ホールスラスタが切り拓く宇宙探査の新時代

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2020-10-27 JAXA宇宙科学研究所 宇宙飛翔工学研究系 教授 船木 一幸

はじめに

宇宙機は軌道変換する際、推進剤をジェット噴射してその反力として推進力を得ます。真空の宇宙環境では「排気したジェットの流量」×「速度」が「宇宙機の推進力」ですから、排気速度を大きくすることで燃費を高め、少ない推進剤で宇宙機の速度増分を高めることができます。宇宙推進機研究の核心は、高速なジェットを生成して軌道変換に必要な速度増分(ΔV)能力を向上させる、この1点にあると言っても過言では無く、排気速度を1%でも高めるための研究開発が続いています。燃費の良い推進機の代表例としてイオンエンジンがあり、小惑星探査機「はやぶさ」「はやぶさ2」にて主推進として採用され、小型の宇宙機でも小惑星への往復航行が可能であることを示しました。ただ、こうした電気推進による燃費向上メリットは、何も小型の宇宙機に限定されるわけではありません。大型の電気推進で大型の宇宙機を駆動することで大規模な輸送を効率化することができますが、今回紹介するのはこのための次世代電気推進機である「ホールスラスタ」です。

開発中のホールスラスタシステムとその特徴

電気推進を主推進とした衛星では、静止トランスファー等の打ち上げ軌道から推進機を連続噴射して軌道高度を上昇させますが、5tの衛星を6ヶ月で静止軌道まで運ぶためには、約720mNの推力が必要です。これを2台のスラスタで担うとすると、1台あたり360mNが必要であり、これが今回開発するホールスラスタの目標推力になります。図1には研究開発中の国産ホールスラスタとJAXAで既開発のイオンエンジンについて、それぞれの動作領域を示しています。イオンエンジンもホールスラスタもキセノンイオンを電界により加速する静電加速型の電気推進であり、10km/s以上の高速ジェット生成が可能な点は同一です。ですが、推力領域が大きく異なっており、衛星推進にて従来から用いられている化学推進(20~500N)とイオンエンジン(10~20mN)の中間域である500mN級がホールスラスタでは提供可能となります。イオンをグリッドにて抽出して加速するイオンエンジンでは空間電荷制限 * により単位面積あたりの推力が制約されるのに対して、ホールスラスタにはこのような制約がありません。ホールスラスタでは、図2に示した円環状のチャンネルに磁場を印加する独特な形態により高密度なプラズマジェットが実現可能であり、高出力な電気推進として最適であると言えます。

* 印加電圧に対して単位面積あたりで放出可能なイオンビーム電流値が制約される現象。表紙左上図の多孔グリッドを用いたイオン加速では、常にこの制約がかかる。

図1

図1 開発中のホールスラスタの動作領域

ブレッドボードモデルホールスラスタによる最適化研究

JAXAにおけるホールスラスタ研究が本格化したのは2015年からです。これまでに4つの実験室モデル(ブレッドボードモデル)の試作がなされ、プラズマ生成と加速のための通称チャンネル部位の設計最適化を進めてきました。図1にはブレッドボードモデル3号(BBM 3、□)、ならびに4号(BBM 4、■)スラスタの特性が描かれています。これらは外径(直径)がおよそ20cmですが、300 – 400 Vの放電加速電圧で15 -27km/sとイオンエンジンに匹敵する排気速度と500mN前後の推力が得られています。推進効率が60 %を超える点もあり優れた特性が得られていますが、こうした特性を軌道変換に必要な長期間維持し続ける設計が重要になります。このため当時学術界で議論されていたチャンネル設計やスラスタ中心部に電子源を置くセンターカソード配置等の手法を取り入れると共に、寸法則の解明に取り組み、放電加速電圧300V、推力390mN、排気速度19km/sの点(図1中で■)をBBM 4 スラスタの最適動作点として探し当てました。技術試験衛星9号機(ETS-9)における軌道上実験では、主にこの動作点が実証されます。当初試験は海外設備で実施していましたが、2017年末には新しい試験設備(ホールスラスタ開発試験用(DT)チャンバー)が完成したことから、早速BBM 4スラスタを用いた予備耐久試験を約4,000時間にわたって実施しました。結果は良好であり、動作初期から500時間程度をかけて3%弱の性能劣化が見られた後は、スラスタの各特性をほぼ一定に保持できることが検証されました。推力等の特性劣化を抑えるために重要なのが低損耗設計です。4,048時間動作後のスラスタを図2右図に示しますが、チャンネル部の多くが黒く汚れていることが見て取れるでしょう。チャンネル部位はセラミックで構成されており、もともと白色の材料でした。予備耐久試験結果によると、チャンネルの損耗は1,000時間あたりで10μm以下と小さく、また、累積運転時間を重ねると共に損耗率が減少する傾向でした。チャンネル部位では放電電圧である300Vに相当する高いエネルギーのイオンが大多数なのですが、これらのチャンネル壁への入射をほぼ無くすことができていると考えています。

なお、図2には電子を供給する電子源(=ホローカソード)についても記載されています。このホローカソードは電子を放出する特別な素材(6ホウ素化ランタン、LaB6 )を用いており、動作時はプラズマからの加熱を受け1500℃程度の高温を維持することから、素材が一定率で蒸発します。ホローカソードは高温動作では高い蒸発レートが、逆に低温側ではコンタミ堆積影響による劣化を受けやすいことから動作範囲が限定されます。現時点での国産ホールスラスタは推定で1万時間程度の動作が期待できる一方で、動作可能域がまだ狭く、その拡張が今後の課題となります。

図2

図2 ホールスラスタの構成とスラスタ写真

アポジモーターからホールスラスタへ

従来型の地球周回衛星は打ち上げ後複数回にわたって燃焼ガスを噴射して衛星を増速させることで所定の軌道に投入されます。この軌道遷移には500 N級の2液式化学スラスタがもっぱら用いられており、楕円軌道のアポジ点でインパルス噴射することからアポジモーターと呼ばれてきました。これに対して開発中のETS-9は電気推進系のみを搭載した「オール電気推進化衛星システム」となっています。オール電気推進化衛星ではホールスラスタを半年ほど連続的に噴射して目標の静止軌道まで遷移する他、静止軌道へ到達後は南北および東西軌道補償のために必要な増速を行います。それぞれのモードでスラスタ噴射方向を変更することから、主スラスタはアームジンバル上に搭載され推力ベクトルを調整することが可能であり、また、アンローディング等も含めた自律姿勢制御を実施する予定です。ただし、ETS-9では海外製の実績のあるホールスラスタシステムを主推進として利用し、国産ホールスラスタは衛星筐体(反地球面)に装着され、衛星全体の信頼性を確保しつつ国産初のホールスラスタ実験を実施する予定です。例えば軌道遷移時には主スラスタ2台と国産スラスタ1台の同時運転等が計画されています。

ホールスラスタ本体に加えて、ホールスラスタの制御系とこれを駆動する電源系(PPU)も重要な検証項目です。ETS- 9では、制御系とPPUも、主推進については海外製の宇宙実証済みのものを利用しますが、国産スラスタ実験用は新規開発となります。主要部分であるプラズマ生成・加速用電源は300V/ 6kWの直流・直流コンバータであり、時間変動するプラズマ負荷に対応しつつ90%以上の高効率を目指しています。また、大きな負荷変動やサージ放電が発生した場合でも1次側へ影響を与えない設計となっています。この他電磁石を駆動する直流電源やホローカソードを点火するためのキーパー電源と、流量制御器系等のための補助電源を持ち、これらは統合的に制御されたシーケンスにて動作され、一定電力で効率最大化等の自律制御によりシステムリソースを最大限利用できる仕組みになっています。

ホールスラスタを商用へそして探査へ

今回は新規開発中のホールスラスタを中心にお話ししてきましたが、ETS-9はオール電気推進化衛星バスとして国際的にも遜色のないものに仕上がりつつあり、主推進を国産スラスタベースのシステムへとアップデートすることで、更なる競争力強化が図ることが可能です。このための技術課題の解決にも取り組んでおり、スラスタスロットリング域の拡張とシステム重量の一層の低減開発を進めています。こうした追加の研究開発により、スラスタとしても海外製に対して遜色のないものになりそうです。その一方、単体での販売や今後の多様なミッションにおける利用のためには、あと一歩仕様の面から工夫が必要だと考えています。その1つとして現在取り組んでいるのが、幅広い排気速度レンジにて動作することで各種ミッションの最適動作を提供する「ワイドレンジ」対応です。既に13km/sから27km/sまでの排気速度を複数の動作電圧で実現するスラスタならびに電源のブレッドボードモデル開発に成功しています。

深宇宙ミッションではミッション毎に最適な排気速度が変化するため、ワイドレンジホールスラスタシステムは、月・火星・小惑星へといった各種ミッションの輸送力向上の決め手となります。Hシリーズロケットとホールスラスタシステムの併用により、輸送力は化学推進のみを用いる輸送に比べて概ね2倍とすることが可能であり、図3に示した通り、月はもちろん火星圏へ「こうのとり」(HTV)規模の輸送船を送り込むことも可能になります。日本の火星輸送船(HTV-Mars)は、電気推進でのクルージングを想定しながら今後開発検討されることでしょう。火星・小惑星への往復ミッションの輸送力が飛躍的に高まることから、解析上は火星本体からの我が国単独のサンプルリターンも可能になります。次世代の探査ミッションへ向けて、「はやぶさ」以来の技術革新が起こりつつあります。

202010_3.jpg

図3 ホールスラスタによる将来の月火星探査イメージ

開発体制ならびに謝辞

ホールスラスタの研究開発では、JAXAを挙げての取り組みが進められています。ETS- 9搭載国産ホールスラスタの開発は第一宇宙技術部門プロジェクトチームが統括し、アドバイザリーとしてのホールスラスタ技術委員会に支援をいただきながら、研究開発部門と宇宙科学研究所が技術支援と設備運用の観点から協力する体制をとっています。また、技術課題の解決に向けた研究を研究開発部門と宇宙科学研究所が国内外大学等と連携しながら進めています。これら関係各位と開発を担当する株式会社IHIエアロスペース、三菱電機株式会社のスタッフの皆様に、深く感謝すると共に、今後も活発な研究開発をお願いする次第です。

【 ISASニュース 2020年10月号(No.475) [PDF: 3MB] 掲載】

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