2022-11-29 国立天文台
工学院大学、国立天文台、愛知教育大学、東京大学、韓国天文研究院、延世大学、上海交通大学からなる国際研究チームは、楕円銀河M87の巨大ブラックホールから噴出するジェットの速度分布を説明する新しいシナリオを提唱しました。
図1:コロナ/ウインド領域に囲まれた磁気流体ジェットの断面のイラストレーション。ジェット中で磁力線(黒線)と共回転するプラズマ粒子(灰色領域)は、光円柱表面(オレンジ色の線)まで達すると、遠心力で外側にスライドして光円柱表面から飛び出し、そこからジェットの加速が始まります。光円柱内では、インフロー領域とアウトフロー領域を分離するよどみ面(灰色太線)が発生することが知られています。磁気圏の回転角速度が小さくなると、それに反比例して光円柱半径は太くなり、ジェット加速領域(白色領域)発生位置はブラックホールから離れた下流側に位置することになります。ここで、ブラックホール磁気圏の回転角速度はΩ_Fと表記しています。
「M87ジェットの根元が次第に加速する様子を捉えることに成功」(VERA研究成果ハイライト, 2020年)で紹介したように、日韓合同VLBI観測網(通称KaVA)を用いた大規模観測プログラムによってM87ジェットの詳しい速度分布が明らかになり、「ジェット加速の開始位置が先行研究の磁気流体ジェットの数値シミュレーションから予測される位置よりもおよそ10倍ほど下流側にある」という理論と観測との食い違いがあることが分かりました。
今回研究チームは、この食い違いを緩和するため、「低速で回転するブラックホール磁気圏」というシナリオを提唱しました。ジェットの中で磁力線と共回転するプラズマ粒子は、磁力線の回転速度が光速に達する「光円柱」と呼ばれる円柱表面まで達すると、遠心力で外側にスライドして光円柱表面から飛び出します。そして光円柱の外側でジェットの加速が始まります。そこで研究チームが考え出したアイディアは「太い光円柱」です。磁気圏の回転角速度が遅くなると、それに反比例して光円柱半径が太くなり、ジェット加速の開始位置は下流側にずれます(図1)。KaVAによる観測結果と理論モデルを比較した結果、先行研究の磁気流体ジェットモデルの数値シミュレーションで予測されているよりもおよそ10倍ほど磁気圏が低速で回転する場合、ジェット加速の開始位置はおよそ10倍ほど下流側にずれ、KaVAで観測されているM87ジェットの速度分布を説明できることが分かりました (図2)。
図2:磁気流体ジェットの理論モデル(黒線群)が予測する速度プロファイルとVLBI観測データ(赤点がKaVA観測データ)の比較。横軸は、中心ブラックホールからM87ジェット軸に沿っての実距離を重力半径(r_g)で規格化した値を示しています。磁気流体ジェットの理論モデルの中でジェットが太い光円柱(Ω_Fが低速回転)を持つと、ジェット加速の開始位置(黒線群の立ち上がり位置)が下流側にずれ、観測データを説明できることが分かりました 。
ジェットの加速機構については、1977年に提唱されたブラックホールの回転エネルギーを利用したシナリオが有望視されています。提唱者らの名を冠した「ブランドフォード・ナエック機構(以下BZ機構)」は、いわば「ブラックホールのスピンによる回転式発電機」のような仕組みだと考えられます。このBZ機構で駆動されたジェットの持つパワーは、ブラックホールの回転角速度と磁気圏の回転各速度の差分および、事象の地平面での磁場強度の2乗の積に比例します。つまり、(1) ブラックホールの回転角速度、(2) ブラックホール磁気圏の回転角速度、(3) 事象の地平面を貫く磁場強度、の3つの量がジェットのパワーを決めているのです。今回の研究では(2)を推定することができました。さらに、先行研究で推定されているジェットパワーの値を用いて(3)の推定も行い、高強度の磁場が事象の地平面を貫いていることを示唆しました (図3)。こうしてM87ジェットの加速機構の理解を深める新しい知見が得られました。
図3:事象の地平面を貫く磁場強度(B_H)の推定値(単位はガウス)。横軸はブラックホール磁気圏とブラックホールの回転角速度の比 (Ω_F/Ω_H)を示しています。ここではブラックホールの回転角速度をΩ_Hと表記しています。BZ機構で駆動されるジェットのパワーを、M87ジェットの遠方でのダイナミクスから推定されているパワーと等しくすることでB_Hを推定しました。
本研究をリードした工学院大学の紀基樹客員研究員は
「『KaVAの大規模観測データと理論モデルの比較から示唆される比較的低速で回転するブラックホール磁気圏がどのような物理条件下で実現するのか?』については、まだ分かっていません。長年の謎として知られる磁気圏へのプラズマ注入過程の理解および、注入されたプラズマが持つ角運動量と磁気圏の回転角速度の関係について明らかすることが重要だと考えています。」
と今後の課題を挙げました。
愛知教育大学の高橋真聡教授は
「本結果は、KaVA観測ですでにインフローにかなり近い領域を見ていることを示唆しています。次は、M87ジェットのさらに根本に近い領域まで迫ってインフローの存在を示す観測を期待しています。 」
と語りました。
東京大学の川島朋尚ICRRフェローは
「イベントホライズンの磁場強度を測るためには、ジェットの物理状態を正確に決定していくことが必要不可欠です。そのために、一般相対論的多波長輻射輸送コードによるユニークな計算を行ってM87ジェット根本のプラズマ物理状態を明らかにしていきたいです。」
と抱負を述べました。
水沢VLBI観測所の秦和弘助教は
「 M87ジェットだけが特異なのか?それとも他の天体も同様なのか?が興味深いです。現在VERAで新たに開発を進めている86GHz帯の受信システムが、M87ジェットのさらに根本に近い領域まで迫るための切り札となるでしょう。」
と意気込みを語りました。
本研究成果は Implications from the Velocity Profile of the M87 Jet: A Possibility of a Slowly Rotating Black Hole Magnetosphere と題し、米国の天体物理学専門誌「The Astrophysical Journal(アストロフィジカル・ジャーナル)」に2022年11月8日付で掲載されました。
論文著者:
紀 基樹 (工学院大学/国立天文台), 高橋 真聡 (愛知教育大学), 川島 朋尚 (東京大学), Jongho Park (韓国天文研究院), 秦 和弘 (国立天文台), Hyunwook Ro (延世大学), Yuzhu Cui (上海交通大学)