所得のリアルタイム把握を 行政デジタル化の論点

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2021-07-16 経済産業研究所
小黒 一正 コンサルティングフェロー

9月にデジタル庁が発足するが、真の目的は手続きの電子化ではない。電子化は手段にすぎず、デジタル政府を構築する本当の狙いは、行政のサービスや組織全体の構造転換などを行い、質の高い行政サービスを実現することにある。

では、財政分野ではデジタル政府の構築で何を目指すべきか。財政の3機能は「資源配分」「再分配」「経済安定化」だが、この論考では「再分配」機能に注目してみたい。


そもそも再分配機能が目指すべきは、確実な給付と公平な負担である。デジタル技術の活用により、それがより高い精度で実現可能になりつつある。その鍵を握るのが「再分配の可視化」「タイムリーな所得情報の把握」「プッシュ型のサービス」という視点だ。

再分配の可視化とは何か。そもそも、我々は再分配の全体像を正確に把握できていない。例えば母子家庭の約5割は貧困だが、生活保護の捕捉率は2割程度しかないという研究報告もある。非効率な再分配は増税の賛否にも影響を及ぼすが、真に救うべき人々が救済できない一方、無駄な給付も多いことは、しばしば議論になる。

例えば、経済協力開発機構(OECD)の「格差は拡大しているか」という報告書で下位20%の低所得層に対する所得再分配を2000年半ばで国際比較(表参照)しているが、日本の再分配は格差社会である米国並みでしかない。給付と負担の差額をみると、低所得層への再分配はオーストラリアが5.8%であるのに対し、日本2%、米国1.9%となっている。

所得のリアルタイム把握を 行政デジタル化の論点

理由は2つある。まず、家計全体が政府から受け取る現金給付の総額では、日本の値(19.7%)は豪州(14.3%)以上だ。ところが移転総額のうち、低所得層に配分する割合は豪州が41.5%であるのに対し日本は15.9%しかない。

また、家計全体が政府に支払う税金や社会保険料の総額では、日本の値(19.7%)は豪州(23.4%)並みである。だが、支払総額のうち低所得層が負担する割合は日本が6%であるのに対し、豪州は0.8%しかない。豪州の再分配は本当の困窮者に集中投下する仕組みだが、日本は非効率な再分配をしていることになる。この再分配のゆがみを改善するには、リアルな所得データで再分配の全体像を可視化する必要がある。その基盤の一つがタイムリーな所得情報の伝達を可能とする、税務執行のデジタル化なのである。

4月ごろに政府が新型コロナウイルス危機で一時検討した、所得による条件付きの現金給付もそうだが、日本で的確かつ迅速な給付ができない最大の理由は、国民の再分配前の所得情報をタイムリーに把握する手段がないためだ。

例えば英国では税のデジタル化を進めており、13年以降、給与所得者の所得税に関するリアルタイムの情報化(RTI)を実現した。英国では日本の源泉徴収制度に類した仕組みがあり、歳入関税庁(日本の国税庁に相当)公認のソフトを用いて、給与が従業員に支払われるたびに、雇用主は給与支払報告を歳入関税庁に伝達する。

豪州も給与支払いのリアルタイム情報制度(STP=従業員20人以上で強制適用)を18年から導入している。国税庁の発案でソフトウエア企業とも協力して開発した。今後は全雇用主への義務化も検討中だ。

タイムリーな所得情報は公平な負担の実現と同時に、再分配政策でも威力を発揮する。その一例がコロナ禍での現金給付だ。タイムリーな所得情報があれば、「急激に所得が落ち込んだ人々に限定して給付」可能だ。この情報がないと、「一律給付」するしかない。

前者は所得の少なさに応じて給付が受けられる①負の所得税、後者は②ベーシックインカム(最低所得保障)に近い。事後的な課税を行えば理論的に①と②は同じ再分配が可能だが、給付対象は②が全国民である一方、①は低所得層に限定されるため、課税で賄う財源は①の方が②よりもずっと少ない。

課税はどんな形でも経済の効率性を阻害し、死重損失(資源配分のゆがみ)を生じる。一般にその損失は税率の2乗に比例する。例えば、②で1億人に年間100万円を配るには100兆円(消費税なら1%増税で2.5兆円の増収として増税幅は40%)の財源が必要で、その損失は「定数×40%の2乗」だ。しかし、①で人口1割に配るだけなら、財源は10兆円(増税幅は4%)で損失は「定数×4%の2乗」で済む。

ただし①の実現には正確な所得情報が不可欠で、従来のアナログ型政府では限界があった。とはいえ、給与所得以外の報酬や金融所得などでも源泉徴収を行っている日本では、さらに源泉徴収の適用範囲をプラットフォーマーなどに拡大してRTIやSTP類似の仕組みを整えれば、状況を一変できる。事業所得も、クラウド会計の導入や消費税の申告情報のリアルタイム化・デジタル化などで、より迅速に把握できよう。


このほか資産の把握も重要な課題だが、まずはタイムリーな所得情報を集めれば、給付要件に合致する人々に漏れなく迅速に給付できる。容易に想像できるだろうが、これは社会保障の領域で最も生きてくる。マイナンバーがちゃんと機能していれば、行政が利用者にとって最も適切なタイミングで、必要な行政サービスを個別に通知できる。

実現には、利用者である国民の多数にマイナンバーのポータルサイト「マイナポータル」に必要な情報を事前登録してもらい、銀行口座とマイナンバーのひも付けを行う必要もある。

税や社会保障では、制度改正しても、受け取れる給付や減税を気づかずにいる場合も多い。事前登録していれば、社会保障関係の給付や税制上の還付を含め、申請漏れで本来受け取れる手当を受給し損ねる事態も回避できる。これはデジタル政府がセーフティーネット(安全網)として機能することも意味する。

その究極の姿が、政府が国民の個人アカウントと直接つながるプッシュ型のワンストップ行政サービスである。ただし、実現にはマイナポータルの利用率を9割超まで増やす必要がある。政府はマイナンバーカードを健康保険証や運転免許証としても利用できる仕組みを推進中だが、公務員にポータル利用を義務付けると同時に、強力な政策誘導手段が必要となろう。

いま多くの従業員の税・保険料の支払いは企業などが代行しているが、マイナポータルの外部サイト連携機能を活用すれば、給与明細はポータル上で確認できる。企業が給与明細とマイナポータルをデータ連動した場合や、上場会社が財務諸表でその旨を開示した場合、5年程度の時限で、法人税率の1~2%引き下げや、経費の税額控除などの優遇策も検討できよう。

最適な再分配と格差是正を目指し、政府にはデジタル庁ひいてはデジタル政府の実現を通じて、新たな再分配政策や社会保障への道筋を切り開くことを望む。

2021年5月28日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

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