感染リスクとスティグマを考慮した理論分析と実証分析で明らかに
2020-09-24 総合地球環境学研究所
新型コロナウイルス感染症のパンデミック化に伴い、世界各国でさまざまなレベルの外出規制が実施されました。日本では法的拘束力のない緊急事態宣言が発出されましたが、外出行動は、どのようなメカニズムによって抑制されたのでしょうか。このメカニズムを明らかにするため、総合地球環境学研究所(地球研)の片渕結矢研究員、九州大学の栗田健一特任助教ならびに馬奈木俊介主幹教授/地球研客員教授から成る研究チームは、新しい理論モデルを構築し、感染リスクに加えて、スティグマ(社会的烙印)1による心理的コスト(心理的負担になる要因)という要素も加味して分析しました。その結果、緊急事態宣言には外出抑制効果があった一方、多くの人々が外出を自粛する状態とそれほど外出を自粛しない状態のどちらも理論的に実現する可能性があり、外出自粛の程度を予測することが難しいことがわかりました。また、全国的な人の流れのデータを用いた実証分析からも、緊急事態宣言には外出抑制効果があることが明らかになり、その効果は緊急事態宣言が出されていた期間が一番高いことがわかりました。
なお、本研究成果は2020年9月21日(月)に査読付き国際誌「Economics of Disasters and Climate Change」(Springer)に掲載されました。また、本研究は総合地球環境学研究所の「社会的価値形成過程の解明を通じた新国富指標の展開と持続可能な政策設計への応用」プロジェクト(研究代表者:馬奈木俊介)、ならびに日本学術振興会科学研究費補助金(JP19K23194、JP20K13486、研究代表者:栗田健一)の支援を受けて行われました。
研究の背景
COVID-19の拡大、そして感染症が招く死者を減らすために、世界中の国は外出を制限するさまざまな政策を行ってきました。急速にCOVID-19の感染が拡大した地域のほとんどは罰則つき、すなわち法的拘束力のある外出抑制政策2をとっています。一方で、たとえば日本のように、法的拘束力のない自粛要請に基づく外出抑制政策をとっている国もあります。
法的拘束力のない緊急事態宣言も一定の効果をあげているとみなされていますが、その効果を分析してきたこれまでの研究は、法的拘束力のない緊急事態宣言が効力を持つことの背景に焦点を当ててきませんでした。
外出を自粛する理由として、まず真っ先にあげられる感染リスクの回避は、先行研究でも考慮されています。一方で、COVID-19の感染拡大状況下、特に緊急事態宣言下では、自粛警察に代表されるように、外出することを反社会的な行動とみなす世論が形成されていましたが、これまでの先行研究はこういったスティグマの要素を加味していません。
また、国内の緊急事態宣言下における外出行動自粛がさまざまに考察されてきましたが、実際の外出行動は陽性者数に代表されるようなCOVID-19感染拡大状況の変化だけでなく、天候などの外出に関わる他の要因に強く影響を受けた可能性があり、緊急事態宣言が外出行動に与えた純粋な効果が識別されているとは言えないものでした。さらに、外出行動自粛の考察の多くは都市部における外出自粛のみに着目したものでした。
- 1 社会的烙印のことで、社会学や心理学を中心に研究されている。古代ギリシャにおける犯罪者や奴隷に押していた烙印に起源を持ち、現代の社会科学においては外見的な属性以外の社会的な属性に関する烙印もスティグマとして考慮されている。研究チームの栗田氏(九州大学)と片渕氏(地球研)は、生活保護制度におけるスティグマについても研究中であり、研究成果の一部は英語論文として査読付き国際誌“International Journal of Economic Theory”に近日掲載される予定である。
- 2 たとえばイタリアでは、政令が2020年3月10日に全土の外出制限を命じ、行き先と理由を記した「証明書」を携帯していない人は最大3千ユーロの罰金を課した。
目的
そうしたことから、研究チームは、どのようなメカニズムによって法的拘束力のない緊急事態宣言が外出行動を抑制されるのか、また、スティグマや天候など外出行動の意思決定に影響する他の要因を考慮した上でも、緊急事態宣言は全国的な外出行動を減少させたといえるのかを知るため、理論モデルによる分析と、全国的な実際のデータを用いた実証分析を行うこととしました。
方法
まず、法的拘束力のない緊急事態宣言下においての外出自粛行動についての理論モデルの構築については、外出にスティグマと感染リスクから心理的コストが生じる状況下での人の意思決定を考慮して、スティグマの水準と社会全体での外出者数が同時に決定されるような数式モデルを構築することにしました。
また、実証分析においては、まず都市部だけでなく全国を網羅できるように、都道府県レベルでの買い物や通勤などの目的別外出行動データと、外出行動に影響を与えることが考えられる天候や感染状況等の要因を含めた、緊急事態宣言発出約1ヶ月前から緊急事態宣言解除約1ヶ月後に亘る日次パネルデータセットを構築しました。そしてそのデータセットを用いて、外出行動に影響を与える他の要因をコントロールした下での緊急事態宣言が外出行動に与えた影響を分析しました。
研究の経緯や成果
研究チームは、まず、構築した理論モデルによる分析を行ったところ、法的拘束力を持たないにもかかわらず、緊急事態宣言は外出抑制の効力を持つことが明らかになりました(図1)。ただし、「他者が外出しているのだから自分も外出しても大丈夫だろう」というような動機から外出者数が相対的に多い状態と、「大事を取って外出しない方がよいだろう」というような動機から外出者数が相対的に少ない状態の、複数の状態が実現する可能性があるため、緊急事態宣言による外出抑制効果の大きさを予測するのは困難であることもわかりました。
図1 理論分析の結果で得られた外出者数の推移のイメージ
緊急事態宣言発出下で外出者数は抑制されていたことが明らかになったが、事前に予測していた以上に外出者数が減少することやその逆も生じる可能性がある。
次に研究チームは、外出行動・緊急事態宣言発出状況・外出行動に影響を与えることが考えられる要因を組み合わせた都道府県レベル日次パネルデータを用いて実証分析を行ったところ(表1)、外出行動に影響を与える他の要因をコントロールした下でも、緊急事態宣言下の人の流れは抑制されていることが明らかになり(図2)、これは理論的分析結果と一致していました。また、緊急事態宣言が解除された後も自粛の効果は継続していたものの、その抑制の度合いは緊急事態宣言下の方が大きかったこともわかりました。
表1 実証分析で得られた緊急事態宣言が外出行動に与えた影響を推定した結果
それぞれの列は「小売・娯楽」、「食料品店・薬局」、「公園」、「職場」を目的とした外出行動の従属変数を用いていることを示す。例えば従属変数「小売・娯楽」を用いた場合の説明変数「緊急事態宣言発出下」についての係数が示す約-20は、小売購買を目的とした外出行動について、ベースライン値(2020年1月3日~2020年2月6日における曜日別中央値)との比較値が、緊急事態宣言発出前と比較したときに緊急事態宣言下において20%減少していたことを表している。外出行動の実数が緊急事態宣言発出前と比較して緊急事態宣言下において20%減少しているとは言えないので注意。
図2 実証分析の結果で得られた外出行動の推移のイメージ
緊急事態宣言発出下・解除後の両方で、発出前と比較して外出行動が抑制されており、発出下においてより抑制されていたことがわかった。
まとめと今後の展望
以上のように、理論的分析から、緊急事態宣言は法的拘束力を持たないにもかかわらず、外出抑制の効力を持つことが明らかになりましたが、その大きさを予測することは困難であることがわかりました。この結果は、経済とのトレードオフを考慮しながら外出行動を抑制することで感染拡大を防止するためには、より法的拘束力の強い政策を検討する必要がある可能性を示す根拠のひとつになるといえます。また、全国的なデータを用いた実証分析からも、理論的分析と同じく緊急事態宣言下の人の流れは抑制されていることがわかり、抑制の度合いは緊急事態宣言下の方が大きかったことも明らかになりました。
研究チームは今後、外出行動に伴うスティグマだけでなく感染者に対するスティグマも考慮した上で感染者数と外出者数の相互依存関係をより詳細に分析し、給付金やベーシックインカムなどの政策効果や制度設計について考察する予定です。
論文情報
雑誌名:Economics of Disasters and Climate Change
オンライン掲載日:2020年9月21日
論文タイトル:COVID-19 with Stigma: Theory and Evidence from Mobility Data
著者名:Yuya Katafuchi, Kenichi Kurita, and Shunsuke Managi
主要著者:Yuya Katafuchi, Kenichi Kurita, and Shunsuke Managi
DOI:10.1007/s41885-020-00077-w
URL:https://link.springer.com/article/10.1007/s41885-020-00077-w
参考文献
Kenichi Kurita, Nobuaki Hori and Yuya Katafuchi (Forthcoming) Stigma model of welfare fraud and non-take-up: Theory and evidence from OECD panel data, International Journal of Economic Theory
問い合せ先
総合地球環境学研究所 広報室
准教授 岡田 小枝子 (おかだ さえこ)