Swiss-FEL初の時間分解X線粉末回折測定のパイロット実験で明らかに
2021-02-23 東京大学
大越 慎一(化学専攻 教授)
所 裕子(筑波大学数理物質系 教授)
発表のポイント
- ピコ秒(ps)スケールのひずみ波の伝搬が、固体中の相転移を引き起こしながら進むことを観測することに成功しました。
- 室温で光誘起金属-半導体転移を示すラムダ型-五酸化三チタン(λ-Ti3O5)の光相転移の時空間ダイナミクスを、スイスX線自由電子レーザー施設(Swiss-FEL)で明らかにしました。
- 本実験は、EUが重点課題として強力に推進している大型施設Swiss-FELの初の時間分解X線粉末回折のパイロット実験データとして、世界最高となる500フェムト秒以下で構造変化を確認しました。
発表概要
東京大学大学院理学系研究科の大越慎一教授、筑波大学数理物質系の所裕子教授は、フランス・レンヌ大学物理学教室のセリーヌ マリエット博士、マチェイ ロラン博士、マルコ カマラタ博士らと共同で、フランスCNRS国際共同研究所IM-LED(注1) の国際共同研究の一環として、金属酸化物で唯一、室温で光誘起相転移を示すラムダ型-五酸化三チタン(λ-Ti3O5)(注2)の光誘起相転移に関して研究を推進しています。今回、スイスX線自由電子レーザー施設(Swiss-FEL)(注3)の超高速X線粉末回折実験(時間分解能:500 fs)により、光照射によってTi3O5結晶中の構造が500フェムト秒(fs)で変形し、光が照射されたTi3O5表面から結晶中をピコ秒オーダーで伝搬するひずみ波によって、相転移が進行することを初めて観測しました。弾性体モデル解析により、ベータ型-五酸化三チタン(β-Ti3O5)(注4)からλ-Ti3O5への相転移は、伝搬する“ひずみ波”の進行と同時に16 ps(ピコ秒)までの間に起こり、熱拡散による相転移(~100ナノ秒)よりも桁違いに早いことが明らかになりました。このようなひずみ波伝搬による相転移現象の観測は初めてです。ひずみ波をメカニズムとする相転移は、他のさまざまな固体物質においても適用できる可能性が高いと考えられます。
なお、本研究は、EU大型施設Swiss-FELの初の時間分解X線粉末回折パイロット実験として観測された貴重な実験データであり、最新のX線自由電子レーザー(XFEL)光源を用いれば、原子の動きや格子歪みの伝搬をフェムト秒スケールのリアルタイムで調べることが可能であることを実証しました。
発表内容
固体の光相転移に関する研究は、光メモリや光スイッチング材料などの観点から、学術的にも産業的にも注目されています。2010年に大越教授らは、室温で光スイッチング(書き込みと消去)が可能な新種の金属酸化物であるラムダ型-五酸化三チタン(λ-Ti3O5)を発見しました。λ-Ti3O5は、ありふれた金属イオンのチタンイオンと酸素イオンのみからできており、光誘起相転移現象に加えて、電流誘起相転移や長期蓄熱性能も見出され、産業用途への展開も期待されています(図1)。
図1:室温で光照射によりスイッチング(書き込みと消去)が可能な金属酸化物であるラムダ型-五酸化三チタン。
本研究プロジェクトでは、Ti3O5に光を照射した直後の結晶構造変化を、スイスX線自由電子レーザー施設のフェムト秒時間分解X線回折実験により測定しました(図2)。
図2:(a) Swiss-FELの時間分解X線粉末回折の概略図。(b) 計測に用いられたTi3O5試料。(c) 観測されたデバイ・シュラー環。(d) 回折強度の時間変化の例。(e) β-Ti3O5からλ-Ti3O5への光誘起相転移。(f) 光により誘起されたデバイ・シュラー環の変化。
フェムト秒レーザー照射により、価電子帯を構成するチタンイオンの位置が瞬時に変化して、部分的な体積変化により、光が当たっていない結晶内部も含めた格子体積および相分率の時間変化を観測した結果、λ-Ti3O5およびβ-Ti3O5の格子体積と微小ひずみ率、相分率ともに、0~16 psにかけて直線的に増加することがわかりました(図3左)(注5) 。このことから、λ-Ti3O5の格子体積の増加と、β-Ti3O5からλ-Ti3O5への転移が同時に起こっていることが示唆され、ひずみの伝播(ひずみ波)が相転移に関わっていることが示唆されました。弾性体モデルによる解析より、格子変形を良く再現する結果が得られました(図3右)。また、音響ひずみ波の波面が結晶界面の100 nmに到達するまでに16 psかかります。これは、β-Ti3O5の体積の極小点と一致しており、体積の大きいλ-Ti3O5に変化した部分により圧縮された結果と考えられます。
図3:(a) λ-Ti3O5の格子体積変化(濃橙色)および微小ひずみパラメータ(薄橙色)の時間依存性。(b) β-Ti3O5の格子体積変化(青)およびλ-Ti3O5の相分率変化(赤)の時間依存性。(c) λ-Ti3O5の格子体積変化(濃橙色)および微小ひずみパラメータ(薄橙色)の時間依存性の弾性体モデルを用いたシミュレーション。(d) β -Ti3O5の格子体積変化(青)およびλ-Ti3O5の相分率変化(赤)の時間依存性に関して弾性体モデルを用いたシミュレーション。
以上の結果から、Ti3O5ナノ結晶のスイッチングが、伝搬するひずみ波面と同時にピコ秒スケールで起こり、熱拡散による相転移(~100ナノ秒)よりも桁違いに早いことが示唆されました。この結果は、Ti3O5の光相転移が、熱によって誘起されるランダムな成長とは対照的に、転移がコヒーレントに伝播していることを示唆しています。従来の核生成と核成長のモデルでは、新たな相の相分率の時間依存性がシグモイド曲線状に変化することが多いのに対し、今回の研究で観測した変化は直線的であり、著しく異なっています。また、欧州シンクロトロン放射光施設(ESRF)(注6) において測定した結果から、熱拡散による相転移は100ナノ秒程度の時間スケールで起こり、ひずみ波による転移よりもはるかに遅いことがわかりました(図4)。
図4:λ-Ti3O5の相分率(ΔXλ)の時間依存性(サブピコ秒からミリ秒まで)。マゼンタ色の四角は、X線エネルギーE = 11.5 keV、入射角Ψ = 0.35°の条件で欧州シンクロトロン放射光施設(ESRF)にて測定したデータです。相分率の変化は、Swiss-FELで観測(E = 6.5 keV、入射角Ψ = 0.55°)された時間変化(灰色の三角形)と直接比較できるように、最大値で規格化しています。遅い時間領域は、対数の時間スケールで表示しています。
本研究は、CNRS国際共同研究所IM-LED研究チームが、大型施設Swiss-FEL初の時間分解X線回折計測のこけら落としとして行われた研究であり、最新のXFEL光源を用いれば、原子間の動きや格子歪みをフェムト秒スケールのリアルタイムで調べることが可能であることを実証しました。
発表雑誌
- 雑誌名
Nature Communications論文タイトル
Strain Wave Pathway to Semiconductor-to-Metal Transition Revealed by Time Resolved X-ray Powder Diffraction著者
Céline Mariette, Maciej Lorenc, Hervé Cailleau, Eric Collet, Laurent Guérin, Alix Volte, Elzbieta Trzop, Roman Bertoni, Xu Dong, Bruno Lépine, Olivier Hernandez, Etienne Janod, Laurent Cario, Vinh Ta Phuoc, Shin-ichi Ohkoshi, Hiroko Tokoro, Luc Patthey, Andrej Babic, Ivan Usov, Dmitry Ozerov, Leonardo Sala, Simon Ebner, Pirmin Boehler, Andreas Keller, Roland Oggenfuss, Thierry Zamofing, Sophie Redford, Seraphin Vetter, Rolf Follath, Pavle Juranić, Akos Schreiber, Paul Beaud, Vincent Esposito, Yunpei Deng, Gerhard Ingold, Majed Chergui, Giulia Mancini, Roman Mankowsky, Cristian Svetina, Serhane Zerdane, Aldo Mozzanica, Alexei Bosak, Michael Wulff, Matteo Levantino, Henrik Lemke, Marco CammarataDOI番号
10.1038/s41467-021-21316-y
用語解説
注1 フランスCNRS国際共同研究所IM-LED (Impacting materials with light and electric fields and watching real time dynamics)
IM-LEDは、コーディネーターとして東京大学の大越慎一教授とレンヌ大学のエリック コレット教授により共同運営されています。この国際共同研究所(日本側からは東京大学、京都大学、東京工業大学、東北大学、フランス側からはレンヌ大学、ナント大学、ベルサイユ大学、メーヌ大学からなる日仏間の大型国際共同研究プロジェクト(LIA: Laboratoire International Associé))では、光や電場に対して応答する物質、そしてその応答ダイナミクスについて研究を展開し、次世代の超高速通信や光コンピューターの基礎につなげることを目標としています。
[フランス大使館HP: “材料分野の日仏共同研究所「IM-LED」開設”
(https://jp.ambafrance.org/article10924)]
注2 ラムダ型-五酸化三チタン(λ-Ti3O5)
ラムダ型-五酸化三チタンは2010年に大越慎一教授らにより発見された新種の結晶構造をもった酸化チタン材料で[Nature Chemistry, 2, 539 (2010)]、近年、この物質の特性を活かして蓄熱セラミックスという新概念を提案しています[Nature Communications, 6, 7037 (2015); Science Advances, 6, 5264 (2020)]。λ-Ti3O5は金属的な性質を有すると共に、β-Ti3O5との間で光誘起相転移、圧力誘起相転移、電流誘起相転移など、多彩な相転移現象を示します。
注3 スイスX線自由電子レーザー施設(Swiss-FEL)
スイスのポール・シェラー研究所にあるX線自由電子レーザー施設で、2019年より運用が開始されたばかりの新しいX線自由電子レーザー施設です。今回、初の時間分解計測として、λ-Ti3O5とβ-Ti3O5の間の光相転移の時間ダイナミクスの測定が行われました。
[SwissFEL HP: “First time resolved Pilot Experiment by SwissFEL: Semiconductor to metal transition in Ti3O5 nanocrystals” (https://www.psi.ch/en/bernina-group/scientific-highlights/first-time-resolved-pilot-experiment-by-swissfel)]
注4 ベータ型-五酸化三チタン(β-Ti3O5)
従来から知られている五酸化三チタンの茶色い結晶相で、半導体的な性質を示します。
注5
λ-Ti3O5は3つのチタンサイト(Ti1、Ti2、Ti3)を有し、価電子帯がTi3–Ti3のペアにより、伝導帯がTi2の空軌道により構成されています。レーザー光照射直後の構造変化の観測より、500フェムト秒で、Ti3サイト周りの結合角度や距離が変化していることがわかり、光により価電子帯の電子が励起されたときの構造変化ダイナミクスが観測されました。
注6 欧州シンクロトロン放射光施設(ESRF)
欧州シンクロトロン放射光施設は、フランスのグルノーブルにある共同研究施設で、22カ国の共同出資により運営されています。