2022-12-01 分子科学研究所
ポイント
・超伝導性などの特異な電子機能の発現の鍵となる「不完全な酸化状態*1」を単一の純有機*2中性分子*3で初めて創り出すことに成功しました。
・「不完全な酸化状態」の形成には複数種の分子が必要であるという常識を覆し、従来にない新しい分子集合構造・電子特性変化を生み出しました。
・単一の有機低分子からなる溶解性・加工性に優れた超伝導薄膜などの新しい電子機能性有機物質・材料の開発につながることが期待されます。
概要説明
熊本大学大学院自然科学教育部博士前期課程2年の末棟 太朗大学院生(当時)と園田 啓太大学院生、同大学大学院先端科学研究部の上田 顕准教授(分子科学研究所客員准教授 併任)の研究グループは、大阪大学大学院基礎工学研究科の鈴木 修一准教授、株式会社リガクの佐藤 寛泰博士ならびに分子科学研究所の草本 哲郎准教授と共同で、「不完全な酸化状態」を有する純有機中性分子結晶の開発に世界で初めて成功しました。
紙や砂糖、ナフタレンなど通常の有機物は、電気的に中性の分子から構成され、電気をほとんど流しません。しかし、1970年ごろから「不完全な酸化状態」を有する有機化合物において、金属のような高伝導性や電気抵抗がゼロである超伝導性といった様々な特異な性質が発見され、それ以来、「不完全な酸化状態」を有する有機化合物の開発研究が世界的規模で繰り広げられています。このような「不完全な酸化状態」を有する有機化合物はいずれも、プラスの電荷をもつ陽イオン分子とマイナスの電荷をもつ陰イオン分子で構成されたイオン性の化合物であり、つまり、「不完全な酸化状態」の形成には二種類(以上)の分子を組み合わせることが必要不可欠であると長年信じられていました。
それに対して本研究グループは、独自の分子設計によりこの常識を覆し、「不完全な酸化状態」を一種類の純有機中性分子で創り出すことに初めて成功しました。そして、この中性分子結晶が、従来のイオン性化合物とは質的に異なる分子集合構造・相互作用を形成し、電気伝導性/磁性の特異な多段階変化現象・相転移挙動を示すことを発見しました。これらの成果は、単一の有機低分子からなる溶解性・加工性に優れた金属/超伝導薄膜などの電子機能性有機物質・材料の開発に向けた新たな道となることが期待されます。
本研究成果は、令和4年11月21日に米国化学会誌「Journal of the American Chemical Society」オンライン版に掲載されました。
なお、本研究は、日本学術振興会科学研究費助成事業、公益財団法人池谷科学技術振興財団ならびに熊本大学国際先端科学技術研究機構の「次期重点領域にかかる若手研究者支援事業」の支援を受けて行われました。また、本研究の一部は文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業<分子・物質合成>(JPMXP09S21MS1073)の支援により自然科学研究機構分子科学研究所で実施されました。
説明
【背景】
紙や砂糖、ナフタレンなどの有機物は一般に、電気をほとんど流さない絶縁体です。しかし、1950年代に「電気を流す有機物」が発見され、その後、金属のような高伝導性や電気抵抗がゼロとなる超伝導性を示す低分子系有機化合物、さらには2000年のノーベル化学賞に選ばれた導電性高分子などの様々な「電気を流す有機物」が開発され、基礎学術研究はもとより、応用展開・実用化も日進月歩で進んでいます。
これまでの研究から、このような高伝導性の有機物を得るための鍵として、「不完全な酸化状態(または還元状態)」の形成が重要であることが知られています。さらに、この特異な状態は、電気伝導性だけではなく、磁気特性や誘電特性も生み出すことが明らかになっています。従って、不完全な酸化状態(または還元状態)を有する有機物[=不完全酸化(還元)型有機物質]は、様々な電子機能が眠る宝庫であり、その開発研究は機能性物質科学分野における重要課題の一つと認識されています。ただし、この「不完全な酸化状態(または還元状態)」は、電子供与性の分子*4と電子受容性の分子*5を組み合わせて作るイオン性の化合物においてのみ達成されており、つまり、不完全酸化(還元)型有機物質を開発するためには、二種類(以上)の分子を組み合わせることが必要不可欠であると長年信じられていました。
【研究内容と成果】
このような背景のもと、本研究グループは、独自の分子設計によりこの常識を覆し、「不完全な酸化状態」を単一の純有機中性分子で創り出すことに世界で初めて成功しました。そして、この中性分子結晶が、従来のイオン性化合物とは質的に異なる分子集合構造・相互作用を形成し、電気伝導性/磁性の特異な多段階変化現象・相転移挙動を示すことを発見しました。
今回研究グループが「不完全な酸化状態」を単一の純有機中性分子で創り出すために考案した分子設計コンセプトならびに実際に開発した分子の化学構造を図1に示します。研究グループは、これまで研究されてきた多くのイオン性の「不完全酸化型」有機物質が、図1aのように、+0.5価の「不完全な酸化状態」を有する陽イオン分子と–1価の陰イオン分子 X–(例えばPF6–など)を2:1の比で含むものであることに着目し、これらの分子を強い化学結合である共有結合で結び付けることができれば、「不完全な酸化状態」を有し、かつ分子全体で電気的に「中性」となる分子が実現できるのではないか、と発想しました。一見単純な発想ですが、このような発想での分子設計はこれまでに例がありません。本研究では、図1bに示すように、–1価の陰イオン分子X–の代わりに、–1価の非金属陰イオン原子であるホウ素陰イオンB–を用い、不完全な酸化状態(+0.5価)を有する2個の陽イオン分子骨格PDT-TTF+0.5-Catと共有結合で連結することを試みました。得られた単結晶のX線構造解析*6を行ったところ、設計した{[(PDT-TTF-Cat)2]+B–}•分子が確かに合成できていることが明らかとなり(図2)、本研究グループは、これまで複数種の分子からなるイオン性化合物に特有と信じられていた「不完全な酸化状態」を純有機の中性分子で実現することに世界で初めて成功しました。
図1. 本研究の分子設計コンセプト:従来の不完全酸化型有機物質(a)に含まれる二種類の化学種を共有結合で連結することで、「不完全な酸化状態」を有する純有機中性分子(b)の設計・合成を達成した。
X線構造解析の結果をさらに詳細に調査すると、この「不完全な酸化状態」を有する中性分子結晶は、従来のイオン性の「不完全酸化型」有機物質では本質的に実現不可能な特異な分子集合構造・相互作用を有することが明らかとなりました。すなわち、この新物質には、従来型物質に存在する陰イオン分子X–が存在しないため、図2に示すように、「不完全な酸化状態」を有する分子同士の三次元的な近接・集合化が可能となっています。その結果として、電気伝導層同士が隣り合い、伝導層「内」に加えて、伝導層「間」にも相互作用が生まれ、従来にない多次元的な電子間相互作用が実現したと言えます。
図2. 結晶中における{[(PDT-TTF-Cat)2]+B–}•分子の配列:一つの分子を水色でハイライトした。この結晶中には、結晶化の際の溶媒であるテトラヒドロフラン(THF)分子も含まれるが、この図では省略した。
この特異な分子集合構造・相互作用がどのような電子特性を与えるか調べるために、電気抵抗率ならびに磁化率の温度依存性を測定しました。その結果、電気抵抗率(図3a)は、温度低下に伴い、増加[室温~ 240 K (–33 °C):半導体的]、減少[240 K (–33 °C) ~ 235 K (–38 °C):金属的]、そして再び増加[235 K (–38 °C) ~:半導体的]と振る舞いを変えることが分かりました。磁化率(図3b)も温度低下に伴い振る舞いが変化し、わずかな増加[室温~ 250 K (–23 °C)]から、ほぼ一定の状態[250 K (–23 °C) ~ 205 K (–68 °C)]を経て、増加[205 K (–68 °C) ~ 100 K (–173 °C)]、そして急激な増加[100 K (–173 °C) ~]を示しました。これらの結果は、この中性分子結晶が温度に依存した多彩な電子相、電気・磁気特性を有することを示唆しています。
この起源を解明するために研究グループは、室温から90 K (–183 °C) の範囲における様々な温度でこの中性分子結晶のX線構造解析を行いました。その結果、図3cに示すように、温度変化に伴い「不完全な酸化状態」が変化し[すなわち、230 K (–43 °C) 付近で価数が+0.5と+0.5から+0.7と+0.3に変化し、100 K (–173 °C) 付近で再度+0.5と+0.5になる]、これにより多次元的な相互作用(図2)に変化が生じ、電子特性の多段階変化をもたらしたことを突き止めました。これは従来型の物質では見られない新現象です。今回、「不完全な酸化状態」を純有機中性分子結晶で初めて実現したことにより、有機物質の電子特性・機能の新たな一面・可能性を拓くことに成功しました。
図3. 今回開発した「不完全酸化型」中性分子結晶の(a)電気抵抗率と(b)磁化率の温度依存性、ならびに(c)結晶構造解析から明らかとなった「不完全な酸化状態」の変化
【展開】
「不完全な酸化状態」を有する有機物質は、基礎学術・材料応用の両面で非常に高いポテンシャルを有する物質群です。化学者による物質開発研究が原動力となり、有機超伝導などの様々な新現象・新機能が見出されてきました。その一方で、これまでに開発された「不完全酸化型の有機物質」はいずれも複数種の分子からなるイオン性の化合物でした。それに対して、本研究で開発に成功した「不完全酸化型の有機物質」は、純有機中性分子を基盤としており、従来のような複数種の分子を必要としません。様々な化学修飾・類縁体合成も可能であり、本研究成果は、単一の有機低分子からなる溶解性・加工性に優れた金属/超伝導薄膜などの新規な電子機能性有機物質・材料の開発に向けた新たな道となることが期待されます。
用語解説
*1:不完全な酸化状態
電荷(価数)が0(=中性の状態)と+1(=酸化された状態)の間の中途半端な状態のこと。専門的には部分酸化状態 (partially oxidized state) と呼ばれることが多い。
*2:純有機
構成元素に炭素を含む化合物(分子)を一般に有機物(有機分子)と呼ぶが、金属元素を含んでいないものを特に純有機物(純有機分子)と呼ぶ。
*3:中性分子
分子全体として電荷をもたず電気的に中性状態の分子のこと。イオン化されていない分子のこと。
*4:電子供与性の分子
電子を放出して(酸化されて)陽イオンになりやすい分子のこと。
*5:電子受容性の分子
電子を受け取って(還元されて)陰イオンになりやすい分子のこと。
*6:X線構造解析
電磁波の一種であるX線を物質に照射し、その回折像を基に、物質中における原子の配列や分子の構造を明らかにする構造解析手法のこと。
論文情報
論文名:Partially Oxidized Purely Organic Zwitterionic Neutral Radical Conductor: Multi-step Phase Transitions and Crossover Caused by Intra- and Intermolecular Electronic Interactions
著者:Taro Suemune,# Keita Sonoda,# Shuichi Suzuki, Hiroyasu Sato, Tetsuro Kusamoto, Akira Ueda* (* 責任著者, # equal contribution)
掲載誌:Journal of the American Chemical Society
doi:10.1021/jacs.2c08813
URL:https://doi.org/10.1021/jacs.2c08813
お問い合わせ先
<研究内容に関すること>
熊本大学大学院先端科学研究部
上田 顕 准教授
<プレスリリースに関すること>
熊本大学総務部総務課広報戦略室
大阪大学大学院基礎工学研究科庶務係
自然科学研究機構分子科学研究所 研究力強化戦略室広報担当