引力相互作用は過冷却液体の構造を変える

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2020-06-03 東京大学

○発表者:
田中  肇(東京大学 生産技術研究所 教授:研究当時)

○発表のポイント:
◆密度の高いガラス転移点付近の液体の構造は、液体を構成する粒子同士の斥力相互作用で決まり、引力相互作用には依らないと考えられてきた。今回、この従来の考え方に反し、実際には引力相互作用が液体の構造を大きく変え、その結果、粒子の動き(ダイナミクス)にも多大な影響を与えることを発見した。
◆液体の構造は粒子間の距離情報だけで記述されるという従来の液体論の常識を覆し、ある粒子と隣接する2つの粒子が作る角度情報が不可欠であることを示した点に新規性がある。
◆この成果は、長年の未解明問題であったガラス形成物質の遅いダイナミクスの起源が、液体の構造にあることを示唆した点に最大のインパクトがある。液体のダイナミクスと構造の関係の理解に大きく貢献すると期待される。

○発表概要:
東京大学 生産技術研究所の田中 肇 教授(研究当時、現:シニア協力員)、トン フア(Tong Hua)特任研究員(現:上海交通大学助教授)の研究グループは、液体を冷やしてガラス転移点に近づけると液体の粘性が急激に増大し、ガラス化する現象の物理的起源を探るべく研究を行った。この問題は凝縮系物理学の長年の謎であり、その起源について論争が続いてきた。大きな論争の種は、液体の構造が粘性の増大に重要な働きをしているか否かという点である。実験によると、粘性は大きく変化をするものの、X線散乱などの構造解析手法で解析すると、液体の構造はほとんど変化しないように見える。特に、液体を構成する粒子間に引力と斥力の作用が存在するLennard-Jonesポテンシャル(注1)と、その斥力部分だけを取り出したWCAポテンシャル(注2)で相互作用する2つの液体のシミュレーション結果を比べると、X線などで観察される構造は全く変わらないのに、ダイナミクス(粒子運動)の遅くなり方は2つの系で大きく異なることが報告され、ダイナミクスを決める上で構造が重要ではない証拠と考えられてきた。
今回、同グループが過去に導入した「局所的なパッキング能が高い粒子配置構造(注3)」を用いて2つの系の構造を比べたところ、実は構造が大きく異なることが明らかになり、引力相互作用が液体の構造を大きく変え、その結果、ダイナミクスにも多大な影響を与えていることを発見した(図1参照)。一方、従来、液体の構造の特定には、1つの粒子の周りの粒子の混み具合を中心粒子からのからの距離の関数として表した動径分布関数が用いられてきた。散乱実験で得られる情報もこれと全く等価な情報である。この情報は、粒子間の距離についての情報といえる。今回用いた局所的パッキング能は、中心粒子と隣接する2つの粒子が作る角度情報を反映している。距離は、2つの粒子だけで決まるが、角度を決めるには3つの粒子が必要である。つまり、今回の成果は、液体の構造を決めるには、従来の常識に反し2体相関では不十分であり、3体以上の多体相関が不可欠であることを示したといえる。実際、局所的パッキング能とダイナミクスの関係は、引力相互作用の有無にかかわらず2つの系で全く共通であることが示された。
本研究の成果は、液体の構造を記述するには角度情報が不可欠であること、さらには、長年の謎であったガラス転移に伴う粘性の増大が、液体の構造化にあることを示唆しており、液体の理解に大きなインパクトを与えるものと期待される。
本成果は2020年6月2日(米国東部夏時間)に「Physical Review Letters」のオンライン速報版で公開された。

○発表内容:
東京大学 生産技術研究所の田中 肇 教授(研究当時、現:シニア協力員)、トン フア(Tong Hua)特任研究員(現:上海交通大学准教授)の研究グループは、ガラス転移点近傍で液体のダイナミクスが急激に減速し、粘性が何桁にもわたって増大する現象の物理的起源を探るべく研究を行った。液体を冷やしてガラス転移点に近づくと、そのダイナミクスは急激に遅くなり、それに伴い高温でサラサラだった液体は低温ではどろどろの液体になることが知られている。これは、我々がガラス細工などで日常的に経験する現象で、そのおかげで、ガラスになりやすい物質は成型加工しやすいという特徴を持つ。ガラス転移にまつわる最大の謎は、粘性の10桁以上にもわたる増加にも関わらず、その間、液体の構造は乱雑なままで、X線構造解析によると、その構造は、密度の上昇以外は一見変化しないように見える点にあった。つまり、一見すると、構造はほとんど変化しないのに粘性だけは極端に変わるわけで、そのメカニズムの解明は、凝縮系物理学の最大の難問の一つとして知られ、その起源についてさまざまな説が提案され何十年にもわたり長年論争が続いてきた。
特に、基本的な相互作用ポテンシャルである、Lennard-Jonesポテンシャル(注1)とその斥力部分だけを取り出したWCAポテンシャル(注2)で相互作用する2つの液体を比べると、X線などで観察される構造は全く変わらないのに、ダイナミクスの遅くなり方は2つの系で大きく異なることが報告された。これまで、この事実は構造がダイナミクスを決める上で重要ではない証拠と考えられてきた。2つのポテンシャルは、斥力部分は共通で、引力部分が存在するか否かという点だけが異なり、この事実は、液体の構造が、高密度状態では、ほとんど斥力部分だけで決まっており、引力が存在するか否かは構造に影響を与えないことを示唆する結果として理解されてきた。
上記の液体の構造の定量化には、1つの粒子の周りの粒子の混み具合を中心粒子からの距離の関数として表した、動径分布関数が用いられてきた。散乱実験で得られる情報はそのフーリエ変換に対応しており、動径分布関数と全く等価な情報である。従来の液体の理論は、動径分布関数をもとに構築されてきた。
一方、今回、同グループが2年ほど前に導入した「局所的なパッキング能が高い粒子配置構造(注3)」を用いて、この2つの系の構造を比べたところ、実は、大きな違いがあることが明らかになった。上述の従来の液体構造の特定は、粒子間の距離の情報に基づく。一方、今回用いられた局所的パッキング能は、中心粒子と隣接する2つの粒子が作る角度情報を反映している。距離は2つの粒子で決まるが、角度を決めるには3つの粒子がいる。つまり、今回の成果は、液体の構造を決めるには、従来の常識に反し2体相関では不十分であり、3体以上の多体相関が不可欠であることを示したといえる。同グループは、2つの系で構造が異なるだけでなく、局所的パッキング能でみた構造とダイナミクスの関係は、2つの系で全く共通であることが示された。このことは、構造がダイナミクスを支配していることを強く示唆している(図1参照)。
十円玉を机に並べて、密度を上げていくと、十円玉の間の距離が近づくだけではなく、一個の十円玉の周りには6個の十円玉が並ぶようになる。すなわち、60度の中心角が好まれるようになる。物理的には、今回の発見は、従来の液体論で用いされてきた二粒子間の距離の情報(二体相関)では記述不可能な粒子の周りの複数の隣接粒子がかかわる多粒子間の相関(多体相関)が重要であることを意味しており、過冷却液体の理解には、従来の液体論の枠を超え、多体相関を考慮することが重要であることを明確に示したといえる。本研究の成果は、長年の謎であったガラス転移の起源の解明に大きく貢献するものと期待される。

○発表雑誌:
雑誌名:「Physical Review Letters」(6月2日版)
論文タイトル: Role of attractive interactions in structure ordering and dynamics of glass-forming liquids
著者: Hua Tong and Hajime Tanaka
DOI:10.1103/PhysRevLett.124.225501

○問い合わせ先:
東京大学 生産技術研究所
シニア協力員 田中 肇(たなか はじめ)

○用語解説:
(注1)Lennard-Jonesポテンシャル
2つの原子間の相互作用ポテンシャルエネルギーを表す斥力部分と引力部分からなる経験的モデルの一つである。

(注2)WCAポテンシャル
Weeks, Chandler, Andersenにより導入されたLennard-Jonesポテンシャルの斥力部分だけを取り出したポテンシャルである。

(注3)局所的にパッキング能の高い構造
一つの粒子の周りの隣接粒子を、中心粒子と結んだ線の上を中心粒子に接触するまで移動したときに、パッキングの効率が高い構造のことを言う。例えば、その状態で、全ての粒子が接触していれば、パーフェクトなパッキング状態といえる。このような構造は、同じ密度の下では、各粒子が自由に動き回れる領域が大きくなるので、パッキング能の高い構造は、エントロピー的に好まれる構造といえる。

○添付資料:

図1:レナード・ジョーンズポテンシャルで相互作用する系の液体のダイナミクスの空間分布(左)とパッキング能をあらわす変数ΘCGの空間分布(右)の比較。両者のパターンの類似性は、ダイナミクスが構造で決まっていることを強く示唆している。

0500化学一般1701物理及び化学
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