電池、電子デバイスなどの材料研究に新解析法
2018/06/22 熊本大学 九州シンクロトロン光研究センター 科学技術振興機構(JST)
東京大学
ポイント
- 物質のミクロ構造解析において、「フーリエ変換」を用いる従来法では、ミクロ構造の事前知識を必要とするため詳細な解析が困難だった。
- 最新の情報抽出技術「スパースモデリング」を用い、事前知識を必要とせずに測定データのみから原子周辺の構造と原子の構造ゆらぎを解析できる手法を世界で初めて開発。
- 新規材料研究において物質の構造の推定が可能となり、電池の高機能化や長寿命化などに貢献することが期待される。
熊本大学 パルスパワー科学研究所 赤井 一郎 教授らの研究グループは、金属、半導体、絶縁体などの広域X線吸収微細構造(EXAFS:Extended X-Ray Absorption Fine Structure)注1)の解析法に、スパースモデリング注2)を適用しました。その結果、従来法では必要とされた原子スケールのミクロ構造の事前知識を必要とせず、測定データのみから、観測対象とする原子近傍10Å(1nm)程度までのミクロ構造と、近接原子の構造ゆらぎや可動性注3)を推定することを可能にしました。この方法は、新規解析法として新規機能性材料や、熱電材料、二次電池の固体電解質材料などの物質の構造解明に応用され、電池の高機能化や長寿命化などに貢献することが期待されます。
本研究成果は「Journal of the Physical Society of Japan」オンライン版に平成30年6月22日に掲載されます。
本研究は、文部科学省 科学研究費助成事業(熊本大学 赤井 一郎 教授)およびJST 戦略的創造研究推進事業(さきがけ 五十嵐 康彦 研究者、CREST 東京大学 岡田 真人 教授)の支援を受けて行いました。
<説明>
電池、電子デバイスなどの機能性部材の新機能発現や性能向上を実現するには、それらを構成する物質の構造とその変化を原子レベルで解明する必要があります。電池に用いられる電極触媒のように、多くの材料はその機能が原子のナノメートルレベルの配位構造に支配されているからです。そこで、原子スケールでこのミクロ構造を解析できる「広域X線吸収微細構造」測定法が汎用的に使用されています。EXAFS測定法は物質・材料科学だけでなく、合成化学や生命科学、医学などの広い分野で利用されています。
本研究では、物質を構成する原子がその化学構造や結合状態を反映して規則的に点在(配位)し、そのため着目する原子から隣接原子までの距離が離散的、言い換えればまばら(スパース)である事実に着目しました。そこで、EXAFS測定で得られたスペクトルの解析にスパースモデリングと呼ばれる情報抽出技術を適用した新規解析法を開発しました。その結果、従来は正確な推測が困難だった部分の解析が可能になり、ミクロ構造の事前知識なしで、原子周辺のスパースなミクロ構造と、近接原子の構造ゆらぎや可動性の推定を実現しました。
EXAFS振動スペクトルは図1右側グラフのように得られます。これまでは、得られた振動スペクトルのフーリエ変換注4)を行うことで、図1(a)に示したような、隣接する近傍原子がどれくらいの距離にどれくらい分布しているか(動径分布)の情報を計算し、ミクロ構造の知見を得ていました。しかし、この動径分布は図1(b)に示した「正しい」動径構造関数注5)N(R)とは大きく異なります。これは、EXAFSスペクトルの振動波形の振幅が観測範囲で増加・減少するにもかかわらず、フーリエ変換は振幅が一定で連続的に振動する波を基底関数注6)として展開するためです。例えば、図1右側のグラフでは、横軸に示す自由電子波の波数kが大きな領域(k>8Å-1)において振幅が減少しています。こうした振幅の増減は、原子と近接原子との間の距離のばらつき(構造ゆらぎ)や可動性によるものです。この構造ゆらぎや可動性は「デバイ・ワラー因子」という物理量で示され、EXAFSスペクトルのフーリエ変換では得られないため、別の解析が必要でした。
そこで、熊本大学 パルスパワー科学研究所 赤井 一郎 教授らは、EXAFS振動スペクトルの解析に適切な基底関数を用いることでこうした課題が解決可能であると考え、近年天文学、医学、工学といった幅広い分野で適用が進んでいる情報科学の手法であるスパースモデリングを適用しました。その際、デバイ・ワラー因子や、自由電子波の平均自由行程(物質中を自由電子波が伝播しうる平均距離)など、原子周りのミクロ構造の推定に重要な項を可能な範囲で組み込んだ基底関数を用いました。さらに、近接原子の配位が距離に対してスパースである事実をスパースモデリングとして組み込むことで、一切の事前知識なく測定データのみから、(1)距離に対してまばらに配置している原子間の動径構造関数(ミクロ構造)を得ることと(2)デバイ・ワラー因子(近接原子の構造ゆらぎや可動性)の推定を実現しました。
特にデバイ・ワラー因子を一切の事前知識なく推定できることにより、今後、さまざまな材料研究で新しい展開を生み出すことが期待できます。従来法では、デバイ・ワラー因子を推定するためにミクロ構造の仮定が必要で、その仮定構造に基づいた計算によってEXAFS振動スペクトルの解析を行うため、ミクロ構造が事前に分かっている材料でなければデバイ・ワラー因子の推定は困難でした。それに対し、開発した新解析法はミクロ構造の仮定を必要としないため、構造が分からない新規材料や近接原子のゆらぎが重要な熱電材料、近接原子の可動性が重要で二次電池の固体電解質材料として注目される超イオン伝導材料のミクロ構造やデバイ・ワラー因子の評価で、重要な成果を生み出すことが期待できます。
本研究では、新解析法の正当性を示すため銅箔試料のEXAFS振動スペクトル解析に本手法を適用しました。図2がその結果の概要です。図2-1の実験データ(緑色)とスパースモデリングによる再現データ(赤線)を比較すると、新解析法は極めてよく実験データを再現できていることが分かります。一方、図2-2(a)の赤色の縦棒はスパースモデリングで抽出された離散的(スパース)な動径構造で、原子間距離Rに対して連続関数であるフーリエ変換スペクトル(緑色)と大きく異なることが分かります。銅の最近接原子間距離(図2-2(a)の波線)は赤色と緑色でほぼ一致するのに対し、スパースモデリングで得られる赤線の強度は原子間距離Rの増加とともに増加します。これは、銅の結晶構造の性質上、遠距離ほど同じ距離に配位する原子数が増加することを正しく評価できていることを意味し、図2-2(b)に示した銅の動径構造関数が持つ同じ傾向をよく説明できていることが分かります。この結果は、従来では数Å程度の距離に位置する最近接や第2、第3近接原子程度までしかミクロ構造の推定が出来なかったのに対し、新解析法は、その範囲を大きく拡大し、自由電子波が伝播する平均自由行程(約10Å)の範囲内の遠距離構造を解析できることを意味します。さらに、デバイ・ワラー因子の自動推定は、銅で得られる値を正しく推定できることを証明しました。
このように本研究では、標準試料の銅を対象として、スパースモデリングがEXAFS振動スペクトルの解析で有効に働くことを示しました。今後、従来法では詳細な解析が困難であった材料研究に応用することにより、新たな発展が期待できます。
<参考図>
図1 EXAFSスペクトルの従来解析法の問題点
図(b)の青線は物質の構造から決まる正しい動径構造関数N(R)で、原子間距離Rに対しまばら(スパース)であり、構造の対称性を反映して、距離が離れるに従って同じ距離に配位する原子数(強度)が増加することが分かります。それに対し従来は、赤枠にあるようなEXAFS振動スペクトルをフーリエ変換して、図(a)に緑色で示した、原子間距離Rに対するスペクトルを得ることでミクロ構造の情報を得ていました。しかしこのスペクトルは原子間距離Rの連続関数で、Rの増加と共に強度が減少します。原子間の距離が遠くなるほど、正しく推測できていません。さらに従来法では、近接原子のデバイ・ワラー因子(σDW)を推定するためにはミクロ構造の事前知識が必要でした。
©The Physical Society of Japan
図2-1 EXAFS振動スペクトル
©The Physical Society of Japan
図2-2 動径構造関数
図2 EXAFS振動スペクトルにスパースモデリングを適用した結果
図2-1(a)実験データ、(b)スパースモデリングによる再現結果、(c)再現データと実験データの残差。
図2-2(a)緑線:従来のフーリエ変換スペクトル、赤線:スパースモデリングで抽出された動径分布、(b)銅の動径構造関数。
<用語解説>
- 注1)広域X線吸収微細構造(EXAFS:Extended X-Ray Absorption Fine Structure)
- EXAFSは、原子のX線吸収によって放出される自由電子波と、それが近接原子によって散乱・回折された自由電子波との干渉現象を利用した構造解析法です。干渉パターンが近接原子との距離で劇的に変化することから、原子スケールのミクロ構造を解析するために汎用的に用いられています。具体的には、図2-1(a)の緑色の波形で示したように、自由電子波の波数kを横軸に、X線吸収強度の振動波形として観測されます。
- 注2)スパースモデリング
- 現象を説明する要因は少数(スパース)であるという仮定に基づき、適切な規範に従ってデータに含まれる主要因を抽出する方法です。少ない情報から全体像をつかむことができ、MRI画像の鮮明化など多くの分野で利用されています。本研究で対象としたEXAFSでは、ターゲットとする原子(X線を吸収する原子)に隣接する原子は、化学構造や対称性を反映して、原子間距離に対して離散的、つまりスパースに配位する事実に基づいて適用しています。
- 注3)構造ゆらぎや可動性
- 物質中の原子は、原子間の結合状態を反映して規則的な立体構造を形成しています。しかし原子は、規則的に決まる平衡位置で停まっておらず、その平衡位置を中心に細かく熱振動しており、この振動は温度が上がるとともに激しくなり熱伝導率に大きく影響します。さらに構造に欠陥があると原子の位置にズレが生じてしまいます。実際には、こうしたミクロ構造のゆらぎが物質の機能を支配しており、原子の熱的な構造ゆらぎや可動性は、同じ物質内での温度の違いを利用した熱電材料やイオン伝導を利用する二次電池材料にとって重要な要素です。構造が分からない物質でも構造ゆらぎや可動性を推定できる新解析法は、こうした熱電材料や二次電池材料などの解析や開発にとって画期的なものになります。
- 注4)フーリエ変換
- 周期的な振動波形を、余弦関数と正弦関数を基底関数として展開して再現する変換方法です。振動性波形の振動周波数成分を分解するときに汎用的に用いられています。
- 注5)動径構造関数
- ある注目原子の周りに原子がどのように分布しているかを表す関数。原子の分布を、注目原子からの距離Rの関数として表します。
- 注6)基底関数
- フーリエ変換などでは、波の重ね合わせの原理に基づいて、基本的な波形の足し合わせで、さまざまな波形を再現します。その際に用いられる、基本的な波形を表す関数を基底関数といいます。
<論文情報>
タイトル:“Sparse Modeling of an Extended X-Ray Absorption Fine-Structure Spectrum based on a Single-Scattering Formalism”
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
赤井 一郎(アカイ イチロウ)
熊本大学 パルスパワー科学研究所 教授
<JST事業に関すること>
松尾 浩司(マツオ コウジ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 ICTグループ
<報道担当>
熊本大学 総務部 総務課 広報戦略室
科学技術振興機構 広報課