2023-04-03 自然科学研究機構
すばる望遠鏡の超広視野主焦点カメラによる大規模撮像探査(HSC-SSP)の国際共同研究チームは、全探査の半分弱にあたる中間データを用いて、宇宙のダークマターの分布を精密に測定し、宇宙の標準理論を検証しました。その結果、HSC-SSP から得られた「宇宙の構造形成の進行度合いを表す物理量」(S8)が、ビッグバン後 38 万歳の宇宙を観測して得られた S8 と 95 パーセント以上の確率で一致しないことを確認しました。これは宇宙の標準理論の綻び、つまり宇宙の新しい物理を示唆している可能性があります。今後、HSC-SSP の最終データを用いた解析、さらに、すばる望遠鏡の次世代超広視野多天体分光器による観測で、この問題に決着が付けられることが期待されます。
図1:HSC-SSP で得られた画像の例(クレジット:HSC-SSPプロジェクト & 国立天文台)
宇宙の標準理論によれば、宇宙は約 138 億年前のビッグバンという大爆発で始まり、その後膨張を続けています。初期の宇宙は驚くほど均質でのっぺりしていますが、ダークマターなどの物質の空間分布のわずかな凸凹が重力で成長し、銀河や銀河団などの、現在の宇宙の構造を作ってきました。特に、我々の天の川銀河をはじめとする銀河は、ダークマターが集まっているところに形成されたと考えられています。現在の宇宙は、通常の物質が約5パーセント、ダークマターが約 25 パーセント、ダークエネルギーが約 70 パーセント、そしてわずかな光子という組成で成り立っていることが分かっています。
上述の宇宙の組成に加えて、宇宙の初期に存在した原始ゆらぎ(物質の空間分布の凸凹)を特徴づける2つのパラメータを加えた宇宙の標準理論は、多くの観測データを説明することに成功しています。このように宇宙の標準理論は驚くほどシンプルですが、多くの謎が残されています。ビッグバン(インフレーションと呼ばれる)は本当にあったのか?ダークマター、ダークエネルギーの正体は?これらの謎を解明することを最重要課題として、研究者たちは宇宙の標準理論を徹底的に検証することに挑んでいます。
すばる望遠鏡の超広視野主焦点カメラ Hyper Suprime-Cam(ハイパーシュプリームカム, HSC)は、口径 8.2 メートルの主鏡による集光力、一度に満月9個分もの天域を観測できる広い視野、シャープな画像を撮ることを可能にする解像力により、遠方宇宙にある暗い銀河を広い天域にわたり観測するには世界最高の観測装置です。
日本、台湾、米国(主にプリンストン大学)の研究者からなる国際共同研究チームは、2014年から 2021年にかけて、HSC を用いた大規模な撮像探査(HSC-SSP)を行いました。今回の研究成果は、全探査の半分弱にあたる約3年間分、約 420 平方度(満月 2000 個分)の天域の観測データに基づいています。研究チームは、アインシュタインの相対性理論が予言する重力レンズ効果に着目しました。遠方の銀河からの光は、途中に存在する宇宙構造の重力レンズ効果により「歪んで」観測されます。逆に、遠方の銀河像の歪みを測定することにより、宇宙構造の重力の強さを観測できることになり、重力の大半を占める、光では直接観測できないダークマターの空間分布を「見る」ことができるのです(図2)。
図2:HSC-SSP で得られたダークマターの3次元分布の例。これは最初の1年間のデータによって得られた分布図ですが、本研究ではその約3倍の広さの天域が調査されました。(クレジット:東京大学/国立天文台)
重力レンズ効果による歪みは極めて小さく、個々の銀河からは見分けることができません。しかし、研究チームは、約 2500 万個の銀河の形状を組み合わせることにより、宇宙の重力レンズ効果を正確に測定することに成功しました。
重力レンズ効果の測定から、現在の宇宙の構造形成の進行度合いを表す物理量(S8) を測定することができます(図3)。宇宙の標準理論が正しければ、様々な観測で得られた S8 は全て同じ値になるはずです。HSC-SSP による結果は S8 = 0.76 であり、欧米の重力レンズ効果の測定結果と一致しました。一方、HSC-SSP による S8 は、Planck(プランク)衛星による宇宙マイクロ波背景放射の測定結果で得られる S8(0.83)よりも小さいことがわかりました。その理由が HSC と Planck 衛星の測定誤差によるものと仮定した場合、2つの S8 の値が今回の結果になる確率は5パーセント以下です。つまり、95 パーセント以上の確率で2つの測定結果が一致しないことを示唆しています。
図3:宇宙の構造形成の進行度合いを表す物理量 S8 の測定結果。上の4つは、HSC-SSP のデータに対して異なる4つの手法を用いた結果。丸点が測定の中心値、エラーバーは統計誤差(統計誤差のなかに真の値がある確率が 68 パーセントの範囲)。比較として、Planck 衛星による宇宙マイクロ波背景放射の観測と、欧米の研究チームによる重力レンズ効果の測定(Dark Energy SurveyとKilo-Degree Survey)から得られている S8 の値が示されています。(クレジット:Kavli IPMU)
Planck 衛星が観測するのは 38 万歳の初期宇宙の姿なので、その測定から S8 の値を得るには、Planck 衛星による結果が示唆する宇宙論パラメータで現在の宇宙まで構造を進化させ、S8 を計算する必要があります。つまり、上記の S8 の不一致は、前提としていた宇宙の標準理論の綻びのためかもしれません。標準理論には含まれていない宇宙の新しい物理が存在する可能性があるのです。
実は今回の HSC-SSP による後期宇宙の観測だけでなく、後期宇宙の他の観測データから得られた S8 は、Planck 衛星の S8 の値よりも小さく、「S8 不一致問題」として注目されていました。今回、研究チームは、高精度の観測データに基づく慎重かつ客観性を担保した解析においても、S8 不一致問題が存在することを確認しました。
東京大学の高田昌広教授は「S8 の不一致が起きる原因として、例えば、ニュートリノ、あるいは時間進化するダークエネルギーが宇宙の構造形成に影響する可能性が考えられます。HSC-SSP の最終データを用いた解析、さらに、カブリ IPMU がリードする、すばる望遠鏡の次世代超広視野多天体分光器(PFS)による宇宙地図のデータで、S8 不一致問題が決着すると期待されています。S8 不一致が本当であれば、宇宙の新しい物理の大発見に繋がるかもしれません。今後の研究の進展にご期待下さい」と語ります。
本研究成果は下の5本の論文として 2023年4月4日(日本時)にプレプリントサーバーで公開されました。
Miyatake, H., Sugiyama, S. et al. “Hyper Suprime-Cam Year 3 Results: Cosmology from galaxy clustering and weak lensing with HSC and SDSS using the emulator based halo model”
More, S., Sugiyama, S. et al. “Hyper Suprime-Cam Year 3 Results: Measurements of the clustering of SDSS-BOSS galaxies, galaxy-galaxy lensing and cosmic shear”
Sugiyama, S. et al. “Hyper Suprime-Cam Year 3 Results: Cosmology from galaxy clustering and weak lensing with HSC and SDSS using the minimal bias model”
Dalal et al. “Hyper Suprime-Cam Year 3 Results: Cosmology from cosmic shear power spectra”
Li, X. et al. “Hyper Suprime-Cam Year 3 Results: Cosmology from cosmic shear two-point correlation functions”
論文は、米国の物理学専門誌『フィジカル・レビューD』に投稿されており、専門家による厳正な査読が今後行われます。また、研究チームは、4月4日0時(日本時)に、この成果を世界の研究者コミュニティに向けて発表するウェビナーを開催しました。
すばる望遠鏡について
すばる望遠鏡は自然科学研究機構国立天文台が運用する大型光学赤外線望遠鏡で、文部科学省・大規模学術フロンティア促進事業の支援を受けています。すばる望遠鏡が設置されているマウナケアは、貴重な自然環境であるとともにハワイの文化・歴史において大切な場所であり、私たちはマウナケアから宇宙を探究する機会を得られていることに深く感謝します。