シリコン量子ビットの高精度読み出しを実現 ~半導体系の誤り耐性量子コンピューターの実現に前進~

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2024-02-13 理化学研究所,科学技術振興機構

理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループの武田 健太 上級研究員、野入 亮人 研究員、樽茶 清悟 グループディレクター(量子コンピュータ研究センター 半導体量子情報デバイス研究チーム チームリーダー)らの国際共同研究グループは、シリコン量子ドット[1]デバイスにおいて、電子スピン[2]の状態を高速かつ高精度に測定することに成功しました。

本研究成果は、半導体量子コンピュータ[3]において、量子誤り訂正[4]などの高精度な測定に基づいた条件付きの量子操作を要する技術を可能にすると期待できます。

今回、国際共同研究グループは、シリコン量子ドット中の二つの電子スピンに起こるスピンブロッケード現象[5]を用いてスピン読み出しを行うことで、従来の一つの量子ドットのみを用いる方法に比べて量子ビット[1]読み出しの速度と精度を大きく改善しました。

本研究は、科学雑誌『npj Quantum Information』オンライン版(2月13日付:日本時間2月13日)に掲載されました。

シリコン量子ドット試料の電子顕微鏡の写真
シリコン量子ドット試料の電子顕微鏡写真

背景

量子コンピュータは、量子力学の原理に基づき、複数の情報を同時に符号化することにより、従来のコンピュータでは困難な計算を高速に実行する次世代のコンピュータで、その実用化に向けた研究開発が活発に行われています。

量子コンピュータの研究はさまざまな物理系を用いて進められています。その中でもシリコン量子ドットを用いたシリコン量子コンピュータは、既存の半導体産業の集積技術と相性が良いことから、大規模量子コンピュータの実装に適していると考えられています。

シリコン量子コンピュータの研究では、これまで樽茶グループディレクターらは、誤り耐性量子計算に必要な基本操作のうち、99%以上の高い精度を持つ1、2量子ビットの操作を実現してきました注)。しかし、量子ビットの測定に関しては、精度、速度ともに不十分な性能にとどまっていました。

本研究では、従来用いていた単一電子のトンネル現象を測定する方法ではなく、二つの量子ドット中のスピン状態が平行か反平行かを測定する方法の実装および改善によって、高速かつ高精度なスピン読み出しを試みました。

注1)2022年1月20日プレスリリース「シリコン量子ビットで高精度なユニバーサル操作を実現

研究手法と成果

国際共同研究グループは、量子ドット構造を、シリコンスピン量子ビットで一般的に用いられるシリコン/シリコンゲルマニウム半導体基板[6]上に微細加工を施すことで作製しました(図1)。微細ゲート電極に加える電圧を制御することによって、高い自由度で量子ドットを形成し、その電子スピンの状態を制御することができます。

シリコン量子ドット試料の図
図1 シリコン量子ドット試料
シリコン/シリコンゲルマニウム量子ドット試料の電子顕微鏡写真。青、緑、黄土色の領域がそれぞれ異なる層のアルミニウムゲート電極を示す。二つの量子ドットがP3およびP4ゲート電極の数十ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)下の伝導チャネルに形成される(黄緑色と青色の丸印)。量子ドットの電荷状態は直近の電荷計(赤色の丸印)によって測定することができる。


スピン量子ビットでは、通常、単一のスピンを直接単発測定することは困難なため、スピン状態を電荷状態に変換し、その電荷状態の測定によってスピンを測定します(スピン-電荷変換)。その最も単純な方法はエネルギー選択トンネル[7]と呼ばれる方法ですが(図2(a)および(b))、実時間トンネル信号の検出のため測定に長い時間がかかる上、高精度な測定が難しいという問題がありました。

そこで本研究では、二つの量子ドットの間のスピン状態に依存したトンネル現象(スピンブロッケード現象)を用いたスピン状態の測定を行いました。電子はフェルミ粒子[8]であるため、パウリの排他原理[9]により同じ向きの電子スピンを持つ電子は同じエネルギー準位を専有することはできません。従って、図2(c)および(d)のような状況では、二つの電子スピンが反平行の場合のみ量子ドット間での電子の移動が起こり、平行な場合には移動は起こりません。この方法では、電子の移動に伴う電荷信号の実時間検出が必要でないことから、測定に必要な時間を大幅に短くできるなどの利点があります。ただし、2スピン状態を扱う場合、特有の問題もいくつかあり、それらを適切に扱うことが高精度な測定を行う上で重要となります。

具体的な問題点は、量子ドット間の電子の移動に伴う電荷信号が小さいことや、移動の際スピンの向きが意図せず反転してしまうことなどです。前者に関して、一般的に小さい信号を区別するためには、積算時間を長くして信号雑音比を大きくしますが、量子ビットの測定では可干渉性(コヒーレンス)を維持するために短時間での測定が必要です。そこで量子ドット、および電荷計のデザイン改良によって量子ドット間の電子の移動に対する電荷計の感度を改善することで、電子スピンの位相緩和[10]時間(約100マイクロ秒(1マイクロ秒は100万分の1秒))よりも十分短い2マイクロ秒の積算時間で十分な信号雑音比を得ることができるようになりました(図2(e))。後者については、通常測定中は量子ドット間のトンネル結合はほぼ一定ですが、制御パルス信号の形状を工夫し、トンネル結合を時間的に変化させることで、トンネル現象に伴うスピン反転を起こりにくくすることに成功しました。これら二つの改善によって、従来の方法では80%程度であった信号の可視度[11]を99.6%まで向上することに成功しました(図3)。

スピン-電荷変換の図
図2 スピン-電荷変換
(a、b)エネルギー選択トンネルによるスピン-電荷変換。量子ドット内に上向きスピンを持つ電子がある場合(a)、電子が左側の電子溜(だ)めに移動することができる。一方、下向きスピンを持つ電子がある場合(b)、電子溜めにエネルギーの低い量子状態がないため電子は移動できない。
(c、d)スピンブロッケード現象によるスピン-電荷変換。最初にゲート電圧を変調することによって、左側に電子が入りやすい状態にする。二つの量子ドット内に反平行スピンがある場合(c)、右の電子が左に移動して、最終的に左側の量子ドットに二つ電子が入る。二つの量子ドット内に平行スピンがある場合(d)、パウリの排他原理によってトンネル効果が起こらない。従って、最終的には最初と同じどちらの量子ドットにも一つずつ電子が入った状態になる。
(e)電荷計の信号を2マイクロ秒積算した結果のヒストグラム。左のピークは(2,0)状態の信号、右のピークは(1,1)状態の信号で、十分な信号雑音比で測定ができている。

スピン量子ビット測定の図
図3 スピン量子ビット測定
ラビ振動(共鳴的なマイクロ波磁場によって起こるスピンの周期的な振動)の測定結果。赤い点が従来の方法(エネルギー選択トンネル)で測定した結果の一例で、青い点が今回のスピンブロッケード現象による測定結果。黒い線は理想的なラビ振動を示す(0から1まで振動する正弦波)。今回の実験では可視度が100%に近く、ほぼ理想的な測定結果となっている。

今後の期待

本研究で実現された高速、高精度なスピン状態の読み出しは、シリコン量子ビットでこれまで困難であった、量子ビット測定結果に基づくフィードバック操作を可能とします。これによって、半導体系における誤り耐性量子コンピュータの実現に一歩近づいたといえます。

これまでの研究で、シリコン量子ビットでは、初期化、操作、測定などの量子コンピュータで必須となる要素を十分な精度で行うことができるようになりました。今後は、これらの基本動作を多数の量子ビットでできるよう拡張していくことが重要となります。半導体集積技術を持つ企業との連携などを通じ、シリコン量子ビットの大規模集積化に向けた研究の進展が期待されます。

補足説明

1.量子ドット、量子ビット
量子ドットは電子を空間的に3次元全ての方向に閉じ込めることで運動を制限し、0次元構造としたもの。その性質から人工原子とも呼ばれ、電子を一つずつ出し入れできる。量子ビットは電子スピンの向きなどに符号化された量子情報の最小単位のこと。通常のデジタル回路では「0もしくは1」の2状態に情報が保持されるのに対し、量子ビットでは「0でありかつ1でもある」状態を任意の割合で組み合わせて表現できる。これを量子力学的な重ね合わせ状態と呼び、通常量子ビットの状態は任意の向きの矢印によって表される。

2.電子スピン
電子が右回りまたは左回りに自転する回転の内部自由度。この回転の向きに応じて、通常上向きまたは下向きの矢印で表される。

3.量子コンピュータ
量子力学における重ね合わせや量子もつれを利用して、超並列計算を実現するコンピュータ。従来のコンピュータでは天文学的な時間のかかる因数分解の問題などを高速に処理することが可能になると考えられている。

4.量子誤り訂正
複数の量子ビットを一つの量子ビットに符号化することによって、一部の量子ビットに誤りが起こっても、それを検出し訂正できるような方法。

5.スピンブロッケード現象
パウリの排他原理(後述)によって、平行な向きのスピンを持つ二つの電子に対して量子ドットの間のトンネルが制限される現象。

6.シリコン/シリコンゲルマニウム半導体基板
シリコンとシリコンゲルマニウムの2種類の半導体を積層した構造の基板。通常の半導体デバイスで一般的なシリコン酸化膜を用いた構造に比べると、極低温において量子ドット形成の際に大きな問題となる不純物の影響を大きく低減できる利点がある。

7.エネルギー選択トンネル
電子が障壁を通り抜けるトンネル現象の一つで、量子状態のエネルギーの違いに依存して起こるもの。例えば量子ドット中の電子が電子溜めに移動する、あるいはその逆の現象。

8.フェルミ粒子
半整数(整数+1/2)のスピン角運動量を持つ粒子のこと。例えば、電子、陽子、中性子などで、単一の電子は1/2のスピン角運動量を持つ。

9.パウリの排他原理
フェルミ粒子が一つの量子状態には1個しか存在することができないという原理。

10.位相緩和
量子状態の重ね合わせが解け、可干渉性(コヒーレンス)が失われること。

11.可視度
理想的な信号の大きさに対して、どの程度の大きさの信号が得られているかを表す数値。

国際共同研究グループ

理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
上級研究員 武田 健太(タケダ・ケンタ)
研究員 野入 亮人(ノイリ・アキト)
グループディレクター 樽茶 清悟(タルチャ・セイゴ)
(量子コンピュータ研究センター 半導体量子情報デバイス研究チーム チームリーダー)
研究員 レオン・カメンジンド(Leon Camenzind)
上級研究員 中島 峻(ナカジマ・タカシ)
量子コンピュータ研究センター 半導体量子情報デバイス研究チーム
研究員 小林 嵩(コバヤシ・タカシ)

デルフト工科大学(オランダ)
研究員 アミヤ・サマック(Amir Sammak)
チームリーダー ジョルダノ・スカプッチ(Giordano Scappucci)

研究支援

本研究は、科学技術振興機構(JST)ムーンショット型研究開発事業目標6「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現(プログラムディレクター:北川勝浩)」の研究開発プロジェクト「拡張性のあるシリコン量子コンピュータ技術の開発(プロジェクトマネージャー:樽茶清悟)、JPMJMS226B」などの助成を受けて行われました。

原論文情報

Kenta Takeda, Akito Noiri, Takashi Nakajima, Leon C. Camenzind, Takashi Kobayashi, Amir Sammak, Giordano Scappucci, and Seigo Tarucha, “Rapid single-shot parity spin readout in a silicon double quantum dot with fidelity exceeding 99 %”, npj Quantum Information, 10.1038/s41534-024-00813-0

発表者

理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
上級研究員 武田 健太(タケダ・ケンタ)
研究員 野入 亮人(ノイリ・アキト)
グループディレクター 樽茶 清悟(タルチャ・セイゴ)
(量子コンピュータ研究センター 半導体量子情報デバイス研究チーム チームリーダー)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
科学技術振興機構 広報課

JST事業に関すること

科学技術振興機構 ムーンショット型研究開発事業部
櫻間 宣行(サクラマ・ノリユキ)

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