コケ植物による金属回収や環境浄化の可能性に期待
2018-1-17 理化学研究所
要旨
理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター生産機能研究グループの井藤賀操上級研究員、榊原均グループディレクターらの共同研究グループ※は、鉛吸着材に使えるコケ植物の新たな生物機能を発見しました。
鉛などの重金属類による汚染水は、深刻な環境問題となっています。汚染水から重金属類を除去するために、さまざまな手法や材料が開発、利用されていますが、これらは限りある化石資源に由来します。このため、将来的には、植物の機能を用いた手法など持続可能なシステムへ代替していくことが期待されています。コケ植物の一つ、ヒョウタンゴケ(Funaria hygrometrica)[1]の原糸体[2]が鉛[3]を高蓄積することは、これまで井藤賀上級研究員らによって確認されていました注1)。しかし、鉛の細胞内局在部位や高吸着に関わる成分、鉛吸着材としての物理化学的特性や、このコケの鉛耐性能については分かっていませんでした。
今回、共同研究グループは、野外から採取したヒョウタンゴケ原糸体の無菌液体培養系を確立しました。この原糸体は直鎖上の細胞列から成り立っています。そのうえで、この細胞壁部分に大部分の鉛が捕捉されていることを、エネルギー分散型X線分析法(TEM-EDX)[4]によって明らかにしました。また、生きた状態ではなく、細胞壁成分(表層成分)だけでも吸着能力があることを示しました。そして、この表層成分を二次元核磁気共鳴法(2D-NMR)[5]で解析し、ポリガラクツロン酸[6]とセルロース[7]が鉛を捕捉している成分であることを明らかにしました。またヒョウタンゴケの原糸体は鉛吸着材として、酸性から塩基性までの幅広いpH[8]で、鉛だけでなく金、白金族の元素も吸着し、いったん吸着すると海水などに浸しても脱着しない優れた特性を持つことが分かりました。そして、ヒョウタンゴケ自体が鉛耐性を有する生き物であることも明らかにしました。
本成果は、コケ植物による金属回収や環境浄化の可能性を示すもので、今後の応用が期待できます。
本研究は、米国のオンライン科学雑誌『PLOS ONE』(12月20日付け)に掲載されました。
注1)2011年1月号RIKEN NEWS「コケ植物でグリーンイノベーションを実現する」pp.12-14.(PDF: 3,218KB)
※共同研究グループ
理化学研究所 環境資源科学研究センター
生産機能研究グループ
グループディレクター 榊原 均 (さかきばら ひとし)
上級研究員 井藤賀 操 (いとうが みさお)
テクニカルスタッフII 加藤 由佳梨(かとう ゆかり)
環境代謝分析研究チーム
チームリーダー 菊地 淳 (きくち じゅん)
テクニカルスタッフI 坪井 裕 (つぼい ゆうり)
質量分析・顕微鏡解析ユニット
上級研究員 豊岡 公徳 (とよおか きみのり)
技師 佐藤 繭子 (さとう まゆこ)
神奈川大学 理学部
教授 鈴木 季直 (すずき すえちか)
助教 早津 学 (はやつ まなぶ)
DOWAエコシステム株式会社 環境技術研究所
所長 川上 智 (かわかみ さとし)
DOWAテクノロジー株式会社 技術開発部
課長 中塚 清次 (なかつか せいじ)
背景
水は、地球上の生命活動に欠くことのできない物質であり、人類は、水を飲み水だけでなく農業や工業にも利用します。そこで排出される重金属類による汚染水は、深刻な環境問題となっています。汚染水から重金属類を除去するために、さまざまな物理化学的な手法や材料がこれまでに開発、利用されています。しかし、これらは限りある化石資源に由来するため、将来的には、持続可能なシステムに代替していくことが期待されています。
そうしたシステムとして、植物の機能を用いたファイトレメディエーション[9]という手法が挙げられます。除去対象となる重金属類を吸収・移行・無毒化できる生物機能を持った有用な植物種が、世界各地で選抜されています。この選抜は、自然界の劣悪な環境に先駆的に侵入することができる植物の種類(パイオニア種[10])を対象に実施されています。現生の陸上植物の中で最初に他の分類群(シダ植物、種子植物)から分岐した基部陸上植物であるコケ植物は、約5億年の年月を経て、陸上環境で独自の進化を遂げてきました。コケ植物から、重金属類の濃度が高い環境に先駆的に侵入できるパイオニア種が現時点で約30種類報告されています注2)。
井藤賀上級研究員らはこれまで、持続可能な鉛吸着材としてパイオニア種であるヒョウタンゴケ(Funaria hygrometrica)の原糸体を利用する新しい技術の開発に向けて、本種の原糸体の生物機能を研究してきました。そのなかで、原糸体が鉛を高蓄積することを確認しましたが、鉛の細胞内局在部位や高吸着に関わる成分、鉛吸着材としての物理化学的特性や、このコケの鉛耐性能については分かっていませんでした。
注2)Prasad MNV, Freitas HM (2003) Metal hyperaccumulation in plant-biodiversity prospecting for phytoremediation technology. Electronic J Biotechnol 6: 285-321.
研究手法と成果
共同研究グループは、福岡県大牟田市の埋め立て地から採集したヒョウタンゴケの胞子体から胞子を寒天培地に播種し、原糸体の株を取得しました。さらに、原糸体を恒常的に生産できる液体通気培養法[11]を確立しました。
まず、金属類の吸着材として用いる原糸体の形態は、均質な繊維構造を示し、1本の繊維は、直鎖上の細胞列からなることを、走査型電子顕微鏡[12]で明らかにしました。
また、均質な繊維構造を持った原糸体をカラムに充填し、15元素(リチウム:Li、アルミニウム:Al、クロム:Cr、マンガン:Mn、コバルト:Co、ニッケル:Ni、亜鉛:Zn、セレン:Se、イットリウム:Y、モリブデン:Mo、銀:Ag、白金:Pt、金:Au、タリウム:Tl、鉛:Pb)に対する吸着試験を実施しました。その後、原糸体中の各元素の蓄積濃度を定量するために、まず、マイクロ波分解法[13]により湿式灰化処理し、取得した分解液中の元素濃度を誘導結合プラズマ質量分析法[14]で解析することで、原糸体の乾燥重量あたり鉛を最大で74.1%蓄積していることが分かりました。残りの14元素の蓄積量は、Au(11.3%)>
次に、最大で74.1%蓄積する鉛の細胞内局在部位を特定するために、エネルギー分散型X線分析法(TEM-EDX)を用いて分析した結果、細胞壁部分に大部分の鉛が捕捉されていることが明らかになりました。細胞分画法により調製した細胞壁画分を鉛溶液で処理後、ロジソン酸溶液試薬を用いた組織染色法による鉛の可視化とエネルギー分散型の蛍光X線分析法[15]による定性分析を行ったところ、調製した細胞壁画分から確かに鉛が検出されたことが分かりました。そして、この細胞壁成分(表層成分)を二次元核磁気共鳴法(2D-NMR)で解析し、ポリガラクツロン酸とセルロースが鉛を捕捉している成分であることを明らかにしました。
続いて、ヒョウタンゴケ原糸体の鉛吸着材としての性能を評価するために、鉛を含む40種類の元素を対象に、各元素の吸着に与えるpHの影響を調べたところ、鉛や金および白金族(ルテニウム:Ru、ロジウム:Rh、パラジウム:Pd、イリジウム:Ir、白金:Pt)の金属類を、酸性から塩基性の幅広いpHでよく吸着することが分かりました(図1)。また、吸着した鉛の脱着有無や程度を評価するために、さまざまなイオン強度[16]の電解質水溶液に浸してその影響について調べました。その結果、海水のような溶液中でも鉛の脱着がほぼ認められないといった優れた特性を持つことも分かりました。
さらに、ヒョウタンゴケ自体が鉛耐性を有する生き物であることも明らかにしました。
今後の期待
本成果は、コケ植物による金属回収や環境浄化の可能性を示すもので、今後の応用が期待できます。
地球規模で持続可能性を実現するための計画として、国際連合の2030アジェンダに基づき17の持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)が定められました。この一つである「陸の豊かさを守ろう(Life on land)」では、陸上生態系の保護、回復および持続可能な利用の推進、森林の持続可能な管理、砂漠化への対処、土地劣化の阻止および逆転、ならびに生物多様性損失の阻止を図ることが掲げられています。
ヒョウタンゴケによる汚染土壌や水圏の浄化の研究開発は、まさに、このSDGsに向けて進められるものといえます。共同研究グループは、ヒョウタンゴケの原糸体の大規模な生産を可能とする技術を開発することで、陸の豊かさを守ることができると考えています。
原論文情報
Misao Itouga, Manabu Hayatsu, Mayuko Sato, Yuuri Tsuboi, Yukari Komatsu-Kato, Kiminori Toyooka, Suechika Suzuki, Seiji Nakatsuka, Satoshi Kawakami, Jun Kikuchi, Hitoshi Sakakibara, “Protonema of the moss Funaria hygrometrica can function as a lead (Pb) adsorbent”, PLOS ONE, doi: 10.1371/journal.pone.0189726
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター 生産機能研究グループ
上級研究員 井藤賀 操 (いとうが みさお)
グループディレクター 榊原 均 (さかきばら ひとし)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
産業利用に関するお問い合わせ
理化学研究所 産業連携本部 連携推進部
補足説明
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- ヒョウタンゴケ
- コケ植物は、陸上植物(Embryophyta)のなかで維管束が発達しなかった分類群(非維管束植物群)で、蘚植物門(Bryophyta)、苔植物門(Hepatophyta)、ツノゴケ植物門(Anthocerotophyta)の三つの系統が該当する。ヒョウタンゴケは蘚植物門ヒョウタンゴケ科ヒョウタンゴケ属の一種で、学名は、Funaria hygrometrica Hedw.という。本種は、第2次世界大戦のとき、日本では空爆後の焦土に大群落ができたといわれている。
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- 原糸体
- コケ植物・シダ植物において、胞子が発芽後、配偶体(半数世代)本体の頂端細胞を形成するまでの植物体。コケ植物の蘚植物門では多くの葉緑体を含み、直角の隔壁を持つ短い細胞からなるクロロネマ(chloronema)とクロロネマの上に二次的に生じる褐色で葉緑体が少なく斜めの隔壁を持つカウロネマ(cauronema)の分化がある。
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- 鉛
- 鉛は採掘しやすく、加工しやすく、腐食しにくいので、古来より人類に利用されてきた代表的な重金属である。約5,000年前(紀元前3,000年)から使用されている。鉛の有害性の歴史も古く、ヒト健康影響に関する記述は、世界的には古代ギリシャの医者であるHippocrates(紀元前460~375年頃)の時代から始まる。日本では、明治時代に入ってからであり、小児の鉛中毒症が母親の用いる白粉(おしろい)に含まれる鉛によることが明らかにされている。また、鉛による工業中毒は、大正末期に鉛蓄電池工場によって発生し、労働衛生上の重要な問題の一つとなった。現在、日本の鉛およびその化合物の一律排水基準値は0.1mg/Lである。
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- エネルギー分散型X線分析法(TEM-EDX)
- EDXとは、電子線やX線などの一次線を物体に照射した際に発生する特性X線(蛍光X線)を半導体検出器に導入し、発生した電子-正孔対のエネルギーと個数から、物体を構成する元素と濃度を調べる元素分析手法。透過型電子顕微鏡(TEM)による超薄切片の観察時にEDXを用いることで、細胞内に局在した元素を同定することができる。EDXとはEnergy Dispersive X-ray spectrometry、TEMとはTransmission Electron Microscopeの略。
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- 二次元核磁気共鳴法(2D-NMR)
- 2次元NMR(2D-NMR)は核磁気共鳴 (NMR) 分光法の一つの手法である。測定結果であるスペクトルは、横軸を被測定核の化学シフト、縦軸を測定法による種々のパラメーターとした2次元平面の各点の強度として示す。
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- ポリガラクツロン酸
- ガラクツロン酸残基からなるポリウロン酸。植物の細胞壁マトリックス多糖類に含まれる。
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- セルロース
- 地球上で最も多い炭水化物。Β-D-1,4-グルカン。D-グルコピラノースがβ1→4グルコシド結合で連なった繊維状高分子。
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- pH
- pH(尺度)は溶液の酸度もしくは塩基度(酸または塩基の強さ)を測り、それを表すのに用いられる。リットルあたりのモル数で表した水素イオン濃度の対数をとり、それに負の記号をつけた値に等しい。式では、pH = -log[H1+]と書ける。
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- ファイトレメディエーション
- 植物を用いて、汚染土壌や水圏を浄化する手法。
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- パイオニア種
- 遷移の初期に裸地へ一番先に侵入し、定着する植物の種類。先駆植物は一般に陽生植物であり、生長が速い。一次遷移と二次遷移の先駆権は性格が異なるものが多い。一次遷移では極端な乾燥や貧栄養的条件(例えば、岩石地・溶岩流・火山砂など)の環境に耐え得るものが多く、地衣類、藍藻類、コケ植物あるいは共生菌をもった樹木や多年生草本などが多い。二次遷移では、生長速度や裸地化後いかに早く到達するかといった能力が重要となる。
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- 液体通気培養法
- 生物の細胞を液体中で培養する方法の一つ。細胞を攪拌したり通気したりするために、空気など気体を培養容器内に送り込む。浮遊培養ともいう。
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- 走査型電子顕微鏡
- 試料にX線を照射することで得られる二次電子線を検出して、表面像を取得する装置。試料の立体像を観察できる。
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- マイクロ波分解法
- マイクロ波試料分解法は、石英製またはフッ素樹脂製の分解容器に、試料と溶媒(通常は酸)を入れて密閉し、マイクロ波を照射して加熱分解させる試料前処理法のこと。
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- 誘導結合プラズマ質量分析法
- 誘導結合プラズマとは、電子とイオンが分離して自由に運動している状態、すなわちプラズマの一種である。プラズマ中で生成したイオンの質量数およびイオン強度により定性および定量を行う分析法で、溶液試料中に含まれる多種類の元素を同時に定量分析できる。
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- エネルギー分散型の蛍光X線分析法
- 固体試料にX線を照射して発生する特性X線(蛍光X線)のエネルギーと強度を測定し、そこに存在する元素の種類や濃度を知る非破壊分析法。横軸にエネルギー値、縦軸に強度値とした蛍光X線スペクトルを取得することで、固体試料を構成している元素の定性分析ができる。試料台もしくはX線の照射管を稼働制御することで、点分析や線分析、元素マッピングなどを行うことができる。
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- イオン強度
- 電解質溶液中のイオン-イオン相互作用の強さを表す組成変数。溶液のイオン強度は、溶液中のすべてのイオン種について、それぞれのイオンのモル濃度と電荷の2乗の積を加え合わせ、さらにそれを1/2にしたものである。式では、µ = 1/2ΣCi×Zi2と書ける。ここでCiはイオンiをmol/lで表した濃度、Ziはイオンの電荷である。
図1 ヒョウタンゴケの鉛吸着性能の評価(pHの影響)
広範なpH条件下で40元素を対象とした吸着性能を確認したところ、ヒョウタンゴケの原糸体(吸着材)は、鉛(Pb)や金(Au)および白金族(ルテニウム:Ru、ロジウム:Rh、パラジウム:Pd、イリジウム:Ir、白金:Pt)の金属類を主に、よく吸着する性質(酸性から塩基性の幅広いpHにおいて回収率が高い)があることが分かった。縦軸は回収率、横軸はpHの値。なお、赤枠は、重金属浄化、有価金属リサイクル回収の両カテゴリーにおいて共同研究グループが注目している元素。値を緑色表示しているPbとAuは、重金属浄化、有価金属リサイクル回収の両カテゴリー中でもっとも蓄積量が高かった金属。