2023-10-18 理化学研究所
理化学研究所(理研)開拓研究本部 侯有機金属化学研究室の侯 召民 主任研究員(環境資源科学研究センター 副センター長)、卓 庆德 特別研究員、周 小茜 基礎科学特別研究員、島 隆則 専任研究員(環境資源科学研究センター 先進機能触媒研究グループ 専任研究員)らの国際共同研究チームは、多金属のチタンヒドリド化合物[1]を用いて、非常に安定な窒素分子(N2)と不飽和カルボニル化合物[2]から、温和な反応条件でヒドラジン誘導体[3]を合成することに成功しました。
本研究成果は、温和な条件で窒素分子からさまざまな含窒素有機物を直接的に合成する方法の開発につながると期待されます。
窒素分子は入手容易な天然資源ですが、非常に安定しており、有機合成に直接利用することは困難です。今回、国際共同研究チームは、独自に開発したチタンヒドリド化合物を用いることで、温和な条件で窒素分子のN≡N結合を還元し、さらにα,β-不飽和カルボニル化合物を付加させることで、新たに窒素-炭素結合を形成させ、有機ヒドラジン誘導体を合成しました。また、X線結晶構造解析[4]や分光学的手法、計算科学により、分子レベルで反応プロセスを明らかにしました。
本研究は、科学雑誌『Journal of the American Chemical Society』オンライン版(10月5日付)に掲載されました。
チタンヒドリド化合物による窒素分子とα,β-不飽和カルボニルからのヒドラジン誘導体の合成
背景
空気中の8割を占める豊富な資源である窒素分子(N2)は非常に安定しており、窒素源として化学合成に利用することは困難です。一般的には、窒素分子と水素分子を原料とするハーバー・ボッシュ法[5]により得られたアンモニア(NH3)が窒素源として合成に利用されています。しかし、ハーバー・ボッシュ法は高温・高圧条件を必要とし、多くのエネルギーを消費します。従って、温和な条件で窒素分子から有用な含窒素有機物を直接合成することは、環境資源の有効利用、また省資源・省エネルギーの観点からも重要です。
これまで、構造が明確なさまざまな分子性の金属化合物が開発され、これらを用いて窒素分子を利用した含窒素有機物の合成が試みられてきました。中でも、窒素分子を金属化合物で還元した後、炭素を含む多重結合(不飽和結合)を付加させる手法は、最も効率よく窒素-炭素結合を形成させることが可能です。また、一酸化炭素(C≡O)や二酸化炭素(O=C=O)注)などを利用した含窒素有機物の合成も研究されてきました。一方、より多様な含窒素有機物の合成には、炭素―炭素二重結合を含む不飽和炭化水素を窒素へ付加させる反応を起こす必要がありますが、その方法はほとんど研究されていません。
侯主任研究員らは、剛直なピンサー型配位子を持つチタンヒドリド化合物1に着目し、窒素分子の活性化と変換反応に取り組んできました(図1)。本研究では、チタンヒドリド化合物1と窒素分子および一酸化炭素との反応で得られた二窒素化合物2と、炭素-炭素二重結合を持つα,β-不飽和カルボニル化合物を用いてさまざまな含窒素有機物の合成研究に挑みました。
図1 チタンヒドリド化合物1を用いた窒素分子から二窒素化合物2への還元反応
チタンヒドリド化合物1を用いた窒素分子の活性化と変換反応。右図は剛直なピンサー型配位子の構造式。
注)2022年4月8日プレスリリース「窒素分子と二酸化炭素から有機物を合成」
研究手法と成果
国際共同研究チームはまず、二窒素化合物2(図1)に対し、炭素―炭素二重結合を含むα,β-不飽和カルボニル化合物との反応を調べました。二窒素化合物2にα,β-不飽和カルボニル化合物であるアクリル酸メチルを作用させると、炭素-窒素結合形成を経て1,4-付加体3が得られました(図2)。さらに、1,4-付加体3からの含窒素有機物の脱離を目的に、メタノール(MeOH)を加えてH+を付加(プロトン化)したところ、鎖状ヒドラジン誘導体4が得られました(図2)。この化合物は室温下では不安定で、分子内で環化反応が進行し、環状ヒドラジン誘導体5に変換されました。一方で、4の状態からアルデヒドを加えると、分子内環化は起こらず、アルデヒド基(-CHO)とアミン基(-NH2)で分子間脱水縮合し、鎖状ヒドラジン誘導体6が単離可能な状態で得られました。
図2 二窒素化合物2とアクリル酸メチルの反応によるヒドラジン誘導体の合成
二窒素化合物2は、アクリル酸メチルとの反応により1,4-付加体3を与える。さらにメタノールを作用させることで、遊離の有機物として鎖状ヒドラジン誘導体4、6や熱的に安定な環状ヒドラジン誘導体5が得られる。
これらの知見を基に、二窒素化合物2とさまざまなα,β-不飽和カルボニル化合物との反応によるヒドラジン誘導体合成を検討しました(図3)。いずれの反応も、アクリル酸メチルとの反応と同様に炭素-窒素結合形成を経て1,4-付加体3が得られました。次にメタノールによるプロトン化を行ったところ、鎖状ヒドラジン誘導体を経て、分子内縮合反応によりさまざまな環状ヒドラジン誘導体へ変換されることが明らかとなりました。
図3 二窒素化合物2とさまざまなα,β-不飽和カルボニル化合物からのヒドラジン誘導体合成
二窒素化合物2は、α,β-不飽和カルボニル化合物と反応して1,4-付加体3を与える。さらにメタノールによるプロトン化を行ったところ、各種ヒドラジン誘導体が得られた。
これらの反応経路における構造変化を理解するため、計算科学によって調べました(図4)。まず、二窒素化合物2中の二窒素種のさらなる還元により配位様式が変化し(図中のA)、その後α,β-不飽和カルボニル化合物のカルボニル酸素の配位(B)により1,4-付加が進行し、熱的に安定な1,4-付加体3が得られると考えられます。また、二窒素化合物2の中では窒素種の方が炭素種より電子密度が高いため、窒素種の方が電子欠乏的な不飽和炭素と選択的に反応することが明らかになりました。この計算結果はX線結晶構造解析や分光学的手法による実験事実と一致しています。
図4 二窒素化合物2とアクリル酸メチルとの反応の詳しい反応経路
二窒素化合物2は、まず二窒素種のさらなる還元により配位様式が変化したAを与える。さらにアクリル酸メチルのカルボニル酸素の配位(B)を経て、1,4-付加体3へと導かれる。
今後の期待
今回、多金属チタンヒドリド化合物を用いることで、窒素分子とα,β-不飽和カルボニル化合物から窒素-窒素結合を切断することなく直接的にさまざまなヒドラジン誘導体の合成に成功しました。その反応プロセスを分子レベルで解明することにも成功しました。
アンモニアを窒素種としてヒドラジン誘導体を合成する場合、従来は窒素-窒素結合を作るためにアンモニアを酸化する必要がありました。本研究で開発した合成法では、窒素分子から直接的にヒドラジン誘導体が得られるため、酸化の必要はありません。また、本研究では窒素分子とともに一酸化炭素を導入することで反応場を制御し、有機基質と窒素種との選択的な反応を可能としていますが、さまざまな配位子導入で同様に反応場を制御することで、多様な含窒素有機物合成への展開も期待されます。
今後、このような多金属ヒドリド化合物に加え、窒素分子と不飽和カルボニル化合物などの多様な不飽和炭化水素類を用いた含窒素有機物の合成研究が進展することで、不活性分子の切断・形成を鍵とする新しい物質変換反応への展開が期待できます。
なお本研究成果は、天然資源である窒素分子を利用した反応開発で、省資源・省エネルギー化に資するものであり、国際連合が2016年に定めた17項目の「持続可能な開発目標(SDGs)[6]」のうち、「2.飢餓をゼロに」「3.すべての人に健康と福祉を」「7.エネルギーをみんなにそしてクリーンに」「13.気候変動に具体的な対策を」に貢献するものです。
補足説明
1.チタンヒドリド化合物
元素番号22のチタン(Ti)が集まり、金属-金属結合やヒドリド原子(H-)を介して結合した化合物。チタンは安価で、豊富に存在する汎用金属の一つ。光触媒などに応用されている。今回用いたものは、Tiが二つ、H-が四つから成るチタンヒドリド化合物。
2.不飽和カルボニル化合物
カルボニル基(-CO-)および不飽和炭素-炭素結合(-CH=CH-)を有する化合物。カルボニル炭素の隣をα位、その隣をβ位とし、α位とβ位が不飽和結合であれば、α,β-不飽和カルボニル化合物(-CH=CH-CO-)となる。カルボニル炭素やβ位炭素が電子欠乏状態で、電子豊富な元素種と反応しやすい性質を持つ。
3.ヒドラジン誘導体
窒素-窒素結合を有する含窒素有機物。無置換体はヒドラジン(NH2-NH2)。通常アンモニア(NH3)を酸化剤で酸化することで得られる。脱酸素剤、発泡剤、医農薬中間体、ロケット燃料などに利用されている。ヒドラジンの水素を炭素種に置換することでヒドラジン誘導体となる。
4.X線結晶構造解析
構造未知の試料の単結晶を作製し、その結晶にX線を照射して得られる回折データを解析することにより、試料の構造を調べる方法。
5.ハーバー・ボッシュ法
ドイツのフリッツ・ハーバーが実験室で成功した研究を、化学品製造会社BASF社のカール・ボッシュが1913年に工業化したアンモニア合成法。鉄(Fe)を含む触媒を用いて、窒素分子と水素分子を高温・高圧で反応させることでアンモニアを合成する方法。350~550℃、150~350気圧という条件が必要になるため、膨大なエネルギーを消費する。
6.持続可能な開発目標(SDGs)
2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された、2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール、169のターゲットから構成され、発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組んでいる(外務省ホームページから一部改変して転載)。SDGsはSustainable Development Goalsの略。
国際共同研究チーム
理化学研究所 開拓研究本部 侯有機金属化学研究室
主任研究員 侯 召民(コウ・ショウミン)
(環境資源科学研究センター 副センター長、先進機能触媒研究グループ グループディレクター)
特別研究員 卓 庆德(ジュオ・チンデ)
基礎科学特別研究員 周 小茜(ジョウ・シャオシー)
専任研究員 島 隆則(シマ・タカノリ)
(環境資源科学研究センター 先進機能触媒研究グループ 専任研究員)
大連理工大学(中国)
教授 羅 一(ルオ・イ)
博士研究員 楊 吉民(ヤン・ジミン)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(A)「希土類触媒による革新的自己修復ポリマーの創製(研究代表者:侯召民)」、同基盤研究(B)「多核ヒドリド錯体による窒素分子および炭化水素の活性化と含窒素有機化合物の合成(研究代表者:島隆則)」の助成を受けて行われました。
原論文情報
Qingde Zhuo, Jimin Yang, Xiaoxi Zhou, Takanori Shima, Yi Luo, Zhaomin Hou, “Aza-Michael Addition of Dinitrogen to α,β-Unsaturated Carbonyl Compounds in a Dititanium Framework”, Journal of the American Chemical Society, 10.1021/jacs.3c08715
発表者
理化学研究所
開拓研究本部 侯有機金属化学研究室
主任研究員 侯 召民(コウ・ショウミン)
(環境資源科学研究センター 副センター長)
特別研究員 卓 庆德(ジュオ・チンデ)
基礎科学特別研究員 周 小茜(ジョウ・シャオシー)
専任研究員 島 隆則(シマ・タカノリ)
(環境資源科学研究センター 先進機能触媒研究グループ 専任研究員)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当