの周期的回転が起こる現象。

12.制御NOT(CNOT)操作
制御量子ビットが1の場合には対象の量子ビットが反転するが、制御量子ビットが0の場合には対象の量子ビットの状態が保たれる操作のこと。この関係は、量子力学的な重ね合わせ状態に対しても成立する。制御NOT操作は、基本的かつ最も重要な2量子ビット操作の一つとなっている。

13.ランダム化ベンチマーキング法
量子ビットの操作忠実度を測定する代表的な方法。量子ビットに対して、ある種のランダムに選ばれた操作を何回も行い、その際の理想的な状態の検出確率の減衰から、量子ビットの操作忠実度を測定できる。

14.NISQデバイス
数十から数百程度の量子ビットから成る量子コンピュータのことで、誤り訂正機能を持たない。このためハードウェアへの要請は比較的少なく、既に超電導とイオントラップではNISQデバイスとしての動作実績がある。誤り訂正機能を持たないため複雑な量子計算には使えないものの、高いユニバーサル操作の忠実度があれば、特定の問題に対しては古典コンピュータに対する優位性が実証されており、近年ではハードウェア、ソフトウェア双方で研究活動が活発化している。NISQはNoisy Intermediate-Scale Quantum deviceの略。

国際共同研究グループ

理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
基礎科学特別研究員 野入 亮人(のいり あきと)
研究員 武田 健太(たけだ けんた)
グループディレクター 樽茶 清悟(たるちゃ せいご)
上級研究員 中島 峻(なかじま たかし)
量子コンピュータ研究センター 半導体量子情報デバイス研究チーム
研究員 小林 嵩(こばやし たかし)

キューテック(QuTech -a collaboration between TU Delft and TNO-)
研究員 アミヤ・サマック(Amir Sammak)
チームリーダー ジョルダノ・スカプッチ(Giordano Scappucci)

研究支援

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出(研究総括:荒川泰彦)」の研究課題「スピン量子計算の基盤技術開発(研究代表者:樽茶清悟)」、ムーンショット型研究開発事業 目標6「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現(プログラムディレクター:北川勝浩)」の研究開発プロジェクト「大規模集積シリコン量子コンピュータの研究開発(プロジェクトマネージャー:水野弘之)」、文部科学省光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)技術領域「量子情報処理(主に量子シミュレータ・量子コンピュータ)(研究総括:伊藤公平)」の研究課題「シリコン量子ビットによる量子計算機向け大規模集積回路の実現(研究代表者:森貴洋)JPMXS0118069228」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金若手研究「シリコン量子ドット中の電子スピンを用いた量子計算基盤技術の高性能化に関する研究(研究代表者:野入亮人)」による助成を受けて行われました。

原論文情報

Akito Noiri, Kenta Takeda, Takashi Nakajima, Takashi Kobayashi, Amir Sammak, Giordano Scappucci, and Seigo Tarucha, “Fast universal quantum gate above the fault-tolerance threshold in silicon”, Nature, 10.1038/s41586-021-04182-y

発表者

理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
基礎科学特別研究員 野入 亮人(のいり あきと)
研究員 武田 健太(たけだ けんた)
グループディレクター 樽茶 清悟(たるちゃ せいご)

キューテック
チームリーダー ジョルダノ・スカプッチ(Giordano Scappucci)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
科学技術振興機構 広報課

JST事業に関すること
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
嶋林 ゆう子(しまばやし ゆうこ)

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