電荷と格子が強く結合した場を動き回るスピンソリトン
2018/12/04 東京大学,理化学研究所
物質の中には、電荷・スピン・格子といった複数の自由度が存在し、それらが協調することでさまざまな現象が発現します。近年、分子性物質において電荷と格子の自由度が強く結合した電子型強誘電体と呼ばれる状態が発見されました。このような状態では、格子が変位すると同時に電荷が移動することにより、巨大な電気分極が発現します。一方で、電子が持つもう一つの重要な自由度であるスピンについては、一重項状態(シングレット)と呼ばれる量子力学的なペアを組むために、あらわにはならず、ほとんど注目されてきませんでした。
今回、東京大学大学院工学系研究科の須波圭史学術支援専門職員、宮川和也助教、鹿野田一司教授らを中心とする研究チームは、このような電子型強誘電体に圧力を加え、強誘電性が消えるとされる温度の近傍において、そのスピン状態を核磁気共鳴法によって精密に調べました。その結果、強誘電秩序が破壊されると同時に、スピン自由度が生み出されることを明らかにし、それが物質内を拡散的に伝搬していることを実証しました。そしてこのスピンの伝搬は、シングレットペアの組み残しとして生じる孤立スピンが物質内を拡散的に動いている、ソリトン的なトポロジカル励起によるものであることを突き止めました。このように物質内を動き回るソリトンは、導電性高分子として知られるポリアセチレンにおいては、電気伝導を担う粒子として盛んに研究されてきましたが、電荷と格子が強く結合した強誘電体において、磁性を担うソリトンの存在とその運動は今回初めて実証されました。
詳細
−電荷と格子が強く結合した場を動き回るスピンソリトン−1.発表者:
須波 圭史(東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻 学術支援専門職員)
西川 哲郎(東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻 修士 2 年生:研究当時)
宮川 和也(東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻 助教)
堀内佐智雄(産業技術総合研究所フレキシブルエレクトロニクス研究センター 上級主任研究員)
加藤 礼三(理化学研究所開拓研究本部 主任研究員)
宮本 辰也(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 助教)
岡本 博(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 教授/産業技術総合研究所先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ ラボチーム長)
鹿野田一司(東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻 教授)2.発表のポイント:
◆電荷と格子が強く結合した強誘電体(注 1)において、その秩序が壊れるときに生まれる磁気的な励起(れいき:エネルギーが高い)状態がソリトン(注 2)と呼ばれるトポロジカルな励起(注 3)であることを捉えた。
◆電気的な性質が注目される強誘電体に対して、磁性という観点から特異なスピン励起の存在を実証した。
◆通常の電子とは異なる形で物質内を伝搬するソリトンが示す電気的・熱的な輸送特性の研究の舞台として、広範な影響を及ぼすことが期待される。
3.発表概要:
物質の中には、電荷・スピン・格子といった複数の自由度が存在し、それらが協調することでさまざまな現象が発現します。近年、分子性物質(注 4)において電荷と格子の自由度が強く結合した電子型強誘電体と呼ばれる状態が発見されました。このような状態(系と呼ぶ)では、格子が変位すると同時に電荷が移動することにより、巨大な電気分極(注 5)が発現します。一方で、電子が持つもう一つの重要な自由度であるスピンについては、一重項状態(シングレット)と呼ばれる量子力学的なペアを組むために、あらわにはならず、ほとんど注目されてきませんでした。
今回、東京大学大学院工学系研究科の須波圭史学術支援専門職員、宮川和也助教、鹿野田一司教授らを中心とする研究チームは、このような電子型強誘電体に圧力を加え、強誘電性が消えるとされる温度の近傍において、そのスピン状態を核磁気共鳴法によって精密に調べました。その結果、強誘電秩序が破壊されると同時に、スピン自由度が生み出されることを明らかにし、それが物質内を拡散的に伝搬していることを実証しました。そしてこのスピンの伝搬は、シングレットペアの組み残しとして生じる孤立スピンが物質内を拡散的に動いている、ソリトン的なトポロジカル励起によるものであることを突き止めました。このように物質内を動き回るソリトンは、導電性高分子として知られるポリアセチレンにおいては、電気伝導を担う粒子として盛んに研究されてきましたが、電荷と格子が強く結合した強誘電体において、磁性を担うソリトンの存在とその運動は今回初めて実証されました。
今回の研究成果は、強誘電体の物理に磁性という観点から新たな展開を与えるのみならず、従来のエレクトロニクスにおける電気を運ぶ担い手である電子とは異なる形で物質内を動き回るソリトンが引き起こす、電気的・熱的な輸送特性という応用的な研究にも波及していくことが期待されます。本研究は、2018 年 12 月 1 日(日本時間)に米国科学誌「Science Advances」(オンライン版)で公開されます。4.発表内容:
<研究の背景>
一般に強誘電体と呼ばれる物質群では、電気的に偏りを持った分子(極性分子)の向きが揃う、もしくはイオン化した原子(or 分子)が変位することで、物質中の特定の方向に電気分極を発現します。しかし近年、分子の変位と同時に生じる電子の変位(厳密には電子の波動関数の変調)によって、電子由来の巨大な分極を持つ、電子型強誘電体と呼ばれる状態が発見されました。これはまさに電荷と格子という 2 つの自由度の協調現象です。一方で、強誘電体におけるスピン自由度という観点では、近年盛んに研究されているマルチフェロイクス(注 6)において、磁場による分極制御など目覚ましい研究が精力的に行われています。しかしながら、電子型強誘電性を示す物質においては、そのスピン自由度は隣り合う分子が近づくことによる格子の二量体化に伴いシングレットと呼ばれる量子力学的なペアを組み非磁性となるために、ほとんど研究されてきませんでした。<研究の内容>
本研究グループは、このような電子型強誘電性を示す物質として知られている分子性物質 TTF-CA(図 1A)に、圧力を加えることでスピンソリトンと呼ばれるトポロジカルなスピン励起が出現する可能性を考えました。その理由は、TTF-CA は大気圧中では低温で強誘電秩序を示しますが、圧力を加えると強誘電相が高温まで広がるとともに、その秩序が破壊される温度の近傍で格子揺らぎが非常に発達することが先行研究により示されています。このような格子揺らぎが発達した状態では、短距離的に二量体を組んでいる領域が時間的に揺らいでいると考えられ、その場合二量体の組み残しとしてスピンソリトン(図 1B)が出現することが期待されるためです。
そこで本研究グループは、核磁気共鳴法(NMR)を用いて TTF-CA の圧力下スピン状態を精密に調べました。その結果、核スピン-格子緩和率と呼ばれるスピンの揺らぎを示す量が上述の格子揺らぎが発達した領域(イオン性常誘電相:図 1C)で著しく増大することから、この領域に緩和を引き起こすスピン自由度が存在することを見出しました。また緩和率が顕著な周波数依存性を示すことから、スピンが拡散的に伝搬していることが明らかになりました(図 2)。このような磁性を発現する機構としては 1 つに、各分子のすべてに局在したスピンが存在し、それらが磁気的に相互作用するモデルが考えられますが、この描像では観測された緩和率が理論値と比較して一桁程度大きくなり、矛盾が生じます。本研究グループは、実験データを詳細に解析した結果、今回観測された磁性は、シングレットペアの組み残しとして(25 個のペア当たり 1 つの割合で)生じた孤立スピンが物質内を動き回るソリトン的なトポロジカル励起によるものであることを突き止めました。<研究の意義と展望>
過去にも TTF-CA の磁性状態に関する研究はいくつか行われていますが、これまでに観測されたスピンはどれも空間的に束縛されており、物質内を動き回ることはできず、物性に大きな影響を与えることはありませんでした。これに対して、今回明らかとなったスピンソリトンは、電子が波のように広がって伝わるのとは違い、空間的に局在した孤立波がその形を保ったまま伝搬するという描像で記述されるために、通常の電子とは異なる輸送特性を生み出すことが期待されます。理論的にもソリトンによる特異な電気伝導が議論されており、本研究によって実験的にソリトンの存在が実証されたことで、このようなトポロジカル励起による電気的・熱的な輸送特性の研究が更に加速することが期待されます。本研究は、2018 年 12 月 1 日(日本時間)に米国科学誌「Science Advances」(オンライン版)で公開されます。5.発表雑誌:
雑誌名:「Science Advances」( 12 月 1 日)
論文タイトル: Evidence for solitonic spin excitations from a charge-lattice-coupled ferroelectric order
著者:K. Sunami*, T. Nishikawa, K. Miyagawa, S. Horiuchi, R. Kato, T. Miyamoto, H. Okamoto, and K. Kanoda*
DOI 番号: 10.1126/sciadv.aau77256.問い合わせ先:
東京大学大学院工学系研究科 物理工学専攻
学術支援専門職員 須波 圭史(すなみ けいし)
東京大学大学院工学系研究科 物理工学専攻
教授 鹿野田 一司(かのだ かずし)
<報道に関すること>
東京大学大学院工学系研究科 広報室
東京大学大学院新領域創成科学研究科 総務係
理化学研究所 広報室 報道担当
7.用語解説:
(注 1)強誘電体:一般に電気を流さない物質に外部から電気的な場(電場)を加えると、それに比例した電気分極が物質内に生じます。このような物質を常誘電体と呼びます。一方で外部電場をゼロにしても、自発分極を発生させる物質のことを強誘電体と呼びます。このような物質では、電場の方向を反転させると自発分極が反転することが知られています。
(注 2)ソリトン:空間的に局在した孤立波によって記述される励起(れいき:エネルギーが高い)状態を指します。伝搬によって孤立波の形状が変わらないことが特徴で、なじみ深い例だと津波などが挙げられます。
(注 3)トポロジカルな励起:トポロジーとは連続変形に対して不変に保たれる量を扱う学問分野です。本研究では特に実空間のトポロジーに注目し、空間的に異なる状態間の境界に生じる欠陥のことをトポロジカルな励起と呼んでいます。
(注 4)分子性物質:自然界の多くの物質は、原子が凝集することで生まれます。一方、複数個の原子が強い結合で結ばれた分子を作り、それが集まってできる物質のことを分子性物質と呼びます。このような物質は、分子間の結合が比較的弱いために、無機物質に比べて柔らかいという特徴があります。
(注 5)電気分極:物質中のミクロな電気双極子の和として定義される量で、空間の反転対称性が破れると外部から電場を加えなくても自発分極を生じ、ゼロでない値を取るようになります。
(注 6)マルチフェロイクス:物質中では強誘電体や強磁性体のように、対称性の破れによって電気双極子やスピンの向きがある方向に揃うといった長距離的な秩序を有することがありますが、特に二つ以上の秩序を有する系のことをマルチフェロイクスと呼びます。このような系では、電場による磁性制御や磁場による分極制御など、本来であれば制御できない外場による物理量の制御が可能となります。
9.添付資料:
図 1. スピンソリトンの概念図と TTF-CA の温度-圧力相図図 A に示した二種類の分子が交互に積層して構成される TTF-CA では、二量体の形成パターンが 2 通り存在することから、その境界にスピンソリトンが出現する(図 B)。このような励起が図 C 右上の赤で示した領域で顕著に出現することを明らかにした。
図 2. 核スピン-格子緩和率の NMR 周波数依存性スピン揺らぎを表す核スピン-格子緩和率が顕著な周波数依存性を示すことから、物質内を拡散的に伝搬するスピン励起の存在を明らかにした。