2023-10-04 理化学研究所,高輝度光科学研究センター,兵庫県立大学
理化学研究所(理研)放射光科学研究センター 次世代X線レーザー研究グループの田中 隆次 グループディレクター、高輝度光科学研究センター 加速器部門 挿入光源グループの貴田 祐一郎 研究員、兵庫県立大学 高度産業科学技術研究所の橋本 智 准教授、同大学院 理学研究科の田中 義人 教授らの共同研究グループは、自由電子レーザー(Free Electron Laser:FEL)[1]における「光スリッページ現象[2](光が電子をすり抜けて前方へ進む現象)」の観測と制御に成功しました。
本研究成果は、パルス長(発光時間の長さ)が理論的極限である波長程度にまで圧縮された「単一サイクルFEL」の実用化や、理研放射光科学研究センターで稼働中のSACLA[3]をはじめとするX線FEL施設を利用した、未知の超高速現象の解明に貢献することが期待されます。
FELは、加速器で生成される高エネルギー電子ビームを発振媒体とするレーザーです。発振波長に原理的な制約がない一方、光スリッページが短パルス化を阻害します。共同研究グループではこの問題を解決するための理論研究を進め、2015年に、光スリッページを制御し単一サイクルFELを実現するための基本原理を見いだしました。今回、兵庫県立大学が運営するニュースバル放射光施設の電子加速器と近赤外短パルスレーザーを利用してこの基本原理の検証を行い、光スリッページを制御することに成功しました。
本研究は、科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版(10月3日付)に、Editors’ Suggestion(編集者が選抜する、特に重要かつ興味深い成果と判断された論文)として掲載されました。
光スリッページの制御原理とその適用によるFELスペクトルの変化
背景
素早く動く物をブレなく撮影するには、カメラのシャッタースピードを速くして一瞬の姿を捉える必要があります。一般的なカメラのシャッタースピードは最速で1,000分の1秒程度です。さらに速い現象を捉えるためには、発光時間が短くかつ明るい光で対象物を一瞬だけ照らして撮影します。
最近では、発光時間100フェムト秒(1フェムト秒は1,000兆分の1秒)以下の超短パルスレーザーを用いて、さまざまな分野における超高速現象が解明されています。その極限の形態である「単一サイクルレーザー」は、発光している間に光の波が1回だけ振動する光で、パルス長は理論的極限である波長程度にまで短くなっています。
可視光や赤外線といった長波長領域では、超短パルスレーザーの開発はすでに成熟した技術です。単一サイクルレーザーの利用も可能となってきています。一方、原理的にこれよりも短い波長領域での発振が可能な自由電子レーザー(Free Electron Laser:FEL)では、発振媒体である高エネルギー電子ビームが光を増幅するために蛇行する際に「光のすり抜け=光スリッページ(光が電子よりもわずかに前方へ進む現象)」が生じ、それが短パルス化を阻害します。そのため単一サイクル光パルスの発生は不可能であるとされてきました。
共同研究グループはこの問題を解決するための理論研究を進め、2015年に、光スリッページを制御し単一サイクルFEL発振を可能とする基本原理を見いだしました注1)。本原理により、間隔が少しずつ変化する周期的な濃淡を電子ビームに生成し、さらに蛇行の振幅を少しずつ変化させることで光スリッページを制御することができ、これらの変化率を十分に大きくすると単一サイクルFELが実現できます(図1)。共同研究グループは上記方式に基づく新たなFEL光源の実用化を目指し、その基本原理を実験的に実証するための研究開発を進めてきました。
図1 光スリッページの制御と単一サイクルFELを可能とする基本原理
間隔が少しずつ変化する周期的な濃淡を有する電子ビーム(左)が、少しずつ振幅が変化する蛇行軌道(中)に沿って移動することで、光スリッページが制御され、単一サイクルのFEL発振が実現する(右)。
注1)2015年1月27日プレスリリース「単一サイクルX線パルスを発生するXFEL手法を考案」
研究手法と成果
実証実験は兵庫県立大学が運営するニュースバル放射光施設の電子加速器で行われました。同加速器はレーストラック型の蓄積リングです(図2)。直線部に電子ビームを24回蛇行させるための周期磁場発生装置2台(上流側をモジュレータ、下流側をラディエータと呼びます)と、大きく1回蛇行させるための電磁石を置き、その上流側に波長800ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)の近赤外短パルスレーザー(シード光)を設置しました。
図2 実証実験のレイアウト
ニュースバル蓄積リングの直線部に、電子ビームを24回蛇行させるためのモジュレータおよびラディエータと、大きく1回蛇行させるための電磁石が設置されている。波長800nmの近赤外短パルスレーザーと相互作用することで電子ビームに濃淡が発生し、コヒーレント光が生成される。
蓄積リングを周回する電子ビームと同期してシード光をモジュレータに入射することで、電子ビームに周期800nmで濃淡が発生します。これがラディエータを通過する際に位相のそろった光(コヒーレント光)を生成することで発振します。コヒーレント光の波長はラディエータの磁場を調整することで離散的に選択できます(800nmのn分の1、整数nを高調次数と呼びます)。今回の実験では400nm(n=2)を選択しました。この理由は、コヒーレント光を精度よく計測するためにシード光を波長的に分離する必要があることと、高調次数の増加(短波長化)に伴ってコヒーレント光の強度が低下することです。
共同研究グループは、まず光スリッページ現象を観測するために、中空ファイバ法[4]によって圧縮したパルス長12フェムト秒(4.5サイクル)のシード光を利用してコヒーレント光を生成し、スペクトルを計測しました。この結果、コヒーレント光のバンド幅が7nmであることを確認しました(図3a赤線)。これは、光スリッページの影響がない場合に予測されるバンド幅20nmに比べて3分の1程度です。光のパルス長[5]が理想的にはバンド幅[5]に反比例することを考慮すると、光スリッページによってパルス長が3倍程度伸びていることを示唆します。ちなみに、光スリッページによるパルス伸長はシード光のパルス長が十分に短くなければ観測されません。共同研究グループが把握する限り、今回の観測が世界初となります。
次に、基本原理である光スリッページ制御を実証するために、蛇行軌道の振幅が徐々に増大し、入口と出口で11%の振幅差が生じるようにモジュレータおよびラディエータを調整し、それ以外は同じ条件でコヒーレント光を生成しました。この結果、バンド幅が20nm程度に広がっていること、すなわち、パルス長の伸長が大幅に抑制されていることを確認しました(図3a青線)。これらの実験結果は理論的予測とよく一致しています(図3b)。
こうしたことは、今回の実験結果の妥当性を示すとともに、光スリッページの制御という単一サイクルFELの基本原理が実験的に実証されたと結論付けられます。
図3 実証実験結果と計算値との比較
(a)コヒーレント光のスペクトル測定結果。光スリッページ制御なし(赤線)、制御あり(青線)。
(b)上記測定条件における理論予測。
今後の期待
今回の実験で実証された「FELにおける光スリッページの制御」という基本原理は、単一サイクルFELの実用化につながるだけではなく、これにより、キャリアエンベロープ位相[6]やパルス長、サイクル数などを完全に制御できるアト秒パルス[7]の生成が可能になります。
さらに、時間間隔を高精度に制御可能なダブル(二つの)アト秒パルスの生成も可能です。これをポンプ・プローブ計測[8]に応用することにより、新たな電子デバイスや機能性材料として期待される二酸化バナジウムの相転移やグラフェン中の電子の挙動などの超高速現象を解明し、新しい素子・材料の開発を促進することが期待されます。
補足説明
1.自由電子レーザー(Free Electron Laser : FEL)
X線領域におけるレーザー。半導体や気体を発振媒体とする従来のレーザーとは異なり、真空中を高速で移動する電子ビームを媒体とするため、原理的な波長の限界はない。
2.光スリッページ現象
蛇行する電子によって放出された光が、電子を置き去りにして前方へ進んでいく(すり抜けていく)現象。蛇行する電子の速度が光よりもわずかに遅いために起こる。
3.SACLA
2006年度から5年間の計画で理研が建設・整備を進めたX線領域における自由電子レーザー。2011年3月に完成し、SPring-8 Angstrom Compact free-electron LAser の頭文字を取ってSACLAと命名された。
4.中空ファイバ法
アルゴンなどの貴ガスを封入した内径数百マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)の中空ファイバにレーザーを集光し、非線形光学効果によってスペクトルのバンド幅を広げる手法。
5.光のパルス長、バンド幅
パルス長は発光時間の長さ、バンド幅はスペクトルの広がりを示す。光の不確定性により、パルス長とバンド幅の積をある一定の値よりも小さくすることはできない。すなわち、光のパルス長とバンド幅は互いに反比例の関係にあり、バンド幅が狭い光のパルス長は必然的に長くなる。
6.キャリアエンベロープ位相
光パルスの包絡線(エンベロープ)に対する光の電場波形(キャリア)の位相。
7.アト秒パルス
パルス長が数百アト秒以下の光パルス。1アト秒は100京分の1秒。アト秒パルスを、ある時間間隔で二つ並べること(ダブルアト秒パルス)でポンプ・プローブ計測が可能となる。
8.ポンプ・プローブ計測
測定対象の構造に変化を引き起こすポンプ光をその対象に照射することで励起状態にし、その後の時間変化をプローブ光によって観測する計測手法。精度(時間分解能)の高い計測を行うためには、ポンプ光、プローブ光ともパルス長が短い光を用いるとともに、両者の時間間隔(遅延時間)を高精度に制御する必要がある。
共同研究グループ
理化学研究所 放射光科学研究センター
次世代X線レーザー研究グループ
グループディレクター 田中 隆次(タナカ・タカシ)
高輝度光科学研究センター
加速器部門
研究員 貴田 祐一郎(キダ・ユウイチロウ)
XFEL利用研究推進室
主幹研究員 富樫 格(トガシ・タダシ)
主幹研究員 冨澤 宏光(トミザワ・ヒロミツ)
兵庫県立大学
高度産業科学技術研究所
准教授 橋本 智(ハシモト・サトシ)
教授(研究当時)宮本 修治(ミヤモト・シュウジ)
大学院理学研究科
教授 田中 義人(タナカ・ヨシヒト)
助教 金島 圭佑(カネシマ・ケイスケ)
大学院生 後長 葵(ゴチョウ・アオイ)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(A)「スリッページ制御による自由電子レーザーの短パルス化(研究代表者:田中隆次、18H03691)」による助成を受けて行われました。
原論文情報
Takashi Tanaka, Yuichiro Kida, Satoshi Hashimoto, Shuji Miyamoto, Tadashi Togashi, Hiromitsu Tomizawa, Aoi Gocho, Keisuke Kaneshima, Yoshihito Tanaka, “Experimental demonstration to control the pulse length of coherent undulator radiation by chirped microbunching”, Physical Review Letters, 10.1103/PhysRevLett.131.145001
発表者
理化学研究所
放射光科学研究センター 次世代X線レーザー研究グループ
グループディレクター 田中 隆次(タナカ・タカシ)
高輝度光科学研究センター 加速器部門 挿入光源グループ
研究員 貴田 祐一郎(キダ・ユウイチロウ)
兵庫県立大学
高度産業科学技術研究所
准教授 橋本 智(ハシモト・サトシ)
大学院理学研究科
教授 田中 義人(タナカ・ヨシヒト)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課
兵庫県立大学 播磨理学キャンパス経営部
高度産業科学技術研究課
総務課