2024-03-29 量子科学技術研究開発機構
ポイント
- 細孔が多数開いたガラス板へのレーザー光照射により、放射線の一種である、高エネルギー電子線が発生することを実証。
- 体内の患部近くで放射線を発生可能な内視鏡型の電子線発生装置が実現可能に。
- 患部付近だけで放射線を発生でき、放射線がん治療における被ばく線量の低減を実現。放射線遮蔽設備が不要で、安全面により配慮した放射線がん治療技術の確立につながる。
概要
量子科学技術研究開発機構(理事長 小安重夫、以下「QST」)量子技術基盤研究部門関西光量子科学研究所の森道昭上席研究員らの研究グループは、米国のカリフォルニア大学アーバイン校、カナダのウォータールー大学と共同で、細孔が多数開いたガラス板(マイクロチャンネルプレート)へのレーザー光照射により、放射線の一種である、高エネルギー電子線が発生することを実証しました。この技術を利用すれば、内視鏡型放射線(電子線)発生装置が実現可能であり、被ばく線量を低減し、かつ遮蔽が不要な放射線がん治療技術の確立を見通すことができるようになります。
放射線によるがん治療は、体に負担となる外科的手術を伴わないためQOL(Quality of Life)の高い治療として注目されています。放射線を身体外部から照射する方法や、カテーテルなどで放射線源を体内の患部近くまで持ち込んで照射する方法などがありますが、いずれの方法でも放射線を患部に届けるまでの被ばくは避けられません。また、加速器運転に伴う放射線発生や放射線源の取り扱いなどに留意する必要があり、装置価格の抑制や運用コストの低減も求められます。
今回の実験では、パルスレーザーをマイクロチャンネルプレートに照射すれば、がん治療が可能な数百キロ電子ボルトレベルの高エネルギー電子線 が発生することを確認しました。従って、光ファイバーの先端に微小なマイクロチャンネルプレートを固定した装置を作製し、内視鏡と組み合わせて利用することができれば、体内のがん組織に近接した場所で高エネルギー電子線を発生させ、放射線治療ができることになります。この技術では被ばく線量の低減が可能であり、また放射線遮蔽設備が不要な放射線がん治療技術の確立につながります。
本研究の一部は、JST未来社会創造事業大規模プロジェクト型「レーザー駆動による量子ビーム加速器の開発と実証」(JPMJMI17A1)の支援と日本学術振興会(JSPS)科研費(JP20K12505、JP23K11716)の支援を受け実施されました。研究成果はAmerican Institute of Physicsが発刊するオープンアクセス誌『AIP Advances』に2024年3月28日(木)(米国時間)に掲載されました。
研究開発の背景
瞬間的に光を放つパルスレーザーは、発光時間が短いほど、瞬間的には強い光強度(ピーク出力)を発生させることが可能です(図1)。2018年のノーベル物理学賞は、それまで不可能と考えられていたピーク出力の極めて高いレーザーパルスの発生が可能となるチャープパルス増幅法(参考文献1)の発明者である、ジェラール・ムルー博士とドナ・ストリックランド博士に授与されました。
QSTでは、その手法に基づいた卓上型の小型レーザー装置を用いてピーク出力の高いレーザーパルスを発生させ、その光をミクロン程度の大きさまで絞り込んでガスや固体などの材料に照射することで、高いエネルギーの電子やイオンを発生させる「レーザープラズマ加速」の研究を行ってきました。ピーク出力の高いレーザーパルスをレンズで絞り込んで物質に照射すると、物質を構成する原子から電子を剥ぎ取り、電子と親イオンがバラバラになった状態(プラズマ状態)を発生させることができます。また、さらに強度が高くなると、プラズマ状態の中にレーザーの進行方向と同じ向きに、電子密度の高い領域と低い領域が交互に現れる、電子の「粗密波」が生じます。この粗密波は、レーザーが進行するのに合わせて同じ方向に前進し、さらに、電子密度の高い領域から低い領域に向かって(すなわち粗密波の進行方向に向かって)電子を加速する電場が発生します。その電場強度(1メートルあたり数百億から1兆ボルト)は、一般的な粒子加速器が発生できる電場強度の数百から数千倍に相当し、強力な加速力を生み出します。この加速機構は「レーザープラズマ加速」と呼ばれ、1979年に田島俊樹博士(現在カリフォルニア大学アーバイン校に在籍)が初めて唱えました(参考文献2)。
電子やイオンなどの、電荷を持った粒子を加速する粒子加速器は、医療分野だけでなく、産業、科学研究など、多様な分野で活用されています。その中でも、科学分野で必要となる高エネルギー加速器は、装置が巨大になる点が問題となっています。これに対し、チャープパルス増幅法(参考文献1)とレーザープラズマ加速(参考文献2)を組み合わせることで、加速器を飛躍的に小型化できるのではないか、と期待されています。また、医療、産業などの分野における用途、普及の拡大には、装置が小型で、かつ必要な数の粒子を発生できる技術が重要となります。
研究開発の目的
現在のレーザープラズマ加速研究は、ピーク出力のより高いレーザー装置を用いて、より高いエネルギーの電子発生を目指すのが、世界的なトレンドになっています。しかし本研究では、QSTで培ってきた技術をベースに、ピーク出力は高くないが非常に安定したレーザー装置を活用し、むしろ高効率で実用的な電子の加速を目指しました。共同研究者の一人である田島俊樹博士が、より低いピーク出力のレーザーで生成したプラズマを利用しても、産業、医療などへの応用に十分なエネルギーの電子線を、必要とされる数だけ発生させられることを論文誌で提案しています(参考文献3)。その提案では、カーボンナノチューブと呼ばれる、中空の炭素材料にレーザーを照射することを想定していましたが、整列されたカーボンナノチューブは製造上の技術的課題が多く、実用化に向きません。本研究では、よりシンプルで市販されている「マイクロチャンネルプレート」(図2)と呼ばれる、ガラス板に髪の毛の1/10程度のサイズの穴が多数開いた材料においても、同等の効果が得られると考えて実験を行いました。
得られた成果
一般的に、高エネルギーの電子発生を目指す実験では、1平方センチメートルあたりエクサ(100京(けい)、1018)ワットという非常に高いレーザー強度(ピーク出力を集光面積で割ったもの)で、ガスや固体などの材料に照射します。一方、本研究では、1ミリメートル四方の中に10ミクロンの穴が約6000個空いているマイクロチャンネルプレートを材料として用いました。それにより、レーザー強度を、フェムト秒レーザー加工で用いられるレーザー強度と同程度となる1/10から1/100に低下させても、がん治療を含む医療応用などに必要とされるエネルギーを持つ電子線(用語解説「(2)高エネルギー電子線」項を参照)が発生することがわかりました(図3)。
今後の展開
今回の成果は、大型のレーザー装置を用いなくても、産業や医療応用が可能な、高エネルギーの電子線が発生することを示しています。今回の実験結果に基づけば、例えば、10ミリジュール程度の比較的低い出力の手のひらサイズのレーザー装置(ファイバーレーザーやマイクロチップレーザーなど)を使ったがん治療用の電子線発生装置が実現できると考えられます。
さらに、光ファイバーの先端に微小なマイクロチャンネルプレートを固定した装置(図4)を作製し、内視鏡を利用して体内のがん組織に装置先端部を近づけることで放射線治療が可能となります(図5)。レーザーパルスの強度が高くなると光ファイバー中をレーザー光が通らなくなることがありますが、今回の実験結果によれば、光ファイバーを通せる程度の低強度レーザーパルスを使っても、十分なエネルギーの電子を、必要な数だけ発生させられることが示されました。この装置では放射線発生が光ファイバー先端部に限定されることから、既存の放射線がん治療において問題とされる被ばく線量の低減が可能であり、かつ放射線の遮蔽設備を無くすことで低コストのがん治療装置(参考文献4)が構成できるものと期待されます。
また、医療応用だけでなく、電子を使った可搬型の殺菌(参考文献5)装置や、可搬型の電子顕微鏡(参考文献6)など、他分野への展開も見込まれます。QSTでは、今後も電子線発生に適したレーザー条件の探索を進めることで、内視鏡型がん治療装置用だけではなく産業応用に適した小型の新たな電子線発生装置の研究開発を進めていく予定です。
図1 パルスレーザーのパルス時間と平均出力、ピーク出力の関係。同じ平均出力でも、パルス時間が短いほどピーク出力が高くなり、その結果、より高速の電子を発生できます。
図2 放射線発生のイメージ。ガラスプレートに細い穴が等間隔に並んだマイクロチャンネルプレート(中央)にレーザー光(左)を照射し、指向性の高い放射線(右)を発生させる。
図3 各レーザー強度でレーザーを照射した場合に観測された放射線(電子線)の平均電子エネルギー。100キロ~250キロ電子ボルトの電子が発生することが示されており、がん治療に必要とされる電子線(数10キロ~数100キロ電子ボルトのエネルギーを有する)を発生可能であることがわかる。
図4 本技術を活用した電子線発生装置のイメージ。
図5 本技術を活用した内視鏡型放射線がん治療のイメージ。
用語解説
(1)放射線
正式には電離放射線と言います。放射線は物質を通り抜けることができ、通過するときに、直接あるいは間接的に物質を電離(電子とイオンに分離した状態)させることができる能力(電離能力)を持っています。放射線にはさまざまな種類の粒子があり、電子、陽子、アルファ線などの荷電粒子線や、X線、ガンマ線、中性子などが含まれます。物質を透過できるので物質中に存在するものに影響を与えることができ、例えば、人体にも細胞レベルで影響が及びますが、この特性をうまく制御して利用することで、体内にあるがん細胞を外科手術なしに治療することにも利用できます。これが放射線がん治療です。
(2)高エネルギー電子線
高速の電子線のことで、高いエネルギーを持っています。高速であることから、物質を透過したり電離したりできるようになります。従って、放射線の一種となります。がん治療で必要とされる電子のエネルギーは数10キロ~数100キロ電子ボルト程度と考えられます。
(3)内視鏡型治療装置
内視鏡とは、胃カメラや大腸カメラに付随する形で手術器具などが備わったケーブル状に細長く束ねられたものです。この内視鏡を口や肛門などから患部まで導くことで、胃がんや大腸がんなどの切除が可能になり、また、レーザーや放射線源と組み合わせることで、レーザー照射や放射線照射によるがん治療も可能です。
(4)マイクロチャンネルプレート
キャピラリプレートとも言います。孔径が数ミクロン~数100ミクロンのガラス毛細管(キャピラリ)を規則正しく二次元的に配列し、数100ミクロンからから数10ミリメートルの厚さにした円形または角形のガラスプレートです。光電子増倍管の構成部品として使われていることから品質や入手性、またコストにおいて優れています。カーボンナノチューブの穴(最小のもので約0.1ミクロン)と比べて桁違いに大きいですが、今回実験を行ったところ、高エネルギーの電子線発生が可能であることが判明しました。
(5)高強度レーザー
非常に短い時間幅(ピコ(10-12)秒~フェムト(10-15)秒)と高エネルギー(0.1~1000ジュール)を合わせ持つレーザー光です。チャープパルス増幅(用語解説(6)参照)によって、レーザーパルスの高ピーク出力化が劇的に進みました。QSTでは、本研究で用いたレーザー装置 JLITE-X以外に、この100倍以上のピーク出力が可能なJ-KAREN-Pレーザーを有しており、2017年に1022 ワット毎平方センチメートルの世界記録のレーザー強度を達成しています。
(6)チャープパルス増幅
高強度レーザーを作るための主要技術。光学素子の損傷を避けるためにレーザーのパルス長を伸ばしてピーク出力を下げた状態で増幅を行い、最後にパルスを縮めて高いピークパワーの高いレーザーを得る技術です。この技術を1985年に着案・実証したジェラール・ムルー博士およびドナ・ストリックランド博士は、この基礎技術に関連し2018年にノーベル物理学賞を受賞しています。
(7)カーボンナノチューブ
炭素のみで構成されている、直径が最小のもので約100ナノメートル(0.1ミクロン)程度の円筒(チューブ)状の物質です。炭素原子が六角形に配置されたベンゼン環を平面上にすべて隣り合うように並べたシートを円筒状に丸めた構造をしています。先行する理論研究では、カーボンナノチューブを平面上に敷き詰めたような材料に高強度レーザーを照射することを想定していました。しかし、このような材料はマイクロチャンネルプレートに比べ製作性や入手性において課題のある状況です。
(8)レーザー強度
単位面積当たりのレーザー出力で、レーザーの出力(ピーク出力)をビーム面積で割ることで計算されます。レーザーの世界では、1平方センチメートルあたりのワットの単位がよく使われます。
(9)ファイバーレーザー
ファイバーレーザーは光ファイバーそのものからレーザー光を発生させる装置。通常の光ファイバーと同様に、レーザー光を利用したいポイントまで自在に送り届けることができる、という特性を備えています。近年、技術開発のおかげでファイバーレーザーの高出力化が進んでおり、短い発光時間でミリジュール程度の出力のレーザー光が発生可能になっています。今後、レーザー加速が実現できる出力のレーザー光を効率良く通すための材料開発などの推進により、本提案の内視鏡型放射線がん治療装置のレーザー光源として使用できるようになります。
(10)マイクロチップレーザー
レーザー結晶にミラーコーティングを施して構成される、手のひらサイズの固体レーザーです。信頼性が高く、低価格でコンパクト、といった優れた性質を有し、我が国の独自技術として近年盛んに研究が進められています。本研究によってマイクロチップレーザーで発生可能なピコ秒程度の比較的長いレーザーパルス幅でも電子線が発生することが明らかになりました。今後、QSTでは、このようなレーザー装置でも電子線を発生させる技術の開発も行います。それにより、マイクロチップレーザーのレーザー出力で電子線発生が実現できれば、より小型で低価格、高安定な内視鏡型がん治療装置の実現につながります。
掲載論文情報
M. Mori, E. Barraza-Valdez, H. Kotaki, Y. Hayashi, M. Kando, K. Kondo, T. Kawachi, D. Strickland, and T. Tajima, AIP Advances Volume 14, issue 3,(2024):
“Experimental realization of near-critical-density laser wakefield acceleration: Efficient pointing 100-keV-class electron beam generation by microcapillary targets”
DOI: https://doi.org/10.1063/5.0180773
参考文献
- D. Strickland and G. Mourou Optics Communications 56, 219 (1985):
“Compression of amplified chirped optical pulses”
DOI: https://doi.org/10.1016/0030-4018(85)90120-8 - T. Tajima and J. M. Dawson, Physical Review Letters 43, 267 (1979):
“Laser Electron Accelerator”
DOI: https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.43.267 - B.S. Nicks, E. Barraza-Valdez, S. Hakimi, K. Chesnut, G. DeGrandchamp, K. Gage, D. Housley, G. Huxtable, G. Lawler, D. Lin, P. Manwani, E. Nelson, G. Player, M. Seggebruch, J. Sweeney, J. Tanner, K. Thompson and T. Tajima Photonics, 8 216 (2021):
“High-Density Dynamics of Laser Wakefield Acceleration from Gas Plasmas to Nanotubes”
DOI:https://doi.org/10.3390/photonics8060216 - D. Roa, J. Kuo, H. Moyses, P. Taborek, T. Tajima, G. Mourou and F. Tamanoi, Photonics 9, 403 (2022):“Fiber-Optic Based Laser Wakefield Accelerated Electron Beams and Potential Applications in Radiotherapy Cancer Treatments”
DOI: https://doi.org/10.3390/photonics9060403 - K. Nishikiori Journal of the Illuminating Engineering Institute of Japan, 81, 571 (1997):“The Utilization of Ultraviolet ray and Electron beam”
DOI: https://doi.org/10.2150/jieij1980.81.7_571 - S. Inoue, S. Sakabe, Y. Nakamiya, and M. Hashida, Scientific Reports 10, 20387 (2020):“Jitter-free 40-fs 375-keV electron pulses directly accelerated by an intense laser beam and their application to direct observation of laser pulse propagation in a vacuum”
DOI: https://doi.org/10.1038/s41598-020-77236-2