2022-02-17 東京大学
諏訪 秀麿(物理学専攻 助教)
発表のポイント
- 電子と正孔の結合状態である励起子が生み出す反強磁性型の励起子絶縁体を実験と理論の両面から新たに発見しました。
- スピン三重項の励起子が生み出す反強磁性励起子絶縁体の存在を明らかにしました。
- 反強磁性励起子絶縁体における電子の電荷・スピン・軌道自由度の役割が今後明らかになり、量子マテリアルのデザインと応用につながると期待されます。
発表概要
東京大学理学系研究科の諏訪助教は、ブルックヘブン国立研究所、ポールシェラー研究所、テネシー大学、アルゴンヌ国立研究所、オークリッジ国立研究所、中国科学院、上海科技大学の研究グループと共同で、電子と正孔の結合状態が生み出す反強磁性型の励起子絶縁体を実験と理論の両面から新たに発見しました。
物質中で電子のペアがボーズ・アインシュタイン凝縮(注1) と呼ばれる現象を起こし超伝導体を生み出すのと同様に、電子と正孔の結合状態である励起子が凝縮することで励起子絶縁体と呼ばれる状態を生じさせます。ここで励起子の量子力学的性質に注目しますと、スピン一重項(注2) の励起子が凝縮して生じる励起子絶縁体についてこれまで精力的に研究されてきましたが、スピン三重項の励起子が凝縮した物質は見つかっていませんでした。共同研究グループは、イリジウム酸化物Sr3Ir2O7に対する共鳴非弾性X線散乱(注3) 実験と理論計算から、三重項励起子が凝縮した反強磁性型の励起子絶縁体であることを明らかにしました。
今後、三重項励起子のボーズ・アインシュタイン凝縮現象に関する実験的検証と操作が可能になります。反強磁性励起子絶縁体における電子の電荷・スピン・軌道自由度の役割がさらに明らかになり、量子マテリアルのデザインと応用につながると期待されます。
発表内容
物質中で電子と正孔(ホール)が結合状態を作ると、励起子と呼ばれる複合粒子として振る舞います。電子対が超伝導体を生み出すのと同様に、励起子がボーズ・アインシュタイン凝縮を起こすと励起子絶縁体と呼ばれる状態を生み出します。この現象は古くから理論的に予言されていましたが、実際の物質で励起子絶縁体を特定するのは簡単ではありません。ここで励起子の量子力学的性質に注目しますと、スピン一重項の励起子が凝縮して生じる励起子絶縁体についてこれまで精力的に研究されてきましたが、スピン三重項の励起子が凝縮した物質は見つかっていませんでした。その理由は、三重項励起子の凝縮には特別な結晶構造と絶妙な相互作用バランスの両方が必要となるからです。
三重項励起子が凝縮して生じる状態のひとつとして、反強磁性励起子絶縁体があります。研究グループはこの状態が次のようなメカニズムで生じることを明らかにしました。まず仮想的にスピン軌道結合(注4) と電子間の斥力クーロン相互作用を無視した場合に、電荷ギャップのない金属となる物理系を想定します。そこにスピン軌道結合が加わりバンド混成が起こった結果、小さな電荷ギャップを持つ非磁性バンド絶縁体となる物質を考えます。この状況下で電子間の斥力相互作用を考慮すると、三重項状態が安定化します。これはフェルミ粒子の性質(注5) から三重項の電子対は一重項より互いに離れて存在するためです。電子の「穴」である正孔を用いてこの効果を記述すると、電子と正孔の間に実効的な引力が働くことを意味します。さらに電子間相互作用を強めていき量子臨界点(注6) に達すると、ついには電荷ギャップより励起子の結合エネルギーの方が大きくなりバンド絶縁体が不安定化し、励起子がボーズ・アインシュタイン凝縮を起こします(図1)。この臨界点を過ぎると、スピンのアップとダウンが交互に並ぶ磁気秩序を持つ反強磁性励起子絶縁体が生じるというわけです。
図1:励起エネルギーの電子間相互作用依存性と反強磁性励起子絶縁体の励起モード。非磁性バンド絶縁体で電子間相互作用を考慮すると、電子と正孔の結合状態である励起子が安定化して、高エネルギー領域に広がる電子正孔連続スペクトルから分離します。ここでスピン相互作用の容易軸異方性から励起子のエネルギーは2つに分かれます。電子相互作用を強めていくと、2つのうち高いエネルギーの励起は反強磁性励起子絶縁体での横モード励起になります。一方、低いエネルギーの励起は量子臨界点で励起エネルギーがゼロとなったのち、反強磁性励起子絶縁体での縦モード励起になります。この縦モード励起は電荷自由度と結合し、スピンの長さを振動させる特徴的な励起です。
反強磁性励起子絶縁体の特定には、縦モードと呼ばれる特徴的な励起モードの検出が鍵となります。反強磁性体では、一般的にマグノン(注7) と呼ばれる横モードの励起が存在しますが、反強磁性励起子絶縁体では、それに加えて(平均的に)スピンの長さが伸び縮みする縦モードが現れます。ここで縦モードの励起エネルギーが横モードのエネルギーの2倍より小さいという条件が満たされると、縦モード由来の顕著な応答を検出できるようになります。この条件が満たされないときは、縦モードが2つの横モードへの分裂を起こしてしまうため、縦モード由来のスペクトルピークは失われてしまいます。条件を満たすためには、スピン相互作用に容易軸異方性(注8) があり横モードの励起エネルギーが有限であることと、系が量子臨界点に近く縦モードの励起エネルギーが十分小さいことが必要になります。
研究グループはイリジウム酸化物Sr3Ir2O7が上記の条件をちょうど満たしている反強磁性励起子絶縁体であることを明らかにしました。またこの物質の縦モードが持つ特徴を理論的に予測し、共鳴非弾性X線散乱を用いて実験的に同定することに成功しました。結晶中では、強いスピン軌道結合の効果から、イリジウムのある電子軌道に平均して電子が1つ配置されます。また結晶構造はイリジウムを含む層が2層重なっており、擬2次元系を形成しています(図2)。
図2:(a)イリジウム酸化物Sr3Ir2O7の結晶構造。イリジウムを含む層が2層ずつ重なりながらz方向に積層しています。(b)2層中のイリジウムとz方向の反強磁性秩序。(c) qc = 0,(d) qc = 0.25,(e) qc = 0.5の波数における散乱強度のエネルギー依存性。赤色のピークで示した縦モードはqc = 0では現れず、qc = 0.5で最大強度を示します。
この物質はスピンの縦(z)成分の合計が保存される性質を持つため、2つの層の位相を揃えた励起では結合状態が形成されません。そのため2つの層の位相が同じとなる波数ベクトル(qc = 0)では縦モードが生じず、位相が反対となる波数(qc = 0.5)で縦モードの散乱強度が最大化します。また電荷ギャップと磁気励起エネルギーが同程度であることを反映して、縦モード励起のピークは限られた波数ベクトルでのみ現れます。東大のグループが中心となり理論計算をおこない、実験結果を高い精度で再現することに成功しました(図3)。
図3:波数ベクトルとエネルギーに対する散乱強度のカラープロット。黒色のプロットは実験で観測された横モードのピーク位置、緑色のプロットは観測された縦モードのピーク位置を表しています。横モードは波数ベクトル全域に現れるのに対し、縦モードは高エネルギー領域で電子正孔連続スペクトルに分散されてしまうため、限られた波数ベクトルにのみ現れます。
さらに縦モード励起エネルギーの温度依存性を調べたところ、磁気転移温度付近で顕著な励起エネルギーの低下(ソフト化)を観測しました(図4)。これは転移温度より高温で安定化し始めた励起子が、相転移温度でボーズ・アインシュタイン凝縮を起こす理論予測と一致しています。また電荷スピン結合を反映して、磁気転移温度でキャリアの減少に伴い電気抵抗が増加します。これらの現象は、スピン模型を用いた先行研究の理論では統一的に理解することができませんでした。研究グループは、電荷の自由度を適切に取り入れた理論を構築し、Sr3Ir2O7の実験結果を包括的に説明しつつ反強磁性励起子絶縁体の同定に成功しました。
図4:(a) 波数(0, 0)かつqc = 0,(b) (1/2, 1/2)かつqc = 0,(c) (0, 0)かつqc = 0.5,(d) (1/2, 1/2)かつqc = 0.5での温度とエネルギーに対する散乱強度のカラープロット。(c)と(d)中の破線は理論計算で得られた横モード(黒)と縦モード(緑)のピーク位置を示しています。(e) 波数(0, 0),(f) (1/2, 1/2)での散乱エネルギーゼロ付近の弾性散乱強度の温度依存性。磁気転移温度(285 K)付近で波数(1/2, 1/2)かつqc = 0.5での弾性散乱強度が顕著なピークを示し、励起子ボーズ・アインシュタイン凝縮を示唆しています。また電荷スピン結合により、磁気転移に伴い電気抵抗が増加します。
長い間見つかっていなかった反強磁性励起子絶縁体の発見により、今後、三重項励起子の凝縮現象についてより詳細な実験的検証と操作が可能になります。この成果は電子の電荷・スピン・軌道自由度が複雑に絡み合う物性現象の理学的解明と、将来的な量子マテリアルのデザインと工学的応用につながると期待されます。
発表雑誌
- 雑誌名
Nature Communications論文タイトル
Antiferromagnetic excitonic insulator state in Sr3Ir2O7著者
D. G. Mazzone*, Y. Shen*, H. Suwa*, G. Fabbris, J. Yang, S-S. Zhang, H. Miao, J. Sears, Ke Jia, Y. G. Shi, M. H. Upton, D. M. Casa, X. Liu, J. Liu, C. D. Batista, M. P. M. Dean*
用語解説
注1 ボーズ・アインシュタイン凝縮
非常にたくさんの(巨視的な数の)ボーズ粒子が同じ1粒子状態をとる現象。物質中で起きると、超伝導体、超流動体、励起子絶縁体などの興味深い量子状態を生み出します。
注2 一重項と三重項
一重項は量子力学的にスピンが0の状態で、状態数は1。一方、三重項はスピンが1の状態で、状態数は3。スピン異方性があると、三重項の3つの状態のエネルギーは分裂します。
注3 共鳴非弾性X線散乱
入射するX線で内殻電子を共鳴励起させ、励起状態が緩和する過程で発生する散乱X線を分光することで、励起のエネルギーや運動量(波数)を観測する実験手法。
注4 スピン軌道結合
相対論的効果から生じる、電子のスピンと軌道角運動量の間の相互作用。
注5 フェルミ粒子の性質
2つの同種フェルミ粒子の交換に関して全波動関数の符号が反転する性質。スピン三重項の電子対は交換に関してスピンが対称なので、実空間部分の波動関数の符号が反転します。その結果、三重項の電子対は一重項より互いに離れて存在します。
注6 量子臨界点
絶対温度で量子ゆらぎが引き起こす相転移点。様々な物理量が距離や時間に対してべき的(臨界的)に振る舞います。
注7 マグノン
磁気秩序状態から生じるスピンの波の励起を記述する仮想的粒子。横モードの磁気励起を定式化します。
注8 容易軸異方性
ある軸方向が他の方向より好まれる性質。磁気秩序状態では、好まれる軸(容易軸)方向にスピンがそろいます。