大強度陽子ビームに晒される金属はどのくらい損傷するのか

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高エネルギー陽子ビームを用いる加速器駆動システムの安全に貢献

2020-07-01 日本原子力研究開発機構,J-PARCセンター,高エネルギー加速器研究機構

【発表のポイント】

  • 高レベル放射性廃棄物の減容化・有害度低減のため研究開発が進められている加速器駆動システム(ADS)では、大強度の陽子ビームの入射部となるビーム窓等の材料の放射線による損傷をできるだけ少なくするためその損傷評価が重要となります。しかしながら、この損傷評価の基準となる「原子の弾き出し断面積」の実験データは乏しく、評価計算の妥当性がわかりませんでした。
  • J-PARCの陽子加速器施設において、ADS機器の材料となる鉄と銅の原子の弾き出し断面積の測定を行い、鉄については世界で初めてADSに用いる陽子ビームのエネルギー領域における弾き出し断面積の取得に成功しました。
  • 本研究で得られた知見により、ADSのみならずJ-PARCのような高エネルギー加速器施設で用いられる材料の損傷評価がより精度良く行えるようになりました。

大強度陽子ビームに晒される金属はどのくらい損傷するのか

加速器駆動システムの概要と弾き出し損傷

【概要】

国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 児玉敏雄、以下、「原子力機構」)J-PARCセンターの明午 伸一郎 研究主席、原子力基礎工学研究センターの岩元 洋介研究主幹らのグループは、高レベル放射性廃棄物を効率的に減容化・有害度低減する加速器駆動システム(Accelerator Driven System, ADS: 注1)における陽子ビームに起因する材料の損傷について、原子力機構および大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(機構長 山内 正則、以下、「高エネ研」)の共同運営組織であるJ-PARCセンター(センター長 齊藤 直人)の陽子加速器施設を用いて定量化しました。

J-PARCセンターでは、原子力機構の原子力基礎工学研究センター(基礎工センター)と共に、原子力発電で使用された燃料の再処理から生じる高レベル放射性廃棄物を効率的に減容化・有害度低減する加速器駆動システム(ADS)の実現に向け研究開発を進めています。ADSでは、数十億電子ボルト(ギガ電子ボルト、GeV)という高エネルギーの陽子ビームの導入部に鉄鋼製の「ビーム窓」を用い、また加速器の電磁石には銅を用います。ビーム窓などの材料に陽子ビームが入射する際に、原子の弾き出し(注2)が起こり、材料強度が変化します。原子あたりの弾き出し数(注3)は、陽子ビームの強度(陽子束)に、原子の弾かれやすさ(弾き出し断面積)を乗ずることにより計算されますが、弾き出し断面積の実験データはほとんどありません。特にADSで重要な数十億電子ボルト(GeV)のエネルギー領域における鉄の実験データは無く、計算に用いるモデルの妥当性の評価ができませんでした。

そこで本研究では、ADSの機器の材料となる鉄と銅の弾き出し断面積をJ-PARCの加速器を用いて測定しました。この測定では、金属の格子中に損傷が生じると電子の流れが阻害され電気抵抗が高くなる性質(マティーセン則 注4)を利用しましたが、一度生成した損傷が熱運動により元に戻らないようにするため、4 K(マイナス269℃)程度に冷却した試料に陽子ビームを入射し電気抵抗の増加を観測しました。この実験により、鉄に対して、世界で初めてGeVのエネルギー領域における弾き出し断面積を取得しました。また、原子力機構で開発したPHITSコード(注5)へ最新の分子動力学法(注6)に基づく材料損傷モデルを組み込んで弾き出し断面積を計算し、その結果と測定値を比較したところ、両者はよい一致を示しました。

以上のように、本研究で行った弾き出し断面積データ測定と材料損傷モデルの精度確認により、ADSのみならず広くJ-PARCのような高エネルギー加速器施設で使われる材料の損傷評価が可能になり、さらなる安全性向上につながるものと期待しています。

本研究は文部科学省の原子力システム研究開発事業「J-PARCを用いた核変換システム(ADS)の構造材の弾き出し損傷断面積の測定」で原子力機構と高エネ研が実施した成果です。本成果は、Journal of Nuclear Science and Technology のオンライン版に6月3日に掲載されました。

【研究の背景】

ADSでは、高エネルギー(数十億電子ボルト)を持つ大強度(ビーム出力 30 メガワット(MW))の陽子ビームを鉛・ビスマスからなる液体金属ターゲットに入射し、原子核が中性子や陽子などの核子を多数放出する核破砕反応により生成した中性子を利用します。J-PARCセンターではターゲットの技術開発を精力的に行っていますが、ADSの重要な課題として、液体金属ターゲットのビーム入射部となる大強度陽子ビームに耐えうるビーム窓の開発が挙げられます。

ビーム窓などの材料の放射線による損傷の基準には、原子あたりの弾き出し数(dpa; 注3)が広く用いられます。このdpaは原子の弾かれやすさを表現する弾き出し断面積を基準に計算されます。ところが、弾き出し断面積の実験データはほとんどないため、その妥当性が評価できないという問題がありました。特に、ADSのビーム窓はフェライト系耐熱鋼およびステンレス鋼などの鉄鋼製ですが、これまでに鉄に対しては約1,000万電子ボルト(10メガ電子ボルト、10 MeV)までのエネルギー領域でのみ実験データが取得されていました。そのため、ADSで用いる陽子のエネルギー領域における実験データが全くなく、計算による損傷評価の妥当性や信頼性が検証できませんでした。加速器の電磁石に用いる銅については、数億電子ボルト(数100メガ電子ボルト、数100 MeV)の陽子に対する実験データがありました。ただし、エネルギーに対して系統的に弾き出し断面積を計算するモデルが複数ありましたが、計算モデルの間で3倍程度の大きな違いがありました。そのため、実験データの取得が喫緊の課題でした。

【研究の内容・成果】

本研究では、J-PARCの3 GeVシンクロトロン(RCS)(注7)で加速された陽子ビームを用い、鉄と銅の陽子に対する弾き出し断面積を測定しました。

図1 J-PARCの3GeV陽子シンクロトロン加速器施設(RCS)に設置した冷凍機付き真空チェンバ―、冷凍機および鉄試料。実験では、冷凍機によりワイヤー状の鉄試料を4 K以下に冷却し、ビーム入射に伴う電気抵抗の変化により弾き出し断面積を測定しました。試料は窒化アルミからなる絶縁材で挟み込み、試料端部間の電気抵抗を測定しました。

陽子ビームを鉄や銅に照射した場合、原子が弾き出されて金属の格子中に損傷が生じます。このような状態の金属では、電子の流れが阻害され、電気抵抗が高くなる性質を持ちます。また、弾き出し原子1個で起きる電気抵抗変化は他の研究により分かっています。そのため、陽子ビームの入射による電気抵抗変化から、弾き出された原子の数が分かります。さらに、その原子の数を試料に入射した陽子強度(陽子束強度)で割ることで、弾き出し断面積を得ることができます。本研究では、鉄と銅の試料に0.4 ~ 3 GeVのエネルギーを有する陽子ビームを入射し、試料の電気抵抗変化から弾き出し断面積を導出しました。ただし、試料の温度が極低温でない場合には、熱運動により損傷が緩和し、実際の陽子照射に伴う弾き出し断面積に関係する電気抵抗を正確に測定できない問題があります。そこで本研究では、試料を4 K程度の極低温に冷却し、損傷の緩和を抑えました。

極低温状態の金属は、電気抵抗の温度依存がほとんど無くなるため、原子の弾き出しによる微弱な電気抵抗変化が測定できるようになります。これまでは極低温に冷却するために液体ヘリウムを用いた冷凍機が用いられていましたが、大量の液体ヘリウムを用いる大掛かりな装置となり、冷却方法も複雑でした。そのため、限られた大きさを持つ真空容器内で試料に陽子ビームを照射する加速器施設での使用は困難で、加速器施設における弾き出し断面積の実験的研究は、これまでにほとんど行われていませんでした。

しかしながら、近年の冷凍技術の進歩で、小型のヘリウム冷却機により液体ヘリウムを取り扱わずに極低温への冷却が可能となり、加速器施設での実験が行えるようになりました。本研究では、小型の冷却機の中で試料を絶縁体(窒化アルミニウム)に固定し電気抵抗を測定しました。ここで、試料には長さ50 mm直径0.25 mmのワイヤーを用い、実験に使用する前に融点まで昇温することで欠損が無い状態としました。また、試料の端部だけを絶縁体で固定し、陽子ビームが試料ワイヤー以外に当たって不要な核反応が起こらないようにしました。さらに外部の熱侵入を徹底して防ぐことにより、試料のみで核反応が発生する状態で4 K程度の冷却が可能になりました。実験では、直径0.25 mmの試料の中心に陽子ビームの位置を合わせる必要がありましたが、J-PARCで培ったビーム制御・測定技術を活用することで可能となりました。以上の工夫により、ADSで用いられる陽子ビームのエネルギー領域における鉄と銅の弾き出し断面積を測定し、鉄については世界で初めのデータとなりました。

図2 陽子ビーム照射中の測定温度と電気抵抗の時系列データをグラフに示します。図中の赤色■と青色●は、試料付近に取り付けた温度計による温度と試料の電気抵抗を示します。
照射前の試料温度は約3.5 K(マイナス269℃)であり、ビームの照射が開始すると試料の温度は0.5K程度上昇するのが観測されました。照射に伴う試料の温度上昇により一時的に電気抵抗が0.7 mΩ高くなりましたが、ビーム停止後には電気抵抗は下がり、照射前に比べ0.01 mΩ電気抵抗が高くなるのが観測され、これが弾き出しによる電気抵抗の増加になります。この値を用いて弾き出し断面積を求めました。

取得した弾き出し断面積を計算モデルによる断面積と比較し、検討を行いました。放射線による材料の損傷評価は、近年の計算科学の進歩により飛躍的に発展しており、原子力機構で開発を進めているPHITSコードを活用した研究が進められてきました。本研究では、PHITSコードに原子の弾き出しモデルを組込み、弾き出し断面積を計算しました。これまで広く原子炉の燃料被覆管や構造材、核融合炉の材料の損傷評価に用いられてきたNRTモデル(注8)による計算値は、10 MeV以下の陽子に対する実験値と比較的よい一致を示すことが知られていました。ただし、本実験データのエネルギー範囲では実験値の2~3倍であり、これまでのdpa評価には問題があることが明らかになりました。

図3 本研究で得た鉄および銅の陽子に対する弾き出し断面積と、他の実験データおよび計算値との比較。鉄は1,000万電子ボルト(10 MeV)以上の領域では実験データがなく、本研究により世界で初めてこのエネルギー領域のデータを取得しました。また、PHITSコードにNRTモデルおよびarcモデルを組み込み弾き出し断面積を計算しました。一般的なNRTモデルは実験値より2~3倍程度過大であることが明らかになりました。arcモデルを用いた計算値は実験値とよい一致を示し、弾き出し断面積の評価計算にはarcモデルの適用が必要なことがわかりました。

最新の分子動力学法に基づく評価では、弾き出された原子は低温状態であっても極めて短い時間(10ピコ秒、1000億分の1秒程度)にある割合で元の状態に戻る非熱的再結合を考慮した(Athermal Recombination Correction: arc 注9)モデルの有用性が示唆されています。そこで、PHITSコードにarcモデルを組み込み、弾き出し断面積を計算した結果、arcモデルの計算値は実験値とよい一致を示し、より高い精度で材料の損傷評価が行えるようになりました。

【今後の展開・波及効果】

本研究成果より、ADSに用いる陽子ビームのエネルギー領域における弾き出しによる損傷はarcモデルの適用により精度良く評価できることを示しました。これにより、ADSのビーム窓のみならず、J-PARCの核破砕中性子源のターゲットとなる鉄鋼製の水銀容器などの高エネルギー加速器施設で使われる材料の損傷を精度良く評価できるようになりました。

今後の研究において、J-PARCのメインリングシンクロトロン(MR)(注7)、米国のフェルミ国立研究所(FNAL)や欧州原子核研究機構(CERN)の加速器を用いてさらに高いエネルギー領域の断面積測定を行い、高エネルギー領域における損傷評価を行う予定です。

書籍情報

雑誌名:Journal of Nuclear Science and Technology

タイトル:Measurement of displacement cross-sections of copper and iron for proton with kinetic energies in the range 0.4 – 3 GeV

著者:H. Matsuda1, S. Meigo1, Y. Iwamoto1, M. Yoshida2, S. Hasegawa1, F. Maekawa1, H. Iwamoto1, T. Nakamoto2, T. Ishida2, and S. Makimura2

所属:1日本原子力研究開発機構、2 KEK

DOI番号:10.1080/00223131.2020.1771453

【用語解説】

(注1)加速器駆動システム(ADS:Accelerator-driven System)

原子力発電所の使用済み核燃料には、燃え残ったウランや新たな燃料となるプルトニウムの他に、核分裂反応等により生成した放射性物質が含まれます。これらの放射性物質の中には、人体に対する有害度や環境負荷が比較的大きいマイナーアクチノイドが存在します。これらを選択的に分離し、その物質の特性に応じて処理・処分できれば、使用済み核燃料からの環境負荷を大きく低減できる可能性があります。有害な元素を分離し、核反応により異なる元素に変換する技術を「分離変換技術」と呼んでいます。この技術の一環として、加速器と原子炉を組み合わせ、加速器からの高エネルギーの陽子(運動エネルギー数十億電子ボルト)を鉛やビスマスなどのターゲットに照射し、発生した中性子による核分裂反応で連鎖的に核変換していくシステムを「加速器駆動システム」と呼んでいます。加速器駆動システムは、世界的に研究開発が進められている次世代の原子炉です。

(注2)原子の弾き出し

材料が中性子や陽子などのエネルギーを持った粒子の照射を受けた時に、入射粒子との衝突によって結晶格子中の原子が正規の格子点から弾き出しされる現象を原子の弾き出し(knock−on)といい、弾き出された原子をノックオン原子といいます。原子の弾き出しは、放射線による材料の損傷の大きな要因の1つです。

(注3)原子あたりの弾き出し数

原子一つ当たりに格子点位置から弾き出された回数の平均を、弾き出し損傷量と呼び、その単位には原子当たりの弾き出し数(displacements per atom: dpa)を用います。dpaは弾き出し断面積に粒子束(単位面積あたりの粒子の数)を乗じて計算します。

(注4)マティーセン則

1862年にA.マティーセンによって発見された法則。金属の電気抵抗は、電子が格子欠陥や格子振動により散乱されることにより生じるため、電子の流れを散乱する機構が複数個ある場合には,個々の散乱機構による電気抵抗の和になります。

(注5)PHITSコード

粒子および重イオン輸送計算コードシステム(Particle and Heavy Ion Transport code System: PHITS)。原子力機構の前身となる日本原子力研究所で開発されたNMTC/JAERIコードおよびNMTC/JAMコードを母体に、原子力機構が中心となり、重イオンの計算が行えるように拡張した粒子輸送計算コード。乱数を用いたモンテカルロ法により、粒子の発生のしやすさや、飛び出す方向、およびそのエネルギーなどを決定し輸送計算を行います。J-PARC施設の核破砕中性子源の中性子特性や放射線防護の計算等にも使用しています。

(注6)分子動力学

分子動力学法(Molecular Dynamics、MD法)は、原子の物理的な動きのコンピューターシミュレーション手法であり、ある系における静的、動的安定構造および動的過程(ダイナミクス)の解析に用いられます。MD法は、元々は1950年代末に理論物理学分野で考案され、今日では主に材料科学、化学物理学、生体分子のモデリングに用いられています。

材料科学における計算の場合には、原子をある時間の間、互いに作用(相互作用)することを許し、これにより原子の動的発展の様子を求めます。一般的なMD法では、相互作用する粒子の系について古典力学におけるニュートンの運動方程式を数値的に解くことにより、系内における原子の動きを導出します。系における粒子間の力およびポテンシャルエネルギーは、原子間ポテンシャル(分子力学力場)によって定義されます。

(注7)J-PARCにおける加速器群

J-PARCではリニアック (400 MeV)、速い繰返し(25 Hz)の3 GeVシンクロトロン(Rapid Cycling Synchrotron: RCS)、およびメインリングシンクトロン (Main Ring: MR、30 GeV)の加速器群から成立ちます。

J-PARCセンターでは、リニアックで加速された陽子ビーム(400 MeV)を鉛・ビスマスターゲットに入射し、ADSに用いられるターゲット構造材の損傷および腐食の研究開発を行う予定です。

詳細:http://www.j-parc.jp/c/facilities/accelerators/
http://www.j-parc.jp/c/facilities/accelerator-driven-transmutation-experimental/

(注8)NRTモデル

弾き出し損傷を定量的に評価するのに用いられるモデルで、考案者(Norgett,、RobinsonおよびTorrens)の頭文字よりNRTモデルと呼ばれる。NRTモデルは1975年に論文(Nuclear Engineering and Design)に発表され、これまで広く原子炉の燃料被覆管や構造材、核融合反応を用いる核融合炉の材料の損傷評価に用いられてきました。また、大強度加速器施設のターゲットや構造材の損傷評価にも用いられてきました。

(注9)非熱的な再結合を補正したモデル(Athermal Recombination Correction, arc)

MD法により弾き出し損傷を詳細に評価した弾き出し評価モデル。ヘルシンキ大学のKai Nordlund氏を筆頭に原子力機構のシステム計算科学センターのシミュレーション技術開発室の鈴土 知明氏の共著で2019年の論文(Nature communication)に発表されました。NRTモデルに従い材料中の弾き出しが生成するものの、低温状態であっても瞬時(10ピコ秒、1000億分の1秒程度)に空孔とノックオン原子が結合し、元の健全な状態に戻ることが定量的に示されました。本研究成果では、arcモデルの有効性を実験的に示しました。

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