X線自由電子レーザーの利用拡大を可能に
2018/06/16 理化学研究所 高輝度光科学研究センター ニチコン株式会社
理化学研究所(理研)放射光科学研究センターXFEL研究開発部門の田中均部門長、高輝度光科学研究センター光源基盤部門加速器機器グループの近藤力主幹研究員、ニチコン株式会社NECST事業本部応用機器グループの森威男ビジネスグループ長らの共同研究グループ※は、次世代のパワー半導体デバイスである「SiC MOSFET[1]」を用いて、高出力と高い安定性を両立しつつ、出力電流の方向や大きさを広い範囲で変えられるコンパクトなパルス電源を開発しました。
本研究成果は、世界中で建設が進められている、直線型加速器で生成した高品質電子ビームを利用するX線自由電子レーザー(XFEL)[2]施設における利用実験時間の拡大や効率化に大きく貢献すると期待できます。
今回、共同研究グループは、高出力と高い安定性を併せ持つ電源をコンパクトな筐体(きょうたい)に集約するため、耐電圧が高く、100kHzを超える速いスイッチングスピードで大電流を制御できるSiC MOSFET素子に着目しました。SiC MOSFET素子から構成されるチョッパーユニットを2直列5並列の主回路に組み上げることで、高出力と高い安定性を実現しました。さらに開発した電源では、出力電流が少ないときに稼働するSiC MOSFETのユニット数を減らすとともに、バイパス回路に余剰電流を流すことで常に一定量以上の制御電流を確保するシーケンスを実装し、低出力電流時における安定性も実現しました。
本研究は、米国の科学雑誌『Review of Scientific Instruments』(6月18日号)の掲載に先立ち、オンライン版(6月15日付け:日本時間6月16日)に掲載されます。
※共同研究グループ
理化学研究所 放射光科学研究センター
XFEL研究開発部門
部門長 田中 均(たなか ひとし)
加速器研究開発グループ
先端ビームチーム
チームリーダー 原 徹(はら とおる)
客員技師(研究当時) 武部 英樹(たけべ ひでき)
基盤光源チーム
チームリーダー 稲垣 隆宏(いながき たかひろ)
チームリーダー(研究当時) 大竹 雄次(おおたけ ゆうじ)
先端光源開発研究部門
制御情報グループ
上級研究員 福井 達(ふくい とおる)
高輝度光科学研究センター
光源基盤部門
部門長 後藤 俊治(ごとう しゅんじ)
加速器機器グループ
主幹研究員 近藤 力(こんどう ちから)
磁石チーム
チームリーダー 深見 健司(ふかみ けんじ)
ニチコン株式会社
NECST事業本部応用機器グループ
ビジネスグループ長 森 威男(もり たけお)
ニチコン草津株式会社
NECST応用機器グループ 応用機器技術課
主任 川口 祐介(かわぐち ゆうすけ)
主任 川口 秀章(かわぐち ひであき)
スプリングエイトサービス株式会社
加速器運転保守グループ
技術部 加速器技術課
保守班長 中澤 伸侯(なかざわ しんご)
背景
パワー半導体の技術革新は、目覚ましいスピードで進展しつつあります。パワー半導体を取り込むことによるシステム性能の大幅な改善が、幅広い分野において期待されています。
理研放射光科学研究センターでは、この最新のパワー半導体技術を、X線自由電子レーザー(XFEL)施設SACLA[3]の2本のXFELビームラインをパルスごとに切り替えるための、電子ビーム振り分け電磁石用電源に適用しました。軟X線から硬X線の短波長領域のレーザーでは、通常のガスや固体のエネルギー状態(準位)[4]間の反転分布[5]を利用したレーザー増幅を起こすことが困難です。そのため、高品質(高輝度)の電子ビームを光速に近い速度で蛇行させ、発生した自発放射光と電子ビームの相互作用により、レーザー波長に相当する密度変調(濃淡)を電子ビームに形成し、レーザーを増幅します。通常、このXFELでは、電子ビームを加速する直線型加速器の下流側に設置された1本のビームラインにのみレーザーが供給されます。
X線レーザーを利用する研究は急速に拡大しており、ビームライン数を増やし利用時間を拡大することが喫緊の課題になっていました。そこで、共同研究グループは、高速で磁場を変更できる電磁石で電子ビームを振り分け、XFELを同時に複数のビームラインに提供できるシステムの構築を目指しました。
研究手法と成果
目標とするパルス電源の主要性能は、①60Hzの繰り返しで運転可能、②60Hzの繰り返しごとに任意のパターンで運転が可能、③定格出力電力:0.24MW(電圧1kV、電流240A)、④電流の安定性:240Aに対して変動量が0.002%以下、⑤電流の設定範囲:-240A~+240Aです。従来の共振回路[6]やPFN(Pulse Forming Network)[7]を用いるパルス電源では、これら全ての性能を同時に満たすことができません。特に、パルスごとに電流のパターンを自由に変更することは、これらの電源では不可能でした。
一方で、60Hzのパルスごとに、電流の大きさや流れる方向も含め任意に電流パターンを制御するには、4象限電源[8]が適しています。しかし従来の4象限電源では、大電流から微小電流にわたる広い範囲で電流の安定性を達成することが難しく、同様に目標の性能を満たすことができませんでした。
4象限電源の最大出力電力や電流の安定性は、使用するハイパワー素子の性能向上により改善できます。検討の結果、1kV以上の高い耐電圧特性を持ち、100A以上の大電流を100kHzを超える速度でスイッチングができる「SiC MOSFET」によるチョッパーユニットを2直列5並列に組み上げ、これらを高精度のPWM(Pulse Width Modulation)[9]により制御することで、目標とする主要性能の①から④までを同時に達成できることが分かりました。この基本回路をベースに実際の電源の詳細設計、フィードバック制御の最適化、詳しい回路特性の評価を行いました。
最後に残された課題は、ゼロ電流付近における電源動作の不安定性でした。これを解決するため、余剰電流を通過させるバイパス回路を導入しました。低電流時に、負荷(今回は電磁石)をバイパスする回路に電流を流すことで、一定量以上の制御電流を確保できます。さらに稼働するユニット数を減らし、1台のユニットの出力電流の下限を制限するシーケンスを実装し、低出力電流時における電源動作の安定性を実現しました。これにより、⑤のゼロをまたぐ広い電流範囲において、目標性能を満たす運転を実現できました。
開発した電源の系統図を図1に、240Aの出力電流における電流の安定性を図2に、電源本体の外観とチョッパーユニットの写真を図3に示します。電源の製作はニチコン株式会社が行いました。
今後の期待
進歩の著しいパワー半導体デバイスを4象限電源に適用することで、高い出力と優れた電流安定性を備え、パルスの出力ごとに電流パターンを変えられるという、これまで実現できなかった電源の開発に成功しました。本研究成果によりSACLAでは、平成28年2月に初めて成功したXFELのパルス振り分け運転におけるレーザー品質が大幅に向上し、全て実験が振り分け運転により可能となりました。平成29年9月より振り分け運転が供用運転における標準運転モードとなり、利用実験時間の拡大が実現しています。
今後も利用ニーズの拡大が見込まれる他のXFEL施設においても、同様の振り分けシステムと電源を導入することで利用効率が向上することが期待できます。また、今回開発したパルス電源は、電力で駆動するあらゆる機器に適用が可能です。任意の電流や電圧パターンを利用する機器の運転に今回の成果を適用することで、さまざまな生産システムの高度化にも貢献できると考えています。
原論文情報
- Chikara Kondo, Toru Hara, Toru Fukui, Takahiro Inagaki, Hideki Takebe, Shingo Nakazawa, Kenji Fukami, Yusuke Kawaguchi, Hideaki Kawaguchi, Yuji Otake, and Hitoshi Tanaka, “A stable pulsed power supply for multi-beamline XFEL operations”, Review of Science Instruments, 10.1063/1.5025109
発表者
理化学研究所
放射光科学研究センター XFEL研究開発部門
部門長 田中 均(たなか ひとし)
高輝度光科学研究センター 光源基盤部門 加速器機器グループ
主幹研究員 近藤 力(こんどう ちから)
ニチコン株式会社 NECST事業本部 応用機器グループ
ビジネスグループ長 森 威男(もり たけお)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課
ニチコン株式会社 企画本部 広報部
補足説明
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- SiC MOSFET
- SiC(シリコンカーバイド)製のトランジスタのパワー半導体素子。現在、主流となっているSi(シリコン)製のパワー半導体素子と比べ、高速かつ電力損失が小さいスイッチングが可能。高周波化することによりインダクタなどの構成部品を小さくできるため、電源製品の小型化が可能であり、使用部材の削減や製品輸送時のエネルギー削減など、さまざまな省エネルギー効果の波及も期待できる。
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- X線自由電子レーザー(XFEL)
- 近年の加速器技術の発展によって実現したX線領域のパルスレーザー。従来の半導体や気体を発振媒体とするレーザーとは異なり、真空中をほぼ光速で移動する電子ビームを媒体とするため、原理的な波長の制限はなく、X線領域で使用できる唯一のレーザーである。XFELはX-ray free-electron laserの略。
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- SACLA
- 理化学研究所と高輝度光科学研究センターが共同で建設した日本で初めてのXFEL施設。科学技術基本計画における五つの国家基幹技術の一つで、2006年度から5年間の計画で建設・整備された。2011年3月に施設が完成し、SPring-8 Angstrom Compact free-electron LAserの頭文字を取ってSACLAと命名された。2011年6月に最初のX線レーザーを発振、2012年3月から供用を開始した。0.1ナノメートル(100億分の1m)以下という世界最短波長のX線レーザーを発振する能力を持つ。
詳細はSACLAのホームページをご覧ください。
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- エネルギー状態(準位)
- 原子や分子の中で束縛されている電子は、その系に特有な離散化されたエネルギー状態(準位)を持ち、任意のエネルギー状態で存在ができない。エネルギーの低い順に、この準位を、基底状態、第一励起状態、第二励起状態と呼ぶ。
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- 反転分布
- 系の中に存在するエネルギー状態の占有率は、通常、エネルギーの低い状態の占有率が高い状態の占有率を上回る。例として基底状態と第一励起状態を考えると、電子は基底状態に多く存在する。例えば外部から光を入れて、基底状態の電子を励起し、第一励起状態に押し上げると、第一励起状態にある電子の存在確率を基底状態に比べ大きくできる。このように占有率がエネルギー状態間で逆転した分布を反転分布と呼ぶ。この状態は、レーザー増幅に必要な誘導放出を起こすために必要。
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- 共振回路
- コイルとコンデンサ間の電気エネルギーの移動を利用した回路。コイルとコンデンサの特性で決まる特定の共振周波数で電流の振動を発生させる。
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- PFN(Pulse Forming Network)
- 多数のコンデンサとコイルをはしご状に接続した電気回路。回路の端に接続された高速大電流のスイッチを導通させると、コンデンサに蓄積した電気エネルギーがコイルを通して順番に放出され、矩形など決められたパターンの電流を出力する。
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- 4象限電源
- 磁石などの負荷に対し、プラスとマイナス両方の極性の電圧と電流を出力でき、さらに負荷へ電力を供給することも、負荷に蓄えられた電力を吸収(回収)することも可能な電源。
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- PWM(Pulse Width Modulation)
- スイッチのオン・オフを繰り返しながら電流を制御するチョッパー回路にて、スイッチをオンにする時間の幅を変化させることで、平均的な通過電流の大きさを変える制御手法。
図1 開発した電源の系統図
本電源は三相交流420Vを受電し、2直列5並列に接続されたチョッパーユニットでスイッチングした電流を制御し、任意のパルス電流波形を60Hzの繰り返しで生成する。出力電流をモニターし、その値が参照波形と一致するようにフィードバック制御を行っている。
図2パターン運転での電流の安定性
設定電流値240Aにて60Hzの繰り返しで17秒間運転したときに計測された電流値の分布。全てのデータは設定値である240Aから±0.003Aの範囲内に収まっており、全幅で0.002%の安定度が得られている。
図3 開発したパルス電源本体の外観と回路の心臓部であるチョッパーユニット
a)がパルス電源の外観であり、規模は、高さ2.7m、幅3m、奥行き1m。b)は筐体の左側に収められている2直列5並列のチョッパーユニットからなる主回路、c)はチョッパーユニットの内部。