2023-08-22 国立極地研究所,海洋研究開発機構,産業技術総合研究所,東京海洋大学,北海道大学
国立極地研究所の平野大輔助教、海洋研究開発機構の草原和弥研究員、産業技術総合研究所の板木拓也研究グループ長、東京海洋大学の溝端浩平准教授、北海道大学低温科学研究所の青木茂准教授を中心とする研究グループは、トッテン氷河(注1)周辺海域での現場観測と数値シミュレーションの結果を融合し、東南極最大級の氷河であるトッテン氷河の顕著な“底面”融解を引き起こすメカニズムとして、沖合からトッテン氷河へと向かう“暖水の循環像”を明らかにしました。この成果は、当該地域の氷床(注2)損失の包括的理解のみならず、温暖化が進行する現在から近未来における海面水位予測の精度向上にも資すると期待されます。
図1: 本研究の成果概要
研究の背景
地球上の約9割もの氷が存在する南極は、いわば地球最大の淡水(氷)の貯蔵庫です。もし、南極氷床が全て融解してしまうと、世界の海面水位は約60mも上昇するといわれており、東南極にはそのうちの大部分を占める約50m分に相当する氷が存在します。その中でも、東南極最大級の氷河であるトッテン氷河域には世界の海面水位を3-4m上昇させる量に相当する氷が存在しています。近年、この地域の氷床の質量損失の加速が報告され、将来的な大規模海面上昇への影響が懸念されています。また、氷床・氷河は沿岸へ向かって流れており、その末端部は「棚氷」として海に浮いています。つまり、氷床末端部棚氷の底面は、海と接しているのです。棚氷は氷河の流れを抑制する重要な役割を担っていますが、棚氷の下へ流れ込む海水が暖かいほど、棚氷は底面から融かされて薄く・脆くなります。その結果、上流の氷の流動を抑制する力が弱くなり、海への氷床流出(損失)が促進されます(図2右)。トッテン氷河域の氷床基盤は海面より低い場所に位置しているため、海洋からの熱供給に対して潜在的に脆弱であると考えられています(図2左)。
このように、氷床の流出を正しく理解するためには、その「周りの海」を知ることが不可欠です。暖水の流入による氷河の融解加速が相次ぎ報告されている西南極とは対照的に、東南極の沿岸域は沖合の暖水から隔絶されていて冷たく、東南極氷床は比較的安定であると認識されてきました。しかし、近年ではトッテン氷河域での氷床質量損失の加速が報告されたことで、将来的な大規模氷床流出や海面上昇が懸念され、国際的に注目を集めています。2015年の豪州による観測(Rintoul et al., 2016)により、トッテン氷河のすぐ目の前の深いトラフ(海底峡谷)に沖合起源の暖水が分布することが初めて確認されました。しかし、その暖水が沖合からどのようにトッテン氷河へと運ばれてきたのか、海底の地形は沖合から氷河前のトラフまでどのようにつながっているのか、つまり暖水の循環像(暖かい海水の流れのルート)についてはよく分かっていませんでした。このような背景のもと、私たちは南極地域観測の第Ⅸ期重点研究観測プロジェクトの下で、トッテン氷河周辺海域での現場観測を推進しました。
図2:(左)海面に対する南極氷床底面の標高。白抜きの領域は、氷床基盤が海面よりも下に位置する領域を示す(Morlighem et al., 2020)。(右)海洋による氷床末端部・棚氷の融解プロセスを示す模式図。
研究の内容
第59次南極地域観測隊(2017―18年)では、南極観測船「しらせ」による航海で、日本として初めてトッテン海域での海洋観測を実現しました。その後第61次隊(2019―20年)では、ヘリコプターを活用した機動的な海洋観測や詳細な海底地形調査も含めて探査範囲を大きく拡げ、昭和基地までの往・復路時の両期間で大規模な観測キャンペーンを実現しました。さらに第63次隊(2021―22年)でも氷河近傍の海洋観測や海底地形調査を継続しました。これら日本による複数回の海洋観測によって、大陸棚の入り口からトッテン氷河の目前に至る広域での現場観測データ(水温・塩分・溶存酸素のプロファイルデータやサンプリングした海水の分析データおよび詳細な3次元海底地形データ)の取得に成功しました。
これまで平野助教らの研究グループは、沖合の巨大定在渦により比較的温度の高い海水(暖水、水温0度以上)が効率的にトッテン氷河方向へと運ばれていることを突き止めました(Hirano et al., 2021, https://www.nipr.ac.jp/info/notice/20211026-2.html)。
本研究では、沖合からトッテン氷河へと至る暖水の循環像を明らかにするため、豪州による観測を含む複数回の現場観測データと数値シミュレーションの結果を融合し解析しました。その結果、大陸棚上へと流入した暖水が大陸棚上の深いお椀状の地形に沿って時計回りに循環し、その一部が氷河前面の局所的な深いトラフ(幅10-20km、深さ>1000m)に沿って最終的にトッテン氷河の下へと流れ込んでいることが示されました。これにより、暖水流入を伴うトッテン氷河域の顕著な氷床の底面融解ー氷床海洋相互作用ーの実態が明らかになりました(図3)。さらに、トッテン氷河の下へと流入する暖水の温度は一定ではなく、氷床融解を引き起こす海洋からの熱供給には大きな経年的な変動があることもわかりました。
図3:沖合からトッテン氷河へ向かう暖かい海水のルート。沖合には複数の巨大な時計回りの定在海洋渦(空間スケール100―200km)が存在し (Mizobata et al., 2020)、暖水は渦の東側(南へ向かう流れが形成されている)を中心に効率的に大陸棚方向へと輸送され、その後、お椀状の深い地形に沿って時計回りに循環し、一部が最終的にトッテン氷河へ運ばれる。
今後の展望
本研究により、海洋からの熱供給に対して潜在的に脆弱なトッテン氷河域へ向かう暖水の循環像と流入する暖水特性の変動性が明らかになりましたが、今後の重要な課題の一つとして、トッテン氷河を底から融かす海洋熱供給の変動性とその要因の解明があげられます。その達成には、トッテン棚氷の下へ流入する暖水を長期的にモニタリングし、季節から経年スケール、さらには10年規模変動を観測的に明らかにする必要があります。「地球に内在する自然変動や温暖化に起因する現在と将来の変化に対し、東南極最大級のトッテン氷河がどのように応答するのか?南極氷床の融解が人間社会へ与える影響が顕在化する近未来に世界の海面水位や気候はどうなっているのか?」これらの重要な問いに対し、私たちは継続的な観測データの積み重ねとともに数値モデル研究との融合研究をさらに深化させ、東南極氷床変動プロセスの統合的な理解、ひいては海面水位や気候変動の将来予測精度向上に資する基礎的知見の創出を目指します。
発表論文
掲載誌:Nature Communications
タイトル:On-Shelf Circulation of Warm Water Toward the Totten Ice Shelf in East Antarctica
著者:
平野 大輔(国立極地研究所 南極観測センター/気水圏研究グループ 助教)
田村 岳史(国立極地研究所 気水圏研究グループ 准教授)
草原 和弥(海洋研究開発機構 地球環境部門 研究員)
藤井 昌和(国立極地研究所 地圏研究グループ 助教)
山崎 開平(タスマニア大学 研究員)
中山 佳洋(北海道大学 低温科学研究所 助教)
小野 数也(北海道大学 低温科学研究所 技術専門職員)
板木 拓也(産業技術総合研究所 地質情報研究部門 研究グループ長)
青山 雄一(国立極地研究所 地圏研究グループ 准教授)
清水 大輔(国立極地研究所 南極観測センター 助教)
溝端 浩平(東京海洋大学 学術研究院 准教授)
大島 慶一郎(北海道大学 低温科学研究所 教授)
野木 義史(国立極地研究所 地圏研究グループ 教授)
Stephen R. Rintoul(CSIRO Environment, Hobart, Tasmania, Australia)
Esmee van Wijk(CSIRO Environment, Hobart, Tasmania, Australia)
Jamin S. Greenbaum(Scripps Institution of Oceanography, University of California, San Diego; La Jolla, USA)
Donald D. Blankenship(Institute for Geophysics, The University of Texas at Austin; Austin, USA)
齊藤 康仁(海上保安庁 海洋情報部 沿岸調査課)
青木 茂(北海道大学 低温科学研究所 准教授)
URL:https://www.nature.com/articles/s41467-023-39764-z
DOI:10.1038/s41467-023-39764-z
論文公開日:2023年8月17日
研究サポート
本研究はJSPS科研費(JP20H04961, JP20K12132, JP17H06316, JP17H06317, JP17H06322, JP17H06323, JP17H01615, JP21H04918, JP17H04710, JP21H04931, JP21H01201, JP19K12301, JP20H04979, JP17H01157, JP20H05707, JP21H03587, JP22H01337, JP22H05003, JP20H04970, JP21K13989)、南極観測事業の重点研究観測(サブテーマ2・AJ0902, AJ1003)および国立極地研究所のプロジェクト研究(KP-303, KP-306)、情報・システム研究機構の未来投資型プロジェクト、北海道大学低温科学研究所共同研究(19S007, 20S008, 21S007, 22S012)、文部科学省「気候変動予測先端研究プログラム」(SENTAN, JPMXD0722681344)、井上リサーチアウォードの助成を受けて実施されました。
注
注1:氷河
南極やグリーンランド、山岳地では陸上に降り積もった雪が自身の重みで氷塊となり、重力によってゆっくりと流動する。この流れを氷河という。最終的に海へと流れ出して浮いている領域を棚氷と呼ぶ。図2(右)も参照。なお、海水が凍った海氷とはいずれも異なる。
注2:氷床
降り積もった雪が、長い年月をかけて押し固められて形成された巨大な氷の塊のこと。南極大陸上の氷床を南極氷床と呼び、地球最大の氷の塊である。
お問い合わせ先
研究内容について
国立極地研究所 南極観測センター/気水圏研究グループ 助教 平野 大輔(ひらの だいすけ)
北海道大学 低温科学研究所 准教授 青木 茂(あおき しげる)
報道について
国立極地研究所 広報室
海洋研究開発機構 海洋科学技術戦略部 報道室
産業技術総合研究所 ブランディング・広報部 報道室
東京海洋大学 広報室
北海道大学 社会共創部広報課