2024-01-19 東京大学
発表のポイント
- 電気を帯びた荷電高分子が広がった状態から塊状に凝縮する現象を理解することは、さまざまな生物学および産業応用に関連した現象を理解する上で重要だが、従来の数値的な研究ではこの現象が水中で起きるにもかかわらず、水の流動の影響が無視されてきた。
- 柔軟な荷電高分子(ポリイオン)の凝縮現象を、液体の流れを介した相互作用を正確に取り入れることで、高分子間の疎水性相互作用と多価塩による電気的相互作用の遮蔽効果によって誘発されるポリイオンの凝縮が、流体力学的相互作用によりどのように加速されるかを明らかにした。
- 本研究の成果は、ポリイオンの凝縮における流体の流れの影響を明らかにしたもので、環境適合性のゲルなどの様々な産業や生体内のポリイオンの凝縮現象の理解に貢献できると期待される。
ポリイオン鎖が広がった状態から凝縮する過程の模式図
発表概要
東京大学先端科学技術研究センター高機能材料分野の田中肇シニアプログラムアドバイザー(特任研究員/東京大学名誉教授)、ユアン ジャアシン特任研究員は、流体力学的な相互作用を正しく取り入れた数値シミュレーションにより、帯電した繰り返し単位で構成される高分子であるポリイオン(注1)の凝縮のダイナミクスに液体の流れがどのような影響を与えるかについて詳細な研究を行いました。
ポリイオンはさまざまな産業応用と生物学的プロセスで重要な役割を果たしています。外部の刺激に対して構造的な応答を示すため、スマート材料の設計上で基礎的な現象となっています。また、タンパク質、DNA、RNAなど多くの生体高分子は、ポリイオンと見なすことができるため、ポリイオンの凝縮現象を理解することは生体分子の折りたたみ過程や凝縮などを解明する上で不可欠といえます。
従来の研究ではポリイオンの平衡構造に焦点が当てられ、凝縮過程の研究は限られていました。これまでのシミュレーション研究では、イオンの価数(注2)が増加すると凝縮速度が速くなることがわかっていましたが、ポリイオンの周りの溶媒の流れの影響は見過ごされていました。
本研究では、同研究グループが開発した流体粒子ダイナミクス(FPD)法(参考文献1)を用いて、疎水性相互作用(注3)および多価塩(注4)によって誘発される代表的なポリイオンの凝縮過程において、静電相互作用と流体力学的相互作用の多体性(注5)を正しく取り入れて調査しました。その結果、ポリイオンの運動に伴って引き起こされる流れ(図1参照)による流体力学的相互作用が両方の条件下で凝縮を加速させることを発見しました。また多価塩による凝縮では、流体力学的相互作用は初期には多価イオンの凝縮ダイナミクスにほとんど影響を与えないものの、後期には局所的な電気双極子を持つクラスターの動きを加速し、凝縮を加速させることがわかりました。
図1:ポリイオン(赤い球)の凝縮過程における周りの水の流れの様子
矢印は流れの向きを表し、色は流れの強さを示す(赤いと強く青いと弱い)。
この研究は、ポリイオンの凝縮における静電気的、疎水性、および流体力学的相互作用の役割を明らかにし、環境応答性材料の設計や生体高分子の折りたたみの基礎的理解に大きく貢献すると期待されます。
本成果は2024年1月18日(米国東部時間)に「Physical Review Letters」のオンライン版で公開されました。
ー研究者からのひとことー
DNAなどの電解質高分子は我々にとって重要な存在ですが、その挙動を理解する上で周りにある液体の役割はあまり注目されていませんでした。本研究は、一見地味に見える黒子のような液体がこれらの高分子が形を変える際に大事な働きをしていることを示したもので、タンパク質の折り畳みなど、重要な生物学的プロセスの理解につながればと思っています。(田中肇シニアプログラムアドバイザー)
発表内容
ポリイオンについてはこれまで広範な研究が行われ、平衡構造に関してはかなり理解が進んでいます。しかし、ポリイオンの水中での凝縮の過程に関しては依然として様々な謎が残っています。これまでの研究では、塩イオンの価数、溶媒の質、および塩イオンの形状の重要な役割がランジュバンダイナミクス法(注6)を用いて調査され、ポリイオン凝縮の過程で中間状態として真珠ネックレス状の構造が形成され(図1参照)、塩イオンの価数が上昇するにつれて凝縮速度が著しく増加することが知られています。
ただし、過去の研究では流体の運動によって媒介される流体力学的な相互作用(流体力学的相互作用)の影響を無視していました。同グループは、電荷を持たない高分子において、流体力学的相互作用が広がった高分子の凝縮遷移を促進する一方で、コンパクトな状態にある高分子の凝縮は遅らせるという双方向の役割を果たすことを以前明らかにしました(参考文献2)。しかし、ポリイオンにはイオン間に静電相互作用が存在するため、ポリイオンの凝縮挙動は通常の高分子の場合以上に多様な特性を示す可能性があります。しかし、水溶液中でのポリイオンの凝縮における流体力学的相互作用の役割はいまだ解明されていませんでした。
本研究では、電気的および流体力学的相互作用の多体性を正確に取り入れた流体粒子力学(FPD)法を用いて、高分子のモノマー間の疎水性相互作用および多価塩による静電相互作用の遮蔽により誘発される代表的なポリイオンの凝縮過程を調査しました。その結果、どちらの場合も、流体力学的相互作用がポリイオンの凝縮を加速させる重要な役割を果たしていることが明らかになりました。
具体的には、疎水性による凝縮では、流体力学的相互作用はモノマーの長距離の集団運動を促進することで真珠ネックレス状の構造の粗大化を促進し、そのメカニズムは疎水性の強さに応じて衝突・合体的な凝集または蒸発・凝縮的な凝集を示すことが明らかになりました。特に興味深いのは、電気的な斥力相互作用に比べて疎水性相互作用が強い場合、クラスターの大きさが時間の1/3乗で成長するという点で(図2参照)、流体力学的相互作用がない場合に見られる時間の1/5乗とは大きく異なることが明らかにされました。一方、疎水性相互作用が比較的弱い場合、電気的斥力相互作用のためにそのようなべき乗的な成長は阻害されることがわかりました(図2参照)。
図2:非平衡状態ダイナミクス特性を、熱エネルギーで規格化された疎水性相互作用とポリイオンの電荷分率の関数として示した図
青い円と赤い三角形は、クラスターの大きさがそれぞれべき乗で成長する場合としない場合に対応している。破線は、本研究により得られた二つの領域の境界についての理論予測を示す。
一方、多価塩による凝縮においては、流体力学的相互作用は、初期には多価イオンの凝縮動態にほとんど影響を与えませんが、後期過程においてはポリイオン鎖に沿った局所的な双極子クラスターの運動を促進し、鎖の形態緩和を促進することで凝縮プロセスを加速させることがわかりました。多くのバクテリオファージ(注7)がDNAを密にパッケージングするために多価イオンを利用していることが知られており、この知見はそのような現象の理解に貢献すると期待されます。
これらの発見は、ポリイオンの凝縮の動力学を精密に制御することが求められるスマート材料の設計において重要な基礎的知見を提供すると同時に、生体内のさまざまなポリイオンの凝縮現象の理解に貴重な洞察をもたらすことが期待されます。また、ここで使用されたシミュレーション法は、タンパク質を含むより複雑なポリイオン系の流体力学モデリングにも適用可能であり、今後のこの分野の発展への貢献が期待されます。
参考文献
- H. Tanaka and T. Araki, Simulation method of colloidal suspensions with hydrodynamic interactions: Fluid particle dynamics, Phys.Rev.Lett.85,1338 (2000).
- K. Kamata, T. Araki, and H. Tanaka, Hydrodynamic selection of the kinetic pathway of a polymer coil-globule transition, Phys. Rev. Lett.102, 108303 (2009).
発表者
東京大学 先端科学技術研究センター 高機能材料分野
ユアン ジャアシン(特任研究員)
田中 肇(シニアプログラムアドバイザー:特任研究員/東京大学 名誉教授)
論文情報
- 雑誌:Physical Review Letters(1月18日)
- 題名:Hydrodynamic effects on the collapse kinetics of flexible polyelectrolytes
- 著者:Jiaxing Yuan and Hajime Tanaka*
*責任著者 - DOI:10.1103/PhysRevLett.132.038101
研究助成
本研究は、文部科学省科学研究費 特別推進研究(JP20H05619)の支援により実施されました。
用語解説
(注1)ポリイオン
ポリイオン(Polyion)は、帯電した多量のイオン性基が高分子鎖上に連なった高分子の一種です。これらの高分子は通常、陽イオンまたは陰イオンを含む反応性基を持っており、それによって帯電状態が生じます。ポリイオンはその帯電性により、溶液中で電気的な相互作用を引き起こす特性を持っています。この特性は、生体内のDNAやRNA、特定の高分子材料など、様々な分野で重要な役割を果たしています。
(注2)イオンの価数
イオンの価数は、イオンが持つ電荷の大きさを示すものです。イオンは電荷を帯びた粒子であり、電子を失ったり得たりして帯びる電荷が正または負になります。価数は、その電荷の大きさを表す数値です。たとえば、ナトリウムイオン(Na⁺)は電子を1つ失っているため、価数は+1です。同様に、クロロイドン(Cl⁻)は電子を1つ余分に持っているため、価数は-1です。価数は元素や化合物ごとに異なります。
(注3)疎水性相互作用
疎水性相互作用は、水とは相性が悪い非極性の物質同士が互いに引き合う力です。水は極性分子であり、分子内で電気的な非対称性があります。一方で、疎水性の物質は非極性で、水との相互作用が限られています。疎水性相互作用は主に、疎水性物質同士が互いに集まる傾向を示し、水から離れて非極性領域同士が近づくことを好みます。タンパク質や脂質などの分子が疎水性相互作用によって折りたたまれたり、細胞膜が形成されたりすることがあります。この相互作用は、生物分子や生体内の構造形成において重要な要素となっています。
(注4)多価塩
多価塩は、1つの分子内に複数のイオン化可能な基となる元素や化合物を含む塩のことです。例としては、カルシウムイオン(Ca²⁺)やマグネシウムイオン(Mg²⁺)などの多価金属イオンが陽イオンとして結合し、硫酸イオン(SO₄²⁻)やカルボネートイオン(CO₃²⁻)などが陰イオンとして結合したものが多価塩となります。
(注5)多体性
多体性とは、3つ以上の粒子や物体が相互作用している状態や問題を指します。これは通常、粒子や物体が集団として振る舞う際の複雑な相互作用を扱う際に使用されます。多体性の考慮が重要となる場面では、単一の物体や粒子の振る舞いだけでなく、それらが集団として相互作用する様子も考慮する必要があります。
(注6)ランジュバンダイナミクス法
ランジュバンダイナミクス法は、粒子や分子の運動を数値的にシミュレートする手法で、特に液体や気体中での粒子の挙動をモデル化するために使用されます。ランジュバンダイナミクス法は、外部の乱れや摩擦の影響を考慮するため、単純な分子動力学法よりも実際の物理的状況により適しています。特に、粒子が溶液中での拡散や分散、または外部のポテンシャルに従って動く場合など、非均一で複雑な環境での粒子の挙動を理解するために使用されます。
(注7)バクテリオファージ
バクテリオファージ(Bacteriophage)は、細菌に感染し、増殖するウイルスの一種です。
問合せ先
東京大学 名誉教授
東京大学 先端科学技術研究センター 高機能材料分野
シニアプログラムアドバイザー(特任研究員)田中 肇(たなか はじめ)