2020-05-18 理化学研究所
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター創発物性計測研究チームのクリストファー J. バトラー基礎科学特別研究員、花栗哲郎チームリーダー、創発デバイス研究チームの吉田将郎特別研究員、岩佐義宏チームリーダーの研究チームは、「二硫化タンタル」が絶縁体になる原因が、電子同士が互いに避け合う斥力相互作用[1]にあることを明らかにしました。
本研究成果は、電子間の相互作用がもたらす高温超伝導[2]などの創発現象[3]の理解と探索に貢献すると期待できます。
結晶中では原子が周期的に並んでいます。1周期当たり奇数個の電子を持つ物質の多くは金属ですが、電子間斥力が強い場合は、電子同士が互いの運動を邪魔して立往生させるために絶縁体になります。このような絶縁体は、提唱者の名前にちなんで「モット絶縁体」と呼ばれています。絶縁体である二硫化タンタルは、原子配列構造の周期内に奇数個(13個)の電子を持ちますが、モット絶縁体なのか、それとも新たに元の2倍の周期の構造ができるために、1周期内の電子数が偶数となって絶縁化するのか、論争になっていました。
今回、研究チームは、走査型トンネル顕微鏡/分光法(STM/STS)[4]を用いて構造と電子状態の関係を調べ、二硫化タンタルはモット絶縁体であることを明らかにしました。
本研究は、オンライン科学雑誌『Nature Communications』(5月18日付)に掲載されます。
走査型トンネル顕微鏡で調べた二硫化タンタルの構造(青)と電子状態(赤)の模式図
背景
自然界には電気伝導性に優れた金属と、電流をほとんど流さない絶縁体の両方が存在し、このことによって現代の情報処理や電力輸送は可能になっています。金属と絶縁体の違いは、「バンド理論[5]」と呼ばれる、結晶中に周期的に並んだ原子核と、電気伝導の担い手である電子の間に働く引力を、量子力学的に考える理論の枠組みで理解できます。バンド理論によると、結晶の1周期当たりの電子数が偶数の場合は、金属になる物質と絶縁体(バンド絶縁体)になる物質の両方がありますが、奇数の場合には、必ず金属になると考えられています。
ところが現実には、1周期当たりの電子数が奇数にもかかわらず絶縁体になる物質があります。このような物質では、負の電荷を持つ電子同士が互いに避け合い、その結果どの電子も動けなくなっていると考えられます。電子の避け合いの効果をバンド理論に取り入れることは難しいため、これらの物質の理解には、異なる理論の枠組みが必要です。このような理論のもとを築いたイギリスのN. モット卿にちなんで、電子の避け合い、すなわち斥力相互作用によって絶縁体になる物質は、「モット絶縁体」と呼ばれています。
以上のように、金属と絶縁体の分類学は、現在おおむね理解されていますが、なかには、バンド絶縁体なのかモット絶縁体なのか、分かりにくい物質があります。1T構造と呼ばれる結晶構造を持つ「二硫化タンタル(1T-TaS2)」は雲母のような層状の物質で、一つの原子層内で六芒星の頂点と中心にある13個のタンタル原子がグループを作り、そのグループが周期的に並んでいます(図1)。この物質では、タンタル原子1個当たり実効的に電子1個が存在するために、1周期当たりの電子数は13個という奇数で、バンド理論によれば金属になるはずです。しかし、実際には二硫化タンタルは絶縁体です。そのため、モット絶縁体である可能性が考えられました。
その一方、層内だけでなく、層間まで含めた構造を調べると、2枚の原子層の間で上下の六芒星が対を作り、その対が単位となって周期構造ができていることが分かってきました。この場合、3次元的な繰り返しの1周期に含まれる電子数は13個の倍、すなわち26個という偶数になるので、バンド絶縁体としても説明できるかもしれません。このように、二硫化タンタルの絶縁性の起源は不明で、論争の的になっていました。
図1 二硫化タンタルの構造と走査型トンネル顕微鏡(STM)像
左図:結晶内の原子配列。タンタル(Ta)と硫黄(S)原子が層状に並び、それが積み重なっている。
中図:各原子層内のタンタル原子の配列の模式図。13個のタンタル原子が六芒星のグループとなり、それが周期的に並んでいる。
右図:STMで観測した表面像。一つの明るい領域が13個のタンタル原子からなる六芒星に対応している。
研究手法と成果
研究チームは、走査型トンネル顕微鏡法/分光法(STM/STS)という、物質表面の構造と電子状態を調べることができる手法を用いて、二硫化タンタルの絶縁性の起源を調べました。金属ではどんなに小さなエネルギーを与えても電子が動き出しますが、絶縁体で電子を動かすためには一定以上のエネルギーを与える必要があります。STM/STSを用いると、与えたエネルギーごとの電子の状態数を、その空間分布を含めて測定できるので、物質表面の任意の場所が金属なのか、それとも絶縁体なのかを知ることができます。
二硫化タンタルの結晶は、層に沿って簡単に劈開(へきかい)[6]します。図2のように六芒星の対が積み重なっていると、対と対の間で劈開する場合(ケース1)と、対を引き裂くように劈開する場合(ケース2)の二つが考えられます。ケース1の場合は最表面でも対が保たれるので、1周期に含まれる電子数は偶数の26個ですが、ケース2の場合、最表面に単一の原子層が残るので、1周期当たりの電子数は奇数の13個になります。もし、ケース2の最表面が絶縁体であれば、それはモット絶縁体でしかあり得ないことから、電子間斥力が二硫化タンタルの絶縁性にとって重要であることの強い証拠になります。
STM/STSを用いれば、最表面が金属か絶縁体かを知ることは簡単です。しかし、観測している最表面がどちらのケースの劈開でできたものなのかは、最表面における六芒星の並び方がどちらのケースでも全く同じなので、簡単には分かりません。そこで、研究チームは、劈開によって表面に現れる原子層の段差構造に着目しました。結晶を劈開すると、ところどころに原子層1枚の高さを持つ段差が現れ、段々畑のような構造になります。ケース1の場合、このような段差の上下で六芒星の並び方は全く同じですが、ケース2の場合は、六芒星の並び方の周期は同じでも、層内の六芒星の位置に段差の上下でずれが生じるはずです。
図2 二硫化タンタルの六芒星グループの積層パターン
13個のタンタル原子からなる六芒星グループが、2層ごとに対となり、それが層内方向にずれながら積層している。対と対との間で劈開(へきかい)するケース1の場合と、対を引き裂くように劈開するケース2の場合で、劈開が起こる場所を破線で示している。
このようにしてケース1とケース2を区別して、STM/STSで最表面の電子状態を調べたところ、いずれのケースでも絶縁体であることが分かりました(図3)。この結果から、二硫化タンタルは、電子が互いに避け合って絶縁体になったモット絶縁体であることが明らかになりました。
図3 二つの異なる劈開のケースでできた表面の電子状態数のエネルギー依存性
横軸の電子のエネルギーは、負の場合は二硫化タンタルから電子を取り出すために必要なエネルギーを、正の場合は逆に付け加えるために必要なエネルギーを示している。金属ではエネルギーがゼロのところにも有限の電子状態数が現れるはずだが、二硫化タンタルでは対と対の間で劈開するケース1、対を引き裂くような劈開をするケース2、いずれの劈開でできた最表面にも状態が無く、絶縁体であった。
今後の期待
バンド絶縁体のような電子間相互作用の弱い物質が持つ性質は、多くの場合、一つの電子が持っている性質の足し合わせとして説明できます。一方、モット絶縁体とその近縁物質では、多数の電子が相互に影響を及ぼし合うことで、個々の電子の性質からは決して予想できないような、奇妙で、時には有益な現象が「創発」することがあります。例えば、130K(約-143℃)を超える高温で超伝導現象を示す銅酸化物超伝導体[7]は、モット絶縁体と密接に関連していることが分かっています。
電子間相互作用が強い物質の性質を理論的に予言することは、現在のところとても難しく、実際に何が起こるかは実験で調べるしかありません。今回、二硫化タンタルがモット絶縁体であることが確実になったことで、電子間相互作用の物理の基礎的理解が進むことはもちろん、その近縁物質の実験研究から、高温超伝導を超えるような未知の創発現象が見つかるかもしれません。
補足説明
1.電子同士が互いに避け合う斥力相互作用
電荷を持つ物体の間にはクーロン力が働き、その向きは、互いの電荷の符号が異なる場合は引力に、同じ符号の場合は斥力になる。電気伝導を担う電子同士の間には斥力が働くが、他の電子が持つ電荷は、背景に並ぶ原子核の正の電荷と正確に打ち消し合い、無視できることが多い。しかし、電子が運動することが許された軌道が狭いなど、他の電子の影響を受けやすい遷移金属の化合物などでは、電子間の斥力相互作用がその性質に大きな影響を及ぼす。
2.高温超伝導
物質の電気抵抗が完全に消失する超伝導現象は通常、絶対零度(0K = 約-273℃)近傍でしか起こらないが、それが比較的高温で起こる現象。「高温」の明確な定義はないが、おおよそ40K(約-233℃)以上で超伝導になると高温超伝導と呼ばれる。
3.創発現象
複数の要素からなる系において、個々の要素が持つ性質からは予想できないような特性が系全体の性質として現れること。構成要素間に何らかの相互作用があることが重要である。
4.走査型トンネル顕微鏡/分光法(STM/STS)
電圧を加えた鋭い金属の探針を、試料の表面に極めて近くまで接近させると、探針試料間に量子力学的な電流(トンネル電流)が流れる。トンネル電流は、探針試料間隔に極めて敏感なので、探針の高さを電流が一定になるように調整しながら二次元的に走査し、探針の高さを記録することで、試料表面の凹凸を原子レベルの超高分解能で描き出すことができる。この装置を「走査型トンネル顕微鏡(STM)」と呼ぶ。1981年にスイスのG. ビーニッヒとH. ローラーによって発明された。探針に加える電圧を変化させることによって、特定のエネルギーを持つ電子状態を選択的に取り出して、その分布を調べることもできる。このような測定法を「走査型トンネル分光法(STS)」と呼ぶ。STMはScanning Tunneling MicroscopeまたはScanning Tunneling Microscopy、STSはScanning Tunneling Spectroscopyの略。
5.バンド理論
周期的に並んだ原子核と電子の間に働く引力の効果を量子力学的に取り扱うことで、さまざまな物質の電子状態を予言できる理論。電子が存在するエネルギー領域と存在できないエネルギー領域を帯(バンド)状の図に示し、それに基づいて物質の性質を考えることからこの名前がついている。現代エレクトロニクスの基盤物質であるシリコンのような半導体には、バンド理論が極めて精緻に適用できるが、電子間の斥力相互作用が強い物質に適用することは難しい。
6.劈開(へきかい)
原子同士の結合力が方向によって違う場合、結晶が特定の方向に割れやすい性質を持つこと。雲母がはがれやすかったり、食塩(塩化ナトリウム)を砕くときれいな直方体になったりする現象は、劈開の例である。
7.銅酸化物超伝導体
銅と酸素で構成される2次元的なシートを基本構造に持つ一連の超伝導体の総称。最初の銅酸化物超伝導体は、1986年にスイスのJ. G. ベドノルツとK. A. ミューラーによって発見されたLa2-xBaxCuO4である。現在、圧力をかけない状態で最も高い温度(135K:-138℃)まで超伝導状態を保つHgBa2Ca2Cu3Oyも、この物質群の一つである。
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究(B)「分光イメージング走査型顕微鏡によるバンド幅制御Mott転移近傍の電子状態の研究(研究代表者:花栗哲郎)」、同若手研究「2次元物質における準安定量子相の開拓(研究代表者:吉田将郎)」、同基盤研究(A)「ファンデルワールス・ヘテロ接合を用いた非相反現象と電子相制御の研究(研究代表者:岩佐義宏)」、同基盤研究(S)「ファンデルワールス・ヘテロ接合における物理と機能(研究代表者:岩佐義宏)」による支援を受けて行われました。
原論文情報
Christopher J. Butler, Masaro Yoshida, Tetsuo Hanaguri, and Yoshihiro Iwasa, “Mottness versus unit-cell doubling as the driver of the insulating state in 1T-TaS2“, Nature Communications, 10.1038/s41467-020-16132-9
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 創発物性計測研究チーム
基礎科学特別研究員 クリストファー J. バトラー(Christopher J. Butler)
チームリーダー 花栗 哲郎(はなぐり てつお)
創発デバイス研究チーム
特別研究員 吉田 将郎(よしだ まさろう)
チームリーダー 岩佐 義宏(いわさ よしひろ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当