2019-11-26 理化学研究所,近畿大学
理化学研究所(理研)仁科加速器科学研究センター雪氷宇宙科学研究開発室の高橋和也専任研究員、望月優子室長、近畿大学理工学部の南武志教授(研究当時)らの共同研究グループは、独自に開発した試料採取法と高感度な硫黄同位体[1]比分析法を組み合わせ、島根県出雲市の京田遺跡(約3,500年前の縄文時代後期中葉に営まれた大規模な集落跡)から出土した超微量の赤色顔料(朱:組成は硫化水銀)の産地同定に成功しました。
本手法は、世界中の壁画や遺物表面に存在する朱の解析に広く適用可能であり、今後、文化財科学の分野で一般化するものと期待できます。
鮮やかな赤色を呈する朱は、古代社会において壁画や土器などの装飾に広く使用されました。なかでも古代日本では、辰砂(しんしゃ)[2]鉱石から得られる朱を用いていました。
今回、共同研究グループは、分析を妨げる硫黄を含まない粘着テープを用いて超微量の朱を出土品の彩色部から転写するユニークな試料採取法を考案しました。本採取法と、2018年に高橋専任研究員らが開発した従来法と比べて約100倍高感度な硫黄同位体比分析法とを組み合わせて、京田遺跡の出土品に彩色された朱の硫黄同位体比を調べました。その結果、北海道で採掘された辰砂鉱石が使用された可能性が高いことが分かりました。本手法は”目にみえる一粒程度”の試料でも分析可能であることに加えて、出土品本体の損傷を極限まで抑えられる点でも画期的です。
本研究は、欧州の科学雑誌『Journal of Archaeological Science: Reports』(12月号)の掲載に先立ち、オンライン版(11月4日)に掲載されました。
背景
鮮やかな赤色を呈する金属顔料である朱(水銀朱、化学組成は硫化水銀;HgS)は、古代社会において壁画や土器の装飾などに広く使用されました。なかでも古代日本で用いられた朱は、辰砂(しんしゃ)鉱石を砕き、その赤色部分のみを集めてさらに細かく粉砕したもので、その製造過程において化学処理は施されていないと考えられています(図1)。
図1 辰砂鉱石
左は奈良県大和水銀鉱山で採掘された辰砂鉱石。右は辰砂部分を砕いたもので、古代日本では赤色顔料の朱として広く用いられた。
辰砂鉱石の産地である鉱山は日本および中国に多数存在し、日本のいくつかの鉱山は縄文時代から朱の採取に利用されてきたと推定されています。朱の産地を知ることで、古代における朱の流通状況が明らかになり、当時の日本社会の貴重な情報を得ることができます。
朱の産地を特定するには、朱の構成成分である硫黄(S)の同位体比を調べる方法が用いられます。硫黄は原子番号16で、原子核に陽子が16個存在します。硫黄の同位体のうち、中性子数が16、17、18、20のものが自然界に存在し、その存在比は32S:33S:34S:35S = 95.02:0.75:4.21:0.02です。自然界に多いのは32Sと34Sであるため、硫黄同位体比は34S/32Sを測定し、それを標準物質であるキャニオン・ディアブロ隕石[3]中の硫化鉱物の割合と比較する方法で得られます。下記の式により、標準物質との偏差の千分率[4](パーミル:‰)として表し、δ34Sと表記します。
δ34S (‰) ={(34S/32S)試料/(34S/32S)標準物質-1}×1000
δ34Sの値は、標準物質よりも34Sの割合が多いとプラスになり、標準物質よりも32Sの割合が多いとマイナスになります。δ34Sは辰砂鉱石の産地で差がみられます。また、辰砂は化学的には非常に安定であるため、δ34Sは古代から変化なく現在に至っていると考えられます。従って、試料のδ34Sを分析し、各地の鉱山の辰砂のδ34Sと比較すれば、産地を推定できます。
一方で、考古学に応用するには、分析対象となる試料が貴重な上に微量の場合が多いため、分析感度を高くする必要があります。さらに、特に壁画や土器などの場合、試料を採取する際に対象物に傷をつけないことを考慮しなければなりません。そこで、硫黄同位体分析の高感度化と対象物を傷つけない試料採取法、両方の開発に取り組みました。
研究手法と成果
硫黄同位体比(δ34S)分析では、まず試料から取り出した硫黄化合物を酸化的条件で燃焼させ、硫黄酸化物として取り出し、純銅を詰めた還元管に通すことで、二酸化硫黄ガスとします。この二酸化硫黄ガスをガスクロマトグラフィー[5]に通して窒素や二酸化炭素を分離した後、安定同位体比分析用質量分析計[6]に導入すれば、試料のδ34Sの値を得ることができます。
従来の硫黄同位体比分析では、朱として50~100マイクログラム(μg、1μgは100万分の1グラム)程度の量を必要としていました。この量は硫黄としては200ナノモル(nmol、1nmolは10億分の1モル)程度に相当します。これに対し、高橋専任研究員らは2018年に、試料から取り出した二酸化硫黄ガスを高感度化する装置を開発し、従来の1/100程度の量の0.5μg(硫黄として2nmol)の朱のδ34Sを分析できる技術を開発しました注1)。これは、図2の赤破線で囲った部分の装置で、試料から発生した二酸化硫黄ガスをいったん液体窒素温度(-198℃)に冷却・凝縮させることで、実質的に濃縮する効果を利用しています。この結果、まさに”目に見える程度の一粒”の朱でも、δ34S分析が可能な感度を得ることに成功しました。
注1)Takahashi et al., 2018, High-sensitivity sulfur isotopic measurements for Antarctic ice core analyses, Rapid Communications in Mass Spectrometry, 32, 1991-1998
図2 新たに開発した装置の概念図
試料を1150℃の酸化的条件で燃焼させ、硫黄酸化物として取り出し、850℃の純銅を詰めた還元管に通すことで二酸化硫黄ガスとする。このガスをガスクロマトグラフィーに通して窒素や二酸化炭素を分離した後、いったん-196℃で冷却・凝縮させることで濃縮させる。濃縮された二酸化硫黄を安定同位体比分析用質量分析計に導入し、試料のδ34Sの値を得る。
また共同研究グループは、対象物を傷つけない試料採取法として、粘着テープを用いて土器や壁画表面から朱を「転写」する手法を考案しました。本手法では、対象物の彩色された表面に粘着テープを軽く押し当て、微量の赤い顔料のみをテープに写し取った後、テープの顔料が多い赤い部分を切り取り、テープと一緒に分析装置にかけます(図3)。これであれば、対象物を傷つける可能性が非常に低くなります。ただし、テープに硫黄が含まれていると、その硫黄も同時に分析されるため、正確な値が得られません。一般的なテープの粘着剤にはゴム系の素材が使用されることが多く、相当量の硫黄が含まれています。そこで、アクリル系樹脂を粘着剤として用いたポリエステル系の粘着テープに着目し、試験的に分析したところ、硫黄が含まれていないことを確認しました。
図3 粘着テープによる朱の採取例
a)粘着テープ(アクリル系樹脂を粘着剤として用いたポリエステル系のテープ)を彩色された表面に粘着テープを軽く押し当て、微量の赤い顔料のみをテープに写し取る。
b)a)のテープの顔料が多い赤い部分を切り取り、テープと一緒に分析装置にかける。
そして、ポリエステル系の粘着テープを利用した試料採取法を、島根県出雲市の京田遺跡から出土した遺物の分析に適用しました。京田遺跡は、縄文時代後期中葉(約3,500年前)に営まれた大規模な集落跡と考えられています。出雲市文化財課による発掘調査注2)により、竪穴建物跡や配石墓などが確認され、多くの土器や石器が出土しています。土器の中にはその形態から、九州や東日本など遠隔地からもたらされたと推定されるものもあります。
朱で彩色された四つの出土品(土器と石器)から粘着テープで表面の朱を採取し、そのδ34Sを分析しました(図4)。その結果、+10.9~+12.0‰のδ34S値を持つ辰砂鉱石が用いられていることが分かり、これら四つの出土品を彩色していた朱は同一の産地に由来するものと考えられました。
注2)出雲市の文化財報告39『京田遺跡4区 発掘調査報告書』2019年 出雲市教育委員会
図4 京田遺跡の彩色された出土品
矢印の点線で囲んだ部分から試料を採取した。四つの出土品には、+10.9~+12.0‰のδ34S値を持つ辰砂鉱石が用いられていることが分かり、彩色していた朱は同一産地に由来するものと考えられる。
京田遺跡において、大陸との交流を示唆するような資料や出土品はこれまで見いだされていないことから、これらの出土品の産地を調べるために日本列島内の辰砂鉱石と比較しました。日本列島では、北海道から九州にかけて広く辰砂を産出する鉱山があります(図5)。そのうち、西日本の辰砂鉱石のδ34Sはおおむねマイナスの値を示し、プラスの値を示す鉱石は北海道の明治鉱山と幌加内鉱山にあります(図5)。従って、これらの土器や石器を彩色していた朱は北海道産である可能性が高いことが分かりました。つまり、縄文時代後期中葉において既に、北海道で採掘された朱がさまざまな経路を経て山陰地方にまでもたらされていた、という当時の物資の流通ネットワークの存在が示されたわけです。これは、この時代における物資の流通範囲を示す貴重な情報です。ただし、朱そのものが顔料として山陰地方にもたらされ、現地で彩色されたのか、あるいは遠隔地で彩色されて本体と共に運ばれてきたものかは興味を持たれるところで、今後の解析が待たれます。
図5 日本における主要な辰砂(朱の原料)鉱山の位置と京田遺跡
朱のδ34Sが11~+12‰を示す京田遺跡は、北海道の明治鉱山と幌加内鉱山の平均値と近い。従って、京田遺跡の出土品は、北海道からもたらされた可能性が高いといえる。
今後の期待
近年、考古学分野における科学技術を利用した解析の果たす役割は非常に大きくなっています。分析技術の発展と共に、次々と新たな知見が得られるようになってきました。本研究で用いた、高感度硫黄同位体分析とユニークな試料採取法を組み合わせた分析手法は、現時点では理研独自のものです。
今後、この高感度硫黄同位体分析手法が同位体分析法として一般化することで、さまざまな時代の遺物、壁画などの文化財に使用された朱の産地同定に役立てられ、考古学分野へ貴重な知見をもたらすものと期待できます。
また、理研では硫黄に限らず、窒素、鉛などのさまざまな元素の同位体分析の高度化に努めており、宇宙、原子核などの分野への応用を目指す研究を進めています。
補足説明
1.同位体
同じ元素であって、質量数(陽子数+中性子数)が異なる原子のこと。例えば、酸素(原子番号8)の場合、質量数が16、17、18の三つの同位体が天然に安定に存在している。
2.辰砂(しんしゃ)
英語名、cinnabar。化学組成がHgS(硫化水銀)で表される鉱物。鮮やかな赤い色をしており、日本では古来より、「丹(に)」と呼ばれていた。
3.キャニオン・ディアブロ隕石
地球上のクレーターとして有名なアメリカ・アリゾナ州のバリンジャークレーターが形成される原因となった隕石と考えられている。この隕石に含まれるトロイライトと呼ばれる鉱物(化学組成:硫化鉄)の硫黄の同位体比が硫黄同位体比分析における基準の値となっている。
4.千分率
1000分の1を1とする単位。パーミルと読み、記号は‰で表す。1‰=0.001=0.1%である。
5.ガスクロマトグラフィー
主として気体の成分をその化学的、物理的性質を利用して、分離しながら分析する手法。気体の成分分析に持ちるが、本研究では、二酸化硫黄を他の成分(窒素や二酸化炭素など)から分離するための技術として用いられた。
6.安定同位体比分析用質量分析計
質量分析装置は、分子の大きさ、構造の分析や元素組成の分析など、さまざまな用途に用いられるが、特に炭素、窒素、酸素、硫黄などの元素の同位体比を分析する質量分析装置を安定同位体比分析用質量分析装置と呼んでいる。
共同研究グループ
理化学研究所 仁科加速器科学研究センター 雪氷宇宙科学研究開発室
室長 望月 優子(もちづき ゆうこ)
専任研究員 高橋 和也(たかはし かずや)
専任研究員 中井 陽一(なかい よういち)
近畿大学 理工学部
教授(研究当時) 南 武志(みなみ たけし)
(現近畿大学 理工学部 非常勤講師)
出雲市 文化財課
主事 幡中 光輔(はたなか こうすけ)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究(C)「超微量硫黄同位体分析装置を用いた遺跡出土朱の産地推定の試み(研究代表者:南武志)」による支援を受けて行われました。
原論文情報
Takeshi Minami, Kosuke Hatanaka, Yuko Motizuki, Yoichi Nakai, and Kazuya Takahashi*, “A method of collecting trace amounts of vermilion from artifacts for source estimation by sulfur isotope (δ34S) analysis: use of sulfur-free adhesive tape to minimize damage to the artifact body during sampling”, Journal of Archaeological Science: Reports, 10.1016/j.jasrep.2019.102027
発表者
理化学研究所
仁科加速器科学研究センター 雪氷宇宙科学研究開発室
専任研究員 高橋 和也(たかはし かずや)
室長 望月 優子(もちづき ゆうこ)
近畿大学 理工学部
教授(研究当時) 南 武志(みなみ たけし)
(現 近畿大学 理工学部 非常勤講師)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
近畿大学 総務部広報室 加藤、今井