量子もつれの伝達速度限界を解明~ボーズ粒子系における新たな理論的発見と量子計算への応用~

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2024-03-29 理化学研究所,京都大学

理化学研究所(理研)量子コンピュータ研究センター 量子複雑性解析理研白眉研究チームの桑原 知剛 理研白眉チームリーダー(開拓研究本部 桑原量子複雑性解析理研白眉研究チーム 理研白眉研究チームリーダー)、ヴー・バンタン 特別研究員、京都大学 理学部の齊藤 圭司 教授の共同研究チームは、相互作用するボーズ粒子[1]系において量子もつれ[2]が伝達する速度の限界を理論的に解明しました。

本研究成果は、多数のボーズ粒子が相互に作用することで生じる量子力学的な動きを理解する上で新しい洞察を提供すると同時に、量子コンピュータ[3]を含む情報処理技術における根本的な制約を解明することにも寄与すると期待されます。

量子力学で現れる最も基本的な粒子であるボーズ粒子が相互作用を通じてどのくらいの速さで量子的な情報を伝達できるのか、という問題は長年未解決でした。

共同研究チームはリーブ・ロビンソン限界[4]と呼ばれる概念を考察し、情報伝達速度の持つ限界を理論的に解明しました。その結果、もう一つの基本粒子であるフェルミ粒子[5]と異なり、ボーズ粒子は情報伝達の加速という現象を起こすことを明らかにしました。この結果を用いて、相互作用するボーズ粒子を量子コンピュータ上でシミュレートする精度保証[6]付きの手法を新たに開発しました。

本研究は、科学雑誌『Nature Communications』オンライン版(3月21日付)に掲載されました。

加速する量子情報伝達のイメージ画像
加速する量子情報伝達のイメージ図

背景

量子物理学の舞台では、電子や原子などの目に見えない粒子が主役を演じ、これらが互いにどのように作用し合うかで物質の性質が決まります。これらの粒子の集まりを「量子多体系」と呼び、この複雑な世界を理解することは、電子の動きから超伝導、量子コンピュータの開発に至るまで、現代科学において重要なテーマとなっています。

しかし、量子情報がどれほど速く伝わるか、つまり量子世界の「音速」はどれくらいなのか、という問題は長い間謎でした。ここで登場するのが、「リーブ・ロビンソン限界」という概念です。私たちの世界で音や電波が一定の速さで伝わるように、量子世界にも情報伝達の速さには限界があることを、物理学者のリーブとロビンソンが1972年に理論的に明らかにしました。

この発見は、量子情報の伝達、量子もつれの拡散、量子通信、量子コンピュータの設計など、量子物理学のさまざまな分野における基本的な理解を深めるものです。例えば、量子コンピュータでは、この限界によって量子ビット間で情報が伝達される速度が制限される可能性があります。また、量子多体系の時間的な変化を理解する上で、量子もつれがどのように広がっていくかを知る手がかりを提供します。

リーブとロビンソンの革新的な理論は、元々量子スピン系[7]の研究で生まれました。この理論は量子物理学の奥深い問題への理解を深めるために、さまざまな量子システムに応用されてきました。特に注目されているのは、量子力学において最も基本的なフェルミ粒子とボーズ粒子です。これらは、粒子の振る舞いについて異なる統計的性質を持っています。フェルミ粒子は、量子スピンと似た方法で扱うことができますが、ボーズ粒子はその性質上、同じ量子状態に無限に多く存在することが可能であるため、これらの粒子に対するアプローチは根本的に異なります。

過去20年間、ボーズ粒子系のリーブ・ロビンソン限界の解明に挑戦し続けた多くの研究者たちによって、さまざまな進展がありましたが、問題の解決には至っていませんでした。リーブ・ロビンソン限界の探求は、量子力学の基礎理論から、実際の技術応用に至るまで、量子情報科学における大きな関心事となっています。この謎を解き明かすことは、私たちが量子世界を理解し、将来の技術革新につなげるための鍵となると期待されています。

研究手法と成果

ボーズ粒子系におけるリーブ・ロビンソン限界を解明する上での最大の障壁は、ボーズ粒子同士が同じ状態を取ることによって膨大なエネルギーを伝搬させる可能性がある、という点にあります。このようなボーズ粒子特有の性質は、超伝導[8]や超流動[9]、ボーズ・アインシュタイン凝縮[10]といった目に見えるほどの巨視的量子効果を引き起こします。

本研究では、エネルギーに制約がない場合のリーブ・ロビンソン限界を取り扱う理論を新たに考案し、ボーズ粒子系による情報伝達の二つの側面を明らかにしました。最初に注目したのは、ボーズ粒子の移動速度です。ここでの発見は、ボーズ粒子の移動速度が有限であること、つまり速度には上限があるということです。この点で、フェルミ粒子とボーズ粒子の間に質的な違いはないことが示されました。

しかし、興味深いのは、量子情報の伝達速度に関する部分です。ボーズ粒子は特殊な性質を持っており、多くの粒子が同じ状態になることが可能です。これにより、量子もつれといった情報が含まれる場合、情報の伝達速度が粒子の数に比例して速くなる可能性があることを発見しました。つまり、ボーズ粒子の集団は、情報を迅速に伝達する能力を高めることができるというわけです。この発見により、ボーズ粒子を通じた量子もつれの伝達が加速的に行われる特定の状況が明らかになりました。

以下の状況を考えてみましょう:ある直線の経路に沿ってボーズ粒子が次々と移動していきます。時間が経つにつれて、この経路にはますます多くのボーズ粒子が集まり、粒子の密度は高まっていきます。本研究で明らかにされたように、情報伝達の速度が粒子の密度に比例するため、粒子密度の増加とともに情報の伝達も加速することが示されます。つまり、特定の条件下では、情報は粒子の集まり方によって急速に伝わることが可能になります。しかし、この加速メカニズムを用いても、ボーズ粒子による情報伝達速度が無限に大きくなることはないという理論的な証明も達成されました。これは、情報の伝達には自然界の法則による上限が存在することを意味します(図1)。

加速する量子もつれの伝搬の概要図の画像
図1 加速する量子もつれの伝搬の概要図
ボーズ粒子は有限の速度を持って移動することを解明した。また、ボーズ粒子が同じ場所にたくさん集まるとそれぞれが協力し合って量子もつれの伝達速度を大きくすることを明らかにした。この現象は、特定の情報伝達路においてボーズ粒子が集中することで、その伝達路の情報伝達速度が向上することを意味する。例えば、2次元格子上にボーズ粒子が配置されている状況では、中央部の粒子の密度が低い(a)場合、その部分の伝達速度も比較的小さくなる。しかし、多数のボーズ粒子が中央部に集中している(b)場合、そこでは伝達速度が大きくなる。


本研究は、情報伝達の加速という、以前は考えられなかった現象を明らかにしました。従来、多くの科学者は、ボーズ粒子系もフェルミ粒子系と同様に、情報は一定の速度で伝達されると考えてきました。この新しい発見は、そのような直感に反するものです。しかし、この加速現象は理論上可能であっても、実際の自然界では起こりにくいということも、本研究では指摘しています。通常の条件下では、情報伝達は依然として有限の速度を持つことが、共同研究チームによる以前の研究結果で証明されています注)。本研究で取り上げた概念であるリーブ・ロビンソン限界は、情報伝達速度に関して可能な最大速度の限界を設定する理論的な枠組みです。ボーズ粒子の相互作用におけるこの限界を正確に理解するためには、さまざまな状況下での伝達速度をすべて考慮に入れる必要があります。この問題が解決されなかった主な理由の一つは、ボーズ粒子同士の相互作用がとても複雑で、すべての可能性を考慮することが困難だった点にあります。この課題に対処するため、共同研究チームは情報が最も早く伝わる条件を理論的に予想した上で、その条件が本当に最適であることを数学的に証明することに成功しました。この成果は、複雑な粒子の相互作用を理解し、情報伝達の限界をより深く掘り下げるための重要なステップです。

本研究の応用として、リーブ・ロビンソン限界を活用して、量子コンピュータ上で相互作用するボーズ粒子系をシミュレートする新しい手法を開発しました。量子多体系では、多くの量子力学的な粒子が複雑に相互作用しており、これを従来のコンピュータで正確かつ効率的にシミュレートするのは難しい課題です。ここで量子シミュレーションの技術が重要な役割を果たします。共同研究チームは、量子コンピュータを使用して量子ビットを操作し、目的の量子系をデジタル的に模倣するデジタル量子シミュレーションに焦点を当てました。このプロセスでは、ボーズ粒子の動きを模倣するために、時間を細分化して区間ごとに適切な量子演算を実行する必要があります。量子もつれの生成量、つまり時間内にどれだけの量子もつれが生じるかは、必要な量子演算の量を決定する鍵となります。本研究で得られたボーズ粒子系のリーブ・ロビンソン限界により、量子もつれの生成量を定量的に評価することが可能になりました。これにより、ボーズ粒子のデジタル量子シミュレーションを、高い精度を保ちながら最も効率的に実行するための方法が確立されたのです。この進展は、量子シミュレーションの分野における大きな一歩となり、複雑な量子系の研究や量子コンピューティングの応用範囲を広げる可能性を秘めています。

注)Tomotaka Kuwahara and Keiji Saito, Lieb-Robinson Bound and Almost-Linear Light Cone in Interacting Boson, Systems Phys. Rev. Lett. 127, 070403 (2021)

今後の期待

本研究では、ボーズ粒子系での量子もつれの伝達速度の限界を明らかにしました。今後は情報伝達の加速がもたらす新しい物理現象の解明や、長距離の相互作用がボーズ粒子間に存在する場合のリーブ・ロビンソン限界を解明することが重要な課題となります。

補足説明

1.ボーズ粒子
ボーズ・アインシュタイン統計に従う量子粒子で、整数のスピン(角運動量の量子数)を持つ。この性質により、複数のボーズ粒子が同じ量子状態を同時に占有することが可能になる。典型的なボーズ粒子には光子(光の粒子)、グルーオン(強い力を媒介する粒子)、および一部の原子がある。

2.量子もつれ
二つ以上の粒子がその量子状態において密接に関連し合っている現象で、一方の粒子の状態を測定することで、即座に他方の粒子の状態が決定される性質を持つ。距離に関係なく瞬時に情報が伝わるような特性があり、量子情報技術や量子コンピューティングにおいて重要な役割を果たす。

3.量子コンピュータ
従来のコンピュータとは根本的に異なる原理で動作する計算機。従来のコンピュータがビット(0または1)を情報の基本単位として使用するのに対し、量子コンピュータは量子ビット(qubit)を使用する。量子もつれを利用することで、従来のコンピュータよりもはるかに高速に計算を行うことができる。

4.リーブ・ロビンソン限界
量子多体系における情報伝達の限界速度を表す。1972年にエリオット・リーブとデレク・ロビンソンによって導入された。この速度は、系の物理的特性や相互作用の強さに依存し、量子もつれや情報の非局所的な伝搬に対する基本的な制約である。

5.フェルミ粒子
スピンが半整数(1/2、3/2……)の粒子で、パウリの排他原理に従う。この原理によれば、同じ量子状態に二つのフェルミ粒子が存在することはできない。電子、陽子、中性子などがフェルミ粒子の例である。フェルミ粒子の性質は、原子内の電子配置や固体の電気的性質など、多くの物理現象を説明するのに重要である。

6.精度保証
量子計算では一般的に計算にエラーが存在することが知られている。精度保証とはこのエラーを定量的に評価し、信頼性の高い計算結果を得るための方法論を指す。

7.量子スピン系
量子力学においてスピンと呼ばれる内在的な角運動量を持つ粒子の集まり。

8.超伝導
特定の物質が非常に低い温度に冷却されたときに電気抵抗が完全にゼロになり、電流が無損失で流れる現象。

9.超流動
液体ヘリウムが極低温に冷却されたときに起こる量子力学的現象で、この状態では液体が粘性を失い、まるで内部の摩擦がゼロであるかのように振る舞う。

10.ボーズ・アインシュタイン凝縮
ボーズ粒子が極低温に冷却されたとき、量子力学的な効果が巨視的なスケールで顕著になり、多数の粒子が最低エネルギー状態に「凝縮」して同じ量子状態を共有する現象。

研究支援

本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業若手研究「テンソルネットワーク形式を用いた量子多体問題の計算複雑性解析(研究代表者:桑原知剛)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(さきがけ)「量子多体理論を用いた量子計算機の高速アルゴリズムの開発(研究代表者:桑原知剛、JPMJPR2116)」による助成を受けて行われました。

原論文情報

Tomotaka Kuwahara, Tan Van Vu & Keiji Saito, “Effective light cone and digital quantum simulation of interacting bosons”, Nature Communications, 10.1038/s41467-024-46501-7

発表者

理化学研究所
量子コンピュータ研究センター 量子複雑性解析理研白眉研究チーム
理研白眉研究チームリーダー 桑原 知剛(クワハラ・トモタカ)
(開拓研究本部 桑原量子複雑性解析理研白眉研究チーム 理研白眉研究チームリーダー)
特別研究員 ヴー・バンタン(Vu Van Tan)

京都大学 理学部
教授 齊藤 圭司(サイトウ・ケイジ)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
京都大学 渉外部広報課国際広報室

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