2023-04-18 東京大学
発表のポイント
◆常温常圧の温和な反応条件下で、窒素ガスと水からのアンモニア合成反応における触媒活性の自らの世界最高記録(Ashida and co-workers, Nature, 2019, 568, 536)を大幅に更新した(アンモニア生成量で約15倍、生成速度で約7倍の向上に成功!)。
◆ 触媒反応の反応機構を精査することで、分子触媒の適切な分子設計を計算化学的手法により予測した。分子設計に基づき新規に合成したモリブデン錯体が予測通り極めて有効な触媒として機能した。
◆本研究成果は、エネルギーキャリアとして期待されるアンモニアを高効率で合成する有用な触媒を提供しただけでなく、計算化学に基づいたアプローチによりさらなる高活性な触媒開発への展開が期待される。
計算化学によるアプローチから超高活性アンモニア生成触媒の開発に成功!
発表概要
東京大学大学院工学系研究科の西林仁昭教授、九州大学先導物質化学研究所の吉澤一成教授、大同大学教養部の田中宏昌教授らによる研究グループは、分子触媒を用いた常温常圧の極めて温和な反応条件下で進行する窒素ガスと水からの触媒的アンモニア(注1)合成反応において、2019年にNature誌に掲載された論文(Ashida and co-workers, Nature, 2019, 568, 536)で達成した触媒活性の世界最高記録を大幅に更新した。新しく開発に成功したモリブデン錯体を触媒として用いることで、反応に用いた触媒当たりのアンモニア生成量で約15倍(触媒当たり60,000当量のアンモニアが生成)を達成し、単位時間当たりのアンモニア生成速度で約7倍(1分間で触媒当たり800当量のアンモニアが生成する触媒活性)に向上させることに成功した。
最初に、触媒的アンモニア生成反応の反応機構を詳細に検討することで触媒反応の律速段階(注2)を特定した。この実験結果を踏まえて、触媒反応の反応速度を飛躍的に向上させることが期待できるモリブデン錯体の分子設計を計算化学に基づいて行った。この計算化学による分子設計を踏まえて、予測された新規なモリブデン錯体の合成を実際に行った。設計・合成された新規なモリブデン錯体を用いた触媒的アンモニア生成反応を行ったところ、予測通りに従来の触媒活性を大幅に向上する結果を達成した。
本研究成果は、化石燃料を原料として用いた工業的なアンモニア合成法であるハーバー・ボッシュ法(注3)に代わる二酸化炭素を排出しない方法でアンモニアを合成するグリーンアンモニア合成反応の開発につながる大きな研究成果である。また、エネルギーキャリアとして期待されるアンモニアを高効率で合成する有用な触媒を開発しただけでなく、計算化学に基づいたアプローチによりさらなる高活性な触媒開発への展開が期待される意義深いものである。
本研究成果は、2023年4月17日(英国夏時間)に「Nature Synthesis」(オンライン速報版)で公開された。
発表内容
〈研究の背景〉
窒素はアミノ酸やDNA等のタンパク質や核酸などに含まれる生命維持活動に必要不可欠な元素の一つであると共に、医薬品や化学工業品などに含まれるなど近代文明生活を営む上で重要な元素である。窒素は大気中の約80% の構成成分を占める窒素ガスとして地球上に大量に存在しているが、窒素ガスは反応性に非常に乏しく、窒素源として直接利用することができない。窒素ガスを窒素源として利用するには、容易に利用可能なアンモニアへ変換し、アンモニアを原料として窒素肥料、医薬品、化学工業品へと変換する必要がある。
現在、アンモニアは工業的な合成法として知られているハーバー・ボッシュ法により世界中で供給されている。鉄系触媒存在下、高温高圧(400-600度、100-200気圧)の極めて厳しい反応条件を用いて、窒素ガスと水素ガスからアンモニアが合成されている(図1a)。この方法では、水素ガスの原料として大量の化石燃料(石油・石炭・天然ガス)が消費されており、莫大な量の二酸化炭素の発生を伴う工業プロセスとなっている。二酸化炭素は代表的な温室効果ガスであり、持続型社会の実現に大きな障害となる。それゆえ、化石燃料を原料とする水素ガスの代わりに豊富に地球上に存在し、安価で入手容易な水を水素源として利用して、常温常圧などの温和な反応条件下で進行する次世代型アンモニア合成法の開発が期待されている。
高温高圧が必要な工業的なアンモニア合成法とは対照的に、自然界に存在する窒素固定酵素ニトロゲナーゼ(注4)は常温常圧の温和な反応条件下で水を水素源としてアンモニアを合成することが知られている(図1b)。東京大学西林研究室では、このニトロゲナーゼをモデルとしたアンモニア合成法の開発に2019年に成功しすでに報告している(図1c左)。ヨウ化サマリウム(注5)を還元剤として利用する必要はあるが、常温常圧の温和な反応条件下で、窒素ガスと水とからアンモニアを高効率に合成する触媒的アンモニア合成法である(Ashida and co-workers, Nature, 2019, 568, 536)。本手法により生成するアンモニアは触媒あたり4,000分子以上、1分間当たりのアンモニア生成速度は触媒当たり120分子に達している。これらの触媒活性は窒素固定酵素ニトロゲナーゼに匹敵するものであった。
〈研究の内容〉
上述した研究背景を踏まえて、今回は窒素ガスと水とからアンモニアを触媒的に合成する反応系において、2019年にNature誌に掲載された論文(Ashida and co-workers, Nature, 2019, 568, 536)で達成した触媒活性の世界最高記録を大幅に更新することに成功した。新しく開発に成功したモリブデン錯体を触媒として用いることで、反応に用いた触媒当たりのアンモニア生成量で約15倍(触媒当たり60,000当量のアンモニアが生成)へ、単位時間当たりのアンモニア生成速度で約7倍(1分間で触媒当たり800当量のアンモニアが生成する触媒活性)へと触媒活性の大幅な向上に成功した(図1c右)。
図1:窒素ガスから直接アンモニアを合成する手法
最初に、触媒的アンモニア生成反応の律速段階を明らかにするために、触媒的アンモニア生成反応の反応速度について詳細な検討を行った。その結果、触媒的アンモニア生成反応におけるモリブデン触媒の反応次数は1次であることが明らかになった。この結果を踏まえて精査したところ、触媒的アンモニア生成反応の律速段階は、モリブデンーニトリド錯体への1電子および1プロトン移動であるプロトン共役電子移動(PCET)(注6)によりモリブデンーイミド錯体が生成する過程であることを示している(図2)。一方で、このモリブデンーイミド錯体のイミド部分のN-Hの結合解離自由エネルギー(BDFE)(注7)を計算化学(注8)により算出すると共に、モリブデン錯体のPCP型ピンサー配位子に代表的な電子供与性や電子求引性基などのさまざまな置換基を導入したイミド錯体と比較することで、最も良好な数値を示したトリフルオロメチル基を導入したモリブデン錯体が極めて良好な触媒として働くことを予測した(図3)。計算化学による分子設計を踏まえて、さまざまな置換基を持つ一連の新規なモリブデン錯体の合成を行った。設計・合成された一連のモリブデン錯体を用いた触媒的アンモニア生成反応を行ったところ、予測通りトリフルオロメチル基を導入したモリブデン錯体が従来を大きく凌駕する極めて有効な触媒として働くことが明らかとなった(図1c右)。本研究成果は、触媒反応の反応機構を精査することで、分子触媒の適切な分子設計を計算科学的手法により予測可能であることを示す極めて興味深いものである。
図2:モリブデン触媒によるアンモニア生成反応機構
図3:計算化学により算出したモリブデン-イミド錯体のBDFE(N-H)値
〈今後の展望〉
本研究成果は、化石燃料を原料として用いた工業的なアンモニア合成法であるハーバー・ボッシュ法に代わる二酸化炭素を排出しない方法でアンモニアを合成するグリーンアンモニア合成法の開発につながる大きな研究成果である。特に、以前に達成した触媒活性の世界最高記録を大幅に更新した本研究成果は、次世代型アンモニア合成法の実現に向けて大きく前進する内容である。また、一連の研究成果は省エネルギーで二酸化炭素の排出量が少ない持続可能な次世代型のアンモニア合成を達成し、環境的にもクリーンな「アンモニア社会」(注9)の実現を推し進める上で重要な知見である。本研究成果は、エネルギーキャリアとして期待されるアンモニアを高効率で合成する有用な触媒を提供しただけでなく、計算化学に基づいたアプローチによりさらなる高活性な触媒開発への展開が期待される意義深いものである。
〈関連のプレスリリース〉
「世界で初めて窒素ガスと水からのアンモニア合成に成功~常温常圧で世界最高の触媒活性、持続可能な社会へ~」(2019/04/25)
https://www.t.u-tokyo.ac.jp/press/foe/press/setnws_201904251057246383830380.html
発表者
東京大学大学院工学系研究科
応用化学専攻
西林 仁昭(教授)
荒芝 和也(特任研究員)
システム創成学専攻
芦田 裕也(日本学術振興会特別研究員 博士課程:研究当時)
水島 拓郎(修士課程:研究当時)
九州大学先導物質化学研究所
吉澤 一成(教授)
江木 晃人(博士課程:研究当時)
大同大学教養部
田中 宏昌(教授)
論文情報
〈雑誌〉Nature Synthesis
〈題名〉Catalytic production of ammonia from dinitrogen employing molybdenum complexes
bearing N-heterocyclic carbene-based PCP-type pincer ligands
〈著者〉Yuya Ashida, Takuro Mizushima, Kazuya Arashiba, Akihito Egi, Hiromasa Tanaka,
Kazunari Yoshizawa,* and Yoshiaki Nishibayashi*
〈DOI〉https://doi.org/10.1038/s44160-023-00292-9
研究助成
本研究は、文部科学省 科学研究費助成事業(基盤研究(S)「超触媒を利用した窒素分子からの革新的分子変換反応の開発(課題番号:JP20H05671)」および挑戦的研究(萌芽):「再生可能エネルギーである可視光を利用した画期的な次世代型窒素固定反応の開発(課題番号:JP22K19041)」、「窒素分子から含窒素有機化合物を直截合成する革新的分子変換反応の開発(課題番号:JP20K21203)」の支援によって行われた。また、本研究で開発に成功したモリブデン錯体を触媒として利用した触媒的アンモニア合成反応の実用化に関する共同研究をNEDOグリーンイノベーション基金(幹事企業:出光興産株式会社)として実施している。
用語解説
(注1)アンモニア
NH3で表される常温・常圧で無色の気体。アンモニアは、化学製品の原料として使用される他、主に窒素肥料として利用されており、これは食料を大量に生産する上で必要不可欠である。
(注2)律速段階
多段階の反応において最も反応が遅い段階で、反応全体が進行する速度を決定する素反応。
(注3)ハーバー・ボッシュ法
約100年前に開発された、窒素ガスと水素ガスから鉄系の触媒を用いてアンモニアを合成する方法。現在でも工業的に広く用いられている。開発者のフリッツ・ハーバーとカール・ボッシュ(両者共にノーベル化学賞受賞)にちなんでハーバー・ボッシュ法と呼ばれている。合成されたアンモニアが主に窒素肥料として用いられることから、「空気からパンを作る」方法と呼ばれる。
(注4)ニトロゲナーゼ
窒素ガスからアンモニアへの変換反応を触媒する酵素。マメ科植物に存在する根粒菌などがこの酵素を持っている。この酵素の活性中心部位には、モリブデンや鉄といった金属元素が含まれていることが知られている。
(注5)ヨウ化サマリウム
希土類金属(レアアース)の一種であるサマリウム(Sm)とヨウ素(I)からなる化合物。有機合成反応の分野において、還元剤(電子を与える試薬)として広く用いられている。なお、触媒的アンモニア合成反応に利用したヨウ化サマリウムは反応終了後には酸化された状態で系中に存在しているが、電気化学的還元手法などにより回収再利用が可能である。
(注6)プロトン共役電子移動(PCET)
プロトン(H+)の移動と電子(e−)の移動が、同時に進行する反応機構。光合成や人間の体内で起こる酵素反応などでこの反応機構が重要な役割を果たしていると考えられている。ヨウ化サマリウムとアルコールや水の組み合わせは、電子移動が効率的に行われるPCET(Proton-Coupled Electron Transfer:プロトン共役電子移動)反応を進行させることが知られている。
(注7)結合解離自由エネルギー(Bond Dissociation Free Energy: BDFE)
分子の結合を均等開裂するために必要なエネルギーであり、化学結合の強さを表している。
(注8)計算化学
コンピューターシュミレーションを用いて化学の問題にアプローチする化学の一分野。分子の構造や電子状態を計算し、物性や化学反応過程を予測することができる。
(注9)アンモニア社会
アンモニアをエネルギー媒体とする社会。石油や石炭などの従来の化石燃料は燃やせば二酸化炭素を発生する。一方、次世代のエネルギー媒体として期待されている水素は燃やしても水しか発生せず、地球に非常にやさしいと言えるが、貯蔵・運搬が困難である。その点、アンモニアは窒素と水素への分解反応で二酸化炭素を発生させずにエネルギーを取り出すことができるだけでなく、容易に液化するので、貯蔵・運搬が極めて容易で取り扱いやすい。つまり、アンモニアをエネルギー媒体として利用できれば、現在問題となっている環境・エネルギー問題を一挙に解決し得る可能性が高まるため、その実現が期待されている。
Nature Synthesis:https://www.nature.com/articles/s44160-023-00292-9