2020-07-13 理化学研究所,東北大学
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター創発現象観測技術研究チームの進藤大輔チームリーダー(東北大学名誉教授)と東北大学多元物質科学研究所電子線干渉計測研究分野の赤瀬善太郎講師らの共同研究チームは、電子の波動性を利用した「電子線ホログラフィー[1]」技術を発展させ、各種の絶縁材料表面における電荷の移動を電場の乱れから、またスピン偏極[2]の様子を磁束の変化から直接観察することに初めて成功しました。
本研究成果は、材料の電磁気的特性の理解とその改良に役立つだけでなく、素粒子としての電子が示す複雑な量子現象の理解に貢献すると期待できます。
今回、共同研究チームは、電子挙動の直接観察を通して、電子の電荷保存則[3]がナノメートル(10億分の1メートル)スケールで成立し、マックスウェル方程式[4]で記述される電磁場が、特殊相対性理論[5]と整合することを証明しました。一方、観察手法に用いた電子のマイクロメートル(100万分の1メートル)スケールに及ぶ波動性は、電荷には依存せず、量子として電子のド・ブロイ波長[6]を構成する質量や運動量に依存し、その場は、一般相対性理論[5]に基づくアインシュタインの場の方程式によって取り扱われるべきであることを指摘しました。
本研究は、科学雑誌『Materials Science and Engineering: R: Reports』のオンライン版(7月8日付)に掲載されました。
背景
私たちの身の回りの現象や各種先端機器の特性は、電気的・磁気的作用によって生み出され、その作用の多くは多様な電子の振る舞いによってもたらされています。したがって、電子の挙動を直接観察できれば、複雑な現象の理解や高機能性機器の開発につながると期待されます。
共同研究チームは、真空中に浮遊する自由電子を直接観察することを目的に、「電子線ホログラフィー」による観察を試みてきました。電子線ホログラフィーは、電子の波動性を利用し、マイクロメートル(100万分の1メートル)スケールに及ぶ干渉[7]効果により、物体を通過した波と真空中を通過した波を重ね合わせた干渉縞[7](ホログラム)を透過電子顕微鏡で撮影し、物質内外の電磁場をナノメートル(10億分の1メートル)スケールで可視化する最先端の科学技術です。電磁場の観察には、入射電子の位相変化を検出する位相再生[8]像が用いられます。
2014年に共同研究チームは、電子が移動する様子を検出するには、電場の乱れによる干渉縞の消失の度合いの変化が検出できる振幅再生[9]法が有効であることを見いだしました注1)。また、電子線ホログラフィーの観察技術は電子の干渉効果(弾性散乱)を用いて、電子群などの観察対象の系を乱さないことも証明しています注2)。一方2016年には、観察の対象となる絶縁材料に集束イオンビーム(FIB)[10]による微細加工を行うと、イオンビームを構成する金属元素が試料表面に残存し、その金属元素が2次電子[11]の基板への移動を誘起するため、絶縁材料への電子の蓄積が抑制されることを指摘しました注3)。
こうした観察結果を踏まえ、今回共同研究チームは、各種絶縁材料について巧みな微細加工による表面状態の制御を行い、電荷の移動とスピン偏極の様子の直接観察を試みました。
注1)2014年5月13日東北大学プレスリリース「電子の蓄積とその集団的運動の可視化に世界に先駆けて成功」
注2)D. Shindo, J. Jung Kim, K. Hyun Kim, W. Xia, N. Ohno, Y. Fujii, N. Terada, S. Ohno, J Phys Soc Jpn 78 (2009) 104802.
注3)2016年6月7日東北大学プレスリリース「微細加工した絶縁体表面で電子の蓄積の観察に成功」
研究手法と成果
共同研究チームは、結晶性の絶縁材料をガリウムイオンのFIBで微細加工した後、衝撃を加えて破壊すると、局所的に清浄な絶縁体表面を形成できることに注目し、強誘電体[12]で絶縁性を示すチタン酸バリウム(BaTiO3)試料の破面を利用して、電子を局所領域に蓄積することに成功しました。
まず、試料先端部にFIB未加工の部分をわざと残して、試料形状を角錐型に加工します(図1a)。加工された角錐状の表面には、ガリウムなどの金属元素が含まれるため、この領域には2次電子を蓄積できません。そこで、小さなガラス棒などで機械的衝撃を与えると、その重さから割れやすくなっているFIB未加工部の付け根部分が破壊(劈開)され、角錐の先端部に金属元素が存在しない清浄な表面が形成されます。
角錐の先端部を電子線ホログラフィーで観察すると、その振幅再生像には、破面周辺に2次電子が局所的に集積し、強い電場の乱れが誘起された様子が、明るい黄赤色で明瞭に捉えられました(図1b)。この黄赤色の部分は、電子の移動に伴う電場の乱れにより、干渉縞の消失の度合いが増大した領域(干渉縞のVisibility(可視性)が低下した領域)に対応しています。
図1 集束イオンビーム加工されたチタン酸バリウムの試料画像(a)と劈開後の振幅再生像(b)
(a)集束イオンビームより、先端部の形状を角錐型に加工した試料の走査電子顕微鏡像。
(b)劈開後の試料先端部((a)の赤枠部分)を電子線ホログラフィーで観察した振幅再生像。明るい黄赤色部分に、2次電子が局所的に集積し、強い電場の乱れが誘起された様子が捉えられている。Visibilityは干渉縞の消失の度合いを示し、明るい黄赤色部分では干渉縞の消失が低下していることが分かる。
次に、絶縁体である雲母に劈開とわずかな微細加工を加えて、針状試料を作製しました(図2a)。この試料に外部磁場を加え、電子線ホログラフィーで観察したところ、外部磁場が増大するとともに、試料周囲の磁束が増大し、雲母周辺の2次電子のスピンが次第に偏極していく(スピンの向きがそろっていく)様子を明瞭に捉えました(図2b)。
図2 集束イオンビーム加工された雲母の針状試料画像(a)と外部磁場下の位相再生像(b)
(a)雲母に劈開とわずかな微細加工を加えて作製した針状試料の電子顕微鏡画像。
(b)(a)に外部磁場(赤と青矢印)を加えた際の電子ホログラフィーの位相再生像。この位相再生像では、位相変化量を鋸歯状の周期コントラストで表現しており、コントラストが不連続に変わる線(等高線)は2次電子のスピン偏極により誘起された磁場の磁束線に対応する。磁束の方向はコントラストの変化の向きから判別でき、磁束密度は等高線の密度に対応する。外部磁場が増大するとともに、試料(緑)周囲の磁束(黄矢印)が増大し、雲母周辺の2次電子のスピンが次第に偏極する様子を観察した。
図3に、入射電子の波動性を利用した電子線ホログラフィーの原理と観察された2次電子の軌道を模式的に示しています。
図3 電子線ホログラフィーの原理図と観察された2次電子の軌道
透過電子顕微鏡内で、電子線バイプリズムという偏向器を用いて、試料周辺を通過した電子波(物体波)と、試料から離れた真空領域を通過した電子波(参照波)を干渉させる電子光学系を組むことで、スクリーン上に電子の波長と偏向角、および物体波の位相変調に応じた干渉縞(ホログラム)を得られる。2次電子の集団運動などにより、電磁場が不安定な領域では干渉縞が不鮮明となり、振幅再生のプロセスを経ると、その領域にコントラストを付けて可視化できる。
本論文では、これら一連の観察結果と観察手法について、「場」の重要性を指摘したアインシュタインとインフェルトの本の一節[13]を引用しながら、相対性理論の場との対比を考察しています。まず、電子が蓄積したり、定常軌道を形成する様子を捉えた一連の観察結果は、点電荷を仮定したマックスウェルの方程式に基づく電磁場のシミュレーションとよく合致し、電子の電荷保存則がナノメートルスケールで成立し、マックスウェル方程式で記述される電磁場が特殊相対性理論と整合していることを証明しています。
一方、観察手法としての電子線ホログラフィー技術に用いた、電子のマイクロメートルスケールに及ぶ波動性の干渉長[7]はλ/αで表されます。ここで、λは量子としての電子のド・ブロイ波長(λ=h/mv:hはプランク定数)、αは電子線の照射角に対応します。よって、この干渉長は電荷には依存せず、ド・ブロイ波長を構成する質量や運動量に依存し、その場は、一般相対性理論に基づくアインシュタインの場の方程式により取り扱われるべきであると考えられます。
今後の期待
これまで電子は直接見ることができないものと考えられてきましたが、今回微細加工技術を駆使して各種絶縁体表面でその分布が自在に制御でき、磁場印加によりスピンが偏極する様子も捉えられることが分かりました。代表的な素粒子としての電子の挙動を制御し、そしてその様子を直接観察可能にした観測技術開発に関する本研究成果の意義は、基礎的にも応用面でも極めて大きいといえます。
今後、ナノメートルスケールで、電子の電気的・磁気的情報が定量的に解析できるとともに、物質との相互作用を追跡することにより、トンネル効果、干渉・回折効果、超伝導現象など電子が示す多様な量子現象の理解が飛躍的に進展するものと期待できます。
補足説明
1.電子線ホログラフィー
電子の波動性を利用し、物体を通過した波と真空中を通過した波を重ね合わせた干渉縞(ホログラム)を撮影し、フーリエ変換を用いた演算処理により、物質内外の電磁場の分布をナノメートル(10億分の1メートル)スケールで画像化できる最先端の電子顕微鏡法。
2.スピン偏極
素粒子である電子は、電荷のほか、角運動量(h/4)に対応して、磁気モーメントを持っており、スピン磁気モーメントと呼ばれる。通常、このスピン磁気モーメントが示す方向は、電子ごとにランダムな方向を向いているが、外部から磁場を加えると、この磁場により磁気モーメントの方向がそろう現象を指す。
3.電荷保存則
閉じた系内での電荷の総和(プラス電荷とマイナス電荷の総量)は、時間が経過しても、化学反応や素粒子の生成・消滅の前後においても不変であるという法則。
4.マックスウェル方程式
マックスウェル-ヘルツの電磁方程式とも呼ばれ、電磁場の時間的・空間的変化を記述する基礎方程式である。電磁気に関する法則(ファラデーの法則、アンペールの法則、クーロンの法則、および磁束は湧き出しがなく閉じていること)に対応する四つの微分方程式からなる一組の基礎方程式として定式化されている。
5.特殊相対性理論、一般相対性理論
特殊相対性理論は、慣性運動する観測者が電磁気学的現象および力学的現象をどのように観測できるかを記述する理論である。一方、互いに加速度運動を行う一般座標系にも拡張し、重力場も含めあらゆる座標系に対し全ての物理法則を同じ形で記述するのが一般相対性理論である。
6.ド・ブロイ波長
波動性を示していた光が粒子性を示したことに対し、粒子と考えられた電子などの物質が波動性を示すとしてルイ・ド・ブロイによって提唱され、その波動の性質の一つである波長をド・ブロイ波長と呼ぶ。
7.干渉、干渉縞、干渉長
二つ以上の同一種の波動が同一点で合ったとき、重なって互いに強め合う、または弱め合う現象を干渉という。その時、空間的な干渉の度合いの一連の変化として干渉縞が観察される。空間的に干渉する領域の長さを干渉長と呼ぶ。
8.位相再生
電子線ホログラフィーで、電子波を干渉させて得られるホログラムからフーリエ変換を用いた演算処理を施すことにより、干渉縞に記録された電磁場の情報を抽出し画像化する操作を指す。
9.振幅再生
電子線ホログラフィーでホログラムから物体波の振幅を再生するプロセス。通常、振幅再生像は透過電子顕微鏡像強度と一致するが、ホログラムの露光時間内に電磁場が局所的に乱れた場合、乱れた領域では干渉縞が不鮮明となり、振幅再生像では、その領域の振幅は再生されずにコントラストが生じる。これを利用して電磁場の不安定な領域を可視化できる。
10.集束イオンビーム(FIB)
ガリウムを使った液体金属イオン源から放出されたイオンビームを数keV~30keVのエネルギーで加速し、レンズ系で縮小し、集束させたもの。集束イオンビーム装置を用いると、走査イオン像(SIM像)で観察しながら、100nm程度の位置精度で試料の微細加工が可能であり、透過電子顕微鏡の薄膜試料作製に多用される。FIBはFocused Ion Beamの略。
11.2次電子
高エネルギー電子線などを試料に入射させると、入射した電子のエネルギーの一部が試料に与えられ、試料から比較的エネルギーの低い電子(50eV以下)が放出される。この放出される電子を2次電子と呼ぶ。
12.強誘電体
誘電体の一種で、外部に電場がなくても電気双極子が整列しており、かつ双極子の方向が電場によって変化できる物質。直流電圧に対しては、電気を通さない絶縁体としての性質を示す。
13.アインシュタインとインフェルトの本の一節
「物理学に一つの新しい概念、すなわちニュートン時代以後の最も重要な発展としての場の概念が現れて来ます。物理現象の記述に対して本質的なものは、電気でも質点でもなく、電気並びに質点の間の空間における場であるということが実現されるのには、偉大な科学的想像力を要しました。場の概念は最大の成功を示し…相対性理論は場の問題から起こります。…」(アインシュタイン・インフェルト著、石原純訳『物理学はいかに創られたか』岩波新書)。原著は、A. Einstein, L. Infeld, The Evolution of Physics, 2nd ed., Cambridge University press, Cambridge, 1978.
共同研究チーム
理化学研究所 創発物性科学研究センター 創発現象観測技術研究チーム
チームリーダー 進藤 大輔(しんどう だいすけ)
(東北大学 名誉教授)
テクニカルスタッフⅠ 嶌田 惠子(しまだ けいこ)
東北大学 多元物質科学研究所 電子線干渉計測研究分野
講師 赤瀬 善太郎(あかせ ぜんたろう)
学術研究員 佐藤 隆文(さとう たかふみ)
技術職員 真柄 英之(まがら ひでゆき)
原論文情報
Daisuke Shindo, Zentaro Akase, “Direct observation of electric and magnetic fields of functional materials”, Materials Science and Engineering: R: Reports, 10.1016/j.mser.2020.100564
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 創発現象観測技術研究チーム
チームリーダー 進藤 大輔(しんどう だいすけ)
東北大学 多元物質科学研究所 電子線干渉計測研究分野
講師 赤瀬 善太郎(あかせ ぜんたろう)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
東北大学 多元物質科学研究所 広報情報室