完全非磁性の高圧セル開発で実現 圧力下でのスピン配列の解明に期待
2018/10/22 物質・材料研究機構,日本原子力研究開発機構
概要
- NIMSは、JAEAなどと共同で、完全に非磁性体で作られた高圧力セル(図1左)を開発し、数万気圧という特殊な環境において物質の電子スピン配列1を詳細に解析できる中性子3次元偏極解析実験に世界で初めて成功しました。さらにこの実験により、圧力を加えると、 PC用次世代メモリ材料として期待されるマルチフェロイクス材料2に変化する物質を見出しました。今後、様々な物質・材料において、圧力による電子スピン配列の変化の解明や、スピン制御による新材料開発への発展が期待されます。
- 近年、物質の磁気的性質の起源である電子のスピンを制御することで、マルチフェロイクス材料などの新しい機能性材料の開発が進んでいます。その開発には、物質内のスピンの配列を観測する中性子回折実験3が不可欠であり、特に精密なスピン配列の評価には、中性子3次元偏極解析と言われる中性子スピンの向きを3次元的に制御し、解析する手法が使われています。しかしこの手法では、中性子スピンの偏極率4を維持するために、試料空間を完全無磁場状態に保つ必要があります。従来の高圧力下実験で用いる高圧力セルは、磁束を発生する磁性体材料で作られているため、高圧力下実験は不可能でした。
- 今回、NIMSを中心とする研究チームは、従来の高圧セルで用いられている磁性体材料を、非磁性のダイアモンドナノ粒子からできた複合材料に置き換えることで、完全に非磁性体材料で作られた高圧セル(完全非磁性ハイブリッドアンビルセル:図1左参照)を開発しました。そして、高圧力セルによって中性子スピンの偏極率が低下させられないことを確かめました。さらに、大気圧・無磁場下では強誘電性を示さない物質が、数万気圧という圧力を加えることによって、強誘電性を示すマルチフェロイクス材料に変化することを見出しました。図1(左)中性子3次元偏極解析実験用に開発された完全非磁性ハイブリッドアンビルセル(右)高圧力環境下で強誘電性が発現しマルチフェロイクス材料に変化するデラフォサイト鉄酸化物CuFeO2の温度と圧力の磁気誘電相図。
- 今回開発した手法は、マルチフェロイクス材料だけでなく、超伝導材料5などの、スピン配列と機能に密接な関係がある機能性材料に対しても応用できると期待されます。
- 本研究は、国立研究開発法人物質・材料研究機構 先端材料解析研究拠点 中性子散乱グループの寺田典樹主任研究員と、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構 原子力科学研究部門 物質科学研究センター 多重自由度相関研究グループの長壁豊隆グループリーダー、およびフランスのラウエ・ランジュバン研究所(Institut Laue Langevin)との共同研究の成果です。本研究の一部はJSPS科研費15H05433の支援を受けて行われました。
- 本成果は、英国科学誌Nature Communicationsオンライン版に平成30年10月22日に掲載されました。
研究の背景
近年、物質内の電子がもつ磁気的性質の起源であるスピンを制御した、新しい機能性材料が注目されており、物質内部のミクロなスピン配列と物質機能の関係を解明することが、新しい機能や、飛躍的な性能向上にむけた材料開発にとって重要な因子となっています。また、圧力やその他の外部刺激によって、材料の機能を飛躍的に向上させる試みも多く行われ、スピン配列を特殊な試料環境下において評価できる装置開発が求められています。中性子回折は、スピンの配列を決定するもっとも有用な手法で、これまで多くの物質材料のスピン配列の決定に用いられてきました。ところが、中性子回折は、X線回折や電子線回折などにくらべて、入射ビーム強度が桁違いに弱いため、試料体積を増やす必要がありました。また、高圧力実験では、数万気圧という圧力を発生するために、試料体積を微小空間に制限する必要があり、高圧力下での中性子回折は非常に困難でした。さらに、本研究グループが研究対象としている、次世代メモリ材料として期待されているマルチフェロイクス材料では、極めて精密なスピン配列やスピン方向の決定と、それに伴って生じる電気分極の向きや強度の関係を明らかにすることが重要です。そのため、通常の偏極していない中性子を使った非偏極中性子回折(図2)ではなく、より精密にスピン配列を決定できる、中性子3次元偏極解析と言われている中性子スピンの向きを3次元的に制御、解析する実験手法が(図2)必要な場合が多くあります。特に、高圧力下での実験では、100分の5立方ミリメートル程度の微小試料を用いるため、非偏極中性子回折では不十分で、中性子3次元偏極解析が必要不可欠でした。さらに、中性子3次元偏極解析では、中性子スピンの偏極率を維持するために、試料空間がマイスナーシールド6といわれる超伝導体で囲われていて、地磁気以下の完全無磁場状態が実現しており、磁気を帯びた材料を試料空間に挿入することはできず、特殊な試料環境下での中性子3次元偏極実験は不可能とされてきました。
図2 (上)非偏極中性子回折実験と(下)中性子3次元偏極解析実験の比較図。非偏極中性子回折では、1つの磁気反射から1つの強度情報のみが獲得されるため、多くの磁気反射を測定する必要があり、回折強度の小さな微小試料での実験では、正確にスピン配列を決定することは困難です。一方、中性子3次元偏極解析実験では、直交する3方向に偏極したスピンをもった中性子をそれぞれ試料に入射し、回折された中性子のスピンをさらに3方向に分解し、各方向での上向きスピンと下向きスピンの比率を測定するため、1つの磁気反射から入射3方向×回折3方向分の合計9個のデータが獲得されるため、たとえ測定できる磁気反射が少ない場合でも磁気構造を精密に決定することができます。
研究内容と成果
今回、NIMSを中心とするチームは、数万気圧という高圧力試料環境下において、中性子3次元偏極解析実験を可能にするために、JAEAにおいて開発され、非偏極中性子回折実験にこれまで用いられていた、ハイブリッドアンビルセルを、中性子スピン偏極に影響しない完全な非磁性体材料に置き換えた、完全非磁性ハイブリッドアンビルセルを開発しました。ハイブリッドアンビルセルとは、JAEAの長壁豊隆グループリーダーによって開発された中性子回折実験用の高圧力セルで、2つの異なる材料をアンビルとして用いることによって、中性子回折実験が十分可能な試料体積(約10分1立方ミリメートル程度)を確保しつつ、最高で10万気圧という高圧力を発生することができます。これまでの非偏極中性子回折実験では、アンビルの材料として、サファイア単結晶と炭化タングステン超硬材料を用いていましたが、炭化タングステンに微小に含まれるコバルト遷移金属結合材が、磁性をもつため中性子3次元偏極解析実験には使用できませんでした。そこで、NIMSはJAEAと共同で、中性子の偏極率に影響しない非磁性体アンビルの選定を行い、ダイヤモンドナノ粒子が炭化ケイ素で結合された複合材料が、炭化タングステンの代わりになることを見出しました。(図1左)また、同じ炭化タングステン超鋼材でもニッケル金属を結合材にすれば、中性子偏極率に影響しないこともわかりました。数万気圧を発生できる中性子3次元偏極解析実験用の完全非磁性高圧セルを開発したのは、世界で初めてです。
NIMSと中心とするチームは、フランスの中性子施設・ラウエ・ランジュバン研究所(Institut Laue Langevin:ILL)のD3ビームラインにおいて、完全非磁性ハイブリッドアンビルセルを用いた最初の実験を行いました。ILLのD3ビームラインには、CRYOgenic Polarization Analysis Device (CRYOPAD)という中性子3次元偏極解析実験装置があり、精密なスピン配列、スピン方向の解析が可能です。この実験中に、今回開発した完全非磁性ハイブリッドアンビルセルによる、中性子スピン偏極率の軽減がないことが確認され、この高圧力セルを用いることによって、数万気圧という高圧力環境下であっても、中性子3次元偏極解析実験が可能であることが、世界で初めて実証されました。さらに同チームは、デラフォサイト鉄酸化物7に対して、4万気圧までの高圧力環境下での中性子3次元偏極解析実験に成功しました。これまでの研究によって、デラフォライト酸化物CuFeO2は、大気圧、無磁場下では強誘電性を示しませんが、強磁場を加えることによって強誘電性が現れるマルチフェロイクス材料であることが知られていました。図1(右)に示したように、大気圧ではスピンが一方向を向くコリニア構造8で、電気的には強誘電性を示さない常誘電状態です。ところが、今回の実験により、約2万気圧以上の圧力下では、スピンが螺旋を描くように配列したノンコリニア構造をもった状態が複数存在することがわかりました。また、これらのノンコリニア構造が現れる圧力と温度では、無磁場下であっても、強誘電分極も同時に現れることが明らかになりました。強誘電性を示さない物質が、圧力によって、強誘電性を示すマルチフェロイクス材料に変化する例は、デラフォサイト鉄酸化物がマルチフェロイクス材料として初めての例です。
今後の展開
今回、完全非磁性ハイブリッドアンビルセルを用いることで、高圧力環境下においても中性子3次元偏極解析実験が可能であることがわかり、数万気圧という特殊な環境下でのスピン配列を、正確に決定できることがわかりました。近年、マルチフェロイクス材料だけでなく、スピン配列が物質機能と密接な関係がある、超伝導物質や磁気冷凍材料9などに対する、圧力効果の研究が盛んに行われています。しかしながら、これまでの研究では、数万気圧という高圧力下での精密な磁気構造解析が行われた例はほとんどありません。本研究で開発した高圧力下中性子3次元偏極解析実験を用いれば、これまで解明できなかった、マルチフェロイクス性の圧力効果、圧力誘起超伝導現象の解明が可能になるとともに、機能性物質の圧力による物性の変化の知見を生かして、新しい機能性材料の開発に大きな指針を与えることができると考えられます。また、今回の実験は世界最強の中性子強度をもつ、フランスの中性子施設で行いましたが、将来的には国内の中性子源を有する大強度陽子加速器施設(J-PARC)の物質・生命科学実験施設や、研究用原子炉JRR-3でも、高圧力下中性子3次元偏極解析実験を可能にすることで、国内の物質材料研究にも大いに貢献できると考えています。
掲載論文
題目:Spherical Neutron Polarimetry under High Pressure for a Multiferroic Delafossite Ferrite
著者:Noriki Terada, Navid Qureshi, Laurent C. Chapon, and Toyotaka Osakabe
雑誌:Nature Communications
掲載日時: 2018年10月22日18時(日本時間)
DOI:10.1038/s41467-018-06737-6
【用語解説】
(1) 電子スピン配列:
物質中の電子は小さな磁石としての性質(スピンと呼ばれる)をもっていて、物質中ではスピンは規則的に配列します。磁石のような強磁性体では、スピンのN極とS極の向きは一定の方向を向きますが、強磁性体ではない反強磁性体と呼ばれる物質では、スピンは様々な方向に向くことがあります。
(2) マルチフェロイクス材料:
1つの材料において、強誘電性と強磁性(または反強磁性)の両方の性質をもつ材料。磁場によって強誘電分極の向きや大きさを、電場によってスピンの向きや大きさを制御できる、次世代メモリ材料として期待されています。
(3) 中性子回折実験:
原子炉や、大型加速器によって発生した中性子を、原子が規則的に並んだ物質材料に照射すると、中性子の波としての性質を反映して、干渉現象がおこります。この現象を使用した実験が中性子回折とよばれ、物質の結晶格子やスピン配列を決定することができます。
(4) 中性子スピンの偏極率:
中性子は電荷をもたない電気的に中性な粒子ですが、小さな磁石としての性質を担う核スピンをもちます。この核スピンが一定の向きに揃えられた中性子を偏極中性子と呼び、物質から回折した偏極中性子の上向きと下向きの差を偏極率と呼びます。この偏極率を直交する方向に対して解析する手法を、中性子3次元偏極解析と呼びます。
(5) 超伝導材料:
ある温度以下で、電気抵抗がゼロになり永久電流を流すことができる材料。
(6) マイスナーシールド:
超伝導体で作られた、外部の磁束を遮蔽するための磁気シールド。超伝導体は超伝導状態では、理論上は透磁率がゼロであり、シールドの内部に外部の磁束を入れない。
(7) デラフォサイト鉄酸化物:
ABO2という化学式をもち、B原子が三角格子を形成する酸化物。(図3の金色の原子)この物質は、大気圧では強磁場を印加することによってスピン配列変化を伴った強誘電性が発現する。
図3:デラフォサイト型結晶構造
(8) コリニア磁気構造、ノンコリニア磁気構造:
磁性体内のすべてのスピンが、互いに平行か反平行を向く磁気構造をコリニア磁気構造と呼ぶ。隣り合ったスピンが互いに有限の角度もって配列した磁気構造をノンコリニア磁気構造と呼ぶ。
(9) 磁気冷凍材料:
従来は強磁性体のみに磁気冷凍効果が見られるとされていましたが、近年反強磁性体などの複雑なスピン配列においても磁気冷凍効果が現れるという研究例もあります。